第609話「猿と人の攻防戦」
「『取り囲む堅牢の硬壁』ッ!」
一部の欠けた城壁樹の壁を補うように半透明の障壁が現れる。
左右の壁に指を掛けぬらりと闇の中から現れた猿は、己の進行を阻む障害物に煩わしさを露わにして荒く鼻から息を吐き出す。
「非戦闘員は総員退避! 最低限の護衛だけ付けて〈ミズハノメ〉に戻れ。残った奴らはあれをここに押さえつけるぞ!」
組長の素早い指示を受け、プレイヤーが動き出す。
彼らもこの事態は想定していたらしく、テントは瞬く間に折りたたまれ、落ち着いた様子で〈ミズハノメ〉の方へと走り去っていく。
「正念場だぞ! 『猛攻の姿勢』『両断の衝動』!」
「おおおおおおっ!」
残った戦闘員たちの前に立つのも組長だ。
彼が天叢雲剣から展開したのは、木が絡まり合ったようなデザインの巨大な戦斧――“大戦斧・狂魅割”だ。
「
強く地面を蹴り、組長が駆け出す。
背後には手斧やノコギリ、鉈といった山仕事の道具を手にした木こりたちが勇猛に続く。
「『枝払い』ッ!」
彼らが猿に到達する直前、エイミーが障壁を消去する。
遮るものの無くなった組長たちは一気呵成に飛び上がり、掲げた刃物で猿の手足を狙う。
〈伐殺流〉は〈伐採〉スキルを習得要件に据えた特殊な流派で、斬撃属性による原生生物の部位破壊を得意とする。
危険なフィールドにも率先して出向き、希少な樹木を持ち帰る〈キバヤシ組〉組長直下の実働部隊“希少樹木伐採班”は、皆この流派の門下生だという。
「うらああああっ!」
十を超える刃が猿を襲う。
組長の戦斧が毛深い右大腿へと食い込み、一撃で筋肉質な脚を半ばまで斬った。
しかし――。
「なっ!?」
巨大な振り子のように長い腕が乱暴に振り回される。
羽虫を払うような無造作な動きでプレイヤーたちが散り散りに飛ばされた。
猿が自身に食い込んだ斧をむんずと掴んで引き抜くと、グチュグチュと赤い肉が盛り上がって瞬く間に傷が塞がった。
「あいつも高速再生能力持ちか!」
その様子は以前の〈
あの時の
「無理して死ぬ必要はねぇ! 騎士団が来るまでここで抑えれば――ッ!」
「組長!?」
投げ捨てられた戦斧を拾い、仲間を激励する組長に、巨大な丸太が衝突する。
ミサイルのように放たれたそれは、〈武装〉スキルが低く防御力のない彼を粉砕し、一瞬でLPを消し飛ばした。
「今のは――」
丸太が飛んできたのは、猿の向こう側だ。
闇を睨むと、その奥から新たな影が現れる。
「嘘でしょ。こいつ、
障壁を張り、補強を続けながらエイミーが驚愕する。
猿の背後から現れたのは、同じ姿形をしたひょろ長く巨大な別の猿だ。
赤みのある茶色い毛並みに枝葉を引っかけ、日の射す広場へと足を踏み出す。
背後からは同じものが三頭、合計で五頭の猿が城壁の内側から現れた。
「くっ!?」
三頭の猿は、その手に太い丸太を持っている。
エイミーの障壁を貫き、組長を殺したものと同じだ。
枝を払い、皮を剥ぎ、切っ先を鋭く削ったそれは、もはや丸太というよりも槍――知性すら感じさせる武器の類だ。
「流石に厳しいわよ――ッ!」
エイミーが全力で展開した分厚い障壁を前に、三頭の猿がゆっくりと丸太を持ち上げる。
長い腕を大きく後方へと引き、瞬間的に膨張する筋肉の力を余すことなく込めて射出する。
純粋な投擲力による三本の槍の急襲は、エイミーの防御を容易く打ち破った。
「助かった、エイミー!」
しかし、その投げ槍が障壁に阻まれていた僅かな時間がこちらに利した。
俺たちの方へと向かう太い槍が、突如立ち上がった純白の金属装甲と激突する。
火花を散らし高速で回転する槍だが、装甲は莫大な自己修復ナノマシンジェルを瞬間的に消費することでその貫通力を相殺していく。
「なんつー威力だ。木製の槍で出していい音じゃないだろ」
白い防壁――急遽立ち上げた“白壁”の影で冷や汗を垂らす。
間一髪の所でこのテントの設置が間に合っていなければ、その瞬間俺も危なかった。
ガリガリと音を立てて物理防御特化の超硬装甲を削っていた槍も、やがて力を失い地に落ちる。
「『骨砕き』ッ!」
俺が“白壁”の補強と展開を進めている間にも、最前線に立つエイミーは拳盾を構えて奮闘する。
彼女の鋭い打撃が猿の膝を割り、大地に跪かせる。
「くぅっ!?」
しかし、一匹に固執していると他の四匹から狙われる。
彼女は上手く防御して凌いでいるが、その巨体からは予測できないほど猿の瞬発力が高く、ジャストガードを決める余裕はないようだった。
「うおおお! 組長の仇ィ!」
「ぐわあああっ!」
組長を失った希少樹木伐採班の木こりたちも果敢に飛び掛かるが、彼らはエイミーに襲いかかる片手間に退けられてしまう。
元々純粋な戦闘職ではない彼らは攻撃力か防御力に劣り、呆気なく払われてしまっていた。
「よし、とりあえず完成した」
とはいえ、彼らが捨て身の特攻を仕掛けてくれているおかげで、こちらは余裕を持って“白壁”の体勢を整えることができた。
テントの効果が周囲へと波及し、エイミーの枯渇しかけたLPが徐々に回復していく。
「助かったわ、レッジ」
「なんの。俺も加勢する」
エイミーだけでは決定打に欠け、木こりたちは一人また一人と脱落していく。
なんとか広場に押し止めてはいるが、それもジリ貧だろう。
俺はスキンを剥ぎ、インベントリから注射器を取り出す。
「カミルも気をつけるんだぞ」
『アンタが守ってくれるんでしょ』
“白壁”の中にいるのなら、カミルのことも安心だ。
俺は緊張しながらもそんな様子を隠す彼女の頭を軽く撫で、鋭い針を首筋に突き刺した。
「『強制発芽』。植物戎衣纏装、“狩狼叢樹”」
“白壁”を守るように緑が蠢く。
追加の植物戎衣を展開する余裕はない。
「『機体換装』。“針蜘蛛”」
徐々に拡張されていく身体と感覚を馴染ませながら、俺は広場の片隅に積み上げられていた木材――組長たちが今まで切り倒してきた巨大な“城壁樹”の角張った丸太を手に取った。
「これも長いし、槍みたいなもんだろ。さあ、こっちは八本腕だぞ」
八本の腕に八本の丸太を持つ。
棒状であるため扱えはするが、天叢雲剣ではないためテクニックや流派技は使えない。
とはいえ“狩狼叢樹”の出力ならば――。
「破ッ!」
純粋に突き込むだけで、猿の下腹部に深く食い込む。
奇妙な声を上げて吹き飛んだ同胞を見る間も無く、他の猿たちも同じく飛んでいく。
「流石、硬いだけはあるな!」
城壁樹の丸太は武器にしても遜色がない。
ブンブンと振り回すだけで、猿は思うように近づくことさえできないでいた。
「いいじゃない、似合ってるわよ」
「そりゃどうも!」
俺が猿たちを牽制している間に、エイミーは体勢を立て直す。
木こりの皆には申し訳ないが後方に下がってもらう。
「キィィィヤッ!」
「ギャギッ! ギャギッ!」
猿は忌々しげな目をこちらに向け、牙を剥いて甲高い声を上げる。
そうして、突如手足を地面につけて四つん這いで走り寄ってくる。
「おらっ! っとと?」
真正面からの愚直な突進に合わせて丸太を突き出す。
しかし、その直前に猿は横に飛び、すれすれのところで攻撃を避けた。
一気に間合いを詰められ、“狩狼叢樹”の頂点にいる俺――本体に目聡く襲いかかる。
「私のこと忘れないでよ!」
「ギュアッ!?」
そのゴツゴツとした拳が俺に届くよりも早く、鋭い蹴撃が猿の巨体を吹き飛ばす。
エイミーによって横に弾かれた赤毛の猿はそのまま城壁樹の壁に激突し、全身からボキリと嫌な音を鳴らす。
それでもゆっくりと起き上がるのだから、薄気味が悪い。
「しかし、こいつらタフだな……」
「私たちだけじゃ攻撃力が足りないわ」
果敢に攻撃を続ける猿を丸太でいなしつつ打ち返す。
そんな戦闘を続けるが、彼らの頭上に表示された赤いバーはなかなか削れない。
俺たちの攻撃力が足りないのもあるが、奴らが異常なほど頑丈なのだ。
多少傷を付けたところで瞬く間に回復し、再び万全の状態に戻る。
五匹が連携を取ることで、回復の暇を与えず仕留めるということも難しかった。
「ま、アストラたちが来るまでの辛抱だろ」
すでに〈大鷲の騎士団〉をはじめとした城壁樹打破を待っている攻略組たちには連絡が行っているはずだ。
となれば、俺たちは死なず倒れず、この猿たちを押し止めておくだけで良い。
幸い、耐えるだけならエイミーの専売特許だ。
「よぅし、どこからでも掛かって――……」
気合いを入れ、八本の丸太を構えたその時だった。
小刻みな地鳴りが周囲に響くのを感じる。
俺の足下に立つエイミーも、それをより敏感に捉えているようだ。
「ちょっと、これはマズいんじゃない?」
「かも知れないな……」
振動は次第に大きくなる。
それを知った猿たちが、勝利を確信した獰猛な目つきへと変わる。
急いで防御姿勢を取り、障壁を展開する俺たちの目の前――城壁樹の隙間から現れたのは、〈猛獣侵攻〉の際にも現れた小型のチンパンジーのような原生生物たちだった。
「クソ! 質が駄目なら量ってか!」
「言ってる場合じゃないでしょ。流石に押し切られるわよ!」
茶色い波が小さな隙間から溢れ出す。
一目散に俺たちへ接近するそれを丸太で薙ぎ払うが、多勢に無勢だ。
丸太にしがみつかれ、そのまま俺の本体の元まで潜り込まれる。
「やばっ――」
本体がやられれば、植物戎衣も意味を為さない。
慌てて蔦を伸ばして体を守ろうとするが、時間が足りない。
エイミーは自身を守るのに精一杯だ。
『てやああああああっ!』
死を覚悟したその時、勢いよく声を上げて赤い影が飛び込んでくる。
彼女は柄の長い箒の頭でチンパンジーを捉え、そのまま力任せに叩く。
「ギョエッ!?」
脇腹に箒をぶつけられたチンパンジーは、それだけで見惚れるほど綺麗な放物線を描いて彼方へ吹き飛んだ。
「カミル!?」
『驚いてる暇があったら戦いなさい! 近づいた奴はアタシが掃き出してあげるから!』
切迫した声を上げるカミル。
それが微かに震えていることに気がつき、思考を切り替える。
「うおおおおおっ! 吹っ飛べ!」
八本の丸太を振り回し、猿の区別なく薙ぎ払う。
どこに動かしても当たる状況なのは、逆に戦いやすい。
『こっちに来るんじゃないわよ! 消えなさい!』
狩狼叢樹をよじ登り、俺の本体へとやってくるものは、カミルの箒によって吹き飛ばされる。
白月もテントの中から飛び出して、白い濃霧となってアシストしてくれていた。
「敵集団発見! 戦闘状況に突入!」
「応ッ!」
突如、上空から影が落ちたかと思うと、青と銀の鉄塊が落ちてくる。
それは手に巨大な武器を携えた鋼鉄の騎士だ。
彼らは次々と猿を散らしていく。
その動きは洗練されていて、連携も高度に取れている。
そんな彼らの頭脳となって指揮を執るのは――。
「こんにちは、レッジさん! 奇遇ですね!」
「アストラ! 助かった!」
蒼銀の翼を折りたたみ、土煙を上げて地面に着地する一際巨大な鋼鉄の騎士。
青いマントをはためかせ、背丈ほどの極大剣を鞘から引き抜く。
「あれが群れの中心ですね。では――」
彼は周囲の状況を瞬時に把握し、最重要撃破目標を定める。
チンパンジーの群れを嗾けていた五体の巨猿を睨み、剣を構えると、背中の高出力BBジェットスラスターを焚く。
「聖儀流、四の剣『神啓』。重ね、五の剣『神崩』。重ね、六の剣『神愚』。重ね、七の剣『神羅』」
深い前傾姿勢。
深い集中状態。
それは、トーカのそれによく似ている。
いくつもの光を纏い、極限へと至る。
「――結び、聖儀流神髄、抜刀奥義。――『神速』」
一閃。
白い光が瞬き、空間を断絶する。
気がつけば、銀騎士の腰に携えていた極大剣が、高々と掲げられている。
たった一振り。
ただそれだけで、五匹の猿が上下に両断された。
_/_/_/_/_/
Tips
◇『神速』
〈聖儀流〉抜刀奥義『神閃』の神髄。確固たる信念の下に宿る絶大な力を、ただ一刀に注ぎ込む。冴えきった太刀筋は知覚すらできず、時空すら断ち切り、万物を両断する。
人の身には剰る神の御技。故に人の身では扱えず、人の身では耐えきれない。神へと至る勇気ある者のみが、その技を会得することを赦される。
Now Loading...
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます