第648話「暗中の刃」

 “叛逆のサカハギ”がエイミーによって倒された。

 巨馬は黒い霞となって散り、束の間の静寂が訪れる。


『おめ……ます! し……まだ……だ戦……終わ……!』


 そうして響き渡る、ノイズ混じりの音声。幼い少女のようにも聞こえるが、スピーカーの調子が悪いのか、妙に甲高くなったり低くなったりと安定しない。そもそも、どうしてシステムアナウンスのようなものが流れているのかも分からない。

 理解できたのはただ1つ。戦いはまだ終わらないということだ。


「ミカゲ、次の敵はなんです?」

「……“離反のイキハギ”。侵蝕と、流出」


 再び闘技場の中央に霞が集合する。それは水気の多い泥のように蠢き、ゆっくりと形を作る。クソトのことを思い出して顔を顰めるが、今度は鼻の曲がるような汚臭はしなかった。


「むぅ。また叩きにくそうな相手ですね」


 現れた新たな敵を見て、レティは口をへの字に曲げる。

 どろどろとした不定形のスライムのような身体で床に広がっている。見るからに物理攻撃の通用しなさそうな姿だ。全身から太い触手を伸ばし、忙しなく動かしている。それ以外の感覚器官は見当たらなかった。


「き、きもっ!」

「はええ……。あんなの触りたくないよ」


 冒涜的な容姿に、ラクトたちが青ざめる。

 妙に艶めかしく艶があり、全身が粘液で濡れている。俺も少し躊躇してしまう、生理的な嫌悪感を呼び起こすビジュアルだ。


「ふむ。では私が行きましょう」


 そんななか、トーカが前に出る。


「いいのか? なんなら俺がやるが……」

「任せて下さい。あんなの、タコとそう変わらないでしょう?」


 心配になって尋ねると、彼女はあっけらかんとした顔で答える。

 全身から無数の触手を生やした黒いスライムは、タコとは似ても似付かないと思うのだが。彼女の脳内でどのように認識されているのだろう。


「サクサク切り刻んで、たこ焼きにしてやりますよ!」


 刀――“大太刀・妖冥華”の鞘に手を添える。

 トーカは一足飛びにイキハギへ肉薄し、目にも止まらぬ速さで刀を引き抜いた。


「『一閃』――ッ!」


 しかし。


「なっ!? 避け――」


 イキハギの黒い身体がぐにゃりと抉れ、刀身が素通りする。手応えのない感触に目を見開くトーカに向けて、触手が勢いよく突き出された。


「トーカ!」


 腹を突かれ、トーカは勢いよく吹き飛ぶ。

 闘技場の壁に激突し、強かに背中を打ち付ける。

 彼女の抜刀術が避けられたこと、彼女が攻撃を受けたこと。あらゆる驚愕の出来事が立て続けにおこり、俺たちも咄嗟に動くことができない。

 そんな中でただ一人、レティだけが地面を蹴ってイキハギへ迫った。


「はぁっ!」


 轟音と共に闘技場が揺れ動く。

 激情に任せたレティの打撃が床に深いクレーターを作った音だ。

 その中心でイキハギはヌラヌラと動いている。身体をドーナツ状にして、鎚の攻撃を避けたのだ。


「『瞬穿拳』ッ!」


 影が落ち、白い殴打が降り注ぐ。

 レティに遅れてやってきたエイミーの絶え間ない連撃が黒いスライムへ襲い掛かる。しかし、それすらもまるで未来を予知しているかのような精度で避けてしまう。


「避けられないようにしてあげる!」


 イキハギを取り囲む、ラクトの分厚い氷壁。

 それが勢いよく迫るなか、イキハギは細長い針状に形を変える。そうして短く収縮したかと思うと、爆発的な勢いを付けて氷壁を貫いた。


「戦闘準備! 全員で一気に叩きます!」


 アイが叫ぶ。

 クリスティーナ、ユーリ、三術連合の面々が動き出す。彼女たちもこのスライムが今までの敵とは格が違うことを理解していた。

 しかし――。


「待って下さい!」


 朗々とした声が闘技場内に響き渡る。

 他ならぬトーカの、怒りさえ滲んだ声。それゆえ、アイたちも足を止めてしまう。


「あれは私の相手です。手を出さないで下さい」

「ですが――」

「任せて下さい」


 刀を鞘に収め、背筋を伸ばして立っている。

 瓦礫を踏み越えゆっくりと前に出る。

 鮮やかな蝶の舞う薄桃色の袖を揺らし、トーカはまっすぐにイキハギを睨む。


「『迅雷切破』」


 あまりにも洗練された“型”と“発声”による、抜刀術。発動したことにすら一瞬遅れて気付く。

 だがそれすらイキハギは身体を2つに分離することで避ける。すぐにまた1つに纏まったが、個体としての意識がずいぶんと低い。

 トーカの方も当たるとは思っていない。それはイキハギに最接近するための手段だ。彼女は納刀し、再び解き放つ。


「『一閃』『飛隼』」


 立て続け、三連の斬撃。水平、袈裟、逆袈裟と放たれた鋭い攻撃は難なく避けられる。


「『一糸乱斬』『一閃』『飛隼』」


 更に高速の四連撃が加わる。そして再び三連の斬撃。目にも止まらぬ斬撃だが、イキハギはすべて避ける。その上で太い触手を伸縮させトーカの身体を貫こうと反撃まで企てる。


「『瞬転』『仇斬り』」


 トーカはくるりと身を翻し、触手の突撃を紙一重で避ける。更に、その攻撃を利用してカウンターの抜刀術を放つ。だが、それも避けられる。


「チッ」


 平時は淑やかなトーカが舌を打つ。

 今まで必中であった剣術が通用しない。その事実に彼女自身が一番苛まれているはずだった。


「『迅雷切破』ッ! 『瞬転』――『明鏡止水』!」


 イキハギを貫くように剣を突き出し、そのまま闘技場の壁に到達する。素早く身を捻って壁を蹴り、勢いを付けて剣を抜く。


「これでもっ!」


 だが、当たらない。

 剣の軌道に合わせ、イキハギはその身体の形状を変える。ネヴァが研ぎ上げた鋭い刃も、相手に届かなければ意味がない。トーカは再び空を切り、苛立ちの声を上げた。


「彩花流、肆之型!」

「ダメです、トーカ!」


 トーカは再び刀を鞘に納め、深く前傾姿勢を取る。

 だがそれに対しレティが制止の声を上げる。

 〈彩花流〉の抜刀術は強力だが、“型”と“発声”の完了に要する時間が長い。それはつまり、明らかな隙を見せるということに他ならない。


「一式ばっと――きゃあああっ!」

「トーカ!」


 黒い触手が槍のように突き出される。

 それはトーカの、顔面を貫いた。

 闘技場に響き渡る絶叫。地面に転がるトーカを、レティが素早く抱きかかえる。


「回復アンプル、包帯。ダメです、頭部損傷!」


 レティがインベントリから取り出したあらゆる回復アイテムを使用するが、頭部パーツが大きく破損している。咄嗟に横へ顔を背けたため、頭脳部は無事だったようだが、顔面が削がれている。


「やっぱり、全員で!」


 メインアタッカーの一人を失ってしまった。

 その事実に打ちのめされながらも、アイが指揮を行う。彼女の声でクリスティーナたちが動き出すが、その攻撃ものらりくらりと避けられる。


「レッジさん!」

「とりあえず、テントの側に。クソ、技師はいないんだぞ」


 レティによって、トーカが俺の下へ運び込まれる。

 俺にできることはテントによるLP回復だけだ。破損したパーツの修理は技師がいなければできない。


「包帯でLPの減少は止まってます。でも、これじゃ……」

「目が見えない……」


 イキハギの触手は、トーカの顔面を削いだ。

 鼻から下は無事だったが、2つの眼球は潰れてしまっている。あまりにも大きな傷だ。


「トーカ、しっかりしろ。落ち着いて。ログアウトしてもいいからな」


 宙に向かって手を伸ばすトーカに話しかける。

 彼女も暗闇の中で混乱しているはずだ。町の外ではあるが、一度ログアウトしてもいい。自殺して〈ミズハノメ〉に戻ってもいい。

 だが、彼女はそうはしなかった。


「――だい、じょうぶ。いけます」


 そう言って、刀に手を伸ばす。

 半身を起こそうとする彼女を、レティが止める。


「ダメですよ! 死ぬだけです!」

「離して下さい。今度こそ切りますから!」

「どうやって切るんですか! 目が見えないんですよ!」


 テントの側に押し止めようとするレティの腕を、トーカは強引に振り払う。そうして、フレームの歪んだ足でよろよろと立ち上がる。


「――任せて下さい。奴のカラクリが分かりました。レティ、少しだけ手伝って下さい」


 確信を持った強い言葉だった。

 それを受けて、レティは何も言えなくなってしまう。


「……本当に、倒せるんですか?」


 アイたちがイキハギを取り囲み、激しい攻防を繰り広げている。数人で一斉に攻撃を行っても、その全てが例外なく避けられ、未だにあの黒いスライムは欠片も体力を減らしていない。


「大丈夫。レティがいれば、なんとかなります」


 トーカはそう言って、深く頷いた。

 包帯で目を隠したまま、彼女はゆっくりと前に出る。


「レティ、現在の私とイキハギの座標を教えて下さい」

「わ、分かりました」


 レティは戸惑いながら、両者の座標を読み上げる。

 それを聞いたトーカは1つ頷き、鯉口を切った。


「一刀の下、貴様を葬らん。――彩花流、肆之型、一式抜刀ノ型、神髄」


 鼻先が地面に付くかと思うほどの深い前傾姿勢。片足を引き、ギリギリの所で膝は浮かしている。

 その姿勢は、まるで引き絞った弓のようだ。莫大な力をその身に宿し、解き放つその時を待つ。


「レティ、もう一度座標を」

「はい!」


 小数点第三位までの詳細な座標が読み上げられる。

 それを聞いた瞬間、彼女の姿が掻き消えた。


「『紅椿鬼』」


 たんっ。

 ――と、軽快な音。

 ただそれだけで、イキハギの身体が滑らかに切り抜かれた。


『……――ィィィィィィアアアアアアアアッ!』


 一瞬遅れて吹き上がる甲高い悲鳴。

 それがイキハギのものと気付くまで、少しの間を要した。彼もまた、自身が切られたことに遅れて気がついたはずだ。

 痛みを感じさせないほどの速度、切れ味、そして滑らかさ。刹那を裂くような神速の斬撃によって、その不定形な身体が弾けた。


「目が見えないのに……」

「脳内で座標を把握して、間合いを捉えたのか」


 眼球を損傷したトーカは、今もなお闇の中にいるはずだ。それでも的確に、遠く離れたイキハギの真ん中を切り裂いたのは、レティの伝えた座標を正確に把握したからだろう。


「それだけじゃないですよ」


 唖然とする俺たちの下へ、トーカは迷いのない足取りで戻ってくる。

 その背後では、イキハギの残骸が黒い靄となって溶けていた。


「恐らく、奴は相手の視線を感じて攻撃を避けています。目が狙う先に、攻撃が行きますから」

「それはまた……」


 トーカの言葉が正しいとして、明らかに異常な精度と機敏さだ。普通、彼女の抜刀術は目で見えていたとしても身体が追いつかない。


「ユーリさん、記録をお願いします。“離反のイキハギ”はあらゆる攻撃を瞬時に回避しますが、目を潰すか隠すかしていれば、当たります」

「は、はい……」


 トーカの言葉を一字一句逃すことなく、ユーリは報告書に書き連ねる。それがどれほどの説得力を持つか、そんな疑問を持ちながら。


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『第一級封印指定対象“離反のイキハギ”が死亡しました』

『簡易輪廻循環システムによる八尺瓊勾玉の浄化に成功しました』


 ああ、ほんとうに成し遂げてしまった。あの天使たちは、気難しく制御の効かない問題児を瞬く間に、一刀の下切り伏せてしまった。

 なんという力だろう。なんという朗報だろう。

 悠久の時を待った甲斐があった。孤独のなか、思考が腐り果てるなか、狂気が全身を蝕んでいくなか、それでも待っていた甲斐があった。

 さあ、次で最後だ。

 さあ、次で最期だ。

 監獄の主が、早く檻から出せと喚いている。猛っている。憤っている。抑えておくのは、もう限界だ。

 これを解き放てば、仕事は終わる。

 眠りに就いていった仲間たちの後に続くことができる。


 さあ、天使たちよ。

 猿を斃せ。


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Tips

◇“離反のイキハギ”

 第一級封印指定対象。周辺精査術式融合個体。高密度集合粒子液体金属個体。敵性情報修正術式侵蝕率82%。情報再修正術式適用状況、なし。現在、〈最重要奪還目標地域;看守のコシュア=エタグノイの監獄闘技場〉にて禁錮中。簡易輪廻循環システムにより、状態安定。予定禁錮期間、無期限。


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