第617話「運動の後は」
強化合宿の2日目、昼の部はできる限り物資を節約する戦闘を心がけることになった。
もともと強化合宿中は長期遠征を想定して、〈ミズハノメ〉などに戻らず活動を続けるつもりだった。もちろん、しもふりにも積めるだけの物資を積み込んでいるが、予定している3日の間、いつものように使っていては到底持たない。
そして、そんな節約戦闘の際に要となるのが――。
「『ガード』ッ!」
「はえええっ!? あ、危なっ!」
エイミーとシフォンの二人だった。
防御力を高めているエイミーがレティたちに向かう攻撃を全て受け止めれば、そのぶん回復アンプルや包帯の消費が減り、シフォンが原生生物に対してジャストクリティカル回避を決め続ければ、そもそも一切消耗することがない。
そんなわけで、強化合宿2日目の主役はおのずとその二人になっていた。
「どう、シフォン。島の原生生物にも慣れてきた?」
「多少は、嫌でも慣れてきたよ。でも怖いものは怖い」
黒い毛並みに分厚い外骨格を纏った“石鎧豹”を殴り倒したエイミーが、背後で“鉄皮鼠”の群れを相手取っていたシフォンの様子を伺う。
シフォンは日頃のスパルタでスキルも順調に育っているものの、まだ気持ちの方が追いついていないようだ。
プルプルと肩を震わせているわりには、素早い鼠の群れを完封していたのだから、自信を持って良いと思うんだがな。
「おじ――レッジさんも手伝ってくれていいんだよ? いっぱい範囲攻撃技持ってるんだし」
「俺はただの付き添いだからなぁ」
シフォンが恨みがましい目をこちらにまで向けてくるが、今のところ手を出すつもりはない。
そもそも、すでに俺より彼女の方が戦闘能力は高くなっているのだから、彼女が危うくなるまで手を出す必要がない。
「それに、文句言うなら先にそっちの奴らに言ってくれ」
そう言って顔を横に向けると、倒木に腰掛けて和やかに談笑しているレティたちと目があった。
平和そのものな彼女たちの様子に、シフォンは憤慨する。
「そうだよ。レティたちも協力してくれていいんだよ! ていうかなんでサボってるの!?」
「サボっているとは失礼な。ちゃんと周囲の警戒はしていますよ」
「何か乱入があったら片付けてるんだから。シフォンとエイミーは落ち着いて戦ってて」
「ぐぬぅぅ……」
2日目の目的は物資を極力使わない節約戦闘だ。
レティたちは扱うテクニックのほとんどがLPを大量に消費する大技ばかりということもあり、アンプルや包帯を用いなければ数秒でガス欠を起こしてしまう。
そんな理由を盾にして、彼女たちは戦闘のほとんどをエイミーとシフォンに任せていた。
「3日目は全力戦闘になりますからね。今は気力と体力、あと装備の耐久値を温存しておくことに徹しているんです」
「トーカまで。むぅ……。エイミーも何か言ってよぉ」
お茶など嗜みつつ柔らかに笑うトーカに、いよいよシフォンは側に立つエイミーに泣きつく。
彼女を抱き留めたエイミーは、あらあらと困った顔で笑うが、本人はあまり気にしていないようだった。
「レティも警戒は解いてないし、乱入があればラクトが止めてくれてるしね。三人とも仕事はしてるわよ」
「それは……そうかもだけど……」
エイミーが優しく諭すと、シフォンも不承不承といった様子ながら引き下がる。
「それに、いっぱい動いた後のほうがご飯は美味しいわよ」
「はえ? あっ、そう言えば次はエイミーの当番だっけ」
その言葉にシフォンがはっと目を開く。
2日目の夕食を担当してくれるのは、何だかんだ〈白鹿庵〉で一番料理が上手い印象があるエイミーだった。
「腕によりを掛けてご馳走作ってあげるから、頑張りましょう」
「分かった。レティたちもお腹空かせてないと、わたしが全部食べちゃうからね」
「任せて下さい。すでに〈新天地〉の“極みハバネロドラゴンブレス抹茶チョコホイップ羊羹デラックスギガントEX”も余裕ですから」
エイミーに励まされ、シフォンはリポップした“鉄皮鼠”の群れへと飛び込んでいく。
それを見守り、エイミーもまた茂みの奥から現れた“石鎧豹”へと向き直った。
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火照った体に滲む汗をシャワーで流し、心地よい疲労感に深く息を吐き出す。
仮想現実――惑星イザナミでのアグレッシブな戦いも楽しいが、やはり現実で体を動かし汗を流すこととはまた別だ。
そんな事を思いながら、蛇口を締めシャワールームの外に置いたタオルへと手を伸ばす。
営業時間の終わったジムは閑散としていて、トレーニングルームは既に照明も落とされている。
「そういえば、強化合宿のご飯を考えないといけないんだった」
思考にFPOのことが浮かんだおかげで、忘れないように気をつけていたことを思い出す。
体の水気を拭い、濡れたタオルを汗でぐちゃぐちゃになったウェアと一緒に袋に詰め、トートバッグに放り込む。
「んー、何にしようかな……」
「どうかしました?」
下着を手に取って悩んでいると、同僚の若い女の子、飯田さんが不思議そうにこちらを見て声を掛けてきた。
私は着替えを進めながら、当たり障りのない言葉に変えて事情を説明する。
「近いうちに料理を振る舞うことになってね。何を作ろうかなって」
「なるほど! 先輩にもやっと春が……」
何をどう勘違いしたのか、飯田さんは目をキラキラと輝かせる。彼女とは大学時代からの付き合いだけれど、少し思い込みが激しいのは相変わらずだ。
「別に、そう言うんじゃないわ」
レッジとはただのゲーム仲間であって、そういう関係ではない。そもそも、リアルで会ったことも本当の名前も知らないのに。
「なんというか、ちょっとしたキャンプみたいな感じかな」
「キャンプですかぁ。それなら……」
濡れた髪をタオルで包みながら、飯田さんは自分の事のように悩んでくれた。体が冷えて風邪を引かれても困るから、とりあえず服を着るように促す。
「焼きマシュマロとか定番ですけど、ご飯じゃないですよね」
「マシュマロかぁ。砂糖よね……」
「あっ。そういえば先輩そういう感じでしたね」
思わず反応してしまって、飯田さんは軽く眉尻を下げる。
「別に良いと思うんだけどね。普段、そういうの食べてないから自然と」
「良いと思いますよ。わたし、まだその域には達していないので!」
尊敬してます、と飯田さんは両手の拳を握りしめて力説する。
それに乾いた笑いで答えながら、内心でこの変な癖をどうしたものかと思い悩む。
小学生の頃は地元の陸上競技クラブに入っていた。中学からはそれと合わせて、学校の空手部でも活動を始めた。高校で陸上は止めてしまったけれど、代わりに空手以外――少林寺、合気道、レスリングにも手を出した。
要は、昔から体を動かすのが好きだったらしい。格闘ゲームなんかも好きだったから、そういう鍛錬じみたものが好きだったのかも知れない。
大学は体育科に進み、今はこうしてジムのインストラクターなんて職に就いているのだから、我ながら筋金入りだ。
おかげで体はかなりのものを自負しているけれど、その代わりに食事に頓着しない性格になってしまった。
レンジで温めた野菜と鶏肉があれば、とりあえずなんとかなる。最近は完全栄養食という便利なものも色々と売られているし。
スナック菓子や油分と糖質の多いジャンキーな食べ物は、最後に食べた記憶すら定かではないくらいだ。
「いっそのことプロテインでも持っていったらどうですか? インストラクターっぽくて笑いは取れると思いますよ」
「別に笑いが取りたいわけじゃないのよ」
少し外れた提案をしてくれる飯田さんに苦笑する。
私が悩んでいるのは、ウケを狙うかどうかというところではない。
「私、なんだか料理上手だと思われてるみたいなのよね」
苦悩する心情を吐き出すと、飯田さんは納得のいったような顔になる。どうやら、彼女も思い当たる節があるようだ。
「先輩、人妻感ありますもんね」
「どうせ未婚の行き遅れですよーだ」
「そ、そういう意味で言ったんじゃないですよ!」
わざと大仰に拗ねてみせると、飯田さんは慌てて首を振る。
「ほら、包容力というか? 母性というか? フェロモンムンムンって感じで……」
「褒められてるのかなぁ。私、お付き合いだってしたことないのに」
学生時代はほとんど運動に捧げてきたし、たまに脇目を振るとしても地元のゲームセンターに一人で行くくらいのことだ。気がつけばいい年だが、何故か周囲に既婚者だと勘違いされているのに気がついたのはつい最近のことだった。
「子供も三人くらいいそうな感じしますもん。毎日、オーガニックな食材で愛情の籠もった料理を作ってそうですよ」
「現実は茹でた鶏ササミなんだけどねぇ」
レッジたちが私の料理に期待を寄せていることは、薄々感じていた。しかし、実際にはお湯を張った鍋かレンジしか使ったことのない残念な女なのだ。
どうにか彼らの期待に応えて、それなりに見栄えのする美味しい料理を提供しなければならない。
「普通に事情を話せば良いんじゃないですか?」
「私は料理ができませんって? ……いやだなぁ」
ちゃんと打ち明ければ、レティたちも分かってくれる。それは長い間培ってきた信頼がある。
でも、自分でもこれという理由は見つけられていないけれど、それを言うのは気が進まない。
「飯田さんって自炊とかする? 何か簡単なレシピがあったら教えて欲しいな」
「そりゃまあ、自炊はしますけど。キャンプ映えするような料理なんて……」
そう言いつつも、飯田さんは唇に手を当てて考えてくれる。やはり持つべき者は頼りになる後輩だ。
わくわくしながら待っていると、突然飯田さんの手首の携帯が震え始める。
「わ、と。ちょっと待って下さいね。――もしもし、マー君? うん、もう仕事は終わったよ」
飯田さんは耳元に手を近づけると、私と話している時とはまた違った、幸せそうな顔で話し始める。
大学時代から付き合っている彼氏さんだろう。黒い髪の毛に指を絡ませながら話す彼女を見て、羨ましく思わないと言えば嘘になる。とはいえ、そんな相手ができる予定も可能性もないけれど。
「え、今日の晩ごはん? そうだなぁ。冷蔵庫に何入ってる? うん、うん。じゃあスーパー寄ってから帰るね。うん。よろしく。うん、じゃ、待っててね」
楽しげに通話を終えた後、飯田さんはいそいそとメモアプリを開いて何かを書き始める。同棲している彼氏さんから、夕飯の催促があったらしい。
気がつけば更衣室で随分と話し込んでしまっていた。
「ごめんね、飯田さん。早く帰ってあげて」
「いえいえ! っと、そうだ、一つ思いつきましたよ!」
飯田さんは大きく首を振ると、私の携帯に向けてテキストデータを送信してきた。
「さっき冷蔵庫の中身確認して思いつきました。これなら混ぜて焼くだけだし、いいんじゃないですか?」
「混ぜて焼くだけ……?」
どうやら、飯田さんはわざわざ私に向けてメモをしたためてくれたらしい。
優しい後輩の行動に驚きつつ、メモを確認する。
そこにはwebサイトからコピーしてきたらしい、食材のリストと簡単な調理法が書いてあった。
「なるほど、これなら確かに。わざわざありがとうね」
「いえいえ! 私もこの後、その材料を買いに行かないといけないので、ついでです」
そう言って、飯田さんはそうだ、と声を重ねる。
「どうせなら、一緒に買い物も行きませんか? 本番の前に練習もしておいた方がいいでしょうし」
「いいの?」
私にとってスーパーは冷凍の野菜と鶏肉を買いに行くための場所だったため、飯田さんの申し出は正直に言ってありがたい。
とはいえ、彼氏さんが待っているのではと確かめると、彼女はカラカラと笑って首を振った。
「どうせ買い物には行くんですから、多少遅くなっても大丈夫ですよ。その程度でわたしとマー君の絆は砕けません!」
「――ふふ、そっか。じゃあ、お願いします」
確信を持って胸を強く叩く後輩に、思わず笑みが零れる。
私はロッカーからジャケットを取り出し、ジャージの上から羽織る。
「……先輩、今度一緒に服も買いに行きましょっか」
「え、なんで?」
「キャンプに行くための服、持ってます?」
「あ、それは、そうね……うん」
一瞬で声を冷めさせる後輩から妙な圧を感じつつ、私は逃げるように更衣室を出た。
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「はい、できたわよ」
「うわぁ! ハンバーグだ!」
焚き火の上に渡した金網で、大きな肉の塊が脂を滴らせる。
こんがりと焼き目が付き、香ばしい匂いを広げるそれを見て、シフォンたちが歓声を上げた。
「ほう、ハンバーグですか。エイミーらしいですね」
「ハンバーグはカレーと双璧を成す家庭料理の定番。流石、抜け目ありませんね……」
トーカとレティもエイミーの作品を見て、評論家じみた事を言う。
『うーむ……。うむ、これはおいなりさんじゃな!』
今回、T-1に供されたのは小さめのハンバーグを油揚げで包んだものだった。正直、それが稲荷寿司かどうかはかなり疑わしいのだが、本人は満足そうなのでよしとする。
「上手くできて良かったわ」
「ま、家でやるのと外で焚き火を使ってやるのとは全然違うもんね」
ほっと胸を撫で下ろすエイミーに、ラクトが実感の籠もった声で頷く。
俺はもうキャンプ飯を作るのも慣れているが、彼女たちにとっては新鮮なイベントなのだろう。
「ちなみに、お豆腐を混ぜ込んだ豆腐ハンバーグだからヘルシーになってるわ」
「なんと! 技を見せてきましたね……」
肉だけのハンバーグも美味いが、エイミーはそこに一手間加えて豆腐を混ぜ込んでいた。
正直、仮想現実内でカロリーもヘルシーもあったものではないのだが、一応効果が多少変わってくるようだ。
通常のハンバーグはレティたち近接物理戦闘職には嬉しい物理攻撃力増加効果が付くが、豆腐を加えることでLP回復速度増加効果も現れるため、機術攻撃を主軸とするラクトやシフォンにとっても無駄にならない。
「ちなみに、今回の付け合わせはポテトサラダとオニオンコンソメスープだ。パンも焼いてるからお好きにどうぞ」
「わーい! レッジさん愛してます!」
「はいはい。追加も焼いてるからな」
エイミーの豆腐ハンバーグに合わせた俺の料理も、レティたちに快く迎えられた。
昼間は人一倍動き回っていたシフォンも、焼きたてのパンを頬張っている。
「しっかり栄養摂って、夜も頑張るわよ。ね、シフォン」
「んごっ!? ま、またわたしたちばっかり戦うの!?」
ニコニコと笑って肩を叩くエイミーに、シフォンはパンを喉に詰まらせる。
そんな様子に笑いながら、俺は飲み物の入ったコップを彼女に差し出した。
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Tips
◇豆腐ハンバーグ
ミンチ肉に豆腐を混ぜた、ヘルシーなハンバーグ。じっくりと焼き上げ、ジューシーな仕上がり。腹持ちが良く、活力が湧いてくる。
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