第630話「闇を駆け」
黒い森の中を六つの影が駆け抜ける。
その姿を、濃い影の中から猿たちが見ていた。明かりも持たず、無防備に姿を晒す彼女たちは、こちらに気がついている様子もない。
今までの無謀な獲物たちと同じように、その腕を折り、頭蓋を砕いてやろう。
そうほくそ笑んで、彼らは手を伸ばした。
「『紙吹雪』『業火の呪符』」
汚れた指先が漆黒の巫女装束へ触れる直前、細かな白い紙片が周囲に広がる。それは瞬く間に激しく燃え上がり、すぐさま鉄腕猩猩の黒い体毛に移った。
「ギィアッ!?」
「うるせぇ声を出さないでください。不快です」
再び紙片が舞う。
激しい閃光が広がり、闇に慣れた猿たちの目を焼いた。
「うわあっ!? ちょっと、突然『閃光の呪符』使わないでよ!」
「事前に打ち合わせしてたじゃないですか」
「合図してから使うって言ったじゃないの!」
眩い光のなか、六人の姿が露わになった。
踊り子のような薄い布を纏ったヒューマノイドの女が、黒い巫女装束の少女に声を荒げる。
戦闘はすでに始まっているというのに、明らかに油断しきっている。そんな姿に猩猩たちは神経を逆撫でされた。
死角から懐へ潜り込み、その白い首を手折ってやろう。
「――邪魔するんじゃないわよ」
「ギャギッ!?」
しかし、伸ばした腕は滑らかな銀閃によって切り落とされる。
こちらを見ていないはずの女が、こちらへ振り返る素振りもなく、腰に佩いていた曲刀を抜いたのだ。
「あんまり喧嘩してる暇はないですよ。完全に囲まれてますし」
銀の大鷲を象ったブローチを胸に着けた少女が、“闇巫女”のぽんと“星読”のアリエスの二人を諫める。パーティを組んだ時からこのような調子で、すでに彼女の胃が弱々しく悲鳴を上げていた。
「ちゃんと
「深奥部は完全に暗闇だからか、呪術の効果もかなり底上げされていますね。とはいえ、この数を呪符術だけで相手するのは面倒ですよ」
すでに『閃光の呪符』は燃え尽き、周囲は再び闇に満たされている。
黒影猩猩たちは彼女たちをぐるりと囲み、今まさに襲い掛かろうと牙を剥いていた。
「ろーしょん」
「わかった」
ぽんの呼びかけに、集団の中に囲まれていた小柄なフェアリーの少女が頷く。
ボロボロのローブに、骨の杖、骸骨の首飾りという禍々しい装いを身に纏った少女は、フードの影からちらりと見える青い前髪を揺らした。
「“暗き地の底より甦れ、眼無き迷妄の白霊よ”――『白骸召喚』」
ろーしょんが細かく砕かれた骨片を周囲にばら撒く。
幼い声で紡がれた詠唱を受け、骨片が姿を変じる。闇の中に現れた、ほのかに発光する小さな骨骸。知性のない暗い眼窩を猿たちに向ける。
骨骸の群れは急激に膨れ上がり、闇を押し退け、黒影猩猩へと殺到する。まるで骨の大波のような圧力を受けて、猿たちは溜まらず悲鳴を上げた。
「『霊爆』」
しかし、その悲鳴すら掻き消される。
小さな白骸たちが、短い一言を受けて爆発を起こす。全身を構成する骨を細かく鋭利な欠片へと変え、周囲へと撒き散らす。
それは黒影猩猩たちに容赦なく襲い掛かり、爆風と共にその身をズタズタに切り裂いていった。
「よし、一気に駆け抜けるわよー!」
「ちょっと! あんまり一人で前に出ると――」
ろーしょんが切り開いた道を、アリエスが駆けていく。ぽんたちも慌ててその背中を追い掛ける。
「何が危ないっていうのよ」
うんざりとした顔で振り返るアリエス。その背後から、勝利を確信し笑みを浮かべた黒影猩猩が現れる。
「双星流、第五座。『
しかし、猩猩の手が彼女の青髪を撫でることはない。
獅子の猛々しい咆哮が、剛毛に覆われた身体を吹き飛ばす。勢いを付けて木の幹に叩き付けられた猿は、擦れたような呻き声を上げた地面に転がった。
「ちっ。相変わらず便利ですね、その未来予知」
「ただの占いよ。星も出てないし、精度は9割くらいかしら」
ぽんの皮肉じみた言葉に返しながら、アリエスは両手に携えた双曲刀を振り回す。
まるで事前に分かっているかのように、暗闇の中から飛び出してくる黒影猩猩たちを全て一刀の下に切り伏せていた。
「予知でも占いでもいいですから、ドンドン進んで貰っていいでしょうか。レッジさんたちがお待ちなんですよ」
「あなたが一番何もしてないじゃないですか!」
ぽんとアリエスの会話に、うんざりとした声色で割り込んできたのは、太ももに深いスリットの入った扇情的な修道服を身に着けた、金髪のシスターだ。銀の杖を携え、退屈そうに赤い唇を尖らせている。
「私はまだ出番ではありませんからね。切った張ったは得意ではありませんし、移動しながら“禁忌領域”は展開できませんので」
「あなた一人でも結構戦えるでしょう。何を堂々と嘘ついてるんです」
苛立ちを隠さないぽんに対し、今回のパーティの中心でもある少女、ラピスラズリは余裕の笑みを湛える。
「とりあえず、早く目標地点まで行きましょうよ……」
そんな彼女たちを見ていた騎士団の少女が、呻くように懇願する。
アリエスもぽんもろーしょんもラピスラズリも、正式なバンドではないとはいえ三術連合という集団に属す仲間ではないのか。なんで始終チクチクと牽制し合っているのか。
統率の取れた騎士団での活動に慣れていた少女には、まるで理解できなかった。
「ほら、ぽんのせいで怒られてしまいましたわ」
「私のせいじゃないでしょ!」
「いいから。早くすすもう」
鼻息を荒くして憤るぽんを、見かねたろーしょんが引っ張る。
「何をタラタラしてるのよ。置いてくわよ」
かと思えば、いつの間にかアリエスが随分と離れた所まで進んでしまっている。
「と、統率。統率がない……」
少女はきゅっと悲鳴を上げる胃を抑え、背後から飛び掛かってきた黒影猩猩を振り向きもせず片刃の剣で切り伏せた。
「あら、貴女もかなり強いじゃないですか」
「いやまあ。これでも騎士団の第二戦闘班ですし」
アリエスの下に走りながら、ラピスラズリが少女に賞賛を送る。
まるで一般プレイヤー代表のような顔をしているが、彼女も海千山千の猛者が集う最大手攻略バンド〈大鷲の騎士団〉の一員なのだ。しかも、副団長が直接指揮を行う最精鋭の第一戦闘班には一歩及ばないものの、それでも第二戦闘班所属とかなりの実力を持つ。
そもそも、他のメンバーが強いとはいえ、たったの六人1パーティの規模で照明も持たずに深奥部に入り、今も生きている時点でその実力は証明されていた。
「ですが、本当に明かりはいらないんですか? 一応携帯用のライトくらいならあるんですけど」
「不要です。というか、邪魔です」
むしろ点けさせてくれ、と言外に要請する少女の言葉を、ぽんが素気なく一蹴する。
「私たちは呪術師、霊術師、占術師。暗ければ暗いほど、日が遠ければ遠いほど、闇が濃ければ濃いほど、その力を増しますので」
「そうは言っても、何も見えないと……。ほっ!」
再び襲い掛かってきた黒影猩猩を、再び少女が切り伏せる。
会話をこなしながらも、ぽんやろーしょんたちも絶え間なく襲い掛かってくる敵を蹴散らしていた。
「貴女だって見えずとも対応できているじゃないですか。私たちは、暗闇の中での戦闘を前提としていますので、この程度ならなんということはありません。ね?」
「……そうですけど、ラピスに言われるのは釈然としませんね」
三術全てに共通する特徴として、昼間よりも夜間、明るい場所よりも暗い場所で術を使う方が、より効力が高くなるというものがある。
そのため、三術を扱うプレイヤーは自然と暗闇の中、劣悪な視界の中で戦うことに長けていく。
「そこの女の子たち、お話もいいけどそろそろ防御を固めなさいな」
ぽんたちが話しながら黒影猩猩の猛攻を凌いでいると、アリエスが声を掛ける。
その言葉に疑問を覚えるよりも早く、ラピスラズリが銀の杖を立てた。
「禁忌領域、『隔離の窟』」
瞬間的に展開された、透明な紫色の壁。
半球状のそれは六人の少女をすっぽりと包み込む。
その直後、闇の中から木々の間を縫って飛来した巨大な木の幹が、半透明の壁に激突する。
「出たわね。鉄腕猩猩だっけ」
突然の襲撃にも関わらず、六人全員が動揺する素振りも見せない。
アリエスが真っ直ぐに闇の中を見つめる。その先で木々が揺れ、ぬらりと巨大な影が現れた。
「うわぁ、うわぁ……。ほんとに出てきちゃった」
それを見た騎士団の少女が悲痛な声を上げる。
胸の内で密かに祈っていた願いは、たったいま無残にも打ち砕かれた。
「周囲に4体。囲まれてるわね」
「1人1体ずつだと、2人余りますよ」
「私は遠慮しておきます。戦闘は不得手ですので」
「そもそも、全員で1体ずつ相手しません……?」
薄紫の障壁に包まれたラピスラズリたちを囲むように、周囲の森の中から更に3体の鉄腕猩猩が現れる。
騎士団の少女が建設的な意見を提示するが、それはあえなく黙殺された。
「ユーリちゃんだっけ。ここで見てるだけでいいよ」
突然、今まで沈黙を保っていた少女が口を開く。
このパーティに入って初めて名前を呼ばれた騎士団の少女は、驚きながら声の方へ振り向いた。
「わたし、リベンジしたいしね」
少女は、闇に紛れ隠密性を上げるため、急遽騎士団から入手した濃緑色のローブを脱ぎ捨てる。
現れたのは、美しく透き通った青髪。
「今度はこっちが瞬殺してあげるよ」
青い瞳に強い意志を籠めて、少女――ラクトは口角を上げた。
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Tips
◇『紙吹雪』
〈呪術〉スキルレベル50のテクニック。
細かな呪符を周囲に散布し、広範囲に渡って拡散する。散布できる範囲は、使用する呪符、〈呪術〉スキルレベル、熟練度に左右される。
降り撒き積もる紙吹雪。白き紙片に
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