第649話「花猿の顕現」

 イキハギの身体が消滅し、闘技場には再び静寂が戻る。

 そんな中、眉間に皺を寄せたアリエスたちがこちらにやってきた。


「だいたい調べ終わったわ。光が強くて大変だったけど」


 三術連合の面々には闘技場そのものについて調査が依頼されていた。エイミーたちが戦っている間も、五人は三術的な観点から、この闘技場から脱する方法を探してくれていたのだ。

 ここは無数のレイラインが絡まりながら集まる、特異な土地だ。俺の目には朽ちた廃墟にしか見えないが、アリエスたちが見れば莫大なエネルギーの奔流が確認できる。


「見事なものよ。無数の龍脈が糸のように編まれて、この闘技場を包み込んでるわ」

「それは……」


 アリエスの報告によれば、深奥部を流れる龍脈は全てこの闘技場に集結している。更に、それは緻密に編み込まれ、安定した状態が注がれていた。


「どう考えても、自然に発生したものじゃない。人工物――意図的に作られた強力なパワースポットよ」


 こんな闘技場がある時点で、自明ではあった。しかし、俄に信じることはできない。

 龍脈という大いなるエネルギーの流れを意のままに操り、編み上げ、この檻を作ったというのか。それは、俺たち調査開拓団の持ち込んだ先進的な技術でも到底為し得ないことだというのに。


「いったい、ここの主はなんなんだ?」

「それは、あれを倒せば分かるんじゃないですか?」


 戦慄を覚える俺の側で、レティがすっくと立ち上がる。彼女の視線の先、闘技場の中央で再び黒い靄が集結し始めた。だが、今回は少し様子が違う。


「うおわっ!?」

「はえっ! ゆ、揺れてる!」

「落ち着いて下さい。瓦礫に気をつけて、姿勢を低くして」


 黒い靄が集まるにつれ、闘技場全体が揺れ始める。

 微かだったものがやがて立っていられないほどに変わり、元から脆くなっていた構造物が崩れ始める。


『さあ! 最後……戦者……す! 立ち…………森……王……! 無事……すこと……のか!』


 煽る音声が鳴り響く。

 だがそれすらも、崩壊する闘技場の轟音に掻き消され聞き取れない。


「全員、テントの側に! 部位破損だけはするなよ!」


 “地走蜘蛛”の側に居れば、ひとまずLPは回復できる。パーツの破壊はどうにもならないから、祈るしかない。


「アイ、これってマズいやつか?」

「どう考えてもマズいやつでしょう!」


 闘技場の壁面に大きな亀裂が入る。

 隙間から吹き出したのは、白く輝く光だった。


「あれは――」

「龍脈のエネルギー!? 不安定に濃度が高くて危険です!」


 ぽんが悲鳴を上げる。

 均衡を失った龍脈の流れが氾濫し、俺たちの目にまで見えるようになったらしい。それは四方八方の亀裂から闘技場へと流れ込み、中央で巨大化を続けている黒い靄へと吸収される。


「ミカゲ、これ外に出られるか?」

「龍脈の流れが壊れたから、たぶん……」


 俺たちを闘技場に押し止めていた一方通行の結界は、龍脈のエネルギーによって成立していた。その供給源が崩壊し暴走を始めているのなら、阻むものはなにもない。


「素直に戦うのもいいが、ここは一時撤退しよう」

「分かりました。アレは主力部隊に任せましょう」


 俺の提案に、アイは即座に頷く。

 そもそも俺たちはただの偵察部隊だ。あきらかにボスらしい化け物を真正面から相手取る必要はない。そういったものは、今まさに準備を進めているアストラたちに丸投げすればいい。


「レッジさん、そろそろやばそうですよ!」


 レティの悲鳴があがる。

 闘技場の中央の黒い靄は、光の濁流を全て飲み込んでいく。ごうごうと渦を巻きながら、莫大なエネルギーが飲み込まれていく。

 まるで大地を喰らうかのような、暴力的な光景だ。


「レティ、しもふりにトーカを乗せられるか」

「任せて下さい。アイさんもこちらへ」


 来た時と同じように、俺は“地走蜘蛛”へと乗り込む。後ろにラクトたちを乗せ、崩れゆく闘技場から逃げだそうと身を翻す。

 レティもしもふりに跨がり、目の見えないトーカに腰を掴ませたまま、決死の表情で闘技場の客席をめざしていた。


「敵性存在、出現!」


 その時、ユーリが声を張り上げる。

 俺たちが脱出を開始したちょうどその時、闘技場の中央で靄が確固たる実体を現した。


「なるほど……花猿のお出ましか」


 周囲の亀裂から無数の蔦が飛び出した。それはおぼろげに人型の輪郭を取る黒い靄に絡みつき、寄り集まっていく。歪な四肢を伸ばし、曖昧な口を開く。

 巨大な猿のような形をした、植物の集合体だ。


「レッジさんのテントみたいですね」

「言ってる場合か。さっさと逃げるぞ」


 体長は10メートルを超えるだろうか。高い闘技場の天井にぶつかり、ガラガラと瓦礫を落としている。

 まだ顕現して間もないからか、身体の動かし方に慣れていないようだ。非常に緩慢な動きで、窮屈な闘技場に不満げな声を上げている。

 その隙に少しでも距離を離そうと向き直ったその時だった。


「うわっ!? こら、なにしてるんだ!」


 突如、今の今まで大人しくしていた白月が走り出す。

 闘技場の外ではない。今しがた産声を上げたばかりの巨大な花猿に向かって、猪突猛進の勢いで駆けていく。


「クソ。レティ、“地走蜘蛛”を引っ張ってってくれ。アイツを連れ戻してくる」

「ちょ、レッジさん!?」


 驚くレティに後を任せ、俺はテントから飛び下りる。

 白月が傷付いたところを見たことはないが、奴も一応ペットの範疇だ。死ねば死ぬ。


「こんな時に手間かけるな!」


 瓦礫を飛び越えて猿に向かう白月を追い、俺も走る。脚力にBBを極振りしているというのに、白い牡鹿には追いつけない。


「白月! 戻れ!」


 声を掛けるも、まるで反応がない。

 ふと脳裏に嫌な予感が過る。

 白月は白神獣という、神秘的な存在だ。普通の原生生物たちとはまるで異なり、物理的にも曖昧だ。以前など、巨大化してみせたこともある。

 本質的には足下を流れる龍脈のエネルギーとそう変わらないのではないか。そうであれば、今もなお底なしにエネルギーを喰らい続けているあの花猿に近づくのは、悪手なのではないか。


「白月!」


 喉を振り絞って声を上げる。

 それが届いたのか、否か。彼は瓦礫を強く蹴って跳び上がる。水晶のように輝く枝角。無垢な黒い瞳が、植物を寄せ集めた不気味で禍々しい猿を映す。


『神子の存在を確認』

『巡礼者の存在を確認』

『神子の権限を確認』

『巡礼者の権限を確認』

『〈最重要奪還目標地域;看守のコシュア=エタグノイの監獄闘技場〉の崩壊を確認』

『旧管理者思念術式〈コシュア=エタグノイ〉の存在を確認』

『旧管理者思念術式〈コシュア=エタグノイ〉の暴走状態を確認』

『緊急トラブルシューティングを行います』

『緊急トラブルシューティング完了』

『霧之角の封印を第一段階解除』

『高位神霊実体顕現に際するエネルギー供給を開始』

『不安定レイラインの接続を承認』

『〈神還り〉イベントの実行を承認』


 立て続けに流れる無数のアナウンス。

 それと同時に、俺は真っ白な毛並みの背に跨がっていた。


『情報再修正術式を適用します』

『情報再修正術式が発見できません』

『バックアップストレージを検索します』

『バックアップストレージが発見できません』


 黒い瞳が俺を見ている。

 巨大で雄々しく成長した白月が、首を捻って俺を見ている。


「お前……」


 白月は何をするべきか分かっているようだ。

 俺がしっかりと座っていることを確認すると、軽快に駆け出す。まっすぐに、緑の猿目掛けて。


『情報再修正術式が発見できません』

『旧管理者思念術式のクリーンアップを実行します』

『旧管理者思念術式のクリーンアップに失敗しました』


「ぐおおっ!?」


 白月が蹴るたび、足下の瓦礫が粉々に砕ける。不安定な足下にも関わらず彼は悠然と疾駆しているが、その背中の揺れは尋常ではない。

 俺は必死になってしがみつき、振り落とされないように歯を噛み締める。


『旧管理者思念術式の直接浄化を実行します』

『旧管理者思念術式の神核実体を取りだして下さい』


「神核実体? 何を――うおおわっ!?」


 意味の分からないアナウンスに首を傾げる。その時、突然天地がひっくり返った。


「白月、なにを!?」


 花猿の胸元まで跳躍した白月が、そのままくるりと縦回転したのだ。彼は後ろ足を花猿の方へ向けると、勢いよく蹴り出す。

 都市防衛設備の大砲を打ち込んだような衝撃と共に、巨大な花猿が闘技場の壁へと吹き飛んだ。それだけでは収まらず、壁を崩し、深くめり込み、天井から落ちてくる無数の瓦礫に埋められる。


「つっよ……」


 レティさえ遙かに凌駕する衝撃だ。ボスとはいえ、あんなものをもろに受けてはひとたまりもないだろう。

 これから毎日あれで戦ってくれると非常に助かるのだが。


「うわっ!?」


 そんな事を考えていると、突然白月が身を揺すって俺を振り落とす。何をするんだと抗議の目を向けると、彼は鼻先で俺を花猿の方へと押す。

 巨大化した白月の力は平時とは比べものにならず、俺は為す術無く壁際に押しやられる。


「うん? なんだこれ……」


 そうして、瓦礫に埋もれる花猿の足下に小さな水晶玉のようなものが転がっているのを見つけた。


「これは……白神獣の宝玉か?」


 思い出すのは、以前行われたイベント〈特殊開拓指令;白神獣の巡礼〉で祠の守護者を倒すことで入手できたアイテムだ。転がっていた水晶は、それによく似ている。


「うわあっ!?」


 しかし、思案する間もなく、俺が宝玉を掴んだのを見るや、白月が襟首を咥えて放り投げる。器用に背中で受け止めてくれるが、心臓に悪い。だが文句を言うよりも早く、白月はくるりと身を翻して闘技場の外を目指して走り始めた。


『神核実体が取り出されました』

『神核実体の直接浄化を行います』

『神核実体を浄化装置に挿入してください』


「浄化装置ってなんだよ!」


 アナウンスの言っていることが少しは理解できた。恐らく、この水晶玉が神核実体というものなのだろう。そして、俺はこれを浄化装置とやらに持っていかなければならない。


『ゴ、ゴオオ』

「チッ、あれで倒れてないのかよ」


 背後からガラガラと瓦礫を押し退ける音がする。振り返れば、巨大な蔦の蠢く猿がゆっくりと立ち上がっているところだった。

 宝玉を抜いたのに、まだ動けるらしい。


「白月、道は分かってるのか?」


 俺の問いに白月は答えない。

 しかし、その足取りに迷いはなかった。

 ならば俺にできるのは、彼を信じることだけだ。


『レッジさん! 無事ですか!』

「レティか。そっちはどうだ」


 闘技場から観客席へと跳び上がった時、レティからTELが掛かってくる。どうやら結界が壊れたことで、通信も可能になったらしい。


『アストラさん率いる主力部隊がすぐ側まで来てくれてました。今はそこに合流してます』

「アストラが! そりゃあいい」


 流石、気の利く男だ。

 俺はアストラの優秀さに舌を巻きながら、レティに要望を伝える。


「俺が出てきたら、その進路方向に真っ直ぐな道を作ってくれ。あと戦闘の準備も」

『はい? それってどういう……。いえ、分かりました』


 疑問を覚えるレティだったが、すぐに頷いてくれた。この状況で説明する余裕がないことを察してくれたようだ。


「白月、外に出たらアストラが道を作ってくれる。そこを思い切り駆け抜けろ」


 俺の声に答えるように、白月がぐんと加速する。

 背後からは瓦礫を押し退け構造を破壊しながら、巨大な緑の猿が追いかけてくる。その太い指に捉えられるよりも早く、白月は監獄闘技場から飛び出した。


「レッジさん!」

「アストラ、よろしく頼む!」


 戻ってきた深奥部、闇の広がる森。

 中心部を取り囲むように、巨大なライトがずらりと並び、周囲を明るく照らしている。その一角で待ち構えていたのは、巨大な蒼銀の騎士。団長専用機“銀鷲”に搭乗したアストラが、極大両手剣を構えて立っていた。


「任せて下さい! ――『極大剣術』『破壊の衝動』『猛進の構え』『修羅の構え』『奮戦鼓舞』『凶暴化』『炉心暴走』」


 剣を構えた巨大な〈カグツチ〉が煌々と光り出す。

 秒を進めるほどにその輝きは強くなり、周囲の闇を塗りつぶしていく。


「エネルギー供給!」

「増設タンク接続ヨシ!」

「充填率3,000%!」

「補助電源機体、フル稼働中!」


 よく見れば、“銀鷲”は太いケーブルで巨大な外部バッテリーや騎士団標準機“白羽”と繋がれている。それらも青い電流がバチバチと走るほどに稼働し、全てのエネルギーを“銀鷲”へと送っているようだ。

 アストラの声が朗々と響く。


「聖儀流、一の剣。――『神雷』」


 振り上げた剣を、真下に振り下ろすシンプルな動きだった。

 その一振りに渾身の力が乗せられ、放たれる。


「総員、対ショック姿勢ッ!」


 波が、木々を薙ぎ倒す。

 光が闇を祓い、音を掻き消す。

 大地に亀裂が走り、不運な猩猩たちが消滅する。

 光の道が闇の森を貫く。


「――いくぞ、白月」


 そのどこまでも真っ直ぐな道を、俺は白月の背に跨がって駆け抜けた。


_/_/_/_/_/

Tips

◇神子

 かつて地上に存在した、白神獣の仔。黒神獣の災禍を逃れ、地の深き流れの底にて眠っていた。いずれ訪れる巡礼者を待ちながら。

 その目は真を見通し、その声は精霊に響く。その足は流れを踏み、その耳は世界を聞く。

 神子は待つ。己を呼び覚ます声を。神子は待ち続ける。再び、あの栄えある白の時代が訪れる時を。


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