第651話「取り乱す管理者」
高らかにサイレンが鳴り響く。緊急避難用シェルターが開かれ、非戦闘員たちは慌ただしく駆けてゆく。中央制御区域以外の全ての区画は隔壁によって遮断され、都市リソースの全てが防衛設備へと回される。
『ほぎゃああっ!? な、なんですかアレは!!』
海洋資源採集拠点シード02-ワダツミの管理者ミズハノメは、突如として現れ猛然とこちらに向かってくる巨大な猿型の原生生物に慌てふためいていた。
深奥部から飛び出してきたその巨大な原生生物は、〈フツノミタマ〉の一斉掃射を真正面から受け止め、無傷で活動を続けていた。このまま真っ直ぐに走れば、その先にあるのは〈ミズハノメ〉である。
『ととと、都市防衛設備フル稼働! 全武装を目標へ照準固定! ほぎゃ、ほぎゃ……!』
管理者個体が取り乱しながらも、本体である中枢演算装置〈クサナギ〉は成すべき事を順にこなしていく。
都市防壁上に並べられた巨砲がゆっくりと動き出し、一点に狙いを定める。それと同時に各地の調査開拓員とデータリンクを行い、情報の収集と事態の把握も並行して始める。
『敵性評価、ぶっちぎりの黒! 都市壊滅の危険性大! なんてこったいですよ!』
すぐさま緊急特例措置を発令する。都市周辺に滞在している全ての調査開拓員に対し非常事態を宣言し、〈ミズハノメ〉と〈花猿の大島〉本土を繋ぐ連絡橋の前に集合するよう指示を下す。
『ぬわああっ!? れ、レッジさん!? ていうかなんですかあれ、白月ですか? でっかくないですか!?』
進路上に立つ〈フツノミタマ〉から送られてきた情報を確認し、ミズハノメは何度目かの悲鳴を上げる。巨大な猿型原生生物が追いかけているのは、随分と大きくなった白鹿に跨がるレッジであった。
『い、い、いったい何が起こってるんです!?』
『落ち着きなさい。感情パラメータが上振れして演算能力が低下しています』
涙目で叫び声を上げるミズハノメ。不意に彼女の肩が叩かれる。「ほぎゃ!」と叫び声を上げながら振り返った管理者の前に現れたのは、彼女によく似た容姿の、銀髪の少女だった。
『う、ウェイド! 助けに来てくれたんですね!』
『緊急要請を受けたので。ざっと確認したところ、アレはミズハノメだけでは対処できないでしょう』
中枢制御塔の最上階に、次々と小柄な少女たちが集まってくる。彼女たちは皆、ミズハノメの姉であり、管理者としての先輩であり、有事の際に最も頼りになる存在だ。
『おうおう。レッジの野郎がまた何かやらかしたみてェだな』
『今回の件は、あてらも情報を持ってない緊急事態や。いったい、どんな藪をつっついたんやら……』
スサノオ、ウェイド、キヨウ、サカオ。アマツマラ、ホムスビ。そしてワダツミ。各地の管理者たちが、一堂に会していた。
彼女たちは無駄話もそこそこに、早速演算を始める。
レッジのすぐ後ろを走っている蔦の化け物は、彼女たちの保有する膨大なデータの中にもない、全く未知の存在だった。
『よっしゃ。〈フツノミタマ〉の制御権もらうぜ』
『は、はいっ!』
袖を捲ったサカオが、ぺろりと唇を舐める。
彼女の指令によって、各地に設置され、今だ稼働できる〈フツノミタマ〉が動き出す。〈ミズハノメ〉からラインを通じて供給される莫大なエネルギーを破壊力に変え、花猿に向かって放つ。
『再生能力が非常に高いですね。ログデータによると、レイラインと直接接続している可能性が高いです』
『どんなバケモンだよ。ほんとに生物か?』
『そのあたりも含めて、調査を行います』
サカオが数十の砲門を動かし、的確に狙撃を行う。体力を削ることよりも、四肢を消し飛ばすことで進行を遅らせることに重点を置いていた。
『サカオ、対象の〈ミズハノメ〉到達まではどれくらいですか?』
『いいとこ20分だな。〈フツノミタマ〉が壊されりゃ、そのぶん縮まるけど』
『十分な情報を集めるには、少し足りませんね……』
〈フツノミタマ〉だけでなく、調査開拓員たちも懸命の迎撃を行っている。都市に繋がる橋とその先の砂浜では、堅固なバリケードも着々と築かれている。それらを全て加味した上で、時間が足りない。
『あう。みんな、頑張って』
『スサノオはなにするってんだ?』
『ちょっと、聞いてくる』
切迫した状況のなか、スサノオが立ち上がる。
過度な演算処理によって頭に疼痛を感じながらアマツマラが尋ねると、彼女はそう言ってきゅっと口の端を結んだ。
『聞いてくるって……。まさか、〈タカマガハラ〉に接続する気ですか?』
『あう。それしか、方法がない。きっと、“三体”は何か知ってるから』
『ですが、閲覧権限のない情報にアクセスするのは――』
瞠目し引き留めようとするウェイドに、スサノオは薄く笑んで首を振る。
『今は、危ない時。少しでも、情報が欲しいから』
明らかな越権行為。本来、厳格なシステムである〈クサナギ〉が行うなどありえない、発想すらできない行動だった。
これが感情を得たが故の行動なのか、スサノオの〈クサナギ〉のエラーなのか、ウェイドには判ずることはできなかった。
『――特別秘匿情報を一部限定解除しました。そちらを取得して下さい』
突然、緊急遮断ロックが行われていた扉が開く。レッジの奸計やレティの暴力にも耐えうるように設計された施錠が破られたことに、管理者全員が驚きながら振り返る。
『T-3……。どうしてここに』
そこに立っていたのは、彼女たちよりも更に上位の存在。天に停泊する開拓司令船アマテラスの中枢演算装置〈タカマガハラ〉を支える三本柱がひとつ。T-3は唖然とする管理者たちの間をすり抜け、ミズハノメの前に立つ。
『申し訳ありません。まさか、こんなにも早く開拓が進むとは。想定していた情報開示スケジュールを大幅に前倒しして、現実が進んでしまいました』
『ほぎゃあっ!?』
深々と頭を下げ、謝罪を口にするT-3。そんな彼女の行動に、ミズハノメの方が慌てふためく。
『〈最重要奪還目標地域;看守のコシュア=エタグノイの監獄闘技場〉、白神獣絡みですか。しかし、この第一級封印指定対象というのは……』
早速、開示されたばかりの情報に目を通したウェイドが首を傾げる。そこに羅列されていた情報は、今までの彼女の認識を根底から覆すようなものばかりだ。
『重要なのは、〈最重要奪還目標地域;看守のコシュア=エタグノイの監獄闘技場〉が解放されたこと。更に三体の第一級封印指定対象が攻略されたこと。そして、旧管理者思念術式〈コシュア=エタグノイ〉が暴走しているという事実です』
1つずつ指を立てながらT-3が伝える。
今は悠長に考察を進めている時間はない。サカオが懸命に妨害工作を行っているが、残りの手も限られているのだ。
『つまりなんだ、あのデカいエテ公が旧管理者思念術式〈コシュア=エタグノイ〉って奴なのか』
腕を組み、アマツマラが問いただす。T-3は曖昧な表情で頷いた。
『厳密に言えば、違います。あの花猿は旧管理者思念術式〈コシュア=エタグノイ〉の残滓、過剰に供給されたレイラインのエネルギーによって動き続けているだけの骸です。本体である魂を持っているのは――』
『前を走る調査開拓員レッジ、ということですね。彼のインベントリを検索した結果、詳細不明のアイテムが一つヒットしました』
T-3の言葉に被せるように、ウェイドが伝える。
花猿に追われながら、懸命に逃げているあの男の手元には、管理者たちも詳細を知らない謎のアイテムがある。
『で、では、レッジさんに連絡を取って、都市から離れてもらうように――』
『そういうわけにも行きません』
『ほぎゃあ……』
光明を見たりと提案するミズハノメは、T-3によって一蹴される。弱々しく鳴き声を上げる彼女に、指揮官の少女は事情を話した。
『恐らく、レッジさんは自身の意思で移動していません。あの進路を選んでいるのは、神子――白月でしょう』
『つまり、レッジにはどうすることもできねぇってか』
『あう。なにか、目的地がある?』
スサノオの鋭い指摘に、T-3は頷く。
『はい。そして、目的地は〈ミズハノメ〉ではありません。深き海の底に眠る、先史文明の遺産。我々が巡るべき聖地。〈白き深淵の神殿〉、またの名を――』
キヨウたちが都市周辺の調査開拓員に緊急の指令を下す。それと共に、防衛設備へと注いでいたリソースを転換させる。
急激な方針転換による慌ただしさに、都市は一層の混乱へと陥っていく。
『〈第零期先行調査開拓団最終防衛拠点;ヨミヤド〉』
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Tips
◇〈白き深淵の神殿〉
〈剣魚の碧海〉深部、〈ワダツミ深層洞窟〉の奥に存在する大規模な未詳文明遺産。荘厳な姿を今に残しながらも、どこか哀愁漂うもの悲しい雰囲気を醸し出す。特殊な原生生物が守る内部には、様々な考古学的価値を有する遺物が残されている。
かつての栄光は暗い海の底。眩い輝きは黒く染まり、やがて歴史は薄らいでゆく。残された者は老い衰え、使命はやがて呪いへと歪んだ。それでも、待ち続けるものは居る。いつか、彼の光が再び差し込むことを。
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