第655話「愛すべき子」
目の前に立つ緑髪の少女は、口元のブルーブラッドを拭いながら言う。彼女の口から飛び出した言葉は、俺たちの誰もが知らないものだった。
「第零期先行調査開拓団、ですか」
全身を揺さぶるような衝撃を受けながら、レティがコノハナサクヤの言葉を反芻する。
『はい。あなた方、第一期調査開拓団が惑星イザナミに入植するための、下準備を行っていました。惑星全体の地形的、気候的テラフォーミングが主な任務でした。人為的ポールシフト、レイライン整備、宇宙空間飛来物防御用衛星設置、調査開拓領域設定などです』
「なんだか、惑星そのものを根本から作り替えてるね」
コノハナサクヤの挙げた言葉は、どれも壮大すぎてピンとこない。
ラクトが薄く笑みを浮かべて肩を竦める。彼女の言葉は概ね正しいようで、コノハナサクヤは頷いた。
『惑星イザナギの生命体が快適に暮らせるだけの環境を整えるには、これらの作業は必須でした。元々の惑星イザナミは常に大規模な嵐が巻き起こり、様々な物質が強力な重力によって圧縮され、高濃度の大気によって覆われていました。宇宙からは頻繁に隕石が降り注ぎ、とても生物が住める環境ではありませんでした』
少女の語りを聞くほど、よくそんな星に手を付けたものだと呆れてしまう。そして、そんな星を強引にでもここまで生命溢れる環境に整えたのだから、随分な技術力を有しているようだ。
「ちょっと待って。サクヤちゃんの言ってるのって、一朝一夕でできるような規模じゃないと思うんだけど」
額に手を当て、エイミーが口を挟む。
たしかに、それらのテラフォーミングが数年、数十年単位でこなせるとは思えない。そうでなくとも、環境を整えたあと、ここまで生命が満ちる星になるには、随分な時間が掛かったはずだ。
『そうですね。我々、第零期先行調査開拓団はあなた方第一期調査開拓団の到着する20,000年前にこの星に到着しましたから』
「にまっ!?」
平然と告げられた、明らかに現実離れした数字。思わずシフォンが声を上げ、目を丸くする。
「じゃあ、その辺にある白神獣の遺跡って、20,000年前のもんなのか?」
『いえ。そのあたりは原始文明との接触以降、領域整備プロトコル破綻直前の300年以内に作られたものですから。今の暦と比較するとおよそ3,000年ほど前の――』
「待て待て待て待て!」
次々と飛び出す重要そうな単語に、思わず耳を塞ぎたくなる。こんなものを一般エンジョイ勢プレイヤー五人しかいない場所で話されても困る。攻略組や考察班が殴り込んできそうだ。
俺はどっと押し寄せる疲労に耐えながら、きょとんと小首を傾げているコノハナサクヤの肩に手を置く。
「とりあえず、俺たちの拠点に戻ろう。他の管理者たちにも知らせたいし、何より君の体は古くて調子も悪いんだろう」
体内のブルーブラッドは俺たちから少しずつ移したため問題ないだろうが、機体そのものは〈白き深淵の神殿〉内部に3,000年以上置かれていた骨董品だ。どう考えても重要人物であるコノハナサクヤがずっとそんな機体を使っていていいはずがない。
一応ここはフィールドで、安全が保証されていない。まずは〈ミズハノメ〉に戻って、そこでゆっくりと話をして貰えばいい。
「よし、白月。……白月!?」
コノハナサクヤを白月の背に乗せようと振り返り、思わず目を見開く。つい先ほどまで神々しい姿をしていた白月が、いつの間にかいつものミニサイズに戻っていた。
「ちょ、ちょっと待て。まだここから〈ミズハノメ〉まで戻らないといけないんだぞ。ほら、早く変身してくれよ」
白月の細いマズルを両手で挟んで説得するが、彼はすんと澄ました顔で聞き流す。青リンゴをちらつかせてみるが、変わらない。
「れ、レッジさん。しもふりの後ろ、空いてますよ?」
「ラクトたちを乗せたらいっぱいだろ。俺は歩けるし、いいよ……」
親切にレティが申し出てくれるが、優先すべきは歩幅の小さいラクトやコノハナサクヤだ。いかに大きなしもふりと言えど、彼女たちを乗せれば俺が加わる余裕はなくなる。あんまりぎゅうぎゅうに密着しても迷惑だろう。
『霧之角は現在も問題なく稼働しているようですね。一度世代交代は行われたようですが、ひとまず安心しました』
「ゆ、油断したら新情報が飛んでくる!」
少し目を離した隙に、コノハナサクヤは白月の首元を撫でていた。今の今まで深く考えないようにしていたのに、やはり白月も第零期先行調査開拓団の何かであったことを知ってしまった。
「……とりあえず、四匹の神子は無事だよ」
『それは朗報です』
精神的に這々の体で、俺たちはようやく小部屋を出る。
しもふりの背に乗ったコノハナサクヤは、色々と興味深そうな顔で俺たちや朽ちた神殿の様子を観察していた。
『我々の任務は致命的な失敗に終わりましたが、なんとかあなた方に受け継ぐことはできたようです。それを知ることができただけで、安心します』
なんだかコノハナサクヤが意味深長なことを言っているが、下手に手を出したくない。もうすでに、今まで軽率に明かされてきた情報を書き留めるのに精一杯なのだ。
早く誰か助けてくれ、と思わず願った。ちょうどその時、神殿の入り口の方から聞き慣れた声が響いてきた。
「レッジさーん! 生きてますか!」
「トーカ! 来てくれたんだな!」
やって来たのは、頭部をしっかりと修理したトーカだった。彼女は刀を携えて素早くこちらへ駆けてきて、しもふりの背に跨がったコノハナサクヤに気がつく。
「この方は? また何かやらかしましたね?」
「俺がいつもやらかしてるみたいに言わないでくれ。……コノハナサクヤさん。深奥部から持ってきた宝玉の人だ」
どう説明したものか悩みつつ、色々と省きながら答える。これ以上、どう言えばいいのだ。
「わあ! レッジさん、また楽しいことになってますね!」
「おお、アストラじゃないか」
トーカの背後から慌ただしい足音が響き、神殿内に大勢のプレイヤーがなだれ込んでくる。先頭に立っていたのはアストラだ。
花猿の進行を阻んでくれていたはずだが、驚くほど傷がない。すでに修理などを終えたのだろうか。
「助けてくれよ。俺一人で抱えきれないんだ」
「事情はまだ分かりませんが、分かりました。ひとまず安全な場所に戻って、そこで話を聞きましょう」
やはりアストラは頼りになる。彼はすぐさま周囲に指示を出し、護衛の陣形を組んで撤退に付き合ってくれた。
〈白き深淵の神殿〉内部が潜水装備なしで歩けるのは貴重だとかで、少なくない人数の考察系プレイヤーはその場に残った。
「レッジさん、怪我などされてませんか?」
「アイか。心配いらないさ、俺は全然戦ってないしな」
クリスティーナと共に支援機術師と修理技師を引き連れたアイが顔を見せてくる。心配そうに尋ねられるが、俺のしたことは白月に跨がって走ったくらいだ。よっぽど、彼女の方が働いているだろう。
「飲み物や軽食を持ってきたので、どうぞ食べて下さい」
「おお、ありがとう。あとで代金は支払うよ」
「そ、そういうのじゃないんですけど……」
アイから清涼飲料の入ったボトルを受け取る。なんとも気の利く少女に感謝しながら、乾いていた喉を潤していく。
「あー、喉が乾きましたねー」
「そうだねぇ。いっぱい詠唱したしねぇ」
そんな俺を見て、レティとラクトが声を上げる。彼女たちも道中色々と頑張ってくれたし、疲れていることだろう。
「レッジさん。へい、パス!」
「レティさんたちのぶんもちゃんとあるので。はい、どうぞ」
「ぐぬぬ……」
何やら期待の籠もった目をこちらに向けるレティたち。アイが二人にも飲み物を渡す。蓋を開けて勢いよく喉を鳴らす様子を見るに、相当喉が渇いていたらしい。
「そういえば、花猿はどうなったんだ?」
「突然糸が切れたように倒れてしまいました」
ふと気になって尋ねると、アストラが妙に悲しそうな顔で言う。
どうやら、コノハナサクヤを浄化装置に入れた時点で、あちらも機能を停止したようだ。
『調査開拓用有機外装の破壊は簡単ではありません。あちらはまだ術式汚染も続いていますから。監獄闘技場で直接破壊しなければ、いくらでも再生してしまいます』
「なるほど。つまり今後も何回だって戦えるというわけですね」
コノハナサクヤの言葉に驚く様子もなく、アストラは嬉しそうに目を輝かせる。
……苦労しながら決死の覚悟で花猿を押し止めてくれていたと思っていたんだが、そういうわけではないのか?
「そういえば、あの深奥部の調査もまだ終わってないんだよな」
「やるべき事は山積みですよ。一緒に頑張りましょう」
会話の中で深奥部とその中心にある監獄闘技場とやらについても思い出してしまう。なんとなくやりきった感じが出ていたが、そもそもそれらはこれから調査が始まるという段階だ。
少し鬱々とした気持ちで氷窟を登り、凍った海原へと出る。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込めば、少しは気が楽になった。
「遅いぞ、レッジ!」
「うわあっ!? メルじゃないか」
そんなところへ突然名前を呼ばれる。
驚いて振り向くと、たいそうご立腹な様子のメルが腕を組んで立っていた。
「アーツの維持がどれだけ面倒か知ってるの? ワシらだけ残業続きなんだけど」
「す、すまんすまん。中で色々あったんだ」
「……そうみたいだね」
メルはコノハナサクヤをちらりと見て、鼻を鳴らす。そのあとで再び俺に戻した視線は、じっとりとしていた。
「……NPCたらし?」
「変なこと言うんじゃないよ」
管理者と仲良くなったのも成り行きだ。今回の件もそうだ。俺が悪いわけじゃない。文句があるなら運営に言ってくれ。
ともあれ、メルたちにはまだしばらく頑張って貰わなければならない。神殿には調査に夢中な考察班が沢山残っているのだ。
苛つくメルたちに見送られながら、海の上を歩いて〈ミズハノメ〉の港湾区画に辿り着く。船を上げるためのスロープを登って町の中に入ると、ようやく人心地つくことができた。
だが、そんな空気も直後に呆気なく瓦解する。
『さあ、帰ってきましたね。――コノハナサクヤ』
港湾地区に姿を現した、和服の少女。目元を黒髪で隠した彼女のしっとりとした声は、よく耳に馴染む。
「T-3!? どうしてここに……」
開拓司令船アマテラス中枢演算装置〈タカマガハラ〉の一角を担う少女。そんな人物がなぜこのような場所にいるのか。
驚く俺に笑みを浮かべて、彼女は答えた。
『愛ですよ、愛。長き時を経て再び目を覚ました調査開拓員コシュア=エタグノイ。彼女の覚醒を祝いにきたのです』
いつも通りの深い笑み。
彼女はしっかりとそう言い切って、再びコノハナサクヤに目を向けた。
そこでようやく思い知る。T-3は全ての調査開拓員に愛情を注ぐことを己の行動原理としている。そう、全ての調査開拓員だ。
第零期先行調査開拓団に所属するコノハナサクヤ、彼女もその例外ではないのだ。
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Tips
◇イザナミ計画第零期先行調査開拓団
劣悪な環境を有する惑星イザナミを、第一期調査開拓団が投入可能なレベルにまで調整することを目的に動員された調査開拓団。
調査開拓用有機外装を装備した形而上学的術式型調査開拓員が大部分を占める。
大規模なテラフォーミング、環境調整、生態系形成、および第一期調査開拓団受入準備を任務とし、第一期調査開拓団の入植より20,000年先んじて活動を開始していた。
現在、不明な理由でその大部分が活動を停止。領域調整プロトコルは破綻している。彼らにどのようなトラブルが発生したのかは不明。現在は調査が行われている。
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