第654話「覚醒少女」
凍り付いた海のなか、氷の通路を走り抜ける。頭上では立て続けに轟音と揺れがおこり、アストラたちが決死の覚悟で戦っていることを伝えてくる。
「レッジ、そろそろ神殿の入り口につくよ」
「よし。もう少しだ!」
軽快な走りを見せる白月のおかげで、俺たちは海底に眠る白い神殿の扉へと辿り着く。その左右には鮫頭の巨人が二人、膝を突いて頭を垂れていた。
「門番もご苦労さまですね」
「顔パスで良かったわ。戦うのも面倒だし」
巨大化した白月がいるからか、もしくは宝玉を握っているからか、門番の白神獣たちは俺たちの侵入を許してくれた。
彼らに手を振って、古い遺跡の中へと入る。以前は海水で満たされていたが、しっかりと水が抜かれてしもふりたちも入れるようになっていた。
「とりあえず、どこにいけばいいんだ?」
「あの、大きな舞台のある部屋でしょうか」
レティが言うのは、以前ここへ来た時にも入った部屋だ。中央に大きな舞台があり、四つの台座がそれを囲んでいる。そこで出会ったのは、黒い苔に覆われた鹿角の鮫――謎の白神獣だ。
しかし、そんな彼女の予想に反して、全自動ナビこと白月は長い廊下を走り抜ける。そうして辿り着いたのは、左右に無数の扉が並ぶエリアだった。
「ここ……。鍵師も開けられなかった部屋ばっかりだよね?」
多くの謎が眠り、多くのプレイヤーが調査のため訪れた場所だ。しかし、長い廊下の両脇に連なる無数の扉は、どれも固く閉ざされ開くことはできていない。
白月は迷いなく一枚の扉の前で止まる。他の全てと何ら変わらない、白い石材で作られた巨大な扉だ。
『神子の存在を確認』
『巡礼者の存在を確認』
『神子の権限を確認』
『巡礼者の権限を確認』
『旧管理者思念術式〈コシュア=エタグノイ〉の存在を確認』
『旧管理者思念術式〈コシュア=エタグノイ〉の暴走状態を確認』
『旧管理者思念術式の直接浄化の実行要請を確認』
『浄化装置を起動します』
『旧管理者思念術式汚染除去プロトコル〈ヨミガエリ〉を実行します』
突如、扉が薄く発光する。
その変化に驚いていると、扉はゆっくりと左右に滑る。
「まさか、ほんとに引き戸だったとは……」
扉の奥にあったのは、正方形の狭い部屋だ。滑らかな白い石材で囲まれ、全体が薄く白色に光っている。
中央には台座が一つ。丸い窪みは、宝玉にぴったりと合致しそうだ。
「レッジさん」
「ここまでくれば、俺だって分かるさ」
白月の背から滑り降り、ゆっくりと台座に近づく。
レティたちがいつでも動けるように構えているが、危険な様子は感じなかった。それよりも、どこか懐かしいような気持ちさえ湧き出てくる。
インベントリから宝玉を取り出し、台座にそっと置く。
『神核実体の挿入を確認しました』
滑らかなアナウンスが鳴り響き、宝玉が取り込まれる。
『神核実体の精密スキャンを行います』
『6,581箇所の汚染を確認』
『情報再修正術式を適用します』
『調査開拓用有機外装の破損と暴走を確認』
『調査開拓用有機外装の接続を遮断します』
『新たな調査開拓用有機外装への置換を行います』
『新たな調査開拓用有機外装が見つかりません』
台座にかっちりと接続された宝玉が、瞬間的に様々な色へ変化していく。いくつものウィンドウが周囲に展開されては消えていき、様々な処理が並行して行われていることに気付く。
「なあ、レティ。白神獣ってなんなんだろうな」
「なんなんでしょうねぇ」
目の前で繰り広げられている光景、そして立て続けに流れるアナウンス。その内容。全てを俯瞰して分かるのは、彼らが俺たち調査開拓団と無関係ではないということだ。
それどころか、根底の部分では同じなのかもしれない。
「私たちのご先祖様だったりして?」
「白月とかが? うぎゃっ!?」
エイミーの少しおどけた声に思わず笑う。直後、不満げに鼻を鳴らした白月がべろりと俺の頬を舐めた。
顔面をべたべたにされながら、必死に抑えようとするが大きくなった白月の力には敵わない。結局、諦めてされるがままに任せる。
『新たな調査開拓用有機外装が見つかりません』
『緊急特例措置を実行し、調査開拓用機械人形へのコンバートを実行します』
無機質な声で知らされるアナウンス。その言葉に思わず目を見開く。
俺たちの目の前で台座が床に吸い込まれ、代わりに長方形のモノリスのようなものが現れる。一切の継ぎ目のない、白い柱だ。その表面に小さなウィンドウが現れ、プログレスバーがゆっくりと青く染まっていく。
「レッジさん、これって……」
「やっぱり俺たちは白神獣と同じなのか」
なぜ、白神獣関連の遺跡に調査開拓用機械人形があるのか。答えを単純に求めるのならば、彼らも俺たちと同じということだ。
白神獣は、俺たちと同じく惑星イザナギから放たれ、この惑星イザナミへやって来た調査開拓団なのだ。
彼らは機械人形ではなくれっきとした生命体だ。俺たちは自身が最初の入植者であると知らされてきた。なぜ、彼らの正体が明かされなかったのか。様々な疑問が浮かび上がっていく。
だがそれを意識するよりも、目の前で徐々に青く染まっていくプログレスバーの行方が気になった。
「レッジさん、下がってください」
「ああ……」
花猿は明らかに敵対していた。こちらに殺意を向けていた。それがなぜかは分からない。浄化装置とやらから飛び出した瞬間、攻撃されるかもしれない。
レティがハンマーを構え、エイミーが守りを固め、ラクトが術式を展開する。彼女たちが見つめる前で、ゆっくりとバーは青く染まり、そして――。
『〈ヨミガエリ〉プロトコルが完了しました』
「っ!」
ゆっくりと白い石柱が開く。正面がスライドし、中から冷気が広がった。
白い靄のなかに包まれていたのは、小柄な長髪の少女。簡素な白いワンピースを装い、瞼を閉じている。
その、毛先の凍った睫がゆっくりと動き――。
『う、うぷっ』
突然、石柱の中から飛び出す。その素早い動きでレティたちの足下を掻い潜る。そのまま真っ直ぐに俺の隣を通り抜けようとして、足が縺れて床に倒れ込む。
『おげえええええっ!』
その衝撃で限界に達したようだ。
涙目になりながら、口から青くとろりとした液体を吐き出した。
「うわあっ!?」
「ちょ、レッジさん! 大丈夫ですか!?」
突然現れた少女の、唐突な嘔吐に、小部屋の中は阿鼻叫喚となる。その後も断続的に青い液体を吐き出す少女に見ていられなくなり、思わず背中を摩ってやる。
『お、おええ。おえ、くさ。……ぎも゛ぢわ゛る゛い゛』
喉から掠れた声を漏らす少女。彼女の深緑の髪が吐瀉物に触れないように持ち上げる。しばらく背中を摩り続けると、彼女もようやく落ち着いてきた。
周囲にはなんとも言えない、古い油のような匂いが充満している。それが彼女の口から吐き出された物に由来するのは自明だった。
「ほら、大丈夫か?」
『えぐ、えぅ。大丈夫じゃ……えぎゅ、うぷっ!』
少女は言葉を発しかけて、再び口を抑える。結局堪えきれず、再び青い液体を吐き出す。
いったいこれはなんなんだ?
『旧管理者思念術式〈コシュア=エタグノイ〉の新規調査開拓員機体の老朽化、および内蔵ブルーブラッドの劣化を確認』
『ブルーブラッドの強制排出を実行します』
『新たなブルーブラッドの補給を行います』
『貯蓄されているブルーブラッド全ての劣化を確認』
どうやらアナウンスによると、彼女の機体内部を循環しているブルーブラッドが悪くなっているらしい。
もともとこの遺跡に用意されていたものなのだろう。どれほどの時間が経っているかも分からないが、良いものではないはずだ。
「なあ、ブルーブラッドって輸血できるのか?」
「レッジさん!? 何を言って――』
『巡礼者からの発言を確認』
『検討します』
『検討結果、問題はありません』
なるほど、声の主が何かは分からないが、俺たちのこともちゃんと認識してくれているらしい。その言葉を聞いて、俺は袖をまくり上げる。
「死なない程度なら取ってくれても良いぞ。足しになるかは知らんが」
『協力感謝します』
部屋の壁から細いチューブのようなものが飛び出し、俺の胸元にある八尺瓊勾玉と接続する。
献血のようなものを想像していたが、どうやらそこからブルーブラッドを抜き取るらしい。まあ、機械人形だし、そちらの方が合理的だ。
「おお、結構くらっとするな」
当然と言えば当然だが、ブルーブラッドを抜き取られると“出血”の状態異常と同じような感覚に襲われる。具体的に言えば、足下がふらつくような症状だ。
『ブルーブラッド流出許容限界まで抽出完了』
『『旧管理者思念術式〈コシュア=エタグノイ〉の新規調査開拓員機体へ注入します』
チューブが俺の胸元から離れ、床に倒れる少女に繋がる。チューブの中に入っていた俺のブルーブラッドが、彼女の八尺瓊勾玉へと移されていく。
『旧管理者思念術式〈コシュア=エタグノイ〉の新規調査開拓員機体の活動可能血量が不足しています』
冷たいアナウンス。
しばらくの沈黙のあと、レティが自棄になって叫んだ。
「分かりましたよ! レティからも取って下さい!」
「わたしもいいよー」
「タイプ-ゴーレムの方が沢山取れたりするのかしら?」
「はええ……」
レティに続き、ラクト、エイミー、シフォンも手を上げる。
壁面から新たに三本のチューブが飛び出し、それぞれが彼女たちと繋がった。
「これ、人数足りなかったらどうなってたんだ?」
「その時はその時なんじゃないですか。うええ、気持ち悪い……」
血を抜き取られ、レティたちもくらりと揺れる。それも全て少女へと移された。
『旧管理者思念術式〈コシュア=エタグノイ〉の新規調査開拓員機体の活動可能血量に達しました』
どことなく達成感のあるアナウンス。
その直後、もぞもぞと少女が動き出した。
『うぐ、すっぱ……。あ、あれ? 私、生きてる?』
ゆっくりと目を開き、緑の瞳で自分の手を見る。彼女は驚いた様子で、ぽかんと口を半開きにしていた。
「こんにちは。えーっと、コシュア=エタグノイ?」
『ほわぎゃっ!?』
背後から声を掛けると、こちらが申し訳なくなるくらい驚かれた。跳び上がった勢いで直立し、彼女は壁際にカサカサと下がった。
『あ、アナタたちはいったい……。まさか調査開拓団? このボディはたしかにそうだけど。そんな……』
ようやく状況を確認する余裕ができたのだろう。彼女は真剣な表情でブツブツと何やら呟く。今まで宝玉だったはずだが、すでに機体も使いこなしている。
ともあれ、こちらとしても色々と聞きたいことはある。俺はそっと手を上げて、彼女の視界に映った。
「俺の名前はレッジ。良ければ、キミのことを教えてくれないか」
『わ、わたしは……』
呼びかけに応じて、彼女は口を開く。しかし、何かに気がついた様子で言葉を詰まらせた。
しばらく左右に瞳を揺らし、何やら思案する。そして意を決した顔で再び口を開いた。
『わたしは、第零期先行調査開拓団、第二開拓領域〈ホノサワケ群島〉管理責任者、コシュア=エタグノイ。ただ、調査開拓用機械人形にコンバートされて、基礎論理演算体系から全て一新された。今の名前は――』
彼女は少し悲しげに睫を伏せる。しかし、気を取り直し、再びこちらを見上げてしっかりとした口調で宣言した。
『わたしは第零期先行調査開拓団旧管理者。名前はコノハナサクヤよ』
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Tips
◇ブルーブラッドの輸血
戦闘中の負傷などにより“出血”状態が続くと、体内のブルーブラッドが不足し行動が制限されます。ブルーブラッド輸血パックなどのアイテムを使用することで、解消することができます。
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