第16章【切磋琢磨】

第659話「挑戦者たち」

 黒馬が嘶く。

 巌のような巨躯を揺らし、蹄で石を蹴りつけ走る。長いたてがみが残影のように霞み、口から漏れ出した煙が熱く風を焼く。


「そこっ!」


 薄暗い舞台の上で刃が振り抜かれる。

 それはイキハギの太い首を滑らかに断ち切り、あっさりと落とす。


「す、すげぇ……」

「ついに第二関門突破だ!」

「何が見えてるんだよ」


 鮮やかなとどめに、闘技場を囲む客席がどよめく。その声は次第に興奮の熱を帯びていき、万雷の拍手と歓声が巻き起こる。

 興奮の坩堝と化した場内。刀を鞘に納めたトーカは目隠しを首元まで下げて、彼らの声に手を上げることで応えた。


「うーん、相変わらず訳が分からんな」

「レッジさんでもそう言いますか……」


 観客席の一角にて仲間の活躍を見ていた俺は、腕を組んで首を捻る。

 〈コノハナサクヤ監獄闘技場〉の整備が完了し、誰でも自由に挑戦できるようになってから数日。〈白鹿庵〉のメンバーも積極的に参加していたが、特に熱中していたのがトーカだった。

 彼女は先日の騒動の中で余儀なくされた目隠し戦闘で何か掴んだ様子で、この監獄闘技場でも自ら目隠しをしての戦闘を積極的に行っていた。

 今までは序盤のクソトやサカハギに負け続けていたのが、ついに今回サカハギの討伐を果たしたのだ。


「本人は敢えて視界を隠すことで、より精度の高い情報を得ることができて、更に鋭い剣技を繰り出せるようになった、と供述してますが」

「そういうもんかねぇ」


 最近、若者の人間離れが著しい。

 とはいえ、一度レティも試したが、その際には自分がどこに居るのかも分からずやられてしまったため、一朝一夕にできるようなものでもない。


「ていうか、次はイキハギよね」

「再戦だな。トーカが一度勝った相手に負けるとも思えないし、ひとまず安心できるかな」


 エイミーに背中をつつかれ、視線を舞台に戻す。

 再び目隠しをしたトーカが鯉口を切る前で、黒い靄が集合していく。実体化したそれは、蠢く触手の塊のような黒い物体だ。泥のように形の定まらないそれは、トーカを飲み込まんと覆い被さる。


「いけー! 木っ端微塵に切り刻んでください!」


 レティは売店で買ってきた特大のポップコーンをパクつきつつ声援を送る。傍らにはバケツサイズのジュースが置いてあるし、30センチほどのホットドックが山のように積まれている。自分がでない時はとことん楽しむスタイルは健在らしい。


「レッジもシェイク飲む? 苺味だよ」


 隣に座っていたラクトが、自分の飲んでいたシェイクのストローをこちらに向けてくる。気持ちは嬉しいが、コーヒーで十分だ。気持ちだけありがたく受け取っておく。


「そういえば、レッジは単独チャレンジしないの?」


 蜂蜜の香りがするチュロスを食べていたエイミーが話しかけてくる。

 だが、俺は少し唸るだけで返答に困る。

 〈コノハナサクヤ監獄闘技場〉は、そのシステム上一度に一人ないしは一パーティの挑戦者しか受け付けない。〈アマツマラ地下闘技場〉のように、大アリーナの他にミニアリーナがいくつもあるようなものではないのだ。そのため、挑戦者はいつでも順番待ちができているし、人気のコンテンツになっている。


「俺みたいなおっさんが一人で戦っても、面白くないだろ?」


 目下の所、大多数のプレイヤーにとってここはトッププレイヤーが強大な敵とタイマンで戦う様子を安全に観戦できる、そんなコンテンツだ。アストラやトーカのような一握りのトッププレイヤーと比べれば、俺など魅力もないだろう。


「そうかなぁ。おじ……レッジさんが花猿と戦うところとか、みんな見たいと思うよ?」


 バケツポテトを抱え、ハンバーガーの紙フィルムを剥きながら言うのはシフォンだ。彼女は最近、ジャンクフードにハマっているようで、監獄闘技場だけでなく〈ミズハノメ〉なんかでも色々食べ歩いているらしい。


「そうかねぇ。俺が戦うと……DAFシステムとかテントとか外装とか使った嫌らしい戦いになるぞ?」


 非戦闘職である俺が、特殊な能力を持ち破格の強さを誇る“黒い獣”たちを真正面から相手にするのは難しい。使える物はなんでも使う、なんとも卑怯な戦いになるだろう。正直、自分でも見栄えがするとは思えない。

 それに、現状〈コノハナサクヤ監獄闘技場〉のボスとして君臨している花猿は、かなり弱体化したとはいえあの銀翼の団と真正面から激突した強者だ。現在の闘技場内での勝率も七割を下っておらず、数多の挑戦者を撥ね除けている。


「俺は見てみたいですけどね、レッジさんと花猿の頂上決戦」

「そうは言うけどな……。ってアストラ!?」


 自然な流れで会話に入ってきた人物に気づき、驚いて振り返る。階段状になった客席の後ろに、いつの間にか爽やかな笑顔を湛えた青年が立っていた。


「こんにちは、レッジさん。先日はお疲れさまでした」

「アイもお疲れさん。深奥部の地図製作もこの前終わったところだろ」


 アストラの隣にはアイもいる。彼女たちはつい昨日まで深奥部の調査を続けていたはずだ。流石は攻略系トップバンドの〈大鷲の騎士団〉と言うべきか、ずっと闘技場で遊んでいた〈白鹿庵〉としては頭が上がらない。


「こちらも好きでしていることですので。三術連合の皆さんにもご協力頂きましたし」


 そう言って、アイは隅で静かにしていたミカゲの方を見る。彼が実質的なリーダーとして纏める非バンド組織、三術連合もレイラインの発見と記録に駆り出されていた。


「とはいえ、やることも一応は一段落つきましたからね。私も新規コンテンツを楽しんでみたいです」

「アイなら歌唱戦闘の無差別攻撃でイキハギも倒せそうだな」


 あらゆる攻撃を避ける厄介な能力を持つイキハギだが、ここ数日の戦いの中である程度対処法も見つかってきた。

 要は避けきれないほど広範囲を一度に叩く、面状の飽和攻撃を行えばいいのだ。

 アイの歌唱戦闘ならば問題なく闘技場全域に響くだろうし、対策は楽だろう。


「や、やめて下さい。私、人前で歌うのは苦手ですから」


 しかし、当の本人は顔を赤らめて首を振る。


「そうか。アイの歌声は綺麗だから、戦ってる姿も様になるんだけどな」

「んえっ!?」


 思わずぽろりと言葉を零す。

 しまったと思うよりも先に、両隣から脇腹を突かれた。


「ぐえっ」

「レッジ、そういう所だよ」

「まったく……。レッジさんはまったく!」


 そそそ、とアイはアストラの背中に隠れ、顔だけこちらに向ける。慌てて謝ると、彼女はぶんぶんと首を横に振った。


「ははは。アイも部屋では元気よく歌ってぐはっ!」

「余計なこと言わないで!」


 カラカラと笑うアストラは、言葉の途中でアイの膝蹴りを受ける。タイプ-フェアリーといえど、最前線で活躍する剣士でもあるアイの力は尋常ではない。さしもの騎士団長も蹲ってしまった。


「と、勝ったみたいですね」


 アストラたちの乱入に驚いているうちに、トーカの方は難なくイキハギに勝利したようだ。目を隠し、太刀筋を読まれないよう対策を施した彼女にとって、イキハギはただの案山子のようなものらしい。

 まあ、目を隠していても無差別かつ激しい攻撃は繰り出されるわけで、普通のプレイヤーにとっては勝利要因にはならないはずなのだが。


「いえーい! レッジさん、見ててくれました?」

「うん? お、おう。見てたぞ!」


 舞台からこちらを見上げ、トーカがにこやかな笑みを浮かべて手を振ってくる。俺も手を振り返すと、彼女は「次も頑張りますよ!」と気合いを見せた。

 トーカの次なる相手は、現時点でこの闘技場の頂点に立つ強敵、花猿だ。かつてはコノハナサクヤが装備していた調査開拓用有機外装ではあるが、主から離れた今も単体で暴走を続けている。


「さあ、ここからが注目ね」


 エイミーも前のめりになって闘技場を覗き込む。

 勝利の歓声に沸いていた客席も、中央でゆっくりと形を作っていく黒い霞に注目していた。


「勝てると思いますか?」


 ポップコーンを一掴み口に放り込みながら、レティが話しかけてくる。


「どうだろうな」


 個人的には勝って欲しい。トーカにはそれだけの実力があるはずだ。

 とはいえ、現実的には難しいという予想も否めない。彼女は自ら目隠しという枷を付けている上、花猿の攻撃は無数の蔦による同時多方向からの一斉攻撃がほとんどで、受け止めるのではなく避けるタイプのトーカとは相性が悪い。

 今は難しいが、いつかは勝てる。それが俺の予想だった。


「ふっ!」


 黒い靄が濃緑色の蔦の塊へと変わり、間髪入れず無数の攻撃が放たれる。余韻など何も考えない機械的な攻撃だが、トーカはそれを難なく避ける。

 時間差で放たれる太い蔦の、破城鎚のような突きを軽やかに躱し、闘技場の壁面を蹴って一気に肉薄する。


「『一閃』!」


 妖冥華の刃が銀色に輝き、蔦束を裁ち落とす。


「浅い!」


 悔しげにレティが呻く。

 トーカの剣は僅かに花猿の体表を掠っただけだ。視界が制限されているが故に、あと一歩が踏み込めなかった。

 刀を振り抜いた直後は、大きな隙となる。

 花猿の全身が蠢き、緑の触手が殺到する。


「彩花流、捌之型、三式抜刀ノ型、『百合舞わし』!」


 あらゆる方向から殺到する蔦を、トーカは難なく切り落とす。自分を中心とする球形の範囲攻撃により、彼女の周囲に不可侵領域が垣間見える。

 花猿の蔦が再生する合間にトーカは距離を取り、体勢を整える。

 最初の鞘当ては互角。どちらも相手に有効打は与えられていない。

 ならば、問題となるのはどちらがより早く相手に対応できるかだ。


「花猿の学習能力は凄まじいですからね。俺も、あれ以上戦闘が続いていたら負けていたかも知れません」


 実感の籠もった声で言うのはアストラだ。彼ら銀翼の団は、ある意味では花猿と唯一真正面から激突した存在であり、それだけに花猿の恐ろしさを良く知っている。

 闘技場の花猿も戦いの中で学んでいく点は変わらない。挑戦者が変わるたびに学習はリセットされるものの、戦いが長引くほど挑戦者が不利になるのは同じだ。


「マズいですね、トーカが捌き切れていません」


 ホットドックを飲み込みながら、レティは眉間に皺を寄せる。

 花猿がトーカを攻略しつつあるようだ。


「トーカの弱点は聴覚に頼りすぎてることだねぇ。仕方ないというか、当然なんだけど」


 ラクトの言葉通り、目隠し状態のトーカは聴覚に重きを置いている。周囲の音を聞き、それで状況を把握するのだ。

 それ故、攻略も明白になる。静かに忍び寄れば良い。


「敢えて正面から派手な音を立てて攻撃し、背後から静かに本命を近づける。したたかですが、効果的ですね」


 アストラもすぐに花猿の戦略に気付いたらしい。

 トーカは明らかに押されていた。

 両者の動きはより激しさを増し、戦いは加速していく。トーカは空を蹴り、絶え間なく納刀と抜刀を繰り返す。対する花猿は有り余る無数の蔦を巧みに操り、ほとんどその場から動くことなく相手取っていた。

 思わず握った拳に汗が滲む。観客席は白熱し、いつしかトーカの名前が高らかに叫ばれていた。


「トーカ、頑張れ!」


 思わず俺も立ち上がり、声を上げる。

 天井を破りそうな声援に紛れて届かないかと思ったが、彼女の耳がぴくりと揺れた。


「頑張ります!」


 にやり、と彼女の口角が上がる。

 一瞬だけ、動きが止まった。


「しまっ――」


 レティが目を大きく開く。僅かな隙だが、致命的だ。

 案の定、花猿はその好機を逃さず、避ける隙間などないほどの一斉攻撃を仕掛ける。あまりにも絶望的な状況に、観客席から悲鳴が上がる。

 だが、それでは終わらない。


「――蔦を束ねただけの体って、切ってて面白くないんですよね。人形とか、巻き藁を切ってるような感じがして」


 花猿の頭部、その背後に少女の影が浮かび上がる。

 瞬間移動のような動きに、花猿が明確に動揺する。

 それは大きすぎる、あまりにも致命的な隙だ。


「『斬首の衝動』『渇血刀身』『魂断ち』『暗中の凶刃』『処刑人の慈悲』」


 流れるような発声。彼女は蔦を踏み、空中で深い前傾姿勢を取る。


「彩花流、肆之型、一式抜刀ノ型。神髄――」


 身長を超える非常識なほど長い鞘から、滑らかに刃が現れる。銀色ではない。妖しく赤い光を帯びた、特別な抜刀だ。


「『紅椿鬼』」


 音すら断ち切る神速。

 影すら落とさぬ超速。

 滑らかな赤い残滓。

 悲鳴すらなく、大猿は首を離す。

 緊迫した空気のなか、彼女はふわりと舞台に降り立つ。刀をしゃらりと鞘に納め、黒い袴を軽く整える。

 その背後で、花猿の巨体が黒い靄へと溶けていった。


「やったな、トーカ」

「もちろんです」


 短く言葉を交わした直後、今日一番の歓声が〈コノハナサクヤ監獄闘技場〉を包み込んだ。


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Tips

◇『斬首の衝動』

 抗いがたき、胸の内から沸き起こる欲望に身を任せる。

 対象の首に攻撃を与えた時、部位切断補正+50%、攻撃力+100%。

 数多の戦いの果て、その身に宿した燃え上がる炎。飽くなき渇望。吹き出す血潮を浴びることで、僅かに慰められるもの。

 覚醒条件:2,000体以上の対象の首を切断し、討伐する。合わせて、100体以上連続で対象の首を切断し、討伐する。


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