第614話「いざ強化合宿」
濃密な緑が鬱蒼と繁る〈花猿の大島〉の密林にて。
細い木々をなぎ倒し、憤怒の表情を浮かべた大トカゲが駆けていた。
「はええええっ!!」
金色の双眸が捉えるのは、鼻先の少し前を走る白い少女だ。
彼女は目の端に滴を浮かべ、脇目を振る余裕もなく木々の隙間を縫って遁走している。
「むり! むり! 追いつかれるっ!」
悲鳴を上げる少女の背中に、生々しいピンク色の舌が迫る。
トカゲの長く粘着質な舌が獲物を捕らえようと伸ばされていた。
「ほぎゃっ!?」
ついに舌が少女の細い体を絡め取ろうとした直前、彼女は唐突に転倒する。
回転する視界のなかで、彼女は足下に横たわる細い木の根を見つけ、己の幸運と不幸に奥歯を噛み締めた。
「はえっ……」
舌に巻き取られることは無かったが、絶対的な距離は詰められてしまった。
勝利を確信した大トカゲが、濃緑色の鱗を光らせ、口からどろりとした唾液を垂らし――。
「『粉骨砕身』ッ!」
突如現れた赤い影により、強靱な背骨を砕かれる。
くの字に折れ曲がったトカゲは肺が潰れたような悲鳴を上げて激痛にのたうち回る。
それにも構わず、むしろ反撃が来ない好機を逃すまいと、無骨で巨大なハンマーが叩き込まれる。
「『強打』ッ! ――『粉砕打』ッ!」
大きく弧を描きながらハンマーは振り回され、遠心力を乗せて幾度となくトカゲの体に叩き込まれる。
そのたびに悲鳴が上がり、トカゲの体表が徐々に光を帯びていく。
「うおおお! 『鉄砕――」
「レティ、もう限界!」
構わず攻撃を続けるレティの前に、巨大な障壁が展開される。
瞬時に攻撃を中断したレティはくるりと反転し、足下に転がるシフォンを拾ってトカゲから距離を取る。
「『包み込む封印の大壁』ッ!」
森に響く声と共に、トカゲを半球がすっぽりと覆う。
元は濃緑色だったトカゲの細かな鱗は今や眩しいほどに輝き、その巨体は風船のように膨張していた。
誰が見ても明らかな、爆発の予兆。
「――『迅雷切破』」
次の瞬間、障壁をすり抜けて一筋の剣撃が浸透する。
それは醜く膨らんだトカゲの体を横一線に切り裂き、体内にあった特殊な器官を破壊する。
「『
更にダメ押しのように氷の矢がトカゲの胸元を貫き、拍動していた心臓を氷の中に封じ込める。
全身へと薄氷は伝播し、トカゲの周囲に霜が降りる。
急激に削れていくトカゲのHPバーを、その場に現れた全員が注目する。
それが全て灰色になった瞬間、張り詰めた空気が解かれた。
「ふぅ。危なかったですね」
額の汗を拭い、レティは抱えていたシフォンを地面に降ろす。
そんな彼女に詰め寄るのは、眉間に皺を寄せたトーカだった。
「危なかったのはレティのせいでしょう。“破裂蜥蜴”の生態は事前に説明してましたよね?」
「それはそうですけど。レティが出なければシフォンがやられてましたよ。今頃は唾液でベタベタです」
「それはそうですけどね……! あんなに全力で攻撃を叩き込む必要は無かったはずです」
「まあまあ、とりあえず倒せたんだから良かったじゃん」
ラクトが仲裁に入り、エイミーがシフォンにLP回復アンプルを渡す。
ここは〈花猿の大島〉の密林、その一角に広がる湿地帯だ。
「とりあえず、解体するぞ」
「よろしくお願いしまーす」
レティたちの戦いを見物していた俺は、身を隠していた物陰から立ち上がり、泥濘んだ地面に倒れるトカゲの解体を始める。
すぐにカミルとT-1が近くで駐機しているしもふりから木箱を運んできてくれて、その中にドロップアイテムを収めていった。
「一口に密林と言っても、場所によって色々違うわね。ここは蒸し暑いし、歩きにくいし、苦手だわ」
シフォンの手当を終えたエイミーが、浮かない表情で胸元をぱたぱたと扇ぐ。
彼女の肌には汗が滲んでおり、額には紫色の前髪がぺったりと張り付いていた。
〈ミズハノメ〉に近いあたりの密林はまだ地面も乾いていて動きやすい場所だったが、このあたりは大きな川が流れているからか湿度が高い。
彼女たちのような近接戦闘職にとっては、足下が不安定なのもやりにくいだろう。
「白月の『夢幻の霧』がノーコストで使えるから、あんまり警戒しないでいいのは楽なんだけどな」
水場が多いこともあり、白月は常時認識阻害効果のある霧を展開できる。
無用な戦闘を避けることができ、急な襲撃を予防できるのはありがたいが、逆に言えばそういった戦闘の経験ができないということでもある。
「テントを建てるのにもあんまり適してないしな。コイツを片付けたらさっさと抜けて、次に行こう」
湿地帯を抜け、島の西側へ向かえば多少はマシになるはずだ。
俺の言葉に、エイミーはしみじみと頷いた。
「うぅ。酷いよ、みんな。わたしをトカゲの寝てるところに放り込むなんて……」
拗ねたように唇を尖らせるのは、散々な目に遭わされたシフォンだ。
彼女は原生生物の動きに慣れる訓練と称して、エイミーによって“破裂蜥蜴”の巣穴へ嗾けられていた。
「シフォンは私と同じくらい、敵と密着して戦うスタイルなんだから。あれくらいの体格差があっても落ち着いて対処できるようにならないと」
「気持ちが落ち着いてれば対処できるよぉ」
エイミーはシフォンに、原生生物との極至近距離での戦い方、立ち回り方を教えたいようだが、少々スパルタ気味になってしまっているようだ。
せっかくの強化合宿だというのに、初日でへこたれてしまっては意味が無い。
「ま、時間はまだまだあるんだ。少しずつ慣れていけば良いさ」
俺がそう言うと、シフォンは我が利を得たりと言わんばかりに隣までやって来て鼻を鳴らす。
「もう、あんまり甘やかさないでよ」
「そう言われてもなぁ」
エイミーは不満げだが、俺もバンドのリーダーとしてシフォンに目を掛けないわけにはいかない。
そんな俺たちの様子を、レティたちが複雑そうな顔で見ていた。
「まんま、子供の教育方針で揉める夫婦じゃない?」
「言わないで下さいよ。みんな思ってましたけど」
彼女たちが何を話しているのかは良く聞こえないが、ともかく破裂蜥蜴の解体を終える。
「よし、じゃあ出発するか」
腰を叩きながら立ち上がり、カミルたちと共に木箱をしもふりに積み込む。
それが終われば、もうここに居座る理由もない。
蒸し暑く動きにくい湿地帯をいち早く脱するため、俺たちは再び移動を開始した。
「最前線のフィールドとはいえ、場所と相手を選んで落ち着いて戦えば、勝てないわけじゃないですね」
密林の中を歩きながら幾度かの戦闘を経て、レティがそんな感想を漏らす。
密林には茸猪、一角跳ね馬、花蜜鳥などを筆頭に様々な原生生物が生息しているが、その全てが手に負えないほど強いというわけではなかった。
むしろ、ネヴァの製作した新たな武装のおかげで、
時折、余裕を見てカミルも戦いに出ているが、それでも討伐に掛かる時間は順調に短縮されている。
「傾向的には、密林の中心部に向かうほど強さも上がっていく感じかな」
「でしょうね。その上で、城壁樹の向こう側は更に格が違う、といったところでしょう」
城壁樹に守られた密林の深奥部には、強敵がいる。
それらと直接対敵できたのは、〈白鹿庵〉のなかでは俺とエイミー、そしてカミルの三人だけだ。
「そういえば、猿は全然出てきてないよね。〈
ふと気がついたシフォンの言葉に、レティたちも頷く。
今のところ、〈猛獣侵攻〉の時を除いて城壁樹の外側に猿型の原生生物が現れたと言う報告は上がっていない。
〈花猿の大島〉と言う割りには、猿が少ない土地である。
「そのぶん、壁の内側には猿が多いんでしょうね」
「人型相手の戦闘訓練なら、闘技場でいっぱい積みましたよ」
普通は人に近い姿形の相手と戦うのは忌避感を覚えるものだが、トーカはそんな様子を微塵も感じさせない。
普段から〈アマツマラ地下闘技場〉に通っているからだろうか。
「とはいえ、今日はもう日も暮れてきたな。湿地帯も脱したことだし、この辺でテントを組もう」
気がつけば周囲も薄暗くなり、影が濃くなっている。
視界が完全に閉ざされる前に拠点を建てておくことにする。
木々の密度が疎らな場所を選び、乾いた地面にテントセットを転がせて、テクニックを使う。
「今回のテントは簡素ですね?」
「いつもしっかりした建物ばっかりだと、キャンプ感がないだろ?」
建てたのは、地面にシートを敷き、その上にロープとポールで固定したタープを乗せただけの簡素なテントだ。
タープは濃緑の迷彩柄で、原生生物の注目を受けにくくする効果がある。
テントは人数に合わせて3つ、中心に置いた焚き火を囲むように配置する。
「て、テントが3つ……!」
「なるほど、つまり三人一組ってことだね」
〈白鹿庵〉の7人とカミルとT-1だから、ラクトの言葉は正しい。
「ここはやはり、レッジさんとレティはバンドのリーダー、副リーダーとして同じテントの方が……」
「レティと一緒じゃレッジも落ち着かないでしょ。タイプ-フェアリーは小さいから広々使えるよ?」
「し、しかし男女が同衾するわけにはいかないのでは」
何やら真剣な表情で頭を突き合わせるレティたち。
そんな彼女たちを横目に、エイミーとシフォンがやってきた。
「それで、どう分けるの?」
「分けるも何も、別にほんとにテントで寝るわけじゃないからな……」
今回は強化合宿なのだ。
もともとの予定として、夜間戦闘も含まれている。
テントはその際の拠点として使われるだけで、現実のテントと同じように寝るために使うわけではない。
「ていうか、どのテントも好きに使えば良いんじゃないか?」
「それもそうだね……。レティたちにも言ってくるよ」
どのテントで誰が休むかというのも、それぞれ決める必要がそもそもない。
傷を癒やすだけなら適当に空いているテントで寝転がっているだけでいいのだ。
「そ、そんな……!」
「もちろん、分かってたけどね。うん、別に? レティに話を合わせてただけだし」
「そ、そうですよね! 分かってましたよ! 当然ですっ!」
シフォンがレティたちに伝えてくれたのか、3人が騒がしくなる。
その声を聞きながら、俺はひとまず食事の準備を始めるのだった。
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Tips
◇破裂蜥蜴
〈花猿の大島〉に生息する大型のトカゲに似た原生生物。長く粘着性のある舌を使い、獲物を絡め取るようにして捕食する。皮下に特殊な脂肪を蓄えており、強い衝撃を連続的に受けると、それが膨張する。体内にある爆心器と呼ばれる器官が一定のストレスを完治すると、膨張した脂肪が破裂し、周囲に大きな衝撃を広げる。
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