第662話「残響を探して」
図らずも“翼の盟約”のメンバーが集まり、謎の暗号文に誘われるまま、〈白き深淵の神殿〉の探索が始まった。まず最初に手を上げたのは、以前から何度もここに足を運んでいるという神凪のリーダー、カグラだった。
「裏側、闇側、水中とあるように、やはり外から入ることができるのだと思います。となれば、〈ワダツミ海底洞窟〉の枝道のどこかから通じているのではないでしょうか」
「海底洞窟の枝道ね。白月がいると一直線に神殿まで来られるから、寄り道したことなかったな」
カグラの指摘で思い出すが、神子を連れていると〈ワダツミ海底洞窟〉の複雑怪奇に入り組んだ迷路を解く必要がなくなる。〈白き深淵の神殿〉に用がある時は便利だが、海底洞窟自体を探索することはできなくなるのだ。
ある意味では、神子を連れている弊害と言っても良いかも知れない。
「とにかく、行ってみましょう」
レティの声で俺たちは動き出す。神殿の入り口に作られた大扉を抜けて、海中へと飛び出す。俺たちは“驟雨”に乗り込んだが、他は高性能な潜水装備に身を包んでいる。
「あれ、〈ビキニアーマー愛好会〉が作った潜水装備だよね」
『正確に言えば、それを元にデザインを一新したものです。流石にアレはちょっと厳しいので……』
アイたちが着ている潜水服は、装飾の排されたシンプルな宇宙服といった印象のデザインだった。〈大鷲の騎士団〉の標準装備になっているのか、青と白のカラーリングで、背中にバンドの紋章が記されている。
ルナの潜水服は迷彩色のミリタリー仕様で、神凪の面々はそれぞれにカラフルな可愛らしいものだ。
『ビキ愛が技術を公開してくれたからね。いろんな生産系バンドがデザインを変えて作ってるんだよ。値段も結構安くなってるし』
「へぇ、そうだったのか。海に潜る時はテントを使うからなぁ」
ルナの言葉に思わず唸る。
ドトウとハトウによって牽引されるテントは、一度に何人も纏めて運ぶことができるし、大抵の原生生物の攻撃にも耐えられる。しかし、水中で戦闘を行ったり、細かい調査をするならば、個人が好きに動ける潜水服を用意した方が良かった。
『まあ、潜水服の連続稼働時間は短いですし、調査中は何度かテントで休憩させてもらうことになると思います。その時にでも、俺の潜水服を貸しましょうか』
「いいのか? 正直凄く興味があるんだ」
テントの前を泳ぐアストラの申し出は、願ってもないことだった。騎士団が採用しているくらいだから、きっと最新鋭の高性能潜水服なのだろう。
『レッジさんも俺もヒューマノイドの男ですからね。装備可能です』
『それなら、私はラクトさんにお貸ししますよ』
「わーい! ありがとう」
アイがアストラに続くように言ってくれて、ラクトも両手を上げて喜ぶ。話を聞いていたルナたちも快く申し出てくれたおかげで、トーカとシフォンも潜水服を着ることができるようになった。
「ぐ、ぐぬぬ……」
「こういう時はマイノリティ機体が悔しいわねぇ」
ニコニコと笑みを浮かべるラクトたちとは対称的に、唇を噛んでいるのはレティとエイミーである。二人の機体、兎型ライカンスロープとゴーレムに合う潜水服がないためだ。申し訳ないが、二人にはテントの中で留守番してもらうほかない。
「しかし、カグラは迷う様子がないな」
そんな話をしている間にも、俺たちは神凪を先頭にして入り組んだ海底洞窟を進んでいる。紺色の潜水服を着たカグラは、一切迷う様子もなくすいすいと泳いでいた。
『カグラちゃんはもう、海底洞窟の全体図が頭の中に入ってるんですよ』
少し誇らしげにタルトが言う。
かなり広大なフィールドである〈ワダツミ深層洞窟〉は、通信監視衛星群ツクヨミの支援を受けられないためマップが存在しない。一応、プレイヤーが作成したものがあるが、完成したのはつい最近のことだ。
もしかして、wiki編集者のひまわりと同じような能力を持っているのだろうか。
『単純に何度も来てるからですよ。レッジさんたちが〈花猿の大島〉で活躍していた時も、私たちはここにいたので』
「そうだったのか」
俺の思考を読んで、タルトが補足する。カグヤは何度も足繁く通っているうちに、自然と構造を覚えてしまったらしい。それはそれで、彼女の好奇心の強さに驚くが。
『さあ、このあたりが神殿の部屋に一番近いあたりになりますよ』
順調に進んでいたカグヤが立ち止まって振り返る。
なんども曲がりながら進んだため方向感覚が狂ってくるが、彼女の言葉に不安はない。
『一番近いとはいえ、かなりの距離はありそうですね』
座標を確認し、アイが言う。
一番近いとはいえ、神殿との間には分厚い岩盤が隔たっている。高レベルの〈採掘〉スキルを使えば掘り進めることもできるのかもしれないが、途方もない時間が掛かる。そもそも、非破壊オブジェクトに設定されているのがオチだろう。
『もしかして、壁の奥に隠し部屋なんかあったりして』
マフを抱えたルナが笑いながら言う。
「そういえば、シンゴとイサミが石盤を見つけたのも、壁の奥の小部屋だったな」
その言葉にはっとして思い出すのは、花猿の一件で手がかりを見つけてくれた二人のプレイヤーのことだ。彼らも海底洞窟の探索中、偶然見つけた部屋の中で遺物を手に入れた。
『そ、そんなものがあったんですか』
アストラとアイが納得したように頷くなか、カグラたちが愕然とこちらを見る。そういえば、シンゴたちの見つけた小部屋の情報は騎士団によって買い取られている。その後もあまり広まっていない。
『うう。またしばらく海底洞窟に潜ることになりそう……』
目をキラキラと輝かせるカグラの隣でタルトがしゅんと縮む。彼女は古代の遺跡群にさほど興味がないらしい。
『その小部屋は何か手がかりがあるんでしょうか』
「マーカーを使った探査をして、脆い壁を見つけてたな。そうじゃない場合は……当てずっぽうになるのかな」
勘を頼りに動き回るのは色々と無理がある。レティを解き放つことができれば、その限りではないのかも知れないが。
そこまで考えて、ふと思い出す。
「ちょっと待ってろ。確か持ってきてたはずだ……。ほら、“マーカースターターキット”!」
テントに積み込んだ荷物の中から引っ張り出したのは、銀色のアタッシュケースだ。中にはスポンジが敷き詰められていて、そこに5種25本のマーカーがずらりと並べられている。
「それって、イサミさんから買ったやつですか」
「そうそう。ほら、役に立つ時が来ただろ?」
呆れるレティに胸を張る。カミルに頭を下げて売り上げから金を融通してもらった甲斐があるというものだ。
「でも、これって戦闘向けのマーカーだよね。調査には使えないんじゃない?」
ラクトからもっともな指摘が飛んでくる。しかし俺は狼狽えることなく、口角を上げて首を横に振った。
「まあ待て。これを見てみろ」
俺はアタッシュケースのスポンジを取り出す。すると下に更なるスポンジが現れて、また別のマーカーが25本並んでいるのが露わになった。
「こっちは“座標マーカー”“光源マーカー”“障壁マーカー”、更に地形調査用の“マーカー補足式水準儀”がセットになった調査用スターターキットだ」
どうだ、すごいだろう。
備えあれば嬉しいな、というやつだ。
「……レッジさん? そんなものまで買ってたんですか」
「いやぁ、食堂の売り上げが結構よくてな。シンゴもスターターセット二種類一緒で割引してくれるって言うから、つい買っちゃったよ」
やはりあの二人には頭が上がらない。
個人的にも、なかなか良い買い物をしたと思う。思うのだが……。
「あれ、レティさん?」
「……いえ。なんでもないです。レッジさんの稼ぎですからね」
何故か周囲から呆れたような視線が突き刺さる。
俺は首を捻りながらも、アストラから潜水服を貸して貰って水中に入る。
『レッジはその地形調査ができるの?』
テントの中からラクトが尋ねてくる。無論、そのあたりはきちんと確認済みだ。
「マーカーの設置に〈罠〉スキル、水準儀の使用に〈撮影〉スキルと〈鑑定〉スキルが必要だ。どっちもあるから、ひとりで問題ないよ」
カグラがある程度範囲を定め、それに合わせて俺はマーカーを突き刺していく。一本刺せば点に、二本刺せば線に、三本以上させば領域になる。スキルレベル80の〈罠〉スキルならば、セットに同梱されていた六本のマーカーは全て使うことができた。
「よしよし……」
ワクワクする気持ちを抑えながら、水準儀の三脚を展開する。水中で使うと妙な感覚だが、使えないこともない。
六本のマーカー全てをファインダーの中に収め、スイッチを押す。
「『地形調査』」
青い光が水準儀のレンズから放たれ、洞窟の壁面を撫でていく。それがマーカーに到達すると、角度や座標などのデータが集められ、返される。
「うん。見事にただの壁だな」
結果、分かったのは周辺の壁がどれも分厚く壊せそうにないということだった。
『そうですか……。やはり、そうそう隠し部屋などないんでしょうか』
近くにやって来たアイが残念そうに肩を落とす。
「まあ調査は始まったばかりだからな。場所を変えてやっていけば、そのうち見つかるだろ。……ちょっと待てよ」
アイの肩を叩きながら言い、その途中でふと気がつく。……理論的には、可能なのではなかろうか。
『レッジさん? どうかしましたか?』
「ああ、ちょっとな。……ルナ、トーカに潜水服を貸してやってくれないか?」
俺は少し離れたところで浮かんでいるルナに声を掛ける。彼女は首を傾げながらも、深くは聞かずすぐにテントに向かってくれた。
「トーカ、できれば目隠しをした状態で来てくれ」
『それはいいですが、いったい何をするんです?』
ルナの潜水服を着たトーカは、目を布で覆い隠したままこちらまで泳いでくる。それだけでもかなり彼女が目隠し状態に慣れていることが分かる。
「アイとの共同作業だ。アイが大きい声を出して、それを洞窟内に反響させる、トーカがそれを聞いて周囲の地形を調査する。二人ならできると思うんだが」
『また荒唐無稽なことを考えつきましたね……』
『本当にできますか?』
アイディアを二人に話すと、彼女たちは揃って訝しげに首を傾げる。
「二人ならできるはずだ。信じてるぞ」
『な、なるほど……』
『それなら少し、頑張ってみましょう。耳が慣れるまで何回かお願いするかもしれませんが』
アイも人前ではあるが、歌うわけではなく声を出すだけならギリギリ許容してくれた。ノイズにならないよう俺は離れ、トーカとアイの二人だけにする。
トーカは視界を制限したまま、耳を澄ませる。
アイが息を吸い、胸を膨らませた。
「――アアアアアッ!」
TELを使わずとも、水の中を伝播してアイの甲高い“音”が伝わる。ビリビリと周囲全てを小刻みに揺らすような音だ。それは水中に素早く広がり、壁に当たって反響する。
『もう一度、お願いします』
『はい』
トーカの声に応じ、アイが再び音を出す。
トーカはじっと耳を澄まして音の広がりを捕らえていく。“堅い壁に当たった音”を拾い、その中に混じる異音を探す。
余分な感覚を全て遮断し、純粋な聴覚のみに全身全霊を傾ける。
そして――。
『……ありました』
彼女はそれを見つけた。
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