第615話「初めての手料理」
焚き火の近くに
『む? また面白い物を使うておるの』
その時、ちょうど通りがかったT-1が、大小一組の包丁を見て眉を上げた。
「知ってるのか? 〈ミズハノメ〉の店で買ったんだが」
『一応な。ほれ、妾らがやった料理屋があるじゃろ』
T-1が言っているのは〈万夜の宴〉の時に開催した移動販売のことだろう。
管理者や指揮官たちが直接調査開拓員と交流を図る、良い機会になったと自負している。
『あそこで使用した
「……つまり?」
首を傾げる俺に、T-1は咬み砕いて結論を告げる。
『スキルアシストが弱まる代わりに、個人の裁量が強くなる。普段よりもより自由に生産活動ができるというわけじゃ』
「なるほど」
“親子包丁”は〈料理〉スキル持ちが同伴していることを条件に、〈料理〉スキルを持たないプレイヤーも料理ができるようになるという特殊な調理道具だ。
スキルを元々持たないプレイヤーだからこそ、アシストの強度が低く、そのぶん手動操作の割合が大きくなるらしい。
「つまり、レティの実力が十分に発揮できるということですね!」
話を聞いていたレティが割り込んでくる。
今日の料理当番は彼女だったらしい。
事前の打ち合わせ通り、食材も買い込んできたらしく、彼女は木箱を抱えている。
『まあ、そういうことじゃな。良いおいなりさんを期待しておるぞ』
そう言ってT-1はテントの方へと歩いて行く。
今回の料理対決に際して、俺とカミルとT-1が審査員の役を拝命しており、T-1向けに稲荷寿司を一皿作ることがレギュレーションに定められていた。
「任せて下さい。ほっぺが落ちるようなお料理を作って見せますよ!」
レティは“料理人のエプロン”を装備して、すでにやる気十分と言った様子だ。
この日のために、わざわざ〈料理〉スキル補助装備まで揃えたのには驚いたが。
「レティの料理か。めちゃくちゃ辛いのは苦手だから、勘弁してよね」
「私も小食なので、あまりボリュームがあるのはちょっと……」
楽しそうに準備を始めるレティとは対称的に、それを見守るラクトやトーカは戦々恐々といった様子だ。
彼女の普段の食事風景を見ていればさもありなんと言った感想だが、当のレティは不満げに頬を膨らませている。
「失礼ですね。ちゃんとレッジさんや他の皆も安心して食べられる美味しいお料理を提供しますよ。何を隠そう、この日のために練習してきたんですから」
「練習って、リアルで作ってたのか?」
俺が驚いて問うと、彼女はしっかりと頷いた。
FPOはゲームとはいえ、仮想現実系のタイトルの中でもかなりリアリティの高い作品だ。
そのため、料理ひとつ取っても現実に通ずるところは多いだろうが、まさか事前に練習までしてくるとは思わなかった。
「いやぁ、なかなか大変でしたよ。まず調理場を使わせて貰うまでも苦労しましたし……」
早速料理を始めながら、レティは語り出す。
俺たちもそれを聞きつつ、彼女が両手で包丁を握りしめダンダンと力強くニンジンを切っていくのを見守った。
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「お、お嬢様!? その荷物はいったい……!」
いつもより遅い主人の帰りを待っていた杏奈は、ようやく開いた扉の向こうに立っていた彼女を見て、思わず驚きの声を上げてしまった。
柔らかに笑う少女の背後に控えている護衛が、その屈強な体格と皺ひとつ無い黒服にミスマッチな、ポップなロゴの印刷されたレジ袋を両手に提げていたのだ。
杏奈は慌てて口を抑え、頭を低くするが、少女は気にした様子もなく事情を話した。
「近くのスーパーで買ってきました。何が必要になるか分からなかったので、少し多くなってしまいましたが」
「そんな、仰って下されば私が揃えましたのに」
普段は自室で静かに刺繍や読書を嗜んでいる主人には似付かわしくない、突飛な行動だ。
ちらりとレジ袋の中身を覗いてみれば、野菜や肉といった食材がはち切れんばかりに入っている。
杏奈は護衛から荷物を受け取りながら、主人が数日前から父親と交渉を続け、調理場に立ち入る許しを得ていたことを思い出す。
「普段はお料理なんてなさらないのに、どういった風の吹き回しですか?」
長い廊下を歩きながら、先頭を行く主人に訳を尋ねる。
彼女とは生まれた頃からの付き合いで、年齢も他の使用人たちと比べれば近いこともあり、杏奈は主人とも比較的親しく話すことができる。
厳密に言えば、杏奈が主人と言うべき人物は目の前の少女の父親なのだが、すでに彼女にとっては少女こそが主人だった。
「人並み程度には、料理もできた方がいいと思いまして」
「はぁ」
また何か、小説に影響されたのだろうか。
杏奈は小首を傾げて前を歩く少女の横顔を伺う。
少し前までは物静かで大人しい、淑やかな性格だった彼女が、ここ最近はどういうわけか精力的に運動などを始めている。側付きの者としては怪我などされないか気が気では無いのだが、止めるわけにもいかず気を揉んでいた。
本人は「最近手を伸ばし始めた冒険活劇の小説に影響されて」と言っていたが、彼女が幼い頃から側に仕えてきた杏奈にはそれがどうにも核心ではないように思えて仕方がない。
「仮想現実内で、なにかありましたか?」
「んえっ!? そ、そんなわけないじゃないですか。仮想図書館にしかアクセスしていないですし、ははは」
ふと直感に従って尋ねてみると、主人はぴくりと肩を揺らす。
明らかな動揺に、杏奈は疑念の目を強めた。
主人は幼少期が病弱だったこともあり、仮想現実との付き合いも長い。自室に居る時のほとんどを眠って過ごし、仮初めの現実の中にある膨大な蔵書量を誇る図書館で思慮に耽っていた。
今もそんな生活を続けていると思っていたが、そうではなかったのだろうか。なにせ、仮想現実へのアクセス中、体は眠っている状態になるために外から見ても何をしているかまでは分からない。
「ほら、調理場に着きましたよ。早く作りましょう」
「はぁ……。かしこまりました」
疑念は拭えないが、わざわざ主人に追及することもないだろう。杏奈は一介の使用人であり、主人にもプライベートというものがある。
そんな思いで疑問を胸の内に押し込め、杏奈は調理場の扉を開く。
広い銀色の部屋では、白いエプロン姿のシェフたちが夕食の準備に取りかかっている。
「お嬢様!? なぜここに……」
「りょ、料理長。実は昨日、旦那様からご連絡がありまして」
「馬鹿野郎、それを事前に言わんか!」
大柄な料理長は顔面を蒼白にした見習いを小突き、慌ててこちらへやってくる。
「すみません、佐山。突然押しかけてしまって」
「そ、そんな。こちらの不手際でご連絡が伝わっておらず、申し訳ありません。それで、何の御用でしたでしょうか」
料理長は平身低頭で主人の来訪の理由を尋ねる。
そもそも、調理場は使用人たちの領分であり、主人が立ち入ることは滅多にない。何の前触れもなく彼女が現れたとなれば、調理場にも鋭く緊張が走る。
「少し、お料理をしようと思いまして。調理場の隅を貸して頂けませんか?」
「は、料理……? それはまあ、構いませんが」
主人の突拍子もない言葉に、料理長の佐山はぽかんとする。
そりゃそうだ、と杏奈は少し眉を下げて主人を見る。そんな周囲の気持ちを知ってか知らずか、当の本人は穏やかに微笑みを浮かべている。
「本日の夕食がお気に召されないようでしたら、すぐにメニューの変更も致しますが」
「いえ、そう言うわけではないのです。ただ、自分で料理を作ってみたいと思いまして」
その言葉に佐山は更に困惑を深める。
仕方の無いことだ。杏奈の前に立つこの少女は、生まれてこの方、箸より重い物を持ったことがない。血を見ることも無かっただろうし、野菜を洗うことすらしたことはないだろう。
「その、いったい、何をお作りになられるので?」
困惑が重なっているせいか、佐山の言葉が若干危うくなっている。
しかし、杏奈の主人はそれに構わず答えた。
「カレーライスを作りたいんです。やはり、キャンプの定番と言えば、カレーですよね」
「カレー……ですか……?」
杏奈も初めて聞いた主人の希望に、佐山は絶句する。周囲で聞き耳を立てていた他の料理人たちも同様だ。
この屋敷でもたまにメニューとして上がらないこともないが、どちらかというと杏奈たち庶民に親しまれる料理である。
しかも、キャンプとは。主人がキャンプに出掛けたという話が予定として上がりでもすれば、それだけで杏奈の耳に届かないはずもなく、まさに青天の霹靂だった。
「あっ。……こほん。その、キャンプをする小説を読んで、そこに載っていたカレーの描写がとても美味しそうだったので」
「なるほど、そういうことでしたか」
「では、調理場をお借りしますね」
半分呆けた様子で頷く佐山の横を通り、少女は調理場の中へ入る。
我に返った杏奈が慌てて後を追い、佐山もついてきた。
少女は料理人達が慌てて片付けたスペースに陣取ると、杏奈にレジ袋の中身を取り出すように指示を出す。
ステンレスの作業台に袋を置き、中身を取り出していくと、だんだんと杏奈と佐山の表情が曇っていった。
「あの、お嬢様……」
「なんですか?」
「カレーを作るんですよね?」
杏奈が確かめると、主人は当然だと頷いた。
しかし――。
「特上A5シャトーブリアンから、グラム88円の鶏ササミまで……」
「ジャガイモもニンジンも品種が一通り揃ってる」
広い作業台に所狭しと並べられた食材の山。
最高級のものから庶民の味方まで、その価格差で風邪を引きそうなほど多種多様なものが犇めいている。
伊勢エビ、ロブスター、ブラックタイガーといったエビ類、イカ、タコ、貝類もあるが、これはシーフードカレーを作ろうという思惑からだろうか。
更にスパイスもまるでスーパーのコーナーを丸ごと持ってきたのかと勘違いするほどの充実ぶりだ。その割には有名なカレールーなどもある。
レトルトカレーまで一通り揃っているのは何故だろう。
「カレーについては一通り調べたんですが、何を作ろうか迷ってしまって。とりあえず使いそうな食材を竹村たちにも選んで貰って、一通り揃えました」
「そうでしたか……」
竹村というのは、玄関までレジ袋を持ってきた屈強な護衛の名前だ。優秀な男だが、ここまで唯々諾々と従わなくてもいいだろうに、と杏奈は肩を落とす。
しかし、レジ袋は屋敷に近いスーパーのものだったが、あそこはこんなに品揃えが良かったのかと感心もしてしまう。
「とりあえず、全部切って煮込めばカレーになりますよね。では、早速――」
「お嬢様!?」
「お待ちくださいお嬢様!」
ブラウスの袖を捲り、包丁に手を伸ばす主人を、杏奈と佐山は慌てて止める。
驚く少女にぐったりとしながら、佐山が額に滲んだ汗を拭った。
「見境無しに調理しては、できる物もできません。そもそも、事前の処理が必要な食材もありますし、スパイスには取り扱いが必要なものもあります。あと、ここにあるもの全て使ったら、数十人分の量になりますよ」
「そ、そうでしたか……。すみません」
しゅんと肩を縮める主人に、佐山が慌てる。
彼は丸太のような腕を振りながら、主人を慰めるように言葉を続けた。
「こちらで食材を選定しますので、お嬢様は希望を仰ってください。ええと、キャンプをする時のようなカレーでしたよね」
「ええ。海が近いのでシーフードがいいと思ったんですが、やっぱりお肉の方がいいですね」
「分かりました。では、お肉を中心に考えましょう」
佐山が目配せすると、控えていた料理人達が作業台を取り囲む。
彼らは相談しながら、膨大な食材の山から使うものと使わないものを分けていく。当然の如く、A5ランクのシャトーブリアンは冷蔵庫行きとなった。
「あれをカレーにするのは、酷ですからね……」
「コク? やっぱりカレーにはコクが大切ですよね」
思わず零した言葉を主人が拾い、妙に活き活きとした顔で迫ってくるが、杏奈には曖昧に頷くことしかできなかった。
「あの、お嬢様。このブランデーやチョコレートはなんでしょう?」
「それは隠し味に使おうと思って。お味噌とかお醤油とかも買ってきましたよ」
「こ、これを隠し味に……?」
料理人たちが食材の山から掘り出したのは、高級な洋酒と菓子だ。どう考えても近所のスーパーで揃えられるような代物ではないし、レジ袋に包まれていていいものではない。
「有村に頼んでいた物ですね。そちらの袋にはデパートで買った物が入っているはずです」
「デパートなら外商に頼めば良かったのでは……」
杏奈も疲れてきたのか微妙に外れた指摘しかできない。ちなみに有村というのは、竹村と共に少女の護衛を務めている大男である。
あの二人にも一度聴取が必要そうだ、と杏奈は心のメモに強く記す。
「お嬢様、ひとまずこちらで料理をしてみましょう」
延々と食材の山を切り崩しつづけ、ようやくその作業が終わる。
広い作業台に積み上がっていたもののほとんどが野菜室や冷蔵庫、冷凍庫など適した保管場所へと移され、残ったのは杏奈にも親しみ深い食材たちだけだった。
「野菜はジャガイモ、ニンジン、タマネギ。肉は牛モモ肉の角切り。ルーは市販されている固形のものを使いましょう」
「ずいぶんと量が減りましたねぇ」
「これでも5人分くらいは十分作れますよ……」
佐山はすでに疲れている様子だが、まだ始まってすらいない。
杏奈はひとまず主人を別室で着替えさせ、料理に適した格好にする。
手を洗い、長い黒髪を纏め、エプロンを身に着けた様子は、杏奈も初めて見る光景だった。
「お嬢様、やはり刃物を使う作業は我々が……」
「それでは意味がないでしょう。大丈夫です。ちゃんとできますよ」
ダンッ!
「ほら、すっぱり」
「すっぱり、じゃないですよ! ちゃんと食材を片手で抑えて、ゆっくり切って下さい」
まるで薪割りかと勘違いしそうなほどワイルドな音に、調理場で戦々恐々としていた料理人達が一斉に跳び上がる。
杏奈は慌てて主人の手を確認し、血が流れていないことに胸を撫で下ろす。
「むぅ。やっぱりハンマーの方が性に合ってますね……」
「なんですか?」
「な、なんでもないです!」
小声で何事か呟いた少女は、杏奈に向かって首を振り、まな板に突き刺さった包丁を再び握る。
「杏奈は料理とかしますか?」
「それは、まあ。それなりに」
屋敷ではメイド服を着て、使用人として働いているが、杏奈も普段は一般人のひとりだ。屋敷に来る前は日常的に料理もしていた。
とはいえ、屋敷と同じ敷地内にある宿舎で一人暮らしをするようになってからは、使用人用の食堂を利用する事の方が多く、料理が得意というわけではない。
「カレーとか作ります?」
「そうですね。それぞれの家庭の味があるといいますし、母親からも教えられました」
「なるほど、家庭の味ですか」
深く考えず呟いた杏奈の言葉に、少女は妙に嬉しそうにする。
「家庭の味か。私のところはおでんの残りをカレーにしたりしてましたね」
「佐山、お嬢様の前で何を……」
「いいですよ。そう言ったお話を聞くのも楽しいです」
懐かしそうに目を細める佐山の言葉を杏奈が諫めるが、主人はむしろ続きを促す。
楽しげに話す佐山と、それに耳を傾ける主人を見て、杏奈は仕方なさそうに笑みを浮かべた。少し変わったところもある主人だが、こうして使用人一人一人の名前を覚え、彼らとも分け隔て無く接してくれる。そんな主人のことを、杏奈は誇らしく思っていた。
「では、食材が切れたら鍋で炒めます」
「分かりました。強火で一気に時短しましょう。あ、そういえばフランベというのもやってみたかったんですよね」
「お嬢様!?」
突然火柱の上がる調理場が再び蜂の巣を突いたような騒ぎになる。
涙目になりながら主人を守り、杏奈は先ほどまでの温かい心が冷えていくのを感じていた。
「お願いですから……基本に従って下さい……」
心の底から染み出した言葉は主人にも届いたらしい。
彼女はしゅんとしながらも小さく頷いた。
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「――と、言うわけでカレーです!」
レティが完成させたのは、牛肉と野菜を使ったオーソドックスなカレーだった。
一周回って意外なほど普通な料理を出され、ラクトたちも虚を突かれている。
そもそも、調理中の彼女が語る話の端々から感じられた別世界感にも今だ理解が追いついていないのだが、ひとまずそちらは思考を放棄する。
「ほんとに普通のカレーだな」
「だから言ってるじゃないですか。基本に忠実に従うのが一番らしいので」
平皿にライスを盛り、そこにカレーを掛けていく。
そうすれば見慣れた一皿の完成だ。
「T-1にはカレー稲荷です。ドライカレーを詰めてみました」
T-1のために作った稲荷寿司も揃え、レティの料理が完成する。
「じゃあ、俺の出番だな」
そこへ俺は隣で作っていた料理を披露する。
と言っても、今回はレティの脇役だからちょっとした花を添えるだけだ。
「おお~、トンカツだ!」
「一気に豪勢になりましたね」
歓声を上げるラクトたちに、思わず笑みが零れる。
茸猪の肉を使ったトンカツをレティのカレーに乗せて、カツカレーにしたわけだ。
「こ、これが愛の共同作業というわけですか。レッジさんもなかなかやりますね……」
「たぶんレッジそこまで考えてないと思うわよ」
エイミーが呆れた様子でレティを見ているが、ともかく役者は揃った。
焚き火を囲む皆も待ちきれないと顔に書いてある。
「それじゃ、食べようか」
「いただきますっ!」
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Tips
◇カレーライス
みんな大好きな料理。スパイスの香りが食欲を刺激する。様々なアレンジも可能で、無限の可能性を秘めている。
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