第647話「刹那の合間」
巨大で筋肉を剥き出しにした悍馬が嘶く。荒々しくたてがみを振り、落ち着きなく蹄で床を引っ掻いている。
“叛逆のサカハギ”と呼ばれたその馬と対峙するのは、白い手甲を両手にはめたエイミーだった。
「気をつけて。どんな能力を持っているか分かりませんよ」
「分かってる。だから私一人で相手するのよ」
エイミーはサカハギの前に立ち、拳を構える。
眼前に現れた彼女を、サカハギも敵として認識したようだ。闘技場に響く咆哮を上げ、猛然と駆けてくる。
「遅いわね。――『アイアインフィスト』!」
エイミーは僅かに身をずらす。肉薄するサカハギの鼻先を掠め、彼女は最小の動きで突進を回避した。更に、その横顔に向けて鋭く拳を打ち込んだ。
完璧に決まったクリーンヒット。風船の弾けるような激音が響き、そして――。
「きゃあっ!?」
「エイミー!? どうしたんですか!」
エイミーの悲鳴が上がる。
驚いたレティたちが武器を携え駆け付けようとするが、直後にエイミーが制止の声を続ける。
「大丈夫。ちょっと驚いただけだから」
だらりと、右腕を垂らしながらエイミーがこちらに振り返る。右腕は指先から肘までのスキンが剥げ、バチバチと青い火花が上がっていた。
「なるほど、反転ってそういうことね」
彼女はインベントリから応急修理包帯を取り出し、腕に巻いていく。急場凌ぎではあるが、仕方がない。
彼女の瞳に宿る闘志は、欠片も揺らいでいなかった。
「アイ、ある程度分かったから報告するわ」
「ありがとうございます」
再び構えながら、エイミーが声を上げる。
アイが目配せすると、キーボードとウィンドウを展開したユーリが頷いた。
「“叛逆のサカハギ”の特殊能力は全自動カウンターよ。物理攻撃の着弾後1/60秒以内に同威力の反撃が飛んでくるわ。機術攻撃が適用範囲内かはこれから検証するけど。――『反射する小壁』ッ!」
身を翻したサカハギが再び走り出す。
エイミーはすぐさま小さな障壁を目の前に展開し、黒馬の鼻先にぶつけた。
「っと! 機術攻撃もカウンターされるわ。厄介ね!」
激突、閃光。そして衝撃。
吹き飛ばされたのは障壁の後ろに立っていたエイミーだった。今度は予想していたためか、彼女は華麗に宙返りをしてみせて着地を決める。
左腕で回復アンプルを砕きながら、アイに報告していった。
「でもまあ、攻略はできそうよ」
物理攻撃、機術攻撃、そのどちらも自動的かつ瞬間的に反射してくるサカハギに対して、エイミーは獰猛な笑みを浮かべる。すでに勝利を確信しているような顔で、再び拳を構えた。
対するサカハギは、その悠然とした態度に神経を逆撫でされたようだ。更に憤怒の鼻息を吹き、再び走り出す。
「サカハギの攻撃は、自分を叩かせてその衝撃をそっくりそのまま返すもの。だったら――」
勢いよく飛び込んできたサカハギに対し、エイミーは腕を胸の前でクロスさせて構える。完全な防御姿勢だ。
「『リフレクトガード』!」
全身を縮め、硬化させる。
直後、高速でやってきたサカハギと激突し、黒い靄が周囲に広がる。
「――こっちがカウンターしてやれば、対応可能ってことね」
黒靄が晴れた時、そこに立っていたのはエイミーだった。
サカハギは数メートル離れた所まで吹き飛ばされ、横たわっている。まさか自分が攻撃を受けるとは思わなかったのだろう、驚いているのが馬面でもよく分かる。
「ただ、問題は反射技ってあんまりないのよね」
一方、エイミーの方も浮かない顔だ。
もともと反射技というものは特殊なテクニックになるため、その数は少ない。彼女が最近開眼した新たな流派〈鏡威流〉は恐らく反射技が多いと予想されているが、そもそもまだ一つのテクニックしか習得できていない。
現在、エイミーが所持しているカウンター系テクニックだけではクールタイムを消化できず、サカハギの攻撃間隔に間に合わない。
「エイミー、大丈夫か?」
「任せてちょうだい」
しかし、彼女は諦めない。
にやりと笑うと、再び構える。
ようやく立ち上がったサカハギも、今度は許さないと猛々しく嘶いた。
再び接近。
「反射技が足りないのなら――」
エイミーは大きく腕を振り上げ、力を解き放つ。
暴力と暴力が激突する。
「『破崩砕』ッ!」
エイミーの拳が、サカハギの頭部を突き破る。
衝撃が舞台全体に波及し、両者は反発し合う磁石のように弾かれる。
「サカハギにダメージが入ってます!」
「何をしたんですか!?」
サカハギの頭上にあるHPバーが大きく削れていた。
闘技場の壁に激突したエイミーもまたLPを減らしているが、与えたダメージと比べれば微々たる量だ。
「自動的にカウンターがはいるなら、その処理能力を越えた連撃を打つだけよ」
「つまりどういうこと?」
「一回目、普通に殴った。その直後――サカハギのカウンター能力が発生する1/60秒以内に本命の強撃を打ち込む。そうすれば直に殴れるでしょ?」
立ち上がり、LPを回復させながらエイミーは説明する。
なんてこともなさそうな涼しい顔で言っているが、要は1/60秒以内に二回の攻撃を撃っているのだ。それも、二回目はテクニック――“型”と“発生”を必要とするものだ。
「アイ、ちゃんと報告書を纏めておいてね。サカハギは0.017秒以内に二回攻撃すれば、二回目の攻撃がそのまま通じるって」
「一応書いておきますが……。採用されますかね」
おそらく、というより十中八九正当な攻略法ではない。
本来は複数人で自滅を覚悟しながらの一斉攻撃を行い、どれかがカウンター能力を越えるのを祈ることしかできないはずだ。
しかし、エイミーはそれを意図的に、しかも一人でやり遂げた。
「さあ、お馬さん。もう一度やるわよ」
瓦礫の中からよろよろと立ち上がる馬を睨み、エイミーが挑発する。彼もまた、逃亡は許されない。
ここは逃げ場のない闘技場なのだ。
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『第一級封印指定対象“汚穢のクソト”が死亡しました』
『簡易輪廻循環システムによる八尺瓊勾玉の浄化に成功しました』
久しぶりに獲物が迷い込んできた。
最初の四匹は強化されたクソトによって蹂躙されたが、その後にやってきた奴らは何かが違う。瞬く間にクソトの能力を看破し、弱体化すらして見せた。
これほどの興奮を覚えたのは、いつぶりだろうか。
私は強くマイクを握り、高らかに声を上げる。
『第一級封印指定対象』“叛逆のサカハギ”が死亡しました』
『簡易輪廻循環システムによる八尺瓊勾玉の浄化に成功しました』
彼らは見事だった。私の予想を遙かに越えている。
次に投入したサカハギは、なんと一匹によって撃破された。奴は理解を越える攻撃を受けて、混乱のなかで死んでいった。
ああ、なんて素晴らしい日だろう。
城壁を破ったのは悪魔たちではなかった。福音をもたらす天使たちだったのだ。
さあ、罪人たちはまだ残っている。
まだ戦わなければならない。
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Tips
◇“叛逆のサカハギ”
第一級封印指定対象。衝撃反発術式融合個体。高強度高反発高反射フレーム個体。敵性情報修正術式侵蝕率80%。情報再修正術式適用状況、なし。現在、〈最重要奪還目標地域;看守のコシュア=エタグノイの監獄闘技場〉にて禁錮中。簡易輪廻循環システムにより、状態安定。予定禁錮期間、無期限。
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