第601話「昼の街歩き」
〈
いや、むしろ〈猛獣侵攻〉の中で現れたあの大猿を目指し、以前にも増して多くの調査開拓員が精力的に活動を始めている。
ミズハノメや彼女を支援する管理者たちの的確な指示もあり、主戦場となった砂浜はすっかり元通りに復元され、中央制御塔では都市防衛設備の発動で消費したリソースを回収するための特別任務も発令されているようだ。
『で、なんでアンタは暢気にほっつき歩いてるのよ』
白月と並んで歩くカミルが俺を見上げて眉を寄せる。
本日、俺はカミルとT-1、そして白月を引き連れて〈ミズハノメ〉の散策に来ていた。
お供に携えているのは、昨日レティたちが作ってくれた観光ガイドだ。
肝心の〈白鹿庵〉メンバーは生憎誰一人としてログインしていないが、たまにはこうして気楽に散歩するというのもいいものだ。
「俺は弱いからな。一人でフィールドに出るのは怖いんだ」
そう言い訳すると、カミルは寝言は寝て言えと言わんばかりに渋い顔をした。
「別に嘘はついてないぞ。たしかに、植物戎衣や機体換装を使えばある程度は戦えるけど、あれは短時間の使い捨てで収支で言えばマイナスもいいとこだ」
『罠で山ほど猪を狩ってたじゃない』
「あれも自衛という面で見れば全然だからな」
俺の戦闘スタイルはしっかりと準備をすればするほど強くなるというものだ。
武器も防具も世代がいくつか下がってしまったし、〈花猿の大島〉に生息する原生生物を相手にするには少し心許ない。
『では、またネヴァに新しい武具を作って貰えばよいのではないのか?』
カミルの後に続くT-1の言葉もまた真理だ。
「“紅緋のイェクノム”のドロップアイテムは一通りネヴァに送ってるよ。今は解析待ちだな」
新しいドロップアイテムを持ち込めば、すぐに新しい武器や防具ができる、という訳ではない。
〈鑑定〉スキルでアイテムの特性や能力を見極め、それを元に他のアイテムとどう組み合わせることで、どんな物を作るのか、色々と研究が必要なのだ。
俺が手に入れた“紅緋のイェクノム”の素材系アイテムは全てネヴァに送っているが、それらを使って武器や防具ができるかどうかは、まだ分からない。
「そんなわけで、今日はオフだ。カミルもT-1も何か欲しいものがあったら買ってやるぞ」
『いいの? どうせまた散財するんでしょ』
『わぁい! 妾はおいなりさんが食べたいのじゃ!』
カミルに小突かれつつ、無邪気に喜ぶT-1を見る。
耳をぴくりと動かした白月が、期待のこもった目をこちらに向けてきた。
こういう時だけ耳聡い奴だ。
「良い時間だし、まずは昼飯にするか……?」
レティから貰ったマップデータには、商業区画に建つ飲食店について詳細な注釈が付記されている。
〈ミズハノメ〉が竣工したばかりとはいえ、すでにそれなりの店舗が建ち並んでいるはずだというのに、昨日の半日で粗方巡ってしまったようだ。
仲間ながら少々恐ろしいが、おかげで食べる場所を探す手間は省ける。
「何か食べたいものはあるか?」
『そうですねぇ。やっぱり、シーフードがおすすめですよ』
「なるほど……うん?」
自然に返された声に違和感を覚え、地図から目を離す。
『パンパカパーン! こんにちは、レッジさん」
「ミズハノメ!?」
目の前に立っていたのは、小柄な青髪の少女。
この町の最高権力者ミズハノメその人だ。
「なんでこんな所に」
『なんでとは失礼ですね。ハーちゃんはここの管理者ですよ?』
「それは知ってるけども……」
聞きたいのはそういうことではない。
俺の言いたいことは察した様子で、彼女は和やかな表情を崩すことなく続けた。
『都市機能の復旧作業も落ち着いたので、町の様子を確認してるんですよ。各施設のNPCのメンタルデータは一括で確認できますが、町行く調査開拓員の方々は直に見た方がよく分かりますので』
「なるほど?」
彼女も管理者として、都市に滞在する調査開拓員のことを気に掛けてくれているらしい。
その事実に少し嬉しくなる。
『さっきも中枢制御区域で交流会を開いていました。意見箱経由でも色々と参考になる言葉が送られてきますが、やはり実際に言葉を交わすことで分かるものもありますので』
「ミズハノメもちゃんと管理者してるんだなぁ」
ウェイドから数えて八人目の管理者ということもあり、誕生から間もないにも関わらず既に調査開拓員とも密接なコミュニケーションを取っているようだ。
思わずしみじみと言葉を漏らすと、ミズハノメは拗ねたように頬を膨らませた。
『ちゃんと管理者ですからね!? 昨日は他の管理者の補助も受けていましたが、今はちゃんと一人で都市を運営していますし』
「そりゃ頼もしいな」
ミズハノメはえっへんと誇らしげに胸を張る。
その姿だけを見ると可愛らしい少女だが、今も絶え間なく膨大な処理を続けて都市機能を維持させているのだ。
『レッジさんも、昨日はありがとうございました』
「〈猛獣侵攻〉か? 俺は自分にできることをやっただけだが……」
一度落ち着いて、ミズハノメはこちらに頭を下げてくる。
昨日の〈猛獣侵攻〉での俺の功績が認められたようで、少し嬉しくなる。
とはいえ、お礼を言われるようなことでもない。
慌てて頭をあげて貰うと、彼女は少し真剣に目つきを尖らせた。
『昨日はレッジさんがいなければ、更に甚大な被害も予測されていました。やはり、この〈ホノサワケ群島〉は危険度の高い領域のようです』
「そういえば、そんなこと言ってたな。〈オノコロ島〉よりも〈
ウェイドから聞いた話だ。
〈猛獣侵攻〉自体はちょっとした祭りのようなもので、プレイヤーからはボーナスタイムのようにも扱われていた。
しかし、今回〈ミズハノメ〉周辺で発生した侵攻は規模も個々の強さも一段上と認識されている。
特に“紅緋のイェクノム”は“饑渇のヴァーリテイン”や“黄龍ゲイルヴォール”と同等、複数のパーティによって討伐を行うのが適正とされるレイドボス級に認定されていた。
あのようなものが何度も出てきては、そのたびに〈ミズハノメ〉は被害を被ることになる。
『ですので、〈ミズハノメ〉は今後も都市防衛設備の拡張を積極的に行う予定です。さらに、〈タカマガハラ〉とも協議しているところですが、高密度に小規模な拠点を置き、多方面から〈猛獣侵攻〉に対応する戦略網構築計画もあります』
「随分物々しいな。となると、また色々特別任務も出てくるか」
『はい。というより、すでに任務は発令しています。ですので、ぜひ確認してみてください』
どうやら、ミズハノメたち管理者はすでに次の事を考え、準備を始めているようだ。
戦力を更に高めていくというのなら、調査開拓員の活動もより活発になるだろうし、〈アマツマラ地下坑道〉などもより賑わうことだろう。
それもこれも、領域拡張プロトコルという命題を進めるためだ。
『それはそれとして、本日はお一人ですか?』
「まあ、カミルもT-1もいるが……。レティたちは今はいないな」
ちらりと背後を振り返ると、カミルが隠れるようにしてしがみついている。
相変わらず、管理者のように上位の権限を持った相手には弱いようだ。
「俺一人だと〈花猿の大島〉はちょっと厳しいからな、〈ミズハノメ〉を散策がてら食事でもしようかとおもってたところだ」
『なるほどなるほど! それは良いですねぇ』
町に金が落ちるのは管理者としても歓迎したいところなのだろう。
ミズハノメはニコニコと目を細めて体を揺らす。
「そういえば、この町にも〈シスターズ〉はできてるのか?」
ふと気になって尋ねてみると、ミズハノメはもちろんと頷いた。
〈シスターズ〉というのは、管理者たちがより積極的な調査開拓員との交流を図るために始めた飲食店事業だ。
元々の立ち上げには俺も一枚噛んでいるが、今は〈ウェイド〉や〈ワダツミ〉といった各都市に一店舗ずつ展開している。
メニュー自体も管理者たちが考え、可愛らしいメイド服を着た管理者と会えるということもあり、既存店ではなかなかの人気を誇っている。
「なら、そっちに行ってみるかな」
『案内致しましょうか?』
「いや、地図もあるし大丈夫だ。ミズハノメも仕事頑張ってくれ」
『分かりました! ではでは!』
ミズハノメはそう言うと、テクテクと歩き出す。
すぐにまた別のプレイヤーに話しかけ、町の様子やフィールドでの活動について語らっているようだ。
「ミズハノメが管理者なら、この町も安泰だな」
『元々〈クサナギ〉は複数が連動しつつ経験を深めることで能力を拡張していくからのう。ミズハノメはすでに、初期のウェイドやスサノオとは比べものにならないほどの能力を持っているはずじゃ』
T-1が自分のことのように誇らしげな顔で言う。
そういう彼女自身も、俺以外のプレイヤーとも問題なく会話を行っているし、日々順調に経験を積んでいるのだろう。
「さて、俺たちも行くか」
そうして俺もまた足を商業区画の方へ向け、歩き出す。
降り注ぐ陽光を浴びた〈ミズハノメ〉の町並みは、メタリックなブルーを基調としていて、工業的な印象を受ける。
異国情緒溢れる〈ワダツミ〉とはまた違った、近未来的な風景だ。
管理者たちが営む小さな飲食店〈シスターズ〉は、そんな直線的な町並みに溶け込むように看板を掲げていた。
「カミル、大丈夫か?」
『な、何が!? 平気に決まってるでしょ』
店に入る前に、俺の後ろにぴったりとくっつくカミルに、思わず声を掛けてしまう。
従業員とはいえ管理者たちがいる店を前にして、萎縮してしまっているようだ。
『カミルも存外肝が小さいのう。管理者だからといって、取って食うわけでもなかろうに』
『そ、そんなこと思ってないわよ! し、失礼なことしちゃったらどうしようとか、思ってるわけじゃ……』
「そんなに縮こまる必要もないのは、分かると思うんだがなぁ」
〈ワダツミ〉の別荘にはウェイドが勝手にスペア機体を置いていることもあって、たまに管理者たちが顔を出す。
カミルもそれはそつなく対応しているのだが、何か気持ちの問題で違うのだろうか。
「ほら、入るぞ」
『わ、分かってるわよ!』
とはいえ、グズグズしていても仕方がない。
腹の虫が猛抗議を始める前に、俺はカミルの手を握って〈シスターズ〉の敷居をまたぐ。
『いらっしゃい! ようこそ〈シスターズ〉へ! って、レッジじゃねぇか』
そんな俺たちを迎えてくれたのは、底抜けに明るい快活な声。
オレンジ色の髪を緑のバンダナで纏め、バンダナと同じ色のメイド服を着た少女――サカオだった。
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Tips
◇交流会
街中で突発的かつ不定期に開催される、管理者と調査開拓員が直接言葉を交わせる場です。中枢制御区域や市場などの広い場所に現れた管理者に意見や要望を伝えることができ、管理者から直接フィードバックを得られます。ぜひ積極的に参加してください。
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