第644話「地を走る蜘蛛」

 闇の中、僅かな光を放ちながら三つの大きな影が走る。

 一つは長槍を携え滑らかな身体を露わにして小刻みに足を動かすクリスティーナ。彼女が闇の中に潜む黒影猩猩たちを蹴散らし、細い木々の隙間を縫って活路を開く。

 二つ目は、彼女の後方を追随する巨躯の機獣しもふり。三つの犬頭が楽しげに吠え、太い四本の足で力強く地面を蹴る。その背に跨がっているのは大槌を掲げるレティとアイだ。

 最後の影は、濃緑の蔦が絡まり形作られた八本脚の“地走蜘蛛”とそれに跨がる俺だ。背後にはラクト、エイミー、ろーしょん、ラピスラズリの四人が同じく跨がっている。

 無数の蔦が束ねられた脚は滑らかに動き、地面の凹凸や倒木、木の根といった障害物をものともせず高速で進み続ける。明確な関節というものがない構造上、脚が支える身体はほとんど揺れも感じない。

 そして、“地走蜘蛛”の足下には軽快に走る白月。更に自力でこの速度に追いつけるトーカ、シフォン、ユーリ、ぽん、アリエスが続く。


「そのまま真っ直ぐ。7秒後に5度左。3秒後に6度右」

「分かりました!」


 そしてもう一人、糸を巧みに使い木々の間を高速で駆け抜けるミカゲは、クリスティーナにレイラインの流れを教えながら上空を移動していた。


「そろそろKP」

「了解! スイッチします!」

「私も行きましょう」


 ミカゲの合図を受け、レティの駆るしもふりがクリスティーナと位置を入れ替える。それと同時に、後方からぐんと加速してトーカが並ぶ。レティが鎚を振り上げ、トーカが鯉口に指を添えた直後、レイラインが他のレイラインと交わるノットポイントが現れる。


「黒影10、赤角1、青脚4ッ! 赤やります!」

「青貰いました!」


 堂々と鳴り物入りで登場したレティたちを、木々の間から飛び出した猩猩たちが迎え撃つ。黒毛の猩猩が大きく腕を上げて威嚇し、赤角猩猩が吠える。青脚猩猩は自慢の脚力で早速接近していた。


「咬砕流!」

「彩花流!」


 しもふりの背に立ち上がったレティと前に出てきたトーカは同時に飛び出す。彼女たちは空中で巧みに身を捩り、不安定な状況で“型”を決める。

 大きく口を開き、朗々と声を上げる。


「六の技、『星砕ク鋼拳』ッ!」

「玖之型、『狂い彩花』ッ!」


 空中で縦に一回転し、レティは鎚を振り下ろす。非値に紅色に輝く立派な一本角を持つ猿の額目掛けて。それは無慈悲にも衝撃を叩き込み、一瞬にして全身の骨を粉砕した。

 滑るように前進したトーカは、その勢いのまま鞘から刀を走らせる。銀の刃が煌めき、殺到した足の長い猩猩たちを横一文字に切る。


「『伽藍衝』!」

「『刃輪斬』ッ!」


 一度の攻撃で沈むほど、ここの猩猩たちは弱くない。そんなことは、彼女たちも十分承知していた。

 間髪入れず放たれた次撃は怯んだ猩猩たちを捉え、更に三度、四度の攻撃が続く。


「獲った!」

「こちらも終わりました!」


 果たして、レティとトーカは目にも止まらぬ速度で赤角猩猩と青脚猩猩を仕留めた。それぞれがそれぞれの動きを邪魔しない、息の合った各個撃破だ。

 しかし、まだ敵は残っている。

 10体の黒影猩猩はしもふりに蹂躙されているが、それでもまだ大半が敵意を露わにして立っている。彼らが脚に力をこめ、レティたちのもとへと襲い掛かろうとしたその時だった。


「――『貫く三連の氷針貫く三連の氷針』」


 突如放たれた、の氷の針。

 それは闇を切り裂き、黒影猩猩の厚い胸板を易々と貫く。


「『機術連鎖』『咲き誇る咲き誇る大輪の氷華大輪の氷華』」


 直後、黒影猩猩の胸に開いた傷から美しい氷の花が開く。赤い血を滴らせながら、淡い光にキラキラと輝き、そして爆ぜる。

 体内から深い裂傷と凍傷を負った満身創痍の猩猩たちは、体勢を立て直したレティとトーカによって次々と打ち倒されていった。


「KP制圧完了。クリスティーナさん、よろしくお願いします」

「分かりました。迅速な撃破ありがとうございます」


 KP侵入から制圧まで、時間にして30秒と掛かっていない。圧倒的で絶望的な暴力による、強引で鮮やかな戦闘だった。

 否、彼女たちは一切のダメージを負っていないのだから、戦闘とすら言えないかもしれない。

 レティは再びしもふりの背に跨がり、トーカはこちらへ下がってくる。クリスティーナが先頭に立ち、また走り出す。

 全員が一線級の実力を持つが故の、洗練された動きだ。


「しかし、ラクト」

「どうしたの?」


 走りながら、俺の腰に抱きついて身体を固定しているラクトに話しかける。

 “地走蜘蛛”の蔦を握っておけば安心だと言ったのだが、振り落とされては敵わないと彼女は強硬に主張して、俺の腹まで腕を回していた。先ほどアーツを放った時はすっと立ち上がっていたのだが。


「並列詠唱だったか。かなり使い慣れてきた感じがするな」


 先ほど、彼女が平然と使っていたテクニック。――テクニックと言うよりも裏技、バグ技に片足を突っ込んでいそうな技術だが、思念操作と音声操作を併用した並列詠唱というもの。

 初めて使った時はかなり気分を悪くしていたようだが、数日間少しずつ練習しているうちにすっかり板に付いてきた。今では顔色一つ変えずに二つの機術を発動させている。


「まあね。せっかく見つけたわたしだけの特技だから、頑張って練習したよ。同じアーツを使うだけなら、かなり慣れたね」


 少し誇らしげに声を弾ませて、ラクトは肯定する。

 並列詠唱はすでに俺のブログでも紹介しているし、wikiにもページが作られている。彼女本人の意向で公開しているのだが、今のところ別の人物が並列詠唱に成功したという話は聞けていない。

 つまり、今のところ惑星イザナミで唯一彼女だけ、〈七人の賢者セブンスセージ〉のメルたちや、銀翼の団のリザですら扱えない、ラクトだけのテクニックなのだ。


「ほんとに健康に影響はないのか?」

「大丈夫だよ。ちゃんとスキャンも掛けて確認したし」


 俺としては、あまり脳に高負荷を掛けるような行為は心配なのだが、ラクトは平気そうな顔だ。まあ、何かあればヘッドギアが異変を検知して強制ログアウトを掛けるのだろうが。

 それよりも、彼女はこの技術を自身の武器とするべく、日夜練習を続けているようだ。


「わたしはレティみたいな天性のセンスも、トーカみたいな剣技も、エイミーみたいな動体視力も、シフォンみたいな回避能力もないからね。みんなに追いつくために頑張らなきゃ」

「それがなくても、ラクトは強いと思うけどなぁ」


 もう何度も言っていることだが、彼女の答えも変わらない。首を横に振り、強い口調で返される。


「機術一本だと限界があるよ。わたしは、わたしにできることをやるんだ」


 そう言うのならば、俺が止めることもできない。彼女の並列詠唱に助けられているのも事実だ。年長者として、彼女の成長を見守ることとしよう。


「こほん!」


 密かに決意を新たにしたその時、突然横の方から咳払いする声が聞こえる。視線を向ければ、“地走蜘蛛”の足下を併走するトーカが冷めた目でこちらを見ていた。


「そんなに強くなりたいなら、もっと前に出たらどうですか? しもふりは三人までなら運べますよ」


 彼女は俺の背後に座るラクトに向けて言う。

 確かに、俺と共に“地走蜘蛛”に乗ってそこから機術を使うよりも、前方のしもふりに移った方が戦いやすいだろう。トーカの示した妙案に、俺はぽんと手のひらを拳で叩く。


「うん。いいじゃないか。今のうちに移動するか?」

「い、いやだよ!」


 しかし、何故かラクトは強い口調で拒否する。それどころか、頑なになって俺の腰に回した腕の力を強めた。


「ぐえっ」

「ちょ! ラクトとて許せませんよ!」

「わたしは後衛だからね。こっちの方が適正射程だよ!」


 俺が呻き声を上げたのにも構わず、ラクトはトーカに反論する。しかし、通常の攻性機術は近接物理職よりも射程が広いくらいで、銃や弓といった遠距離物理攻撃よりは狭いはずだが、短弓を併用しているから問題ないのだろうか。


「むむむ。さっきから聞いていれば。ラクト、あなた最近独占欲強くなってませんか?」

「それレティにだけは言われたくないんだけど」


 更にはレティまでこちらに振り向いて会話に参加してくる。


「レッジも人気者ねぇ」

「まあ、しもふりの上だと慌ただしそうだからなぁ」


 エイミーがくすくすと笑うが、おそらくラクトはあまり動きたくないだけだろう。しもふりはKPに入るたびに激しく動き回るし、ただの移動時でも“地走蜘蛛”の方が揺れは少ない。

 身体の小さいラクトなら、よりその揺れの影響は大きいはずだ。


「またレッジさんが独自の超解釈してる……」

「どうして素直に推察できないんでしょうね?」


 シフォンとぽんが走りながら肩を竦めて視線を交わす。俺のことで呆れているようだが、いつの間にそんなに仲良くなったのだろう。


「あの、皆さん。一応深奥部の最前線ですし、緊張とかなさらないんですか?」

「〈白鹿庵〉はいつでもこんな感じだから、気にするだけ無駄よ。無駄」


 戸惑うユーリに、アリエスが何か言っている。

 そんな俺たちの方をアイがちらりと見て、すぐに何事もなかったかのように前方へ向き直った。

 俺たちの緊急偵察はまだ始まったばかりだ。


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Tips

◇『機術連鎖』

 〈機術技能〉スキルレベル70のテクニック。一度発動した機術を起点に、新たな機術を展開する。射程や照準に制限が生じるもものの、消費コストを軽減することができる。


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