第634話「歌声沁みる森」

 見えないものを見ながら地図を作成する作業は、実際に見てみるとそこまで大変そうなものでもない。

 ミカゲやラピスラズリたちがテクニックを使って地面に流れる龍脈レイラインを確認し、その縁ギリギリを歩く。その位置を帯同する地図師たちが記録していく。ただそれだけのことだ。


「ぬわああっ! キリが無いですね!」


 しかし、調査を行う彼らを守る護衛は息つく暇も無いほど忙しい。

 レティは鮫頭のハンマーで、襲い掛かってくる黒影猩猩を薙ぎ払う。しかし、三匹を纏めて吹き飛ばした直後に、新たな三匹があらゆる方向から襲い掛かってくるのだ。


「レッジさん、ライト下さい!」

「シフォンの方で手一杯だ! もうちょっと待ってくれ!」

「ぐえええっ!」


 一応、懐中電灯は持っているため、ある程度払うことはできる。しかし、限られた光量では十分な範囲をカバーすることはできない。一箇所を照らしていれば、もう一箇所は無防備になり、陣形のどこかで常に戦闘が発生している。


「やっぱ、大型ライト1つくらい持ってきても良かったんじゃないの?」


 氷の矢を扇状に飛ばしながら、ラクトが訴える。

 それに対してアイは周囲の黒影猩猩を昏倒させる激しい歌声で答えた。


「無理ですよ。アレは移動に2人、護衛に3人が必要です。そもそも、1つでも移動させると野営地が襲われます」

「ぬぬぬ……」


 俺が離れたことにより、森の中の館は無防備な状態だ。暗闇の中から虎視眈々と機会を窺う黒影猩猩たちを阻むには、強力なライトの照射が必要だった。


「なんでもいいのでこっちにも手を貸してくれませんか!? もうかなりギリギリなんだけど!」


 泣きそうな声を上げるのは、さっきから5匹ほどの黒影猩猩を相手取っているシフォンだ。

 俺もライトで援護しているのだが、いくら倒しても際限なく現れて彼女に襲い掛かっている。


「数が多いとパターンも増えるから、厄介ね!」

「エイミー! 助かったよ!」


 シフォンの前にエイミーが飛び出し、現れた黒影猩猩を殴り飛ばす。綺麗に決まったパンチは猿の顔面を凹ませ、暗い闇の中へと押し戻した。


「やはり、何か対策を講じた方がよいのでは? 黒影猩猩の対処だけでこの様では、鉄腕猩猩や新たな原生生物が現れると対応しきれません」

「それもそうだなぁ」


 トーカの進言に俺も頷く。

 最小限の人員に絞った上で、非戦闘員を守りながらの戦いというのは思っている以上に厳しい。何か予期せぬことが起これば、あっさりと状況が破壊される可能性は大いに考えられた。


「レッジー、なんとかしてよー」

「なんとかって言われてもなぁ。今はテントも出せないし」


 ラクトがこちらを向いて助けを求めてくるが、俺はそんな万能な調査開拓員ではない。

 〈風牙流〉は対群攻撃能力の高いテクニックが揃っているが、それでも全方位から襲い掛かってくる黒影猩猩に対処するのは難しいのだ。


「アイさん、お得意の歌でちゃちゃっとできませんか?」

「ちゃちゃっとって。歌唱戦闘はそんなお手軽なものじゃないんですよ」

「ええー」


 レティもアイの力を当てにしていたようだが、本人によって素気なく一蹴されてしまう。


「アイの歌唱戦闘バトルソングだったか。そういえば、実際に見たことはあんまりないな」


 BBBやらなんやらでちょこちょこ単発で使っているのは知っているが、実際の戦闘でしっかりと使っている姿は見ていない。

 普段はアイ直属の歌唱部隊が展開し、歌唱戦闘ではない純粋な〈歌唱〉スキルで味方を支援しているくらいか。


「うぐ。あんまり人に見せたくないんですよね……」


 それに対し、アイは痛いところを突かれたと眉を寄せる。彼女にとっては、あまりやりたくない類のものらしい。


「何かデメリットでもあるのか?」

「デメリットというか……。歌唱戦闘中は、言葉でのコミュニケーションが取れません」


 なるほど、と頷く。

 歌唱戦闘は文字通り、戦闘に歌唱を取り入れたものだ。戦いながら歌い、歌いながら戦う。継続的な支援と妨害を周囲に振りまきながら戦うというスタイルである。

 それ故に、戦闘中は言葉を発することができず、連携を取るのも難しくなる。


「もともとは集団支援向けのスキルである〈歌唱〉を、個人戦闘用途に落とし込んだものですから」


「なるほどなぁ」


 それなら仕方がない。と納得しかけたちょうどその時だった。不意に小さなウィンドウが現れ、着信を知らせる。発信者は深奥部の外にいるはずのアストラだった。


「どうした、突然」

『こんにちは、レッジさん。そろそろ地図製作の方も問題に突き当たっているような気がしたので』


 開口一番言われたことに、思わずドキリとする。

 直に見ているはずもないのに、完璧に俺たちの動向や状況が把握されているようだ。


「よく分かったな」

『これでも騎士団長ですから。たぶん、人員が少ないせいで黒影猩猩の襲撃で手一杯という状況ですよね』

「そうだな。どうしたもんかと悩んでた所だ」


 そう言うと、アストラはちょうど良かったと明るい声で答えた。

 何がちょうど良いのか尋ねるよりも早く、彼は続ける。


『アイに歌唱戦闘をさせてください。それだけで、とりあえず黒影猩猩の襲撃は抑えられるはずです』

「ええっ!?」


 思わず驚きの声を上げる。

 アストラの声の聞こえない周囲から視線が集まるが、俺は構わずTELウィンドウの方へと聞き直した。


「さっき歌唱戦闘は使えないって話をしたばかりなんだぞ」

『それは嘘ですよ。歌唱戦闘は対群攻撃性能の高い戦闘スタイルですから』

「ええ……。しかしアイは――」


 俺はつい今しがたアイから聞いたことをそのままアストラに伝える。騎士団長である彼が、副団長の能力を把握していないはずはないのだが。

 それを聞いたアストラは、クツクツと押し殺したような笑声を漏らした。


『そうでしたか、なるほど。少し俺の方から説得してみます。それでダメなら、諦めて頑張って下さい』

「ええ……」


 直後、通信が切断される。

 呆然としていると、隣に立っていたアイの方へとTELがやってきた。恐らく相手はアストラだろう。


「ええっ!?」


 アイは団長から何を聞かされたのか、驚いた声でこちらを見る。


「いや、でも……。たしかにレッジさんには――。無理無理無理! ほんとに……。ば、バカ兄貴!」


 口元を手で覆い、声を抑えてアイは何やら言い争っている。いつもの毅然とした会話ではなく、まるで兄妹喧嘩のような声のトーンだ。

 いつもと様子の違う彼女に、レティたちも戦闘を続けながら意識を少し向けている。


「でも――。うぅ。分かったから、うん。……はぁ」


 数分に渡る通話の後、ぐったりとした様子でアイがウィンドウを閉じる。

 よく分からないが、アストラはアイの説得に成功したのだろうか。


「アイさん、大丈夫ですか?」

「ああ、はい。大丈夫です。はい」


 心配そうに様子を窺うレティに、アイはゆるく手を上げて応える。そうして、深く長いため息をついた。

 再び息を吸い込み、顔を上げる。瞳には諦めにも似た決意が宿っている。


「今から、歌唱戦闘を行います。鼓膜を破って下さい」

「なに無茶なことを言ってるんだ!?」


 平然とした調子で言われた指示に納得しかけて首を振る。歌唱戦闘とは、そんなに危険な代物なのか。


「もしくは耳栓できっちり塞いで下さい! ともかく私の声が聞こえないように!」

「無理ですよ! そんな状態では動けません!」


 特にレティからは猛烈な反発が出る。

 当然だ。彼女はウサギ型ライカンスロープで、特に聴力に依存している。


「ぐぬぬ。ほんとにダメですか?」

「ダメですよ。なんでそんなに聞かれたくないんですか」

「そ、それはその……」


 レティの直球ど真ん中な質問に、アイは言葉を詰まらせる。

 指と指を絡ませて、俯きがちに唇を尖らせる。


「…………しいから、です」

「はい?」

「は、恥ずかしいからですっ!」


 耳を近づけ聞き返すレティに、アイは空気を割るような声で叫ぶ。敏感な耳元で大きな声を聞いたレティは、涙目で跳び上がる。


「ひぎゃっ!? って、そんな理由ですか!」

「そんな理由って、重大ですよ! 生き恥ですよ!」


 アイが人前で歌唱戦闘を行わない理由は、どうやら人前で歌うのが苦手ということだったらしい。

 レティがあんぐりと口を開けて呆れると、アイは顔を真っ赤にして捲し立てる。


「プロの歌手じゃないし、ただのアマチュアだし、アマチュアとか、そういうレベルじゃないし。趣味で歌いながら戦ってたら、偶然できただけの戦闘スタイルだし……」

「あ、アイさん?」


 ぷるぷると震えながら、呪詛のように言葉を繋げるアイ。普段の凜とした姿からは想像できないほど弱々しい様子に、レティも困惑する。


「曲書いたら兄貴に見つかって親に見せられるし、お風呂で歌ってたら近所の人に聞かれてたし、学校で軽音部やろうとしたらメンバー集まらなかったし……」

「ちょ、アイさん!? 落ち着いて!」


 危ない発言までし始めたアイの肩を、レティは強く掴んでぶんぶんと前後に揺さぶる。


「そ、そんなに嫌なら大丈夫ですから。レティ、頑張りますよ!」

「うぅ……」


 アイはレティにぎゅっと抱きしめられ、ぽんぽんと背中を叩かれている。体格差も相まって、姉妹のような光景だ。

 しかし、アイは気分を落ち着かせると、きゅっと口元を結んで俺の方を見上げてきた。


「レッジさん。私の音楽はどうでしたか?」


 彼女が尋ねてくる。

 俺は〈万夜の宴〉を開催した際、ウェイドたち管理者の歌とダンスを彼女に頼んでいた。人前で自分が披露するのは嫌だと言っていたアイも、その時は素晴らしいものを作ってくれた。

 その時のことを思い返し、率直な感想を伝える。


「良かったよ。とても」

「……そうですか」


 それだけで言葉は足りただろうか。

 ともかく、アイは僅かに頷き、レティの腕から離れる。


「改めて、これより歌唱戦闘を行います。あまり、笑わないで下さい」


 そう言って、アイはレイピアを腰の鞘に収める。

 代わりに取り出したのは、身の丈を越える巨大な旗だ。〈大鷲の騎士団〉の紋様の描かれた、青い旗。


「ふぅ……」


 彼女は息を吐き、再び吸う。

 胸を膨らませ、腹の底から音色を奏でる。


「“ねーむれー、ねーむれー。母の胸にー”」


 広がったのは、落ち着いたリズム。優しい調子。

 冷たい闇の中へと広がり、溶けていく。

 有名な子守歌だ。


「“ねーむれー、ねーむれー。母の手にー”」


 アイの歌声が森の中へと響き渡る。

 その歌声は美しく、とても綺麗だ。

 笑うなど、とんでもない。レティたちも、ラピスラズリたちも、思わず動きを止めて聞き惚れている。


「“こころーよき、歌声にー”」


 胸の内に沁みるようなしっとりとした歌声。

 その時、すぐ近くの闇でどさりと音がした。


「っ! これは――」


 倒れていたのは、黒影猩猩。

 安らかな表情で、ゆっくりと胸を上下させている。


「“むーすーばーずや、楽しゆめー”」


 どさどさと倒れる音が連続する。

 周囲に懐中電灯の光を向けると、至る所で黒影猩猩たちが倒れ、深い眠りについていた。


「レッジ、あれ!」


 アイの歌声を邪魔しないよう、声を抑えてラクトがこちらに話しかけてくる。

 彼女は、暗い森の一角を指さした。

 そこにライトの光を向けると、浮かび上がる赤茶色の巨体。


「鉄腕猩猩――!」


 槍こそ持っていないが、長い腕と足を動かし、巨大な猿がこちらへやってきている。

 途端に空気が張り詰め、レティたちが武器を構える。

 その時だった。


「“ねーむれー、ねーむれー。母の胸に”」


 たんっ、と軽快な足音。

 闇の中、跳躍する小柄な影。

 大きな戦旗がはためき、鉄腕猩猩の眼前に彼女は現れた。


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Tips

◇集音マイク

 調査開拓人形の耳部に内蔵された、周囲の音声を感知するための部品。タイプ-ライカンスロープは外部拡張パーツが追加されており、特に兎型はこの部品の性能が高くなっている。

 非常に大きな音を受けた場合、パーツが破損する可能性がある。その際は技師による修理か、アップデートセンターでの換装を行うことができる。


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