第635話「コンサート」
軽やかに木の幹を蹴り、歌いながら彼女は跳び上がる。
枝葉を掻き分けて現れた鉄腕猩猩の黄色く濁った瞳が、煩わしそうに揺れ動く。その眼前で、彼女は青い戦旗を翻した。
「“旗を掲げよ! 靴を鳴らせ!”」
曲が変わる。
ゆるやかで優しく静かな歌声が、勇ましく鼓舞するような激しいものに。
それと同時に、彼女は戦旗を大きく振るう。青地に銀の大鷲が翻り、金具の付いた竿が鉄腕猩猩のこめかみに叩き込まれた。
「“我らが先に敵はあり! 我らが後に民があり!”」
踊るように身体を回し、アイは容赦なく旗を叩き込む。
通常、戦旗は〈歌唱〉スキルの効果を増強させる支援用の武器として知られている。だが、彼女のそれは竿の先端が鋭く尖り、非常に頑丈だ。槍のように突き込み、剣のように振り、棍のように叩くことで鉄腕猩猩を圧倒している。
「“我が血で以て領土を広げ、彼の血で以て辛苦を洗え”」
猛々しい歌声が森に響く。
鉄腕猩猩は圧倒され、アイの力は湧き上がる。
「すごいですね、アイさん」
「たぶん黒影猩猩を起こさないように声量も調節してるよね。その上で、あれだけ高度を稼いで戦い続けてる」
鉄腕猩猩の頭の周囲に張り付いて戦うアイを、レティたちが冷静に分析する。
彼女が戦いやすい地上に降りてこないのは、そこに眠りこけた黒影猩猩たちがいるからだ。それらを起こすことなく、単身で鉄腕猩猩を相手取っている。
「“拳を握れ、牙を剥け! 骨砕け肉断たれようとも戦え!”」
旗が揺れるたび、鉄腕猩猩の大きな頭に衝撃が走る。
戦旗の攻撃は打撃属性なのか、すでに何度も気絶させていた。だが、そんなことは関係ないとばかりに、アイは鉄腕猩猩の腕を掻い潜りながら攻撃を続けている。
「しかし、あの歌詞ってアイのオリジナル?」
「かも知れませんねぇ。かなり物騒ですが……」
歌声は朗々と響き、アイの横顔は笑顔も滲んでいる。しかし、よくよく聞いてみるとその歌詞は物々しい。
恐らく、歌唱戦闘用に作詞作曲がなされた軍歌なのだろう。それによって彼女は自分を強化し、相手を畏怖させている。
「あの鉄腕猩猩が防戦一方か。信じられないよ」
シフォンも上空で行われている戦いを見て、ぽかんと口を半開きにしている。
レイラインの支援を受けているわけでもなく、この戦いはただ純粋なアイの力量によるものだ。彼女の動きに対し、鉄腕猩猩は常に後手に回っている。
このまま行けば、アイはあの大猿を完封するだろう。しかし――。
「レッジ、新顔が来たわよ」
「なんだって!?」
周囲を警戒していたエイミーが報じる。
見渡せば、アイの軍歌に呼び寄せられたかのように、新たな原生生物が現れた。
その姿は体長5メートルを越す大型のゴリラのように見えた。しかし、肩から二対四本の腕を伸ばし、口元から長い牙を生やしている。
「ゴリラ!? なんだ、あの腕の数は。常識的に考えろよ!」
「レッジさんがそれを言うのはなんか違うのでは?」
驚く俺たちに見向きもせず、ゴリラはアイと鉄腕猩猩のもとへと向かう。どうやら、仲間を助けるために駆け付けたらしい。
「厄介ね、数が多いわ」
四本腕のゴリラは一頭だけではない。森の中から現れたのは、合計で五頭。合わせて二十本の腕が猛攻を続けているアイのもとへと殺到する。
援護に入ろうとエイミーたちが動き出した、その時だった。
「“聞・い・て! わーたしのう・た・を!”」
「うぉっ!?」
突然、曲調ががらりと変わる。
勇ましく厳めしい軍歌を歌っていたその口で、今度は明るくポップなリズムのメロディを奏で始める。
その大きなギャップに、思わず俺たちは足を止めてしまった。
「“退屈そうなお兄さんも、忙しそうなお姉さんも! みんなみんなこっちを向いて、わたしのうたをき・い・て!”」
地上へと降り立ち、アイは旗を振りながら歌い続ける。
声は広く響き渡り、今まで眠っていた黒影猩猩たちももぞもぞと起き上がる。
しかし、鉄腕猩猩もゴリラも、全ての猿が唖然とした顔で彼女を見つめていた。
「“ハッピーラッキーミラクルね! アナタとここで出会えたのは! だからみんなお友達! 一緒に楽しく歌いましょう!”」
アイは軽やかなステップを踏みながら歌う。
笑顔が零れ、楽しそうだ。
彼女に視線を向けられた猿たちは困惑の表情を浮かべている。しかし、一部の黒影猩猩たちが微かに身体を揺らし始めた。
「“だからき・い・て! この楽しいメロディーを!”」
ぱっとアイが手を伸ばす。
それに応じるように、黒影猩猩が拳を上げた。
「なに、この……。なに?」
「エネミーが、アイさんの歌を聞いてるんでしょうか」
俺たちは完全に取り残されていた。
歌唱戦闘が始まっても測量を続けていたラピスラズリたちも、流石に無視し続けることができず作業の手を止めている。
そんな中、アイは周囲を無数の猿たちに囲まれて、元気よく歌い続けていた。
「“さあ! みんなもできるよね。この楽しいメロディーを、う・た・お!”」
「オゥオゥオゥ!」
アイの呼びかけに、ノリノリで身体を動かす猿たち。
ついには声を上げてメロディーらしきものを奏で始めた。
「“い・い・ね! みんなの心が1つになる。今ならもうおともだち! だから、お・ど・ろ!”」
くるりとターンして飛び跳ねる。
そんなアイの動きを、猿たちが見様見真似で繰り返す。鉄腕猩猩や四腕ゴリラまで飛び跳ねるため、周囲の地面がぐらぐらと揺れた。
「“たのし・い・ね! だからお・ど・ろ! みんなでずっと、お・ど・ろ!”」
「ウォオオオン!」
「ギャイッギャイッ!」
ニコニコと笑顔で歌うアイ。猿たちもそれに応じる。
闇の広がる森の中で、奇妙なライブが開催されていた。
猿は腕を振り上げ、飛び跳ねるようにして踊っている。ずいぶんと楽しげで、今まで殺意を持って相対していたのが信じられないほどだ。
すでに空気はアイによって支配されていた。
彼女がウィンクすれば歓声があがり、彼女が踊れば猿たちも踊る。
「“辛いことはわす・れ・よ! 今からずっと楽しいことばかり! だからお・ど・ろ! 何もかも忘れて陽気に!”」
歌と踊りが広がっていく。
猿たちは我を忘れ、狂乱したように踊り続ける。拙く、もどかしい動きではあるが、彼らは心からそれを楽しんでいるようだ。
幸せそうに目を細め、手を叩いている。
「――“今こそ、我が胸に眠る勇気奮え。同胞を護り、国を生かすため。その身に血を浴び、敵を砕け!”」
「んえっ!?」
突然、再び曲が変わる。
今までの空気が一変し、再び勇ましい軍歌を歌い始めるアイに、レティが目を丸くする。
しかし、更に驚くべき事に、猿たちはそのことに気付いていない様子だった。アイが大きく旗を振り、硬い声で叫んでいても、それを見ながら楽しげに踊り続けている。
「ちょ、これは――」
「“ずっと踊ろう”って、そういうこと?」
ラクトの指摘にはっとする。
たしかに、アイがさっきまで歌っていた明るい曲には、そんな歌詞があった。
「“その手で開け、栄えの道を! その足で踏め、輝きの土地を! 立ちはだかる者、すべて薙ぎ払え!”」
青い戦旗が翻る。
楽しげに踊り、歌っている猿たちを薙ぎ倒す。
一切の苦痛を感じさせないまま、鉄腕猩猩は、黒影猩猩は、そして新たに現れた四腕ゴリラまでもが、次々と倒れていく。
すぐ隣の仲間が倒されても、それに気付く様子もなく踊り続けている。
先ほどまでの和やかな空気は一変し、狂気的な光景が広がっていた。
「“立ち上がれ勇気ある者よ! 旗を掲げよ! 靴を鳴らせ!”」
鉄腕猩猩の胸を突き、アイはその命を狩り取る。
その最後の瞬間まで、猿は楽しそうな顔をしていた。
「――ふぅ。終わりました」
死屍累々の森の中、アイが旗を降ろす。
彼女は顔を赤くして、恥ずかしそうに息を吐いた。
_/_/_/_/_/
Tips
◇歌唱戦闘
〈歌唱〉スキルを戦闘行為に取り込んだ、新しい戦闘スタイル。歌い続けながら戦う必要があるため、高い技量を必要とする上、戦闘中は言葉によるコミュニケーションが図れない。
しかし、歌は自身と周囲の味方を力強く鼓舞し、相対する敵を畏怖させる。また、歌は敵味方の区別なく溶け込み、染みこんでいく。
Now Loading...
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます