第631話「声を重ねて」

 闇の中、黄濁した双眸が浮かび上がる。

 見上げる首が痛むほど高い位置にあるそれを目指し、無数の紙片がばら撒かれた。


「『紙吹雪』『這蜥蜴の呪符』」


 広がった紙片は少女の呼びかけに応え、細長い蜥蜴の姿へと転じる。それらは赤茶けた猿の毛皮に張り付き、互いに尾や手足を絡めて結合し、巨体を緊縛する。


「『呪い変化』『爆竜の呪符』」


 再び、少女の声。

 互いに結合し網のようにして鉄腕猩猩を封じていた黒い蜥蜴たちが灼熱し赤く光り輝く。その高温は猿の剛毛を焼き、焦げ臭い煙を上げる。

 そして、温度が限界まで達した瞬間。

 猿の全身に絡みついた蜥蜴の身が爆ぜる。


「くっ。これでも……!」


 闇の中、もうもうと立ち上がる黒煙。

 しかしその奥でゆらりと巨大な気配が動く。

 唇を噛み、悪態をつくぽんの目の前で鉄腕猩猩が姿を現した。全身を爛れさせながら、それは瞬く間に傷を回復させつつある。

 赤く露出していた肉は真新しい皮に覆われ、赤茶色の毛が豊かに生える。焦げた骨が白くなり、筋組織によって隠されてゆく。


「ッ! 『捻れの護符』ッ!」


 微かな揺らぎを感じ、ぽんは半ば反射的に札を使う。

 次の瞬間、鉄腕猩猩の細長い腕が彼女を押し潰さんと叩き付けられる。毛むくじゃらの腕がぽんの黒髪に触れる直前、ぐにゃりと歪む。


「私に触ろうなど、万年早いんですよ!」


 滅茶苦茶に捻れた腕から血が噴き出し、筋肉がブチブチと断ち切れる。

 驚愕の表情を浮かべる鉄腕猩猩と視線を交叉させ、ぽんは口元に笑みを浮かべた。


「『霊符開帳』『千年隠櫃』」


 取り出したのは、一回り大きな呪符。

 ぽんが投げると、それは滑らかな動きで大猿を取り囲む。それは大猿の身体にぴったりと張り付き、動きを封じる。それは大猿が藻掻くほど、きつく封じていく。

 呻き声を上げる猿を眼前に、ぽんは黒い巫女装束を整える。懐から鈴を取り出し、真剣な表情でそれを振り鳴らす。


「“荒ぶり餓えたる猛り神。一時其の無聊を慰めたるは、狼藉不遜の魑魅魍魎。刹那の悦楽、玉響の趣き。其の血は沁み、其の肉は笑い、其の叫びは伽藍に揺れ響く。今、憤れ。今、奮え。今、抗え。其の荒魂を御前に差し上げ、胸騒ぐ旋律を奏で給え”」


 口早に紡がれた言葉。

 合間に鳴り響く鈴の音。

 黒い巫女装束の袖が揺れ、黒髪が闇に舞う。


「『擾乱喝采紫神雷刀十本絶雷』」


 結び。

 ぽんが素早く手を合わせ、乾いた音を打ち鳴らす。

 紫電が走り、雷鳴と共に鉄腕猩猩の巨躯を貫く。悲鳴が断末魔に変わる中、稲妻は収まらず、曲を奏でる。

 連続する閃光が毛を焦がし、肉を焼き、骨を貫き、頭蓋を揺らす。強靱な生命力を全て薙ぎ払い、すりつぶす。

 永久に続くと思われたそれは、唐突に終わる。

 鉄腕猩猩の頭上にあるバーが全て灰色に染まり、巨体がゆっくりと倒れる。


「ぐふえ……」


 それと同時に、ぽんもまた膝を折り崩れ落ちた。


「――双星流、第九座。『賢者の毒矢サジテリアス』」


 ちょうど時を同じくして、もう一体の鉄腕猩猩が胸を貫かれる。大きく開かれた穴の縁から、肉が紫色に腐れ落ちていく。

 その鉄腕猩猩は右足の膝下を失い、両腕を肩から切り離され、両目を潰されていた。

 崩れ落ちた鉄腕猩猩は、そのまま抗うこともできずその身を腐らせていく。


「ふぅ。ま、こんなもんね。……ていうか、ぽんは何休んでるのよ」


 満身創痍の鉄腕猩猩が完全に事切れるのを確認し、アリエスが小さく息を吐く。そうして彼女は、すぐ近くに転がっているぽんを見下ろした。


「休んでるように見えますか。人が命がけで勝利した後なのに」

「この程度の相手に瀕死になってるようじゃまだまだね」

「瀕死になったのは『擾乱喝采紫神雷刀十本絶雷』の影響です。あっちからは一撃も喰らってません」

「あっそ」


 地面に倒れたまま反論するぽんに、アリエスは早々に興味を失ったようだった。乱れた青髪を整えながら、今だ戦っている残り2人の方を見る。


「『骸の大腕』」


 周囲にばら撒かれた骨片の中から、異形の腕が現れる。白い骨だけのそれは、鉄腕猩猩の足首を掴み、へし折ろうと力を籠める。

 腕は一本だけではない。大猿の足下からは無数に腕が現れては取り付き、その動きを封じ込める。

 鉄腕猩猩が力尽くでそれを振り解いても、すぐさま新たな骨の腕が掴みかかる。


「『骨竜の顎』」


 動きの鈍った大猿に、骨の竜が喰らい付く。鋭利な牙の並んだ顎を大きく開き、赤茶色の腕に噛み付く。

 “孤群”のろーしょんの戦い方は単純明快なものだった。

 つまりは、相手の処理能力を越える圧倒的な質量で押し潰すのだ。


「相変わらずのパワープレイねぇ」

「良いじゃないですか。それで勝ててるんですから」


 ようやく動けるようになったぽんが、アンプルを取り出してLPを回復させながら言う。

 ろーしょんの武器は、常人を越えた並列思考能力によって実現された同時多数による飽和攻撃だ。それを達成させるためにビルドを組み、〈霊術〉スキルもそれを前提に召喚系のテクニックを鍛えている。

 そこから繰り出されるのは圧倒的な暴力の波だ。

 純粋に、相手が動かなくなるまで殴り続ける。

 反撃をされれば、その十倍の力で殴り返す。


「カルパスもそうだけど、霊術師ってみんな脳筋なの?」

「ろーしょんはまだ知的な脳筋ですよ」

「どっちにしろ脳筋じゃない……」


 骨の腕が猿の四肢を掴む。骨の獣が猿の身体を覆う。骨の竜が猿の頭に喰らい付く。

 四本の腕だけでは到底太刀打ちできない、徹底的なまでの暴力だった。


「それで、あっちはともかく。あの子はどうなのよ?」

「あの子って、ラクトですか?」


 すでにろーしょんの戦いは勝利が決定している。

 アリエスは骨の群れが猿を飲み込んでいる光景から視線をずらし、もう一方の戦いへと注目した。


「まあ、〈白鹿庵〉ですしそれなりの実力はありますけど……」


 言葉を濁らせるぽん。

 彼女の視界の中で、氷が爆ぜた。


「かはっ!」


 機術師らしい装備に身を包んだ青髪の少女が、鞠のように転がる。

 しかし、悠長に悶えている暇は無い。相手をしなければいけないのは、鉄腕猩猩だけではないのだ。


「『拡散する氷礫』ッ!」


 ラクトは立ち上がり、周囲に機術を展開する。

 瞬時に生成された細かな氷の欠片が飛び出し、殺到していた黒影猩猩たちを退けた。


「『貫く氷刃の矢』!」


 ラクトの指が弦を引き、番えた氷の矢が放たれる。

 それは真っ直ぐに闇を裂き、彼女を睥睨している猿の眉間に向かい――。


「ちっ。威力不足っ!」


 防御姿勢すら取らない鉄腕猩猩に、ラクトは舌を打つ。

 彼女の攻撃が、攻撃とすら見なされていない。


「前衛が居ないだけで、かなりキツいね」


 普段、ラクトは安全な後方で詠唱の長い機術を運用している。前衛に立つエイミーやレティたちによって守られ、被弾する心配をすることなく落ち着いて攻撃を行えた。

 しかし、今は一対一。いや、一対多数の圧倒的劣勢だ。

 油断すれば周囲から黒影猩猩が手を伸ばし、そちらに注意を向ければ鉄腕猩猩が押し潰そうと襲い掛かってくる。

 それら全てに対応しながらでは、長い詠唱を行う暇がない。


「でもっ!」


 ラクトは弦を弾く。

 新たな氷矢が番えられ、すかさず放たれる。


「これに勝たなきゃ、レッジにも会えないからね!」


 真っ直ぐに放たれた矢は、鉄腕猩猩の眉間に突き刺さる直前、その眼前で自ら爆ぜる。

 細かな氷の欠片が広がり、油断していた大猿は思わず仰け反る。彼が怒りを持って視線を戻した時、そこには少女の姿はなかった。


「総合的に、戦場を把握する。鳥みたいに俯瞰して、全体を見ながら、個々を見る」


 ラクトは駆け上っていた。

 立て続けに生成した『氷の床アイスフロア』によって高度を稼ぐ。瞬く間に鉄腕猩猩の頭上を越え、その毛むくじゃらな顔面を見下ろす。


「把握できないなら、把握できるようにする。不意を打たれないように、全周囲に神経を張り巡らせる」


 鬱陶しい小バエを払うように、鉄腕猩猩が腕を振り回す。

 ラクトはタイプ-フェアリーの小さな身体を活かして、それをすべて避けていく。


「一本の矢で対応できないなら、二本に増やす」


 彼女は弓を構える。

 番えるのは、一本の矢。


「システムコマンド。設定、操作設定、情報操作設定――」


 彼女が口にしたのは、ゲームシステムのオプションウィンドウを呼び出すコマンドだった。

 機術詠唱ではなく、システムの操作。それによって、彼女は自身の要望を実現する。


「各種操作感度レベル最大。表示オブジェクト、マテリアル、テクスチャ、最大。オブジェクト輪郭表示」


 設定適用後、ラクトの視界が大きく揺れる。

 水の中に飛び込んだような違和感のあと、闇の中で全ての物体がギラギラと光り輝いているのに気がついた。

 視界に映る全てのものが、鮮明な形で流れ込んでくる。それら全てを強制的に理解させられる。


「おええ……」


 情報の海に溺れ、嘔吐感が胸の奥からこみ上げる。

 それを必死に堪えながら、ラクトは最後の設定を行った。


「思念操作設定、オン」


 直後、彼女の思考が世界と接続された。

 “発声”“型”“詠唱”“宣言”、全てのファクターを素通りして、彼女のシナプスの動きが全て、世界へと伝わる。


「おごっ、げえっ」


 脳を直接水洗いするかのような、不快感。

 それに耐えながら、強制ログアウト判定を受けないように理性を保つ。

 あくまでも、変わらずに。あくまでも正常に。


「――。『拡散し収束し凍り付く凍り付く壊滅の必滅の千矢一矢』ッ!」


 高く高く、頂点に登る。そして、真下に放たれる一本の氷矢。

 それは弓から離れた直後、二本にブレる。まるで、二つの矢がぴったりと重ねられていたかのように。

 一本はやがて無数の細かな鏃に分かれ、地表に蠢く黒影猩猩たちを貫く。

 そして、もう一本は真っ直ぐに落ちていく。

 空気を切り裂き、甲高い音を立て、嚆矢は落ちる。

 それを無防備に受け止めようとする鉄腕猩猩。


「油断するなよ。ばーか」


 その矢は、するりと猿を貫いた。

 凍結し、砕け、収束し、拡散する。

 一本の矢によって、鉄腕猩猩は脆くも砕け散った。


「うお。きっつ……」


 そしてラクトもまた、LPをギリギリまで使い果たし、そして思考すらも疲弊させて、ただ重力のままに落ちていく。

 受身を取る余裕もなく、このままでは落下ダメージで再び〈ミズハノメ〉に戻ってしまう。


「けどまあ、リベンジできたし――」

「何を言ってるんですか」


 ゆっくりと目を瞑るラクト。

 しかし、予感していた衝撃は来ず、代わりに柔らかな感触に包まれる。


「あれ?」


 恐る恐る目を開くと、呆れた表情を浮かべたラピスラズリがラクトを覗き込んでいた。


「しっかりして下さい。何のために貴女をパーティに入れたと思ってるんですか」

「そうだった。……ごめんごめん」


 ぽてん、と優しく地面に降ろされ、ラクトは大きく呼吸を繰り返して思考を落ち着ける。

 彼女の仕事は鉄腕猩猩を倒すことではない。森の中で待っている、仲間の下へラピスラズリたちを案内することだ。


「終わったんならさっさと出発するわよ」


 呆然としている暇は無い。

 アリエスの呼びかけに応えて、ラクトはよたよたと立ち上がる。


「つかれた。アリエス、おんぶ」

「ふへ。いいの?」

「ろーしょん、この人は危険です。あんまり近づかないように」


 一仕事終えたろーしょんがアリエスの下へ向かい、ぽんに引き離されている。残党の黒影猩猩たちは、騎士団のユーリが全て退けていた。


「よし。じゃあ、行こうか」


 ラクトは頬を叩き、気合いを入れ直す。

 そうして、彼女たちは再び暗い森の中を歩き出す。

 ラクトは〈白鹿庵〉のメンバーであるレッジたちの位置が分かる。ユーリもまた〈大鷲の騎士団〉のアイたちの位置が分かるため、2人で確認しながらルートを選ぶ。

 そうして絶え間なく襲い掛かってくる黒影猩猩たちを倒しながら進んだ即応部隊は、ようやく明々とライトが輝く野営地へと辿り着いた。


「着いた!」

「随分と長い道だったわねぇ。面倒くさそうな予感しかしないわ……」


 レッジのテントを見れば、ラクトも活力が戻ってくる。

 疲労の見えるアリエスたちを引き連れて、森の中に不自然に建つ館の扉を開ける。


「ただいまー……あ?」


 意気揚々と声を上げて帰還を知らせるラクト。

 しかし、眼前に広がる光景を見て、声を途切れさせる。


「うおおおおおっ! 発電発電!」

「マッスルパゥワーがここに溜まってきただろう!」

「やるぜやるぜやるぜえええい!」


 天井の高い、広々とした部屋。

 煌々と照明の光が降り注ぐ明るい場所で、屈強な戦士たちが巨大な回し車の中で走っている。

 かと思えば、別の集団がボードゲームに白熱している。


「何これ? ほんとに前哨部隊は仕事してたんでしょうね?」

「そ、そのはずなんですが……」


 すっと目を細めるアリエスの言葉に、ユーリが自信なさげに答える。

 その時、広間の中央に据えられた階段から、慌ただしい足音が響く。ラクトたちが視線を向けると、館の主と部隊の長が、喜びの笑みを浮かべてこちらへやってきていた。


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Tips

◇思念操作

 システム設定の操作設定、情報設定項目内で、思念操作の有無を設定することができます。思念操作設定をオンにすることで、現実で発声に障害を持つ方でもゲーム内での“発声”を行い、テクニックを使用することが可能になります。


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