第627話「再戦は容赦無く」

 闇の中から現れた鉄腕猩猩が、大型投射機によって鮮明に照らし上げられる。

 赤みのある茶色の体毛の下に隆々とした筋肉を忍ばせ、異様なほど長い手には荒く枝を払い先端を削った大槍を携えている。〈カグツチ〉に張り合えるほどの巨体はただそれだけで気迫に満ちているが、黄濁した瞳がより一層の圧力を感じさせた。


「光の中から出るなよ。あくまで相手するのはデカブツだけだ!」

「分かっています! ――咬砕流、七の技!」


 レティが鉄腕猩猩へと肉薄し、鮫頭の巨鎚を膝下に打ち込んだ。

 鈍い打撃音と共に、猿の膝は関節の構造を無視してくの字に折れる。絶叫が響き、ゆっくりと巨体が倒れるが、レティは深追いせずに後方へとさがった。


「やっぱりブラフですか。小賢しいですね」


 レティが追撃してこないと見ると、大きくよろめいていた鉄腕猩猩は瞬く間に骨を再生させて立ち上がる。

 もし、あのままレティが深追いしていれば、その瞬間に反撃を喰らっていただろう。


「彩花流、捌之型、三式抜刀ノ型――」


 だが、レティがわざわざそんな危険を冒す必要はない。彼女がさがったのと入れ替わるように、深く前傾姿勢を取ったトーカが極大の太刀の鯉口を切る。

 長大な型と発声を必要とする大技を、彼女は流麗な発音と洗練された動きによって完遂する。


「神髄――『百合籠』」


 シャラリと滑らかな音をたて、トーカは刀を

 直後、無数の斬撃が嵐のように渦巻き、漫然と立っていた鉄腕猩猩の全身を切り刻む。

 今度こそ大猿は本気の悲鳴を上げ、四肢を振り回す。

 瞬間的に重ねられる無数の斬撃が、彼の再生能力を超えて身を切り刻んでいく。骨も皮も肉も、その区別なく全てが微塵と化していく。


「そのような攻撃は当たりませんよ!」


 狙いもない乱暴な動きとはいえ、猩猩のサイズからすればそれだけで脅威だ。僅かにでも掠れば、四肢の損傷を覚悟しなければならないだろう。

 しかし、そんな危険を顧みず、レティは猩猩の懐へと再び潜り込んだ。

 タイプ-ライカンスロープの高い機動力を遺憾なく活かし、全ての攻撃を紙一重で躱し続けている。

 そうして鎚を高く掲げ、渾身の力を込めた強撃を叩き込む。


「『鮫咬赫顎』ッ!」


 レティの新装備、“鮫頭蓋の大槌シャークヘッドハンマー”の固有テクニック。ヘッドに取り付けられた鮫の鋭利な牙が対象に食らいつき、深紅の鮮血を全身に浴びる。

 青い衣装が赤く染まるのにも構わず、レティは打撃の反動を利用して高く跳躍した。


「これは、ラクトのぶんです!」


 レティがハンマーを高く掲げる。

 血を啜った鮫の頭蓋が怪しく燦めく。

 その時、鉄腕猩猩の背後からぬらりと暗い影が現れた。


「させないっ!」

「ギャイッ!?」


 不意を突く形で鉄腕猩猩の影から腕を伸ばした黒影猩猩は、逆に自身が死角からの奇襲を許す。

 飛び込んできた白い影は、ジャストクリティカル回避の高速ローリングを利用して瞬間的な移動を行ったシフォンだった。

 彼女は両手に燃え盛る炎剣を構え、黒毛の猿に大きな十字の傷を刻んだ。

 悲鳴を上げ、地面に落ちていく黒影猩猩。それにたいしてシフォンは回避行動を行い、先回りする。

 曲芸じみた動きによって一足先に地面に降り立った彼女が、その手に新たな武器を生成する。


「『侵蝕する業火の刺突剣』ッ!」


 鋭く突き出された細長い剣が、重力のまま落花してきた黒影猩猩の胸を貫く。瞬間、猿は烈火に包まれ、瞬く間にHPを削る。

 それが品質の悪い死体になった、ちょうどその時だった。


「――『打鐘金声ダショウキンセイ潺々狂響センセンキョウキョウ』ッ!」


 重く広く幾重にも響き渡る鐘声。

 レティの巨鎚が猿の頭を揺らし、その内部で激音が反響する。

 混乱、気絶の状態異常に陥った大猿は、その三半規管も麻痺させて、ゆっくりとこちらへ倒れてくる。

 それを待ち構えていた。

 俺と、エイミー。

 二人同時に型を決め、二人同時に発声を行う。

 俺は槍を、彼女は足を。それぞれの一撃に全てを注ぎ込む。


「『牙槍・穿閃崩斂撃』」

「『堅岩壊転凸蹴尖』」


 ダンッ、と全くずれのない衝撃音が猿の胸を貫く。

 槍の刺突が、蹴りの打撃が、巨大な鉄腕猩猩の厚い皮の奥まで浸透する。

 猿の毛深い背中が盛り上がり、暴走する衝撃によって弾ける。

 鮮血が吹き上がり、長いHPバーを猛烈に削っていく。

 再生能力によって赤い肉が盛り上がり、穴を塞ごうとするが、もう遅い。


「――『赤糸・濡れ髪絞り』」


 猩猩の太い首に赤い糸が巻き付く。

 キンと涼やかな音と共に糸は緊張し、猿の首を圧迫する。黄色い目を見開き、糸を振り解こうと猩猩が動くが、それは徒労に終わる。

 糸の緊張は無慈悲に強くなり、やがて皮を裂き、肉を断つ。

 骨すらも切り落とし、凶暴な大猿にトドメを刺した。


「み、ミカゲー!? どうして一番いいとこ取るんですか!」


 やる気満々で次の攻撃を準備していたレティが悲鳴を上げる。

 倒れた鉄腕猩猩の側に着地したミカゲは、そっと目をそらして糾弾から逃げる。しかし逃げた先には頬をぷっくりと膨らませたトーカが待っていた。


「私なんて一撃だけですよ! もっと斬り応えのある相手だと思っていたのに!」

「いいじゃないですか、一回の攻撃で何十連撃もやってるんですから」


 緊張した空気を一変させ、賑やかに騒ぎ出すレティたち。それを見て、俺とエイミーは顔を見合わせた。


「ラクトの仇じゃなかったのか……」

「そ、それもありますけどね。せっかくですからもっと色々あそ、たの……こほん。もっと難しい相手だと思っていたので、少し拍子抜けしました」


 今頃、急いでこちらへ戻ってきているラクトも歯がみしていることだろう。せっかくの初戦を碌に経験することなくあっさり死に戻ってしまったのだから。


「レッジさん!? ていうか、〈白鹿庵〉の皆さん余裕そうですね! こっちにおかわりがあるので助けて頂いてもいいですか!」


 不完全燃焼である様子を隠しもしないレティたちに、切迫した悲鳴混じりの声が届く。

 振り返れば、今し方倒したばかりの鉄腕猩猩と共に現れた、別の3頭の鉄腕猩猩がアイたちと乱戦を繰り広げていた。

 騎士団精鋭や他のプレイヤーも健闘しているようだが、光の外から襲い掛かる黒影猩猩たちにも人員を割いており、なかなか思うように動けないでいる。


「任せて下さい! 今度こそレティがぶっ飛ばして差し上げますよ!」

「一匹は私がお相手しましょう。頭頂から爪先までサイコロにしますよ!」

「ほら、シフォンも行くわよー」

「はええっ!?」


 強敵がまだ残っていると見るや否や、レティたちはくるりと身を翻してそちらへ向かう。


「〈白鹿庵〉が来たぞ! 道を空けろ!」

「うおおお! メインアタッカー来た! これで助かぎゃあああっ!?」

「おいさっさと下がれ! 巻き込まれても知らんぞ!」


 数の力で鉄腕猩猩の猛攻を凌いでいたプレイヤーたちが、まるで海を割るかのように左右へ避けていく。

 そうしてできた広い道を、レティたちが満面の笑みを浮かべて駆けていた。


「ああっ! トーカ、高速移動剣術はずるいですよ!」

「使えるものを使って何が悪いですか! 一番槍は私です!」

「ぬうう、剣士のくせに!」


 カクカクとした動きで高速移動を行うトーカの後を、レティは機械脚のブーストを使って追随する。

 ミカゲは糸を使って空中を移動し、シフォンはエイミーによって投擲されている。


「うぉぉぉおおおおおおっ!」

「はぁああああああああっ!」

「はえええええええええっ!?」


 三者三様の声が混ざり、待ち構える鉄腕猩猩と衝突する。

 たちまち激しい剣戟が勃発し、獣の咆哮が暗い森の中に響き渡った。


「怪我人は後ろに! 支援機術師と技師の手当を受けろ! 余裕がある奴はあの人らの戦いを見とけ」

「なんであんな変態機動ができるんだよ……」

「お、お侍の戦い方じゃねぇ」


 レティたちが猿の相手をすることにより、他のプレイヤーたちにも余裕が出てきた。

 負傷した者は適切な処置を受け、動ける者は闇の中から虎視眈々とこちらを睨む黒影猩猩たちを牽制する。

 そして少なくない人々が、彼女たちの華麗な戦闘に目を奪われていた。


「どっせーーーーっい!」

「――ふぅ。こんなところですか」

「は、はえええ……。勝っちゃった」


 それから程なくして、レティたちは残っていた鉄腕猩猩を殲滅し終える。

 達成感に胸を張る彼女たちに、自然と拍手が沸き上がった。


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Tips

◇『牙槍・穿閃崩斂撃』

 〈槍術〉スキルレベル80のテクニック。

 一突きに全身全霊の力を籠め、獣の牙の如き鋭さで対象を貫く。猛獣系原生生物に対し、刺突属性ダメージ200%増加。クリティカルヒット時、刺突属性ダメージ50%、クリティカルダメージ20%増加。

 獰猛な牙獣の動きを取り入れた、野生の槍術。その一撃で獲物を打ち倒す。肉を喰らい、血を飲み乾して、その全てを己に還元する。


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