第608話「城壁の向こう」
遊戯区画のカジノエリアにテコ入れが入ったこともあり、ミズハノメが立案した各種計画も再び動き出した。
都市の地下や各地のフィールドでは借金の返済ができず強制労働を課せられたプレイヤーたちが――その中の少なくない割合が楽しみながら――身を粉にして働いているようだ。
そういった強制労働を嫌うプレイヤーたちは信用ポイントがゼロにならないよう程々に任務を回すようになり、こちらも管理者たちからは概ね計画通りの活動量であることが認められている。
そんなわけで周囲もひとまずの落ち着きを取り戻し、俺は撮影旅行も兼ねて〈花猿の大島〉へと赴いていた。
「――鏡威流、一の面、『射し鏡』!」
木々の隙間を駆け抜けて、まさに猪突猛進の勢いでやってきた茸猪が、正面に展開された大きな鏡に激突する。
その衝撃はそのまま全て自分へと跳ね返り、勇猛な猪は自身の牙によって斃れた。
「やっぱり猪みたいな行動が単調なエネミーは楽で良いわね」
盾拳を掲げ、エイミーはさっぱりとした表情で仕留めたばかりの茸猪の元へ向かう。
本日の同行者は、カミルと白月、そしてエイミーだった。
エイミーと二人になるのは久しぶりだが、やはり頼れる
攻撃の面でも、彼女はすでに〈花猿の大島〉に出現する原生生物のほとんどを危なげなく対処できるようになっていた。
「とはいえ、流石に攻撃力が低くなってきたわね」
「〈格闘〉スキルが手数重視だから、ってだけじゃなさそうだな」
「全体的に武器も防具も性能が追いついてない感じね。結局、スキルのレベルキャップも80以上に解放する手段が見つかってないわけだし」
憂鬱に眉を寄せてエイミーが零す。
カジノに入り浸っていたプレイヤーたちが開拓地に連れ戻されたのはいいが、正直なところ何か目覚ましい成果が挙がったかと言われるとそうでもない。
いまだに〈花猿の大島〉のボスは見つからず、それどころか〈
「〈花猿の大島〉のボスから獲れる源石が、スキルキャップ80以上の解放アイテムってのが濃厚ではあるんだけどな」
「問題のボスが見つかってないなら仕方ないわね」
現在、〈花猿の大島〉は沿岸部がほぼ全て踏破されている。
そのため、ボスの“花猿”は島の中央――深い森の奥にいることがほぼ確実ではあるのだが、そこへ至るには1つ問題があった。
「そろそろ最前線ね」
「本当だ。聞こえてくるな」
森の中を奥へ向かって進んでいると、やがて微かに機械音が耳に届き始める。
それは歩みを進めるほどに大きく激しくなり、やがて大地を揺らすような怒号も聞こえてきた。
「おらっ! 休むんじゃねぇぞ! キリキリ働け!」
「イエッサー!」
どこの軍隊かと疑いたくなるほど過激な言葉が聞こえるのは、密林の中にぽっかりと開いた広場の向こう側からだった。
「結構切り開いたわね」
広場には立派な切り株が犇めくように密集しており、少し離れたところには切り倒され、枝が払われた巨木が積み上げられている。
「よおし、13班は交代だ。チェーンソーを修理に回して、食事を摂れ」
「イエッサー!」
広場の向こう側、巨木が不自然なほど隙間無く密集した天然の壁の足下に集団がいた。
屈強なタイプ-ゴーレムの男性が指示を下し、十人程度のプレイヤーがぞろぞろと広場の方へと戻ってくる。
そこにはテントがいくつか並んでおり、刃の欠けたチェーンソーを修理する職人や、食事を作る料理人、LPを回復する機術師などが控えていた。
「あの人たち、なんてバンドだったっけな」
「〈キバヤシ組〉よ。木工専門生産系バンドで、今は〈花猿の大島〉中心部を守る“
エイミー先生の分かりやすい説明を聞いていると、部下の木こりたちに指示を出していた大男がこちらに気がつく。
日に焼けた褐色の上半身を大胆に曝け出し、腰に着崩したツナギの袖を結んでいる。
つるりと輝く禿頭にねじり鉢巻きを巻いた彼は、大股でこちらまでやってきた。
「やあ、〈白鹿庵〉じゃないか。こんな所まで良く来たな」
「こんにちは、組長」
軽く手を上げて応えると、彼は白い歯を輝かせる。
彼は生産系バンド〈キバヤシ組〉の
名前が長いのもあって、大抵は組長だとかヒノさんなどと呼ばれており、本人もそれを許容している。
「差し入れを持ってきた。自由に使ってくれ」
俺はインベントリから種瓶がいくつか収められたケースを取り出し、組長に渡す。
彼は厳めしい顔を明るくして、丁重にそれを受け取る。
「こりゃ助かる。レッジの“侵蝕蔓”があると作業が10倍捗るんだ」
彼は早速、作業中の一団から部下を呼び寄せ、俺が渡したケースを持たせる。
「量が作れないのが申し訳ないんだけどな。でも、結構進んでるじゃないか」
「ま、そこは人海戦術だ。カジノができようがアプデが来ようが、ずっとチェーンソーを持ってたからな」
広々とした伐採後の空き地を見渡すと、組長は豪快に笑う。
そもそも、俺が彼らと知り合ったのは、〈花猿の大島〉の中心部を守るように立ちはだかる“城壁樹”について相談を持ちかけられたことに端を発する。
“城壁樹”というのはとにかく頑丈でぴっちりと隙間無く並ぶやっかいな植物だ。戦闘系スキルのテクニックでは傷ひとつつかず、切り倒すには〈伐採〉スキルを用いる必要がある。
しかし、並の斧では一本切り落とすのに十本以上が必要となり、また時間も膨大に掛かってしまう。
そのため新たな伐採道具の開発が求められたのだが、そのためには試験用の標的が必要となり、目を付けられたのが、俺が独自に品種改良を行い開発していた“鋼鱗杉”だった。
〈猛獣侵攻〉でも使ったあれは、槍として使えるように強度を底上げした杉の木で、その硬さは“城壁樹”にも匹敵する。
現在〈キバヤシ組〉が主武器として使っているチェーンソーの開発のための実験相手として使われたわけだ。
そんな縁もあり、俺は暇を見つけては彼らの作業現場へと赴き、“侵蝕蔦”という他の木々に巻き付いて養分を吸収し枯死させる植物の種瓶を差し入れに渡していた。
「もうすぐ壁も抜けるんじゃないか?」
「まあ、かなり削ったからな。とはいえ、あとどれくらいの厚さがあるかは誰にも分からん」
城壁樹は密林の中心を守るため、ぐるりと外周を囲んでいる。
上部も密度の高い枝葉で阻まれており、内部の様子は何も分からない。
それでも、いつか城壁樹を全て切り倒し、壁を穿つことを目指して、〈キバヤシ組〉は尽力しているのだ。
「それでもいつかは終わるだろ。城壁樹も一度切り倒せば生えてこないしな」
組長の言うように、城壁樹はリポップしない。
通常の採集オブジェクトなら時間経過で再び伐採が可能になるのだが、そうならないということは特殊なものであるという証拠だ。
城壁樹の伐採は開拓攻略における最重要事項だ。
騎士団だけでなく各攻略バンド、生産系バンドからも支援され、最新鋭のチェーンソーが完成してからは更に勢いを上げて伐採を続けてきた。
所属を問わない木こりたちが集まり、数十人規模でシフトを組んで昼夜を問わず木々に切りかかっているのだ。
それでもこれほど時間が掛かっているのは、内部に行くほど城壁樹の強度が上がっていることが原因だった。
「最近はカジノから送られてくる木こりもいるからな。またペースが上がってきたさ」
「そりゃ良かったよ」
こういう現場でもミズハノメたちが講じた対策が活きているらしい。
よくよく見てみれば、伐採を続けている集団に混じって、監視役の黒服NPCが何人か立っている。
「たーおれーるぞー!」
組長と話していたちょうどその時、集団の方から大きな声が上がる。
メキメキと激しい音が鳴り響き、太く立派な城壁樹が一本、こちらに向かって倒れてくる。
本来なら人のいない方へ倒すべきだが、左右は別の城壁樹に遮られ、奥に倒すこともできず仕方ないことなのだろう。
チェーンソーを持った作業着姿のプレイヤーたちが蜘蛛の子を散らすように逃げる中、城壁樹が大地を揺るがして倒れる。
すぐさま木こりが再び群がって枝を払い、機獣たちがそれを引っ張っていく。
実にシステマチックな作業で、一本ずつ巨木が撤去されていた。
「組長! 来て下さい!」
手際の良い作業に見惚れていると、興奮した声が組長を呼ぶ。
彼は俺たちに一言断って、駆け足で木こりの集団の方へと向かう。
「開きましたよ! 向こう側に空間があります!」
「おお!」
歓声を上げる木こりたちに、俺とエイミーも思わず顔を見合わせる。
ついに城壁を破ったようだ。
「行ってみましょうか」
「そうだな」
なんてタイミングがいいんだ、と俺たちは軽い足取りで歯の抜けたような城壁の前まで向かう。
堅固な壁のように連なる城壁樹の一角がぽっかりと開き、奥に暗い闇が広がっている。
木こりたちは喜びに声を上げ、テントでは既に祝勝会の準備が始まっていた。
「関係各所に連絡しろ! 探索隊が入るまでに、少しでも入り口を広げるぞ!」
そんな中で組長は気を緩めず指示を出す。
城壁樹一本分でも2メートルほどの幅が開いたが、入り口は広ければ広い方がいい。
組長の指示に従って木こりたちが再びチェーンソーを手にしたその時だった。
「危ない!」
何かに気がついたエイミーが突然駆け出す。
彼女はプレイヤーを押し退け、できたばかりの入り口の前に立つ。
「『押し阻む堅牢なる大壁』ッ!」
淀みない詠唱の後に展開された、巨大で分厚い半透明の障壁。
それが完全に広がった直後、鋭く尖った巨大な棒が闇の奥から猛烈な勢いで飛び出してきた。
それは周囲に甚大な衝撃を波及させながらエイミーの障壁へと到達する。重く激しい衝撃音を伴い両者は激突し、なおも棒は回転しながら進む。やがてそれは障壁を僅かに貫き、空中で停止した。
「総員退避!」
組長の切迫した声が放たれるよりも早く、戦闘力を持たない木こりたちは慌てて逃げ出す。
同時に周囲に立っていた護衛役の戦闘員たちが得物を構えて集まる。
「カミル、安全に気をつけておけ」
『分かったわ』
俺はカミルに声を掛け、槍を取り出す。
「ま、そう簡単に通してくれるわけもないか……」
エイミーが油断なく木々の隙間に広がる闇を見つめる。
その中から現れたのは、見上げるほど巨大で毛深い猿だった。
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Tips
◇城壁樹
〈花猿の大島〉深部に自生する巨大な樹木。非常に硬質で火に強い木質で、地中深くに伸ばした強靱な根によって強力に自立する。同種の樹木と隙間無く並ぶように生えるため、木の幹は平面的な形状となる。
大地より伸びる天然の城壁。その内に守るものは何人たりとも知り得ない。
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