第619話「練習の成果」
強化合宿三日目。最終日となる本日は、長期間無補給遠征の締めくくりとして、全力戦闘を行うことになっていた。
「カミル、準備はできたか」
『もちろん。いつでも行けるわ』
カミルも戦闘用の装備を調え、やる気を見せている。
彼女が参加するということは、当然のように俺も武器を出さなければならない。
レティたちはしもふりに積み込んだ物資の残量を確認し、そこから具体的なプランを話し合っていた。
「触媒は初日から節約してたし、結構余裕あるね」
「それじゃあ、ラクトとシフォンには頑張って貰いましょうか。応急修理用マルチマテリアルは少し心許ないですし」
「はええ……」
事前に消耗が激しくなることが分かっていた機術用の触媒であるナノマシンパウダーは、大量に買い込んでいたこともあって逆にあまり気味になったらしい。
そのしわ寄せは前衛組に来ていて、武器の修理を行うマルチマテリアルや回復アンプル、包帯の数は頼りない。
「ミカゲも、今日は支援じゃなくて前に出なさい」
「……分かった」
姉の指示に、ミカゲも唯々諾々と従う。
彼はこの2日間、ずっと原生生物の誘導や周囲の警戒などの裏方に徹していたが、流石に3日目となるとそこに専用の人員を割く余裕はなくなっていた。
「このあたりの原生生物とは、だいたい呪縁も結べたから。行けると思う」
ミカゲはレティたちのサポートをしつつ、自分でも原生生物を呪殺していた。
そのため、今の彼には強い呪縁が結びついており、それが彼の呪術を強くする。
「それでは、ひとまず一周。行ってみましょうか」
レティの声にしもふりが楽しげに吠える。
それを合図に、俺たちは〈花猿の大島〉周遊ツアーを開始した。
_/_/_/_/_/
「
「はぁーい」
椅子を並べ、テーブルを拭いていると、厨房の方からお母さんに声を掛けられた。壁掛け時計の方を見ると、もう夜営業の時間が迫っていた。
店名の〈
「うわひゃっ!?」
「……こんばんは」
完全に油断していた私は、店先に人が立っているのに気づけなかった。
慌てて避けようとしてバランスを崩す私を、彼は軽く受け止めて黒い瞳を向ける。
「み、御影君!?」
「もう、開いてる?」
「へ? あ、うん。いらっしゃいませ」
私が慌てて姿勢を直すと、彼は何事も無かったかのように店内へ入っていく。
突然のことに呆けていた私は、慌てて暖簾を掛けてその背中を追いかけた。
コップに氷と水を入れて、彼のいるテーブルに運ぶ。
「きょ、今日はどうしたの?」
御影君が一人でウチに来るのは珍しい。
彼の家は由緒正しい古武術の名門とかで、門下生も沢山いる。毎日のご飯は広い台所で一気に作って、みんなで食べているはずだ。
「……避難かな」
彼は少し考えてそう言う。
それを聞いて、私もひとつの事に思い当たった。
「もしかして、またお姉さん?」
「うん。今日は夕飯出ないだろうし、家にいたら僕まで倒れるから」
御影君――私の幼馴染みでもある彼には、双子のお姉さんがいる。お姉さんも美人で格好いい剣術の達人なんだけど、一つ致命的な欠点がある。
それが料理だ。
他の人の指示に従って料理を作っても、知らない間に独自のアレンジを施して、結果としてそれを食べた人が倒れる。
御影君がこうして一人でウチの店までやってくる時は、大抵その被害から逃れるためだった。
「あら、御影さんとこの。いらっしゃい」
「こんばんは。……醤油ラーメンの唐揚げセット、一つ」
「はいよ! 真、お客さんもいないし話し相手になってあげたら」
「ちょ、もう! お母さん!」
からかってくるお母さんを追い払いつつ、私はなるべく自然に御影君の向かいに座る。
こんなド田舎の寂れた中華屋なんて、そうそうお客はやってこない。いちおう、夜も遅くなってくると馴染みのおじさんたちが酒盛りをしにくるけど、まだまだ時間はあって暇だった。
「……こほん」
御影君は物静かな人だ。私が目の前に座っていても気にした様子もなく、お冷やを飲みつつ古文書みたいな本に目を落としている。
「お、お姉さん、今度は何を作ったの?」
「筑前煮。食べたら倒れるけど」
「うん、訳が分からないよ」
お姉さんの料理、私もかなり前に一度被害に遭ったことがある。見た目や香り、最初の一口は普通だしむしろ美味しいくらいなのに、何故かそのあと突然意識を失ってしまうのだ。
あれはあれで、別の才能があるように思えてしまう。
「大変だね」
「うん」
会話終了。
嘘でしょ……。
これでも小さい頃から接客業をしてたはずなのに、御影君とは会話が続かない。高校の友達とかなら、いくらでも話せるのに。
そもそも、もっと小さい頃、小学生くらいまでは御影君とも普通に話せてたはずなんだけどな。
「み、御影君!」
「なに?」
緊張のあまり声を上擦らせながら、頑張って会話を続ける。
「最近、どう?」
どう、ってなんだ。お見合いでもしてるのか。いやいや、私と御影君がお見合いしてどうする。
「……稽古してる。あとは、ゲームも」
「ゲーム?」
テンパる私の内心を察してくれたのか、御影君はそこから上手く話題を繋げてくれる。
稽古というのは彼の家柄的にずっと変わらない習慣だろうけど、ゲームは少し気になった。御影君がそんなのをしている姿は、今まで見たことがなかったから。
「FPO、FrontierPlanetOnlineっていうVRMMO」
「ああ、聞いたことあるかも」
最近よく流行っているし、店に置いてるテレビでもよくCMが流れている。
たしか、プレイヤーはロボットになって未開の惑星を開拓する、といった内容だったはずだ。
「姉さんと一緒にやってる。忍者になれるから」
「なるほど?」
御影君の言葉に少し熱が籠もる。幼馴染みの私くらいじゃないと分からないくらいだけど。
彼は小さい頃から忍者が好きだった。よく忍者ごっこをして遊んだりしてたし、今も歴史上の忍者について色々と調べたりしてるらしい。
ゲームの世界で忍者になれるなら、彼もさぞ楽しんでいることだろう。
「仲間と一緒に戦ったり、装備を作って貰ったり。面白いよ」
「へぇ……。仲間って、女の子もいるの?」
少し、そうほんの少し疑問に思った。
手の震えを抑えつつコップを手に取り、口に持っていく。
まあ、御影君は幼馴染みの私以外とはあんまり喋らない人だし、特に女の子とはあんまり絡むタイプじゃないはずだし。一緒にゲームをしている仲間っていうのも、なんかこう、おっさんみたいな――。
「おじさんが一人いるけど。あとは女の人かな」
「ぼふっ!?」
なんでもないように告げられた言葉に、思わず水を吹き出す。
「真! ちゃんと片付けなさいよ!」
「わ、分かってるよ!」
厨房からお母さんに叱られ、慌てて布巾を取りに行く。
御影君に掛からなくて良かった。いや、事態は全然良くないんだけど。
「へ、へぇ。女の子と遊んでるんだ。ふーん……」
「みんな強くて、一緒に戦ってると楽しい。一番強いのは、おじさんだけど」
「おじさん?」
御影君は表情筋がほとんど動かないから分かりづらいけど、幼馴染みなので多少は感情が読み取れるようにはなった。どうやら、本当に女の子たちとは何もないらしくて、むしろおじさんの事について話したがっている。
「うん。面白い人。ブログも、やってる」
彼はそう言って、手首の携帯を操作する。
開かれたのはFPO日誌という個人のブログサイトだった。
「これが僕。こっちがおじさん。こっちが姉さん」
ブログのトップページに男女八人と小さくて白い鹿が並んでいる写真があった。
真ん中の黒髪のおじさんが、御影君の言う人だろう。
御影君は案の定、忍者の格好をしているし、トーカさんも現実と良く似た凜々しい袴姿だ。
「へぇ。凄いね」
VRは学校の授業なんかでしか使わないけど、FPOというゲームが凄く完成度の高い世界であることはよく分かる。
ブログの記事に掲載された写真が、どれも楽しそうだった。
「真もやってみる?」
「うーん。ウチ、ヘッドセットも無いからなあ」
正直、やってみたい気持ちはある。でもヘッドセットを持ってないし、買うにしても高校生には厳しいお値段だ。
「そっか」
御影君はそう言って、再び本を開く。
もう少し食い下がるとか、残念がってもいいのに。そんな私の思いは伝わる様子がない。
妙にやきもきした気持ちを抱えながら、お冷やを注ぐためピッチャーを取りに立ち上がる。その時、不意に御影君が顔を上げた。
「な、なに?」
「真、料理上手い?」
「えっ。そりゃまあ、一応中華屋の娘だし、人並みには……」
なんだなんだ。俺のために毎日味噌汁を作ってくれという例のあれか。あれなのか。
ピッチャーを持つ手がブルブルと震える。それを根性で押し止めながら、平然とした顔で頷く。
「よかったら、料理教えて。今度、FPOで料理をすることになったから」
「は。そ、そういうこと……」
安堵しつつ何故か落胆も覚える。
御影君のコップに水を注ぎ、自分の方にもなみなみと補充する。御影君と話していると、妙に喉が渇いて仕方がない。
「VRの料理って現実と変わんないの?」
「分からないけど、できた方がいいかと思って」
「そっかそっか。じゃあ、仕方ないね。私がその、て、手取り足取り教えてあげるよ」
御影君が料理をしている姿は、家庭科の調理実習くらいでしか見たことがない。いやまあ、兵糧丸とか乾し飯とか作ってるのは見たことあるけど。
ともかく、エプロン姿の御影君もなかなかレアだ。
その隣に自分が立って、包丁の使い方から優しく指導してあげて。手は猫にしようね、とか言っちゃったりして。ふふ、なかなか良いじゃないか。お母さんに言われて半ば強制的にだけど、料理を習っておいて良かった。センキューお母さん。
「はい、お待たせ。醤油ラーメン唐揚げセットよ!」
「うわあっ!?」
思考に集中していたところにお母さんが大きな声を出して、思わず椅子から跳び上がる。
「何やってんのよ」
「お、驚いただけ。大丈夫、問題ないから!」
怪訝な顔をするお母さんを厨房に押しやり、よろよろと座る。
御影君はいつものマイペースっぷりで、早速ラーメンに箸を伸ばしていた。
「でも私、中華しか作れないけど大丈夫?」
落ち着きを取り戻し、外れかけた話題を修正する。
御影君は唐揚げをもぐもぐと食べながら頷く。
「屋外だけど、火は使えるから。何か簡単な奴があったら教えて欲しい」
「屋外かー。何が良いかなぁ」
中華料理は炒め物とか多いから、鍋ひとつで案外色々と作れる。本格的なお店の味とかを目指さないなら、結構簡単なものも多い。
「なになに、御影君も料理するの?」
私が悩んでいると、厨房から耳を立てていたお母さんが顔を出してくる。
邪魔をするなと追い返そうと思ったけれど、それよりも早くお母さんが口を開いた。
「ウチの厨房、使って良いわよ。どうせこの時間はお客さんも来ないし」
「……いいの?」
「いいのいいの。それに、将来の旦那には慣れて貰わないとね」
「ちょ、お母さん!?」
ケタケタと笑うお母さんに抗議する。
いや、別にそれが嫌というわけではないのですが。
「まあ冗談はともかく。御影君は料理ができた方がいいと思うわ。お姉さん的に」
「ああ、うん。それはそうだね……」
いつになく真剣な顔でお母さんは本当の理由を口にする。それに関しては、私も反論はできなかった。
これは命に関わる問題だ。
「ありがとう。助かる」
「いいのいいの。料理は怖がるものじゃなくて、楽しむものだって分かって貰いたいしね」
そんなお母さんもファインプレーによって、棚ぼた的に御影君の料理教室が決まってしまった。なんて日だ!
「ごちそうさま」
そんなことを言っているうちに、御影君は早くもご飯を食べてしまった。静かで急いでいる様子もないのに、お皿は全部ぺろりと舐めたみたいに綺麗で、別に私が作ったわけでもないのに気持ちよくなる。
「そ! それじゃあ、早速なにか教えよっか?」
「うん。……あ、ちょっと待って」
食事が終われば、早速料理教室第1回の開催だ。できれば第1000回くらまでやりたいけど、まずは最初が肝心だ。
意気込んで立ち上がったその時、不意に御影君の携帯が震えた。
お姉さんかな、と思ったけれど、どうやら違うらしい。何かメールでも来たようで、御影君は返事を打ち込んでいる。
「何かあった?」
「FPOの、防具とか作ってくれてる子から。装備更新するから、その打ち合わせ」
「ふーん。……うん? その子ってさっきのブログに居た人たちとは別?」
何気ない会話の中で、変な予感がした。
私の問いに御影君は頷いて、再び携帯を操作する。
「この子」
差し出された画面には、和風の建物の前に並ぶ男女の写真が表示されていた。
一人はいつもの忍者姿の御影君だけど、その隣に立つこの女の子は……?
「ホタルって名前。僕の防具とか呪具とかを作ってくれてる」
「へぇ……」
すっと思考が冷めていく。
何か理由があるわけじゃないけど、本能が訴えかけてくる。強いて言うなら、女の勘。
この女は要注意だ。
「お母さん」
じっと写真に写る女を見たまま、厨房にいるお母さんに声を掛ける。
ていうか、妙に御影君に近くないか? 手ぇ握ろうとしてないか? うん? 御影君歴は私の方が圧倒的に長いんだぞ。
「何よ。どうかした?」
「私もVRのヘッドセット買う。お小遣い前借りさせて。土日もお店の手伝いやるからさ」
「ええっ?」
この女は駄目だ。
やっぱり、幼馴染みの私が御影君を見ていないと貞操が危ない。
ふつふつと腹の底で炎が上がるのを自覚しながら、それを内側に押し止めて笑みを浮かべる。
「じゃあ、厨房に行こっか。とっておきの料理を教えてあげるからさ」
「うん。よろしく」
そうして、私は御影君を厨房に連れ込んだ。
_/_/_/_/_/
「――し、死ぬかと思いました」
「流石にキツいですね……」
強化合宿最終日、昼の部がようやく終わった。
内容としては〈花猿の大島〉の外周をぐるぐると回りながら遭遇した原生生物を全て撃破する、といったシンプルなものだったが、だからこそ大変だ。
絶えず高速移動を続けながら、できる限り短期での撃破を何度も行うのだ。常に神経を張り詰める必要もあるし、視野が狭まらないように気をつけなければならない。
『きゅぅ……』
「カミルも頑張ったな」
木々の間に吊ったハンモックで、カミルが力尽きている。彼女もずっと気が張っていたからか、キャンプを建てると同時にこうなってしまった。
「ミカゲはなんだかんだ、群体相手の戦闘も頼りになるな」
今回はいつも以上にミカゲの存在感が強かった。
彼の細やかな立ち回りと大規模な〈呪術〉スキルによる範囲攻撃によって助けられた場面も多い。
「ホタルの作った呪具が、良い感じ」
当の本人は謙遜しているのか、そんなことを言う。
実際、新しい呪具はどれも強力なようだが、それを扱う彼自身も成長しているはずだ。
「そういえば、今日の夕食はミカゲでしたね。ふふ、私を越えるものが作れますか?」
時刻を確認し、トーカが挑発的な目をミカゲに向ける。
まあ、あのお握りなら割と……。とその場に居た誰もが思ったが、優しく口を噤んだ。
「現実で色々習ったから。多少は作れる」
姉の挑発にも動じず、いつもの冷めた表情でミカゲは頷く。そうして、しもふりのコンテナから保管庫を取り出し始めた。
「なっ!? ミカゲ、いったい何を作るつもりなの?」
彼がコンテナから出してきたのは、大容量の簡易保管庫だった。
今までの誰よりも多い食材の量に、トーカたちは驚く。
「最終日だから」
そう言って、彼は俺から親子包丁を受け取る。そこから始まったのは、大陸に連綿と続く歴史を感じさせる豪快な料理だった。
「は……」
「なんですか、これは!」
キャンプの中央に置かれたテーブルを、豪勢な料理が埋め尽くしていた。
フカヒレスープや八宝菜、青椒肉絲、刀削麺、麻婆豆腐、焼き餃子、水餃子、鶏皮餃子、焼き豚、炒飯、天津飯などなど。
町の料理店で並ぶようなものから、妙に本格的な高級料理まで、様々な中華料理がずらりと勢揃いしていた。
「ミカゲ、あなたいつの間に」
「習った」
愕然とする姉に短く答え、ミカゲは親子包丁を置く。
「なるほど。これが満漢全席ですか」
「ちょっと違うと思うけど……」
キャンプ飯とは思えない豪勢な夕飯に、レティはすでに目が釘付けだ。
「まさか、ミカゲがここまで料理上手だとはな」
「教えてくれた人が上手だったから。僕はそれを習っただけ」
俺が賞賛すると、ミカゲはふっと視線をずらしながらそんなことを言う。
『おお。今日のおいなりはまた一風変わっておるな』
本日のT-1への供物は、具だくさんの炒飯を詰めた炒飯稲荷寿司だ。
今回は割と稲荷寿司寄りの稲荷寿司である。
「それでは、早速頂きましょう!」
「そうするか。じゃ、頂きます」
待ちきれない様子のレティに急かされ、俺たちは最後の夕食を始める。
これが終われば再び夜が来る。
_/_/_/_/_/
Tips
◇炒飯
卵やチャーシューと共に米を炒めた料理。香ばしい醤油の香りが食欲を誘う。アレンジが可能で、ラーメンや餃子ともよく合う中華の定番。
Now Loading...
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます