第628話「繰り返す異界」

 4頭の鉄腕猩猩を退けた俺たちは、アイの迅速な指揮の下で体勢を立て直し、再び森の奥に向けて進軍を開始した。

 大型ライトと虹輝鮫バフを受けたプレイヤーによって周囲は明るく照らされ、黒影猩猩たちも近寄ることはできない。他の原生生物――新たな鉄腕猩猩などは現れず、深奥部攻略中だというのに、周囲には弛緩した空気が広がっていた。


「深奥部って言っても、こんなもんなのか」

「光源があれば結構楽だなぁ」

「ラッキーアイテムのおかげかもね」


 拍子抜けした様子で軽口を叩き始めるプレイヤーたち。そんな彼らを、アイたち〈大鷲の騎士団〉をはじめとした歴戦の攻略組は冷めた目で見ていた。


「暢気ですねぇ。さっきも突然の襲撃で5人も町送りになったのに」


 レティたちもリラックスはしているが、警戒は解いていない。

 ラクトを失ったあの時、近くにいた4人のプレイヤーも同時に死んでいた。またいつ、どこから槍が飛んでくるとも分からない状況で、そこまで気を抜けることが信じられないといった顔だ。


「鉄腕猩猩と戦っている時も、10名ほどのプレイヤーが死んだようですね。アレが一番強いということもないでしょうし、警戒しすぎるということはないでしょう」


 トーカの言うとおり、この深奥部では鉄腕猩猩もただの一般原生生物モブエネミーだ。オノコロ島ならボスやネームドになってもおかしくないような固体がそのあたりを歩いているという事実が、まず恐ろしい。

 数体なら今の人員で対処可能だが、それでも少しずつ欠けていく。より強い原生生物が現れるか、こちらの戦力がすり減るか、どちらにせよあまり楽観視できる状況ではない。

 とはいえ、あくまで今回の侵攻は前哨戦だ。内部の具体的な状況をある程度明らかにしたら、そのまま撤退してもいい。


「アイ。今回の撤退ラインはどこに設定してるんだ?」

「出発時から人員が半分になった時か、ある程度の原生生物と地形の情報を得られた時なのですが……」


 隣を歩くアイに話しかけると、彼女は憂いを帯びた表情で答える。

 人員は減ったとはいえ、まだまだ調査の続行が可能な程度は残っている。原生生物に関しても、黒影猩猩と鉄腕猩猩は解体し、鑑定調査も終わったはずだ。


「地形に何か、問題でも?」

「端的に言えば、そうですね」


 エイミーの指摘にアイはすんなりと頷く。

 彼女はウィンドウを一枚開くと、それを俺たちに見せてくれた。


「どう思いますか?」

「ふむ……」


 〈花猿の大島〉深奥部は、〈アマツマラ地下坑道〉や〈ワダツミ海底洞窟〉と同じように、上空から観測調査を行っている通信監視衛星群ワダツミの支援を受けられない。

 通称をダンジョンと呼ばれている種類のフィールドで、内部の構造は実際に歩きながら記録を行う地図師マッパーの手を借りる必要がある。

 当然、騎士団にも優秀な専門家が何人も在籍しており、今回の行動にも随伴してくれているのだが……。


「妙だな」

「そうなんです」


 騎士団製のマップは、よくよく目を凝らして見てみると不自然なものだった。

 木々の配置に規則性があるのだ。


「座標データはどうなってるんだ?」

「ツクヨミGPSによる絶対的な座標は取得できないので、相対的なものだけしか判明していません。ただ、それによればそろそろ深奥部中央までの道のりの3割ほどには来ているはずです」

「その割には、代わり映えがしませんね」


 周囲を見渡しつつレティが呟く。

 光源に照らされた限定的な範囲ではあるが、周囲の木々はどれも同じようなものばかりで変化がない。そのおかげで時間や方向の感覚も鈍ってしまっているようだ。


「現在、特徴的な木々をマークしつつ進んでいます。その調査が終わり次第、結果も公表しようと思っているのですが……」


 アイがそう言った、ちょうどその時。騎士団員の一人が彼女の下へとやってきた。


「副だんちょ、やっぱりループしてますね」


 その言葉に、アイはやっぱりと肩を落とした。

 若い少女の団員が言うことには、マーカーを付けていた木々が、前方から現れたそうだ。つまり、何らかの方法で俺たちが堂々巡りを繰り返していることが確定した。


「レッジさん、白月は何か反応していませんか?」


 アイが縋るような目でこちらを見る。

 俺の足下にはいつものように白月が付きまとっているが、今のところ彼は始終静かにしていた。今までは色々と攻略の鍵となるように導いてくれたが、今回は特にそういったことはないらしい。


「これ、後ろに戻ってもループするなんてことないですよね」


 レティの指摘にアイがうっと喉を詰まらせる。

 もし、外側に向かっても延々とループしてしまうのなら、俺たちは撤退することもできなくなる。副団長としてもその可能性を捨てる訳にはいかないだろう。


「副団長、私が確認しましょう」


 そこへ現れたのは、長身をラバースーツに包んだ騎士団最速の〈伝令兵オーダリー〉、クリスティーナだ。

 長槍を携えた彼女の突破力ならば、闇の中を蠢く黒影猩猩たちを蹴散らしながら進むこともできるだろう。


「わかりました。偵察をお願いします。LP回復アンプルを必要なだけ持って、支援機術師からも万全のバフを受けて下さい」

「了解しました」


 アイの許可を受け、クリスティーナが準備を始める。

 肩に羽織っていたケープを脱ぎ、空気抵抗を軽減するためか流線的な形をした装備を取り付けていく。

 機術師からバフを受け、防御力と移動速度を底上げする。

 彼女の準備が整う頃には、他のプレイヤーもその物々しい空気に気がつき始めた。


「『猛獣の鉄脚』『疾風の俊足』『加速機構解放アクセルブースト』――」


 最後に、クリスティーナ自身がバフを掛ける。

 それによって彼女の速度は更に高まる。


「では、行きます」


 槍を携えたまま、彼女は手を地面に着ける。足を前後に開き、踵を上げる。綺麗なクラウチングスタートのポーズ。


「穿馮流、三の蹄。――『地平貫き落陽越える白き竜馬』ッ!」


 クリスティーナの凜々しい声。

 落ち葉の降り積もった地面が大きく抉れ、爆発音と共に彼女は勢いよく飛び出した。


「速ッ!?」


 闇の中で猩猩たちが轢殺される悲鳴が響く。

 クリスティーナの猛々しい足音が響き、遠のいていく。

 残された俺たちが呆然と立ち尽くす。それから少し経った時のことだった。


「背後より不明な音! 何かが近づいてきます!」

「総員、迎撃態勢!」


 周囲を警戒していた騎士団員が声を張り上げる。

 アイの号令を受け、プレイヤーたちが身構える。大盾を構えた重装盾役が並び、その後ろで機術師たちが術式を組み立てた時、俺たちの耳にもその音が聞こえてきた。


「これは――」

「総員、防御は固めたまま攻撃を中止!」


 アイが再び指示を出す。

 機術師たちが杖を下げた直後、暗い森の奥からけたたましい蹄の音が飛び込んできた。


「ヤァッ!」


 背の高いタイプ-ゴーレムの重装盾兵を飛び越えて、自陣に戻ってきたクリスティーナは地面を滑りながら停止する。

 来た道を戻っていたはずの彼女が、俺たちの背後――進行方向の先から戻ってきた。

 その不可解な現象を目の当たりにして、他のプレイヤーたちの間にもどよめきが広がる。


「これは……厄介なことになったな」

「そうですね」


 思わず顎を摩りながら言葉を漏らす。

 隣に立つアイも、苦虫を噛みつぶしたような表情で頷いた。


_/_/_/_/_/


「なるほど。分かった」


 〈花猿の大島〉城壁樹の広場に築かれた指揮所。そこで騎士団員たちに見張られながら全体指揮を行っていたアストラは、前哨戦のために送り出した副団長アイからの報告を受けた。


「どうしました、団長」

「前哨部隊が帰還困難になった。しかし、救援部隊を送っても、ミイラ取りがミイラになるだけだな」

「はぁ?」


 執務机に座ったアストラは、ドアの側に立っていた団員に話しかけるようにして状況を整理する。


「なるほど、無限ループですか。厄介ですね」

「色々とな。そもそもどういう原理でループしているのかも分からない。やはり――」

「ダメですよ。団長が出張って、戻って来れなくなったら大変です」


 アストラが何か言い掛けるよりも早く、手練れの団員がそれを退ける。

 彼が執務室のドアを守っているのは、別に団長を警護するためではない。むしろ内側を守るため――こう見えて血の気の多い団長が勝手に前線へ向かわないようにするためだった。


「前哨部隊でも色々と解析をやっているが、原因究明が難しそうだ。やはり、こちらからも援護しなければならない」

「しかし、前哨部隊には解析部の精鋭が揃ってるはずですよ。彼らでも分からないんじゃ絶望的じゃないですか?」


 前哨部隊だからこそ、アイたちの側にはあらゆる分野の精鋭が揃えられている。情報を分析する解析部に関しても例外ではなく、現時点でも十分な情報収集戦闘が行えるだけの人的資源はあるはずだった。


「それでも分からないってことは、そもそも見当違いということだ」

「……と、いうと?」


 含みを持たせた団長の言葉に、団員は首を傾げる。


「三術連合に応援を要請。特に、ラピスラズリの力を借りたい」

「三術由来ですか……!」


 三術――〈呪術〉〈霊術〉〈占術〉の三スキルは、元々開拓団が保有していない全く異なる技術体系によって成り立つ分野のスキルだ。それ故に今だ研究が進んでいない部分も多い。

 三術連合は、そんな神秘の術を明らかにすることを目的にして結成された、非バンド組織だ。その中には〈白鹿庵〉のミカゲなど別のバンドに所属する者や、“孤群”のろーしょん、“星読”のアリエスといったソロプレイを基本とする者も存在する。彼らに共通することはただひとつ、三術のいずれかに関して高い専門性を持っているということだけだ。

 “溺愛”のラピスラズリも三術連合に属する呪術師の一人であり、“禁忌領域”という新たな呪術の分野を開拓した功労者である。


「レッジさんがいるのにこの状況、ということは白神獣由来の何かでもないということだ。三術連合の部隊でも解明できなければ、流石に俺たちが出ないわけにもいかないだろう」

「ぐぅ。それもそうですね……」


 妙にワクワクとしている団長に呆れながら、団員は頷く。

 普段は凜々しく勇敢で人望の厚いアストラだが、こと戦闘――特に最前線での攻略活動となると暴走気味になってしまう節がある。今も口ではそんなことを言っているが、腹の底では三術連合でも手の打ちようがない事態を望んでいるような気がした。


「団長、三術連合と話が纏まりました。ラピスラズリさん、ぽんさん、ろーしょんさん、アリエスさんの4名が出てくれるようです」


 執務室の扉が開き、団員の少女が駆け込んでくる。

 彼女の報告を聞いたアストラは、満足げな顔で頷いた。


「三術連合の幹部が揃い踏みだな。一応、護衛兼連絡要員として団員を2名付けて、フルパーティ編成にしろ。人選は任せる」

「りょーかいですっ!」


 指示を受けた少女はそのままとんぼ返りで去って行く。


「いいんですか? もっと人員を送り込まなくて」


 見張りの青年が尋ねると、アストラはふっと口元を緩めた。


「下手に増やしても足手まといになるだけだ。前哨部隊にはレッジさんやアイもいるからな」

「ああ、そうですか……」


 そういえば前哨部隊にはあの〈白鹿庵〉がフルメンバーで揃っていた。

 そのことを思い出し、青年はすとんと納得した。

 彼らがいるのならば、まあ、なんとかなるだろう。


『あの、団長』


 その時、アストラのもとにTELが掛けられてくる。発信者はつい先ほど部屋を出ていった少女だった。


「どうした?」

『その、どうしても三術連合のパーティについていきたいという方がいらっしゃいまして……』

「ふむ。誰だ?」

『その、〈白鹿庵〉の――』

「それなら大丈夫だ。騎士団の人員を一人減らして、代わりに入って貰え」

『わ、わかりましたー』


 通話が切断され、再び執務室は静かになる。

 窓の外には城壁樹に囲まれた、鬱蒼と茂る暗い森が見えている。


「羨ましいなぁ……」

「ダメですよ。後方からの支援物資の管理とか、外周調査の指揮もして貰わないといけないんですから」


 窓の外を寂しそうに見つめるアストラに、お目付役の青年は深く釘を刺した。


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Tips


◇『地平貫き落陽越える白き竜馬』

 穿馮流、三の蹄。

 長槍を真っ直ぐに構え、一直線に走る。効果中、LPが徐々に減少する。LPが全体の2割以下になった場合、効果が消える。効果中、全身に攻撃判定が発生し、移動速度が徐々に上昇する。

 竜の如き強靱な脚で大地を駆け抜ける。その突進を阻む者はおらず、触れたものは全て轢殺される。


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