第638話「海に眠る記憶」

 〈剣魚の碧海〉深部、静寂と鮫に満ちた暗い水の中、切り立った海溝の斜面にぽっかりと開いた大穴。〈ワダツミ深層洞窟〉は、内部が複雑に入り組んでおり、通信監視衛星群ツクヨミによる支援も受けられないことから、ダンジョン形式のフィールドとして知られていた。

 僅かにでも気を抜けば、その瞬間に現在地を見失い、万策尽き果てるまで彷徨い続けることになる。そんな魔境を進む手段は、すでに確立されていた。

 最初期は4人のプレイヤーのみが使役を許されていた特別な原生生物、現在では各地に存在する“祠”を攻略することで契約を結ぶことができる白神獣と呼ばれる原生生物と共に洞窟へ潜り、彼らの導きに従えばいいのだ。白神獣の仔たちはこの過酷な海中洞窟の環境にも耐え、複雑怪奇に入り組んだ道を迷うことなく進むことができる。

 しかし、既に発見されているその手段を無視して、敢えて洞窟の枝道へと進む酔狂な調査開拓員たちは少なくない。彼らは今日も今日とて、耐高水圧潜水装備に身を固め、下半身に鮫を装着し、耐水ライトを携えて海底洞窟を潜っていた。


「マーカー打ち込んだっす!」

「了解。『地形探査』」


 暗い洞窟の中を、青い光が駆け抜ける。硬い石の壁面に打ち込まれた小さなピンがそれに反応し、角度や座標などの詳細なデータを送る。

 海底洞窟は上下左右にわたって、立体的に入り組んでいる。そのため、彼ら地図師マッパーもいつものような二次元的な座標データだけでなく、三次元的なデータを収集する必要があった。


「『情報転写』っと。よし、次行くぞ」


 ゴツゴツとしたゴーレムの男は、マーカーによって得られた地形データを記録し、前方にいる犬型ライカンスロープの少女に声を掛ける。


「了解っす!」


 少女は元気よく返事をすると、役目を終えたマーカーを壁面から引き抜く。

 揃いの黄色いヘルメットを着けたゴーレムのシンゴとライカンスロープのイサミは、パーティを組んでからの時間も長いベテランの地図師だった。

 普段から無所属の攻略組として活躍する彼らは、しかし最前線に向かうことはあまりない。現在の最前線といえば〈大鷲の騎士団〉によって大規模な作戦が展開されている〈花猿の大島〉深奥部だろうが、2人はそちらにはあまり興味が無い。

 シンゴとイサミは、メインストリームからは少し離れた、隙間産業的な場所を調査するのを主軸に据えていた。


「しっかし、ほんと入り組んでるっすね。この通路なんて、入った時より20メートルも登ってるし、1260度も回転してるっすよ」

「まったくだ。おかげで2メートルずつしか測量もできねぇ」


 少し離れたところに再びピンを打ち込むイサミのぼやきに、シンゴも水準儀の三脚を固定しながら頷く。

 ぐねぐねとランダムに曲がりくねる細い海底洞窟は、タイプ-ゴーレムの体格では少々窮屈に感じるほどに狭苦しい。そのおかげで作業も小刻みになることが避けられず、進捗は遅々として進まない。

 その上――。


「シンゴ!」

「チッ」


 突如、鼻先を揺らしたイサミが、シンゴの胸に飛び込む。シンゴは彼女をしっかりと受け止めながら、背中を洞窟の壁面に密着させ、片手に握った小さな円筒状の装置を構えた。


「『起動イグニッション』」


 シンゴが円筒の頂点にあるスイッチを押し込むと、2人の身体をすっぽりと包む円形のフィールドが展開された。それは表面が徐々に荒いモザイクのように変わっていき、再び透明になる。しかし、内部にいるはずのシンゴたちの姿はすっかり消えていた。

 “光学式迷彩フィールド発生装置”と呼ばれる使い捨ての緊急避難アイテムだ。これを使えば一定時間、周囲の環境に溶け込む透明マントのようなフィールドが展開される。

 大きく動けば隠蔽演算処理が破綻し、姿が露わになってしまうが、動かなければ長時間の隠匿にも耐える。

 2人は密着したまま、息を潜める。

 彼らの視線の先、洞窟の奥からぬらりと現れたのは、下半身が巨大なタコの足にすげ替えられた異形の鮫だった。

 それは八本の足をゆらゆらと動かしながら、ゆっくりと洞窟を通り抜けていく。迷彩フィールドのすぐ側、シンゴとイサミの目と鼻の先を掠めるように、ゆっくりと横切っていく。

 巨大で、威圧感に満ちた魚体が奥へと向かい、消えていく。


「ぷはっ!」


 姿が見えなくなって、たっぷり数分の時間を経てようやく、イサミは止めていた呼吸を再開させた。


「おい、イサミ。妨害マーカーはどうなってんだ」


 それに対して、シンゴは不機嫌な顔だ。彼は唇を尖らせて、イサミを追及する。


「お、おっかしーなー。ちゃんと置いてたはずなんだけど。……げっ」


 乾いた笑みを浮かべながら洞窟の奥へと泳いでいったイサミは、そこで赤いランプを点灯させているはずのマーカーが機能を停止させていることに気がついた。

 これは“特定原生生物忌避電磁波展開マーカー”と言って、事前に設定した周波数の電磁波を発生させることで原生生物を遠ざけるマーカーだ。〈罠〉スキルで扱うこれによって、戦闘能力のない2人はフィールドで測量を行うことができる。

 しかし、それが起動していないのならば、効果は当然発揮されない。


「おい。まさかバッテリー切れとか言わないよな?」

「な、なはは。そんなわけ……。……しゅみましぇん」


 厳つい顔を更に厳つくするシンゴに、イサミはしょんぼりと項垂れる。

 しかし、彼女のおっちょこちょいは今に始まったことではない。シンゴは深いため息をつくに留めて、いそいそと測量作業を再開した。


「新しいマーカー刺しとけ。バッテリーは確認するように」

「はぁい」


 シンゴに指示されたイサミは、犬かきのような泳ぎ方で動き始める。別に犬型ライカンスロープだからといって平泳ぎやクロールができないわけではないのだが、彼女はその泳ぎ方が気に入っているらしい。くるんと丸まった赤褐色の尻尾を振りながら、上機嫌でピン型のマーカーを打ち込んでいく。


「ったく。これで今日も空振りだったら、やってらんねぇぜ」

「そんなそんな! 今日こそはでっかいお宝を見つけてやるっすよ」


 そもそも、なぜ戦闘能力を持たない彼らが危険を冒してでも海底洞窟の探査を続けているのか。

 それは単純明快。この洞窟内からは非常に希少な鉱石や謎めいた遺物などの宝が見つかるからだ。

 シンゴとイサミの2人は攻略組の地図師マッパーとしても活躍しているが、主な収入源はそうした希少アイテムの収集と販売にある。つまるところ、2人はトレジャーハンターなのだ。


「撮るぞ」

「了解っす!」


 青い閃光が暗い水の中を走る。

 2人がこうして地図製作を行っているのも、もともと前人未踏の地へ趣くことが目的にあり、その副産物的なものだ。既に地図が作られているような場所には未発見のお宝も望めず、その逆であれば期待もできる。

 現に彼らは、すでにいくつかのお宝を発見して売りさばいていた。


「うーん?」


 水準儀――実際にはそれに似た多目的測量機だが――を覗き込んでいたシンゴが眉を寄せる。

 普段とは違う反応を見せる相方に気がついたイサミは、三角の耳をぴくんと揺らして近づいた。


「どうかしたっすか?」

「ああ。えーっと、Cマーカーの近くの壁が若干薄いみたいだ」

「これっすね」


 シンゴの言を受けて、イサミは壁に刺さったマーカーの一本を確認する。

 マーカーは水準儀から放たれる光を受けて、周囲の状況を調査する。基本的には角度と座標を算出するだけだが、副次的に周囲の簡単な光波形反響調査も行える。それによって、とあるマーカーの周囲の壁面が他のものと比べて脆くなっていることが判明したのだ。


「うーん。掘ってみるっすか?」

「そうだな。……オブジェクトじゃないことを祈ろう」


 非破壊オブジェクトを攻撃した場合、その衝撃はそのまま自身に跳ね返ってくる。ビリビリと痺れるような感覚は、あまり好きになれるような類のものではなかった。

 しかし、攻略組としては怪しい場所を残しておく訳にもいかない。シンゴはインベントリから巨大なツルハシを取り出して、問題の壁面へと向き直った。


「『岩砕き』ッ!」


 思い切り振り下ろされる鋭角の金属。

 水中であることを忘れさせるほど力強い一撃が、石の壁面に叩き込まれる。

 もしこれが非破壊オブジェクトであれば、シンゴは悶絶するほどの衝撃を受けるだろう。しかし――。


「おおっ!」


 イサミが歓声を上げる。

 石の壁が水の中で煙幕を広げながら崩れ落ち、その奥に続く新たな洞窟が露わになった。


「周辺警戒。原生生物が居たら逃げるぞ!」

「了解っす! 『音響鑑定』!」


 イサミが素早く腰のベルトから鐘を取り出し、金属の棒で叩く。重低音が水の中に響き渡り、ライカンスロープの鋭敏な聴覚がそれを精査する。


「まわりに原生生物はいないっすね。狭くて岩ばっかりっす」

「なるほど。じゃあ、こっちから探索するか」


 ひとまず危険はないことが判明し、シンゴもイサミも口元を緩める。

 わざわざ壁によって物理的に隔離されていた小部屋だ。これで何もないということもないだろう。

 煙幕が晴れるのを待つこともなく、彼らはライトの照度を上げて突入する。


「これは――!」


 果たして、そこにあったのは瓦礫の山だった。

 その事実にシンゴたちは落胆しない。そもそも、こんな場所に瓦礫――明らかに人工的なものが存在している時点で、おかしいのだ。


「シンゴ、シンゴ! これ、未詳文明遺産っすよ!」


 興奮した様子でイサミが言う。彼女の手には、複雑な文字の刻まれた石版の欠片がある。

 高レベルの〈鑑定〉〈解読〉スキルを持つイサミは、普段から情報資源管理保管庫にも足繁く通い、様々な知識を集めている博識な一面もある。そんな彼女の興奮具合を見て、シンゴもこの場所の価値を間接的に理解した。


「とりあえず撮影しまくるぞ。まずは全景、細かいのはそのあと。っと、その前に入り口に妨害マーカーを置いとけ」

「了解っす!」


 2人は興奮しつつも冷静に行動を起こす。

 まずは身の安全を確保し、発見時の状態を記録する。そのあとで初めて、より詳細な鑑定を行っていくのだ。


「これ、何が書かれてるんだ?」

「ボロボロで分かりづらいっすね」


 シンゴは周囲に落ちる瓦礫を全て写真に収めていくが、それらの紋様や文字の意味を理解することはできない。

 そういった知的な作業は、むしろイサミの仕事だ。

 “博識の眼鏡”という〈解読〉スキルの補助を行う細い銀フレームの眼鏡を掛けたイサミは、早速解読作業を始めていた。


「泡、泡沫……。大きな泡のひとつ。城。壁かな。ウチの防人。染まり。うーん」


 しかし、瓦礫はどれも風化が激しく、レベル80の〈解読〉スキルでも簡単には文章を紐解くことはできない。

 それでも、周囲に散らばる様々な文章を大まかに俯瞰しながら、イサミはだいたいの意味を推測していく。


「あぶくじゃなくて、島? 緑の壁、夢……黒い。大いなる流れ?」

「なるほど、何にも分からんな」

「もう! 頑張ってるんだから、茶化さないで。っす!」


 瓦礫の一つ一つを見ただけでは意味も分からないが、それらは時折、パズルのピースのように合致する。そこから一文が現れ、より鮮明に意味を取ることができた。


「島の、壁の中。川の流れ? の結ぶところで、防人が染まる?」

「どういうことだ?」

「うーん……」


 なんとか一文が解読できたところで、2人は首を傾げる。

 意味のあるような文章になっただけで、それが何を意味するのかまでは分からない。そもそも、こういったものは何も分からないことに意味がある、という人までいるくらいだ。


「まあいい。とりあえず、瓦礫は全部回収しよう。陸に揚げてからゆっくり調べればいいだろ」

「それもそうっすね。それじゃ、とっとと帰るっす」


 悩んだ時は、一度すっぱり切り替える。そんな信条によってシンゴが判断を下す。イサミもすんなりとそれを受け入れ、背負っていたバックパックに瓦礫を詰め込んでいく。


「とりあえず、画像データは全部“オモイカネ”に上げといたっす。すぐに騎士団あたりが買ってくれるっすよ」

「それだけでも今日の成果は上々だな」


 現物を持ち帰るだけでなく、撮影したデータを情報売買システムへとアップロードする。これによって、万が一帰路で死亡し、サルベージが不可能だったとしても、最低限の収入は確保できる。

 2人も熟練の攻略組として、そのあたりのことはよく分かっていた。

 素早く荷支度を済ませたシンゴとイサミは、颯爽と海底洞窟を後にした。


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Tips

◇情報共有支援機構“オモイカネ”

 調査開拓員によって収集された情報資源をより円滑に他の調査開拓員へ共有するオンライン上のシステム。調査開拓員は様々な、文章、画像、映像、音声データをアップロード、公開することができる。情報資源の公開には、自由に価格や閲覧条件を設定することも可能。


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