第652話「大海原へ跳べ」
白月の意のままに〈花猿の大島〉を駆け抜ける。
プレイヤーや〈フツノミタマ〉がなおも攻撃を継続しているが、花猿は更に勢いを増してこちらへ肉薄してくる。勢いよく蔦を伸ばし、俺を攫おうとしてくるが、それらはレティたちによって固く阻まれていた。
「ぬああ! しつこいですね!」
「相手も必死だね。それだけその宝玉が大事ってことなんだろうけど」
鋭く飛び込んできた蔦をレティが迎え撃ち、ラクトが無数の氷礫で切断する。飛んできた破片はエイミーの障壁が防ぎ、本体の方ではトーカが前腕を切り落としていた。
「はえええ、はえええ……」
「ほら、シフォンも戦いなさい。こんな大きいのと戦える機会なんて早々ないわよ」
「もしかしてこの戦いを楽しんでたりする!?」
“地走蜘蛛”の蔦の中に蹲って震えていたシフォンの襟首を、エイミーがむんずと掴む。逃れようと手足を動かすが、体格差もあり到底逃げることなどできない。
「そりゃ楽しんでるに決まってるでしょ。よく見なさい」
シフォンの顎をがっちりと固定して、エイミーは後方の花猿を直視させる。
大きく身体を揺らしながらこちらに向かう花猿は、徐々に身体を大きくさせているようだ。全身を太い蔦で覆い、その中には木々すら混じっている。色とりどりの花が咲き乱れ、濃緑の中に鮮やかな色が散らされている。
「ほら、ほとんどレッジみたいなものでしょ」
「おい」
エイミーの言葉に思わず突っ込む。
俺はあんな禍々しい外見じゃないはずだ。
「手足なんて四本しかないし、武器も持ってない。実質レッジの下位互換じゃん」
「ラクトまで……。あんまりそんなこと言ってると、拗ねて変身するかも――」
エイミーの言葉に乗りかかってくるラクトを諫めた直後のことだった。
『ウォゴゴアアアアッ!』
天地を揺るがすような咆哮を上げ、花猿の背中が大きく盛り上がる。ブチブチと蔦が千切れ、内側からあらたな蔦が飛び出してきた。それは互いに絡まり合いながら、二本の腕を形成する。
「言わんこっちゃない! マジで腕増やしてきたじゃないか!」
「でもレッジより少ないよ?」
「そう言う問題じゃない!」
とぼけるラクトに突っ込みながら、白月の首を叩いて横に動かす。
直後、花猿の新たに生えた腕が無造作に抜き取った木の幹を投擲し、すぐ側に着弾した。土煙がもうもうと巻き上がる中、必死に避ける。
白月は前しか見ていないため、後方から飛んでくる攻撃は俺の指示で避けてもらうしかないのだ。
「ええい、キリが無いな!」
向こうは時間の経過と共に力を強めている。龍脈からエネルギーを吸い取っているらしいが、よくそれで身を滅ぼさないもんだ。
こちらにとってはあまり良い状況ではない。大きくなれば歩幅が広がり、より距離を縮められる。その上、攻撃は苛烈になってくるのだ。
『レッジさん、聞こえてますか? レッジさん!』
「うおわっ!? な、なんだ、ミズハノメか?」
背後から蔦や投擲の猛攻を受けながら逃走していると、突然強制的に回線が開かれ、耳元で声が響く。驚きながら応答すると、ミズハノメは切迫した様子で肯定した。
『はい、ハーちゃんです。今から大事な事を話しますので、聞いて下さい』
「お、おう。分かった」
現在、白月は〈ミズハノメ〉の方角へ真っ直ぐに走っている。どこかで管理者から連絡がくるとは思っていたが、ここまで突然だったのは予想外だ。
『白月が目指しているのは、〈ミズハノメ〉の更に向こう。〈白き深淵の神殿〉です』
「しろ――! 海の底じゃないか!」
ミズハノメの言葉に耳を疑う。とはいえ、よくよく考えてみれば、納得もできてしまう。
何よりシンゴとイサミの二人が発見した古代の遺物に書かれていた文言とも合致するのだ。
『ですが、このまま〈ミズハノメ〉に近づかれると、甚大な被害が予想されます』
「それもそうだ。しかし、迂回してくれるかどうかは白月次第だぞ?」
『分かっています。なので、緊急の措置を施しました』
「緊急の措置?」
詳しい説明を聞くよりも早く、突然森が開ける。
沿岸の砂浜から森の深いところまで、全ての木々が薙ぎ払われていた。
「レッジ! 走れぇ!」
「組長!?」
そこに居たのは、斧やチェーンソーを担いだ木こりたち。そして筋骨隆々の大男、〈キバヤシ組〉の組長ことヒノ=キスギ=グリーンウッドだった。
「〈ミズハノメ〉の橋まで、走れ! 道は作った!」
大声で吠える組長の言葉通り、太く平らな道が続いている。その先に見通せるのは、海洋に浮かぶ巨大なプラント、〈ミズハノメ〉だ。
『レッジさん、できるかぎり速度を上げてこちらに!』
「了解。白月、もうちょっと頑張ってくれ!」
ミズハノメからも要請を受け、白月の首を叩く。
彼は更に加速し、大雑把に均された道を駆け抜ける。
「レッジさん、あれ!」
何かに気がついたレティが前方を指さす。
その方向に目を凝らした俺も、違和感を見つける。
「橋が、上がってる?」
〈花猿の大島〉と〈ミズハノメ〉を繋ぐ、幅の広い鋼鉄の橋が高く天に向かって立ち上がっていた。傾斜のついた坂道となり、まるであれは――。
『即席のジャンプ台です。あれで〈ミズハノメ〉を飛び越えて下さい!』
「マジかよ……」
脳裏を過った突飛なアイディアは、すかさずミズハノメ本人によって肯定される。
「白月」
懸命に足を動かす白月に声を掛ける。賢い彼は、それだけでどうするべきか察したようだ。真っ直ぐに進路を定め、立ち上がった橋に向けて驀進する。
「しかし、目的地は海の底だぞ。どうするんだ?」
海の底に生身で飛び込めるほど、俺たちは頑丈ではない。まして、レティが跨がるしもふりや、ラクトたちを乗せた“地走蜘蛛”は言うまでもない。
「それについては任せて下さい」
「レティ?」
「わたしもいるからね。心配しなくて良いよ」
「ラクトまで。一体なにをするつもりだ?」
不敵な笑みを浮かべる仲間たちに眉を寄せるが、詳しいことを話す余裕はなさそうだ。
花猿の攻撃は今も続き、道中に立てられた〈フツノミタマ〉は次々と破壊されている。特例措置が発動しているためデスペナルティはないようだが、プレイヤーも十把一絡げに薙ぎ払われている。
「ええい。ともかく跳ぶぞ!」
白月は高速で森の道を走り抜け、急造のジャンプ台へと蹄を乗せる。硬質で平らな道を力強く蹴り、45度の傾斜を駆け上る。
「うおおおっ!?」
追いかける花猿も橋に突っ込んでくる。その衝撃で大きな揺れがおこり、頑丈な鉄骨がまるで飴細工のようにねじ曲がる。
「なんつー力だ。早くしないと足下から崩れるぞ!」
「トーカが頑張ってくれてますが、焼け石に水です。なんとかして動きを止めないと」
花猿も後がないことを感じているらしい。死に物狂いで暴れ回っている。〈ミズハノメ〉からの攻撃も受けているが、全て受け止め傷を回復させながらこちらに近づいてきていた。
俺はちらりと横を見て、ラクトたちに声を掛ける。
「“地走蜘蛛”を使う。エイミーとシフォンはしもふりに、ラクトはこっちに移ってくれ」
「はい!? ちょ、ラクトもしもふり側でいいんですよ?」
「流石に積載量オーバーだろ。白月もラクトくらいなら耐えられるはずだ」
手を伸ばすラクトを抱き上げ、後ろに乗せる。シフォンとエイミーがしもふりに飛び移ったところで、俺は“地走蜘蛛”に指令を下した。
「さあ、暴れ回ってこい」
八本の蔦脚を動かして随伴していた“地走蜘蛛”が速度を落とす。坂を転がるようにして後方へ向かい、花猿の顔面にぶつかった。
「レッジさん、いったい何を――」
「自爆機能はロマンだろ?」
花猿の鼻先に地走蜘蛛がぶつかった瞬間、蔦が弾ける。リミッターを解除され、特濃の栄養液がぶちまけられたのだ。
爆発的に成長する蔦が花猿に絡みつき、毒液が吹き出す。雁字搦めにされた花猿は雄叫びを上げながら坂から転げ落ち、袂に立っていたプレイヤーたちを押し潰す。
「なんでテントに自爆機能が付いてるんですか!」
「ネヴァに頼んだら付けて貰えたからな」
「そんな車のオプションみたいな……」
驚くレティ、呆れるラクト。彼女たちの視線の先で、緑の花火が咲き乱れる。
秩序を失い、暴走し急成長を続ける“花衣”が、花猿を拘束したまま周囲にまで侵蝕していく。
「うわああっ!? なんだこれ!」
「た、助けて、捕まった!」
「ひぃぃ! 切っても切っても止まらねぇんだが!」
「ダメージ受けないのが逆に気持ち悪い!」
花猿に攻撃を続けていた周囲のプレイヤーたちにも影響が出ているようだが、致し方ない。コラテラルダメージというものだ。
「うわぁ。エグ……」
「レッジの奴のほうがよっぽどボスっぽくない?」
「ええい。そんなことよりここから先を頼むぞ!」
“花衣”の暴走は十秒も続かない。しかし、それだけ時間が稼げれば十分だろう。
「思い切り跳べ、白月!」
俺の声に合わせ、白月が坂を蹴る。
突然途切れた道から、空へと駆け出す。
「うおおおおおおあっ!」
轟々と耳元で風が鳴り、空を飛んでいることを自覚する。
眼下には厳戒態勢の〈ミズハノメ〉があり、けたたましいサイレンが鳴り響いている。
白い中央制御塔を飛び越え、放物線を描いて海へと向かう。
「ラクト、よろしくたのみますよ」
「任せて」
ぐんぐんと海面が近づいてくる中、突然レティが立ち上がる。そうして、ラクトに一言声を掛けたかと思うと、突然下に向かって飛び出した。
「レティ!?」
「大丈夫だから。任せて」
驚く俺の背中に手を当て、ラクトが言う。
レティは赤い髪を広げながら、一直線に海面へと向かい――。
「最大火力で行きますよ! 咬砕流、五の技――!」
幾重もの自己バフを纏い、極限まで火力を強化する。更にアンプルも次々と砕き、可能な限りのドーピングも行っていた。その上で、不安定な空中で完璧な“型”と“発声”を決め――。
「――『呑ミ混ム鰐口』ッッ!」
鮫頭のハンマーが海面を叩く。
穏やかな海が大きく凹み、そして割れる。高波が立ち上がり、白い飛沫が上がる。
まるで水面下から飛び出してきた巨大な鰐の口の中に飛び込むような、異質な恐怖感。
「――『
そこへ響く涼やかな声。
シャリシャリという音と共に、海が青く凍りつく。飛沫が硬直し、波音が消える。静寂が広がる。
巨大な鰐の口の中へと真っ直ぐに飛び込んでいく。
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Tips
◇注入量安定化機構爆破型自滅暴走装置
種瓶“花衣”に搭載された簡単な構造の自爆装置。濃縮栄養液の注入量を一定の値で安定化させている機構を爆破することで、一気に大量の栄養液を解放する。結果として植物の暴走を促し、周囲に甚大な被害をもたらす。
非常に危険かつ迷惑な行為となるため、取り扱いには厳重な注意が必要。
なお、遠隔起動装置は別料金となります。
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