第621話「それぞれの料理」
3日間の強化合宿を終え、俺たちは〈ミズハノメ〉に向けて歩き出した。
といっても、俺は到底歩ける状態ではないため、しもふりの背で揺られているのだが。
「あの、カミルさん。別に離して貰ってもいいんだが」
『落ちたら困るから掴んであげてるのよ。感謝しなさい』
『そうじゃそうじゃ。怪我人は怪我人らしく、大人しくしておけばよい』
両脇をカミルとT-1にがっちりと掴まれ、動こうと思っても動けない。
多少窮屈だが、二人がそれでいいなら何も言うまい。
最終日にぐるぐると〈花猿の大島〉の外周を回りながら原生生物を殲滅し続けた影響か、フィールド上がとても静かだ。レティたちも周囲の警戒こそ解かないものの、雑談に興じる余裕を見せていた。
「そういえばレッジさん。結局誰が一番良かったんですか?」
先頭を歩いていたレティがこちらに振り返って問いを投げかけてくる。
言わんとしているのは、今回の合宿中の料理についてのことだろう。
「誰だろうな。難しいところだ……」
それについては俺もずっと考えているのだが、なかなか答えが出ない。
豪勢さで言えばミカゲの中華料理が良かったし、シフォンのベーコンエッグバーガーセットも疲れた体によく染みた。トーカのおにぎりも、あれはあれで素朴な味が美味しかったし、エイミーの豆腐ハンバーグやラクトのパエリアも捨てがたい。
当然、レティのカレーライスも野外飯の定番ということで外せない一品だった。
「T-1とカミルは何が美味かった?」
『ふむ。そうじゃな……』
T-1には今回、各人から特製の稲荷寿司が提供されている。
レティのカレー稲荷、ラクトのパエリア稲荷、エイミーの豆腐ハンバーグ稲荷、トーカのおにぎり稲荷、ミカゲの炒飯稲荷、シフォンのハンバーガーセット稲荷と、どれもバラエティが豊かすぎて稲荷寿司の概念が揺らいでいる。
そんな中からT-1は長く悩み抜いた末に結論を出す。
『どれも独創的なおいなりさんで捨てがたいが……。うむ、やはりレティのカレー稲荷は美味かったぞ!』
「おおっ! ありがとうございますっ」
指揮官から直々に太鼓判を押されて、レティは耳をピンと張る。
スパイシーな稲荷寿司というのはそうないし、T-1にとってもやはり印象に残ったようだ。
『ラクトのパエリア稲荷も良かったがの。既に妾は虹輝鮫のおいなりさんを食べておったから、新鮮味が僅かに薄れたのじゃ』
「あれと比較されちゃうのか……」
T-1の評価にラクトは曖昧な顔で苦笑する。
確かにどちらも魚介類が使われてはいるが、そこまで同じものでもないだろうに。
『アタシは、ミカゲの料理かしら。卵スープは美味しかったわ』
カミルが選んだのはミカゲの作った中華料理だった。
あれは彼女が本格的に戦闘に参加して、疲労困憊になった後に食べた品でもあり、その補正も多少はあるのだろう。あれのおかげで、彼女は夜の戦闘でも活躍してくれた。
「……ありがとう。教えてくれた人に、伝えとく」
ミカゲはそう言って浅く頷く。
彼以外の何人かもそうだが、今回のためにわざわざリアルで料理を練習してきたという話を聞いている。
ずいぶん気合いが入っているなと関心したが、そのおかげで合宿中も美味しい料理を楽しめたのだから頭が上がらない。
「それで、結局レッジさんはどれが一番良かったんですか?」
レティは妙にぐいぐいと迫ってきて、ラクトたちも興味があるようでちらちらとこちらを見ている。
うーむ、全部美味しかったし、やっぱり――。
「全部美味しかったし、全部一番! なんて言わないでよ?」
「ぐっ……」
まるで心を読まれたかのように、エイミーが先回りして釘を刺してくる。
思わず言葉に詰まる俺を見て、図星だったのかと呆れた顔をしていた。
「やっぱりキャンプと言えばカレーですよね。カレーが嫌いな男の人はいないって杏――じゃなくて、友達も言ってましたし!」
「パエリア作れるのは結構女子力高いと思うよ。食後のアイスも美味しかったでしょ?」
「おにぎり、良いと思うのですが!」
レティたちが自分を選べと圧力を掛けてくる。
助けを求めようとエイミーの方を見ると、
「豆腐ハンバーグ、どうだった?」
彼女からもしっかりと圧を受けた。
「そ、そうだな……」
誰を選んでも誰かが落ち込む未来が見える。
審査員を気軽に引き受けるんじゃなかった、と過去の自分を殴りたくなるが時既に遅しだ。俺は最善の解答が何か頭を悩ませ、うんうんと唸る。
「――よし、決めたぞ」
そして、なんとか結論を出す。
色々と思いはあるが、結局はどれが一番身に沁みたかだ。
「シフォンのベーコンエッグバーガーセット。激戦の後で食べたアレは美味しかった」
「は、はええっ!? わたし!?」
俺がそう伝えると、シフォンは誰よりも驚いた様子で目を丸くする。
「そ、そんな……」
「やはりシフォン。アドバンテージがありすぎますね」
「お、おにぎりでは駄目でしたか。ならば是非、今度は私の必殺筑前煮を――」
「あら、残念。私ももっとお料理勉強しようかなぁ」
レティたちは三者三様の反応を見せ、その姿に心が痛むが仕方ない。一つの定めるように迫ってきたのは彼女たちなのだ。
「実際、シフォンのハンバーガーは美味しかったよ。実はベーコンエッグバーガーにはちょっと思い入れがあってな。その思い出補正もあるんだが……」
「へ、へー。そうだったんだ。なんて偶然なんだー」
リアルの事になるためあまり深くは話せないが、幼少期は姉とたまにハンバーガーを食べた。
そのことをシフォンが知っているわけではないだろうが、アレはその時の記憶を思い起こす懐かしい味だった。ログアウトしたら久しぶりに、あの店に行きたいくらいだ。
「まあ、奇を衒った料理より王道が良かったのかもね」
「それならレティのカレーも良かったのでは!」
「カレーはほら、ボムカレーとかあるし」
「あれはレトルトじゃないですか!」
レティがへなへなと崩れ落ちてしまうが、当然彼女のカレーも美味しかった。レトルトとは違う、具のごろごろと入った特製の一皿は、毎日でも食べたいくらいだ。
当然、ラクトのパエリアもトーカのおにぎりもエイミーの豆腐ハンバーグも。
「うぐぐ……。こうなったらリベンジを所望します! 今度こそレッジさんの胃袋を掴んでみせますよ!」
「いいね。わたしも今度はもうちょい練習して――こほん。もっと美味しい料理をご馳走してあげるよ」
「わたしも、幸いリアルで沢山練習できますからね。次こそは!」
結果が分かった瞬間、レティたちはリベンジに燃え始める。彼女たちも今回の合宿で、料理の楽しさに気付いてくれたのかもしれない。
『新作のおいなりさんがあれば、妾が批評してやるのじゃ。各位奮ってよいぞ』
『あんまりキッチン汚さないでよね。掃除が大変なんだから』
T-1とカミルもそんなことを言い、本格的に彼女たちが料理に手を出すことが決まり始めた。とはいえ、〈料理〉スキルを持っていないから“親子包丁”を使う必要があるのだが……。
「私もリアルで料理を始めて、栄養学とか興味出てきたのよね。レッジにも色々付き合って貰おうかしら」
「VRだと栄養もなにもないだろうに」
「ふふっ。それもそうね」
思わず突っ込みを入れると、エイミーは静かに笑う。
彼女の背後では、レティたちがシフォンから料理の極意を引きだそうと取り囲んでいた。
「まあ、あれだな。どの料理もこのメンバーで食べられたから美味しかったのさ」
『アンタ、なんか良い感じに纏めようとしてるわね……』
俺の締めの台詞はカミルによって一蹴された。
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「杏奈、ハンバーガーショップに行きましょう!」
「お嬢様!? 突然何を仰っているんですか」
自室から飛び出してきた少女は、開口一番そんなことを言い放った。驚いていたのはドアの側で控えていた杏奈たち使用人だ。
由緒正しいお家の彼女は、そんな庶民の味方のような店には縁がないはず。ならばどこでそのような情報を知ったのか。
「いったい、今度はどんな本の影響ですか」
「ええっと、そうですね……。無人島でキャンプをしている主人公たちがハンバーガーを食べるお話です」
どんな本だ、と言いたくなるのを杏奈ぐっと堪える
世に名を馳せる清麗院家の誇る仮想図書館ならば、その膨大な蔵書の中にはそのような本があってもおかしくはない。
「ベーコンエッグバーガーを食べましょう。あとは、テリヤキバーガーも」
「お嬢様!?」
具体的な品名まで知っている主人に、杏奈は今度こそ目を丸くする。
彼女はメイド服を脱げばただの一般人なので、それらのハンバーガーにも馴染みがあるが、目の前に立つ色白の令嬢の口からその言葉が飛び出すと、違和感が際立つ。
「お嬢様、ご所望とあらば佐山に作らせますが……」
「それではいけません。お店のベーコンエッグバーガー、LLセットのドリンクはコーラでなければ」
「お、お嬢様!?」
主人の口からすらすらと流れてきたメニューに、杏奈の隣に立っていたメイドたちもついに声を上げてしまう。
どうして箸より重いものを持ったこともなかったような彼女が、そんな庶民的なことを言い出すのか。次の瞬間には「クーポンも使いましょう」と言われはしないかと使用人たちは戦々恐々とする。
もし万が一、杏奈たちの正式な主人――少女の父親の耳に入りでもすれば、屋敷は蜂の巣を突いたような騒ぎになるだろう。
「――お、お嬢様」
「なんですか、杏奈」
すでに身支度を整え――どう考えてもファストフード店では浮きまくるドレスだが――ワクワクとしている少女に、杏奈はなんとか言葉を返す。
「……とりあえず、テイクアウトでご勘弁を」
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届いたばかりの段ボールを部屋に運び、はやる気持ちを抑えて封を開く。
そこには緩衝材と共に、ネットで見たものと同じ商品が入っていた。
「か、買っちった……」
大小のフライパンと、卵焼き器、ミルクパン、深鍋、中華鍋、各種鍋蓋がセットになった一式。テフロン加工で扱いやすく、取っ手も取れる便利な奴だ。
狭いキッチンには不似合いだけど、やっぱり料理をするなら道具もそれなりのものを揃えた方がいいだろう。
「わ、わぁ。レシピも付いてるんだ」
取扱説明書と一緒に、小さな冊子も付いている。そこには簡単な料理のレシピがいくつかあって、その中にはわたしでもできそうなものもある。
「やっぱり、ずっとカップ麺っていうのも駄目だもんね。料理くらいできた方がいいもんね。――だ、誰かに食べて貰うかもしれないし!」
誰に言い訳をしているのか、そんなことを言いながらレシピのページを捲る。
一人で食べる食事は味気ないけれど、みんなで食べるととても美味しい。自分が作った料理を振る舞うのは少し緊張したけれど、美味しいと言って貰えるのは嬉しい。
何より、今回は選ばれなかったのが悔しかった。
「胃袋を握ってあげるんだから……!」
並み居るライバルたちを思い浮かべながら、真新しいフライパンたちを激励する。わたしの成長は君たちにかかっているのだ。
「そ、そうだ」
もう一つ、この鍋たちを注文した時に考えていたこともあった。
私は携帯のアプリを呼び出し、通話を発信する。
数回のコール音のあと、驚いたような声が聞こえてきた。
「あっ、もしもし。お母さん? あんな、ちょっと聞きたいことあって……。うん、家で作っとった料理の味付けなんやけど――」
_/_/_/_/_/
「せ、先輩、お料理始めるんですか!」
ひとけの減ったジムの一角。職員特権のトレーニング中の世間話をしていると、ランニングマシンで走っていた飯田さんが大きな声を上げた。
「そんなに大きな声出さなくても……」
「すみません。でも意外で」
後輩の歯に衣着せぬ言い方に思わず笑みを零す
確かに私が料理だなんて、驚くなと言う方が難しいかもしれない。
「あ、前の豆腐ハンバーグですか?」
「そうそう。あれでちょっと、料理もいいかなって思って。材料とか気をつければちゃんと美味しくて身体に良いものも作れるでしょ」
理由はまた別にあるけれど、そこまで言う必要もないだろう。
私にレシピを教えてくれた飯田さんは、大きな目をさらに開いて嬉しそうに頷いた。
「料理は楽しいですよ。自分の身体を作る材料なんですから、拘らないと損です」
「そうよね。ふっ――」
重りのついたバーベルを持ち上げ、腕と背中の筋肉が刺激されるのを感じる。
この肉体を作っているのも、私が口にしてきた各種栄養素たちだ。
「ふぅ。……それで、良かったら色々教えてくれない? 栄養学の本とかも買ったんだけど、ちょっと分からなくて」
「もちろん! なんてったってわたし、栄養士の資格も持ってますからね。なんでも聞いて下さい」
持つべきものは頼りになる後輩だ。
私はありがたく彼女に頼ることにして、作ってみたい料理について話そうとした。その時、突然飯田さんが感慨深そうな顔で口を開く。
「いやぁ、それにしても。やっぱり恋は人を動かすんですね」
「うわっ!?」
「きゃあっ!? ご、ごめんなさい!」
驚いて力が抜け、バーベルを落とす。
支えのおかげで胸に直撃することはなかったけど、結構な音がして飯田さんが飛び跳ねる。
「いや、いいの。突然変なこと言われてびっくりしただけだから」
「変なことって。あれ、ついに彼氏さんができたとかじゃないんですか?」
「ち、違うわよ!」
不思議そうな顔の飯田さんに思わず強く否定する。
なんて勘違いをしているんだろう。まだ私はそう言う関係にはなっていないし……。
「急に料理に目覚めたから、てっきり食べてくれる人ができたのかと思ったんですけど」
「……それは間違ってないけど。ただの友達よ」
「へぇーーー」
視線を合わせることができなくて、目を逸らしたまま答える。そんな私を面白がるように、飯田さんは口元を緩めていた。
「飯田さん、レシピを教わる代わりにトレーニングに付き合ってあげるわ」
「えっ」
「まずは30キロくらい走りましょうか。全力で」
「ええっ!?」
持つべきものは、可愛くて憎めない後輩だ。
しっかりと育てて、そのぷについた脇を引き締めてあげよう。
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「お嬢! 困ります、お嬢! 堪忍してください!!」
「女将さんからお嬢は台所に入れるなって言われてるんです!!」
「ええい、離しなさい! 私は料理をしないといけないの!」
掴みかかってくる門下生たちをなぎ倒し、台所へと向かう。
まったく、体の動かし方がなっていない。父さんはちゃんと稽古を付けているのだろうか。
「――台所には来るなと言ったはずよ」
「お母さん」
廊下に立ちはだかる門下生たちを退けて、ようやく本丸へとやってきた。けれど、そこには私が越えるべき最大の壁が待ち構えている。
着物をたすき掛けにして、薙刀を携えたお母さんは完全な臨戦態勢だ。
「お、おい。二人とも少し落ち着いて……」
「あなたは黙っていてください」
「父さんは試食する時まで待ってて」
「ぐぅ……」
隣で狼狽えている父さんを放って、私はお母さんと対峙する。
台所は彼女の砦、つまりお母さんを越えなければ私は包丁すら握れない。
「どうして止めるの。家族でしょ」
「家族だからよ。身内から犯罪者は出したくない」
「ま、前の筑前煮だってみんな泥酔してただけじゃん」
「そのせいで三日も稽古が付けられなかったのよ! しかも、お母さんの火酒まで使っちゃって」
ぐぬぬ。
我が母親ながら舌戦が強い。意地でも先へは行かせないという強い意志をひしひしと感じる。
火酒については滅茶苦茶怒られたし、ちゃんと反省しているんだから、もういいと思うんだけど。
「そ、そもそも弟はいいのに姉はダメっていうのは道理が通らないんじゃない?」
「あの子は料理ができる。あなたは料理ができない。単純明快でしょう」
「むむむ……。あいつだってちょっと前まで料理なんてしなかったはずなのに」
弟は私が筑前煮を作ったあの日、なんと〈龍々亭〉の真ちゃんのところにまで押しかけていたらしい。
どこで中華料理なんて習ったのかと不思議に思っていたら、なんて抜け目のないやつだ。
そのおかげで家のみんなが倒れている間はあいつが料理全般を仕切り、一定の信頼を得た。私が台所を追放されたのとは大違いだ。
「ともかく、料理は許しません。御影家の格が下がりますからね」
「そ、そこまで言わなくても! ちゃんと言うこと聞くから!」
「俺の忠告は聞かなかったじゃないか……」
ぐぅ。父さんが横からいらないことを言ってくる。
お母さんの火酒を使ったのは、ちょっと香りを付けた方がいいかと思った、ほんの親切心だったのに。
「ただいま。……どうなってんの?」
「ああっ、帰ってきた!」
お母さんと互いに一歩も引かず睨み合っていると、玄関が開いて弟が現れた。
廊下に倒れる門下生たちを見て、困惑しているようだ。
これ幸いと彼を使って突破口を開こうと駆け寄ったその時、その背後から日に焼けた褐色肌の女の子が現れた。
「お、お邪魔しまーす」
「うわああああっ!?」
さっき話題に上がったばかりの女の子、近所の中華料理店の真ちゃん!
私は一瞬お母さんと視線を交わし、それだけで意思疎通を行う。
死屍累々――死んではいない、気を失っているだけ――の門下生たちを巧みな連携で投げ飛ばし、奥の広間へと押し込む。
「い、いらっしゃい。真ちゃん。今日は何かあったの?」
「あっ、お姉さん! その、ウチにお客さんが来ちゃったから、こちらの台所を使わせて貰わないかと思いまして。ご迷惑ならすぐに退散するんですけど」
「いいのよ。ウチの子がお世話になってるんだし。ぜひ上がってちょうだい」
さっきまでの鬼気迫る表情はどこへやら、柔和な笑みを浮かべたお母さんに案内されて、真ちゃんは台所へと向かう。
「真ちゃんの料理教室か。楽しみね」
「……なんで姉さんまで参加するつもりなの?」
自然な流れで私も入ろうとしたのに、弟にあるまじき反攻を受ける。別に良いじゃないか。私も和食以外のものが作ってみたい。
「いいよね、真ちゃん」
「ええっ!? そんな、お姉さんに料理を教えられる自信はないんですけど」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと言うこと聞くから」
客の前ではお母さんたちも強くは言えないだろう。
笑顔のままこめかみを痙攣させるお母さんに手を振って、私は堂々と台所へと入っていった。
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卵焼き、タコさんウィンナー、唐揚げ。ブロッコリー、ミニトマト。ご飯は小さめのおにぎりにして、食べやすいように。
そうして作った具材を、買ったばかりのお弁当箱に詰めていく。
誰かのために作る料理の楽しさを知り、家族と食べる料理の美味しさを知った。だから、例え同じ場所で食べられなくても、同じものを食べたい。
「志穂、早起きね」
「ママの出勤に間に合うように頑張ったんだから。はい、お弁当」
今朝もばっちりとスーツを着こなして、格好いいママがやってくる。
巾着袋に入れたお弁当箱は少し似合わないような気もしたけれど、ママは喜んで受け取ってくれた。
「ありがとう。ちゃんと味わって食べるわ」
「忙しいんでしょ。ちゃちゃっと食べちゃっていいからね」
少し恥ずかしくてそんなことを言ってしまうけれど、ママがお弁当を大事そうに抱えて出掛けるのが嬉しかった。
ママが靴を履いて玄関を開けると、まだ外は暗いのにもう久川さんの車が停まっていた。
「それじゃあ、志穂。行ってきます」
「うん。いってらっしゃい」
ママは滑るように乗り込むと、真っ黒な車は静かに動き出す。
それを見送って、わたしも登校の準備を始める。
「あっ。ママにこれ見せるの忘れてたや」
荷物の確認をしていると、一枚の紙が出てきた。
それはわたしの通っている学校――清麗院女学校で近く開かれる特別授業の参加案内だった。
なんでも、理事長さんが娘さんに料理を作って貰って、いたく感激したらしい。
そこから料理の素晴らしさを学院に通うお嬢様たちにも教えるため、お屋敷で働く佐山さんという方が料理教室を開いてくれるようだ。
清麗女学院では包丁どころかお皿も持ったことのない生粋のお嬢様が沢山いるし、料理なんてしたことがない方々が大半だ。それで、逆にそんなお嬢様方の興味を引いて、参加を希望する生徒の数はかなり多くなっている。
「わたしも、お金持ちの料理が食べてみたい」
理事長――清麗院のお抱え料理人が直々に教えてくれる料理なんだから、きっととても美味しくて高級なものなのだろう。
わたしは用紙の参加希望の欄に丸を付け、テーブルに置いたものをスキャンしてママの携帯に送った。
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Tips
◇カレー稲荷
寿司飯のかわりドライカレーを油揚げの中に詰めた稲荷寿司。通常の稲荷寿司とは違う、スパイシーな味付けが独特。和と印が融合し、独自の世界が構築された。
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