第616話「闇夜を越えて」

「十五時の方向、茸猪一頭来ます!」

「普通に三時って言ってくれませんか!?」


 夜間の戦闘は視界が著しく制限される。

 通常の視界は全て闇に埋め尽くされ、わたしやトーカは何も認知することができなくなる。タイプ-ライカンスロープのレティがその聴覚で周囲の状況を察知し、トーカやわたしはそれを頼りにすることで、どうにか戦うことができる。

 暗闇の中から獣の悲鳴が上がり、それを聞いて初めてトーカの刀が猪を斬ったことが分かる。

 昼間の戦闘以上に神経を張り詰めないといけない状況下、だけどわたしにはその余裕が無かった。


「――クト。……ラクト!」

「危ないっ!」

「えっ、うわっ!?」


 背後から迫っていた別の茸猪に気がつくのが遅れた。

 はっとした時にはエイミーが強引にわたしを突き飛ばし、盾をねじ込んで猪の突進を受け止めてくれていた。


「はあっ!」


 すかさず飛び込んできたシフォンが、手負いの猪に炎の斧を叩き込んでトドメを刺す。

 彼女も最近、エイミーたちのしごきを受けてメキメキと実力を上げている。


「何か考え事してた? らしくないわよ」

「ごめんなさい。次からはちゃんとするから」

「夕ご飯食べてからずっと動いてますからね。集中も切れているでしょう。特にラクトは頭をよく使う戦闘スタイルですし」


 トーカの慰めに軽く唇を噛む。

 確かに、わたしの戦闘スタイルは頭を使うけれど、そのせいでぼうっとしていたわけじゃない。この後に待ち構えている例の件がなければ、夜間だろうが数時間の継続戦闘だろうが、問題なくこなせていたはずだ。


「とはいえ、そろそろ夜も明けますね。キャンプの方へ戻りながら戦いましょうか」


 レティが時刻を確認し、そう提案する。

 密林の中はまだ真っ暗だけれど、もう夜明けが迫っていた。その事実を認めた瞬間、お腹の下あたりがぐっと重たくなった。


「キャンプに戻ったら、料理だっけ」

「そうですね。カレーの効果も切れますし、お腹も空いてきますし」


 おずおずと尋ねると、レティは至極当然と頷く。

 そうして、はっと気がついた様子でこちらを見た。


「次の当番はラクトでしたっけ。美味しい朝ごはん、楽しみにしてますよ」

「あ、うん。頑張るよ」


 藪蛇だったかと怯んだけれど、もともと順番は決めている。時間の経過には抗えない。


「ラクトはお料理が苦手なんですか?」

「苦手って訳でもないんだけど……」


 何かを察したのか、トーカがそっと近づいて囁いてくる。

 わたしは曖昧に頷き、レティが誘き寄せてきた一角跳ね馬の群れに矢の照準を定めながら過去を思い返した。


_/_/_/_/_/


 惑星イザナミでは氷属性専門の機術師としてそれなりに有名なわたしも、現実ではどこにでも居るただの会社員だ。連日のように押しつけられる伝票を仕分け、延々と帳簿の整理をする日々は無味乾燥だけれど、無心でできるから苦ではない。


「つ、疲れた……」


 とはいえ、デスクワークが快適かというとそんなはずもなく、今日も這々の体で自宅のマンションへと帰還を果たした。

 パンプスを脱ぎ捨て、堅苦しい服を脱ぎ捨てて、草臥れた部屋着のスウェットに着替える。化粧を落とすのも面倒くさい。


「どうしよっかなぁ」


 目下の所の悩みは、強化合宿中の料理についてだ。

 大学入学を機に一人暮らしを始めて既に五年以上、自炊も生活の一部になって久しい。とはいえ、とても料理が得意とは言えないのが現実だ。


「……」


 机の上に散乱するのは、割り箸が刺さったカップ麺の残骸。床には散らかした服とゴミと雑誌が散乱している。

 自炊は、する。たまに。

 そもそも、コンビニが通りを挟んで向かいあっているような町に住んでいるわけで、一定の収入のある社会人であるわけで。人間、楽な方向へ流れてしまうのも仕方が無いことなのだ。


「冷蔵庫、何かあったかな……」


 本番は仮想現実とはいえ、現実で練習しておくにこしたことはないだろう。そう思って、ツードアの小さな冷蔵庫へと向かう。


「たまご、レタス、ウィンナー……。この牛乳、いつの奴?」


 閑散とした冷蔵庫の中にあったまともな食材は、たまごが二つとウィンナーくらいだった。レタスは萎びて倒れているし、牛乳はいつからあるのかも分からない。

 死んだ眼で牛乳を処分しつつ、どうしたものかと思考を巡らせる。


「スーパー……」


 久しく行っていない。財布にポイントカードが入っていたような気もするし、アプリに移行していた気もする。

 一番馴染みの店といえば、コンビニか会社近くの居酒屋くらいだ。


「行ってみるかぁ」


 幸い、まだギリギリ顔面は保っている。

 乱れていた髪の毛を手櫛で整え、部屋着から最低限外に出られる程度の服に着替える。携帯を手首に嵌めておけば、鍵と財布もいらないだろう。

 履き古したスニーカーに足を滑り込ませて、わたしは帰ってきたばかりの我が城を再び発った。


「ここだここだ。久しぶりだねぇ」


 会社と自宅の往復しかしていなかったから、少し場所がおぼろげだったけれど、なんとかスーパーに辿り着くことができた。

 自動ドアをくぐり、明るい店内に入る。懐かしい陽気な音楽が聞こえてきて、思わず口の中でメロディを追った。


「や、野菜ってこんなに多かったっけ」


 入り口を歩いてすぐのところには、野菜が並んでいる。閉店間近ということもあってか隙間も多いけれど、かなりの種類が並んでいた。

 熟練の主婦ならそれらを見ただけでメニューが浮かぶんだろうけど、わたしにはサラダか野菜炒めくらいしかレパートリーがない。

 誰に食べさせるわけでもなく、自分が栄養を取れればいいだけの自炊生活、意識してメニューを開拓しなければ、そんなものだろう。


「とはいえ、野菜炒めってわけにもいかないよね。……レッジはそれでも喜んでくれそうだけど」


 例えそうでも、一介の女子としての矜持が許さない。

 きっと、レティもトーカも、もしかしたらエイミーも凄く立派な料理を作ってくる。そんな中でわたしだけがぱっとしないものを作ったら、それはなんだか、負けてしまう。


「なんかこう、パエリア、的な……?」


 ぱっと思い浮かんだのは、名前だけ知っている料理。おぼろげなビジュアルはあるが、実際に何が使われてるかまでは分からない。エビとか、貝とか、だったかな?

 生鮮食品売り場へ進み、冷蔵ケースを見渡す。

 エビは何種類か置いてあるけど、貝はアサリとホタテしかない。パエリアはなんかこう、黒い貝殻のお洒落なヤツを使っていたはずだ。


「って、ここで食材揃えても仕方ないんだよね。ウチに呼ぶわけじゃないんだし」


 ふと言葉を零して、変なことにまで想像を巡らせて、一人で悶絶してしまう。今日は一際疲れているらしい。

 気を紛らせるため携帯の画面を呼び出し、パエリアの作り方を検索する。

 具材を炒めて、お米とサフランとお水を入れて、炊き上げる。チャーハンみたいなものかと思っていたけど、どちらかというと炊き込みご飯に近いらしい。


「〈ミズハノメ〉だし、魚介類は揃うよね。お米も色々売ってるだろうし……。サフラン?」


 スパイスはよく分からない。もしかしたら売ってるのかもしれなけれど、そんなお店に用がなかったから行ったことがない。

 レッジが農園で育ててたりしないかな、そしたら分けて貰えるかも、なんて考える。


「とりあえず、なんかできそうだし」


 謎の確信を持って、パエリアの具材を買い込んでいく。お米は実家から送られてきたものが残ってるし、それを使おう。


「うわ、こんなのあるんだ」


 スーパーが私の来店を見越していたのか、そもそも私みたいな奴が何人もいるのか、エビが置いてあるコーナーにパエリアの素というそのものズバリな商品が並んでいた。

 どうやら、これを使えば誰でも簡単に美味しい完璧パエリアができてしまうらしい。

 スパイスコーナーへ向かう予定を変更し、いそいそとそれをカゴに入れる。現代の食品メーカーはやはり偉大だ。


「……失敗したら、駄目だからね」


 晩ごはんが炭素の塊になる危険性を回避するため、カップ麺も補充しておく。ドリンクコーナーでお茶と牛乳を買い、野菜コーナーまで戻ってレタスも買った。

 とりあえず、朝ごはんくらいから自炊の割合を増やしていこう。


「レジ袋おつけしましょうかー?」

「あ、お願いします」


 会計を終え、レジ袋を片手に提げて帰路に就く。

 夜の町を若者たちが賑やかな声で騒ぎ立てながら颯爽と自転車で駆けていく。数年前まではあの世界にいたのだ、と少し懐かしく思いながら、わたしは本日二度目の帰宅を果たした。


「――さて、作るか」


 手を洗い、服を着替え、いざキッチンに立つ。

 本日の戦利品をレジ袋から取り出し、久しぶりに出番のやってきたフライパンを取り出し、パエリアの素のパッケージに書かれていたレシピをお供に作業を始める。

 もともと、料理自体は好きでも嫌いでもない。レシピがあれば、その通りに従っていればそれなりのものができるのだ。お湯を沸かして3分待つことのほうが、圧倒的に楽なだけで。

 最近はレシピも充実していて分かりやすい。そもそも、材料を切って炒めて炊くだけだから、失敗のしようも無いはずだ。


「できた」


 久しぶりの料理は案外楽しく、電球の弱った薄暗いキッチンで一人小さく歓声を上げる。

 パエリアの素が3人前だったから随分と多くなってしまったが、幸いなことに冷蔵庫はかなり余裕があるので大丈夫だろう。

 熱い湯気を立たせるフライパンには、黄色く染まった米が広がり、その上に鮮やかな赤色になった殻付きのエビやシーフードミックスが載っている。

 初めて作ったにしては上出来だろう。


「……げっ」


 しかし、皿に取り分けるためにしゃもじを突き刺した時に違和感を抱く。嫌な予感に眉を顰めながら、祈るような気持ちでしゃもじを動かすと、思わず目を覆いたくなるような光景が現れた。


「まじかぁ」


 底が焦げている。

 パエリアは鍋底にソカラというお焦げができるらしいが、その範疇を大幅に越していることは初めてでも分かった。

 なにせ、パエリア全体が鍋の形を保ったまま浮き上がるのだ。


「……これ、向こうだと焚き火で作るんだよね」


 ネットの情報に因ると、屋外で焚き火を使って作るのが真のパエリア、らしい。とはいえ、その場合の火加減の調節の難しさは家庭用IHの比ではないだろう。


「冷やすだけならなんとでもなりそうなんだけどなぁ」


 ガリガリとしゃもじの先でパエリアを割りながら、唇を尖らせる。表面上は上手くできていただけに、落差も大きい。

 まわりから見られている状況で、上手くできるだろうか。FPOのシステムアシストに願を掛けておく必要があるかもしれない。


「……カップ麺、買っておこう」


 FPOにも携行食の一種としてインスタント食品が存在する。実在の企業がイザナミ計画スポンサーとして味覚データなどを提供しているもので、わたしにもなじみ深い味から、企画段階の挑戦的なものまでかなり幅広く存在していたはずだ。

 お湯を沸かすだけなら、焚き火でもできるだろうし、最悪それで勘弁して貰おう。


「味はまあ、上だけなら……。エビおいしい」


 切り分けたパエリア(塊)の一かけを摘まむ。少々行儀が悪いが、気楽な一人暮らしだ。誰に見られているわけでもないし、別にいいだろう。

 サフランの香りが異国の風味を際立たせ、なかなか美味しい。とはいえ、スパイスが前面に出ているわけではなく、以外と素朴な、素材本来の味が感じられる。

 下の方にある炭の塊は、無心で噛み砕けばなんとでもなった。

 FPOの味覚エンジンはかなり優秀だし、〈ミズハノメ〉で新鮮な海鮮を揃えれば、もっと美味しいものができるだろうか。

 ゲームの中でどう再現するか、どんな食材を買い集めるかなどを考えつつ、気がつけばお腹がいっぱいになるまで食べてしまった。残りはフライパンごとラップを掛けて、冷蔵庫の中へ退避させる。


「ふふん、ふふんふーん」


 お腹がいっぱいになったことで落ち込んだ気分も回復する。わたしはそのまま、冷蔵庫の下――冷凍庫の引き出しを開く。


「今日はどれにしようかな」


 中に所狭しと詰まっているのは、様々な種類のアイスだ。王道のカップアイスから、アイス最中、ソフトクリーム。かき氷や、アイス大福、FPOの名前の由来になったラクトアイスも。日頃からコンビニで買い溜めた財宝だ。

 その日の気分で選ぶため、常に手に入る全てのアイスを備えておきたい。

 わたしは直感で、マンゴー味の棒付きアイスを手に取る。パエリアと言えばスペイン、スペインと言えばマンゴー、らしい。さっき調べたばかりだけれど。

 冷凍庫を閉じつつアイスを開封し、早速齧り付く。甘いマンゴーが口の中に溢れ、思わず笑みが零れてしまう。

 シンクに置いた食器類に水を溜め、アイスを携えて自室の机に向かう。まずは、惑星イザナミにサフランがあるかどうか。wikiを見れば分かるだろうか。


_/_/_/_/_/


「――じゃん、パエリアだよ!」


 ラクトがフライパンの蓋を取ると、白い湯気と共に食欲を刺激する香りが周囲に広がる。

 ふつふつと僅かに残った水分が黄色く染まった米を揺らし、その上には豪勢にエビや貝がゴロゴロと載っている。

 調理中は不安そうに火の様子を見ていたラクトも、ひとまず安堵の表情を浮かべていた。


「はい、レッジ」

「おお。ありがとうな」


 パエリアの盛られた皿を受け取ると、より一層その姿に圧倒される。有頭エビの鮮やかな赤がまるでルビーのようだ。大ぶりなイカは〈剣魚の碧海〉で獲れた大銛烏賊だろうか。


『ふむふむ。これもなかなか良いのう』


 T-1に差し出されたのは、パエリア稲荷だ。パエリアをそのまま油揚げに詰め込んだものだが、T-1は満足そうに頷いている。


「ほら、ここのお焦げはソカラって言うんだよ」

「へぇ。パリパリしてて美味しそうですね」


 鍋底に接するあたりはほどよく焦げていて、そちらも香ばしそうだ。

 本人としても会心の出来なのかもしれない。


「サフランを育ててないか聞かれたから、本格的なインドカレーでも作るのか思ったんだけどな」

「ふふん、外れだったねぇ」


 ラクトの料理の付け合わせのため、俺が作ったのはタンドリー風のローストチキンだった。事前に食材の用意に少し関わったため、変に予想をしてしまって外れてしまった。

 急遽、野菜担当として生春巻きも作り、そちらも添えて各人に配る。


「これはこれで、国際色豊かで良いと思いますよ」

「どれも美味しいので、問題ないです!」


 レティたちのそんな感想を聞いて、ひとまず安心する。

 そうして、ひとしきり食事を楽しんだ後で、ラクトはしもふりのコンテナから小さな保冷簡易保管庫クーラーボックスを抱えてやってきた。


「朝ごはんだけど、問題ないよね。アイスも用意してるよ」

「やった! さすがラクトですね!」


 キャンプには朝靄が掛かっているが、別に寝起きというわけではない。むしろレティたちは夜通し戦い抜いたあとということもあり、甘い物を欲していたようだ。

 ラクトの粋な計らいに感謝しながら、各々ボックスの中を検分した。


「それじゃあ、強化合宿2日目も張り切っていきましょう!」


 アイスを杯のように携えて、レティが呼びかける。

 その声に応じて、ラクトたちも高く手を掲げた。


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Tips

◇パエリア

 野菜、魚介類、肉など炒め、米と共に炊き上げた料理。素材の滋味豊かな味わいで、底にできるお焦げも良いアクセント。


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