第600話「炊き出し」

 大穴がそこかしこを削り取った白い砂浜は、〈ミズハノメ〉から投入された警備NPCによって修復されていく。

 浮橋の周辺には原生生物が山のように積み上げられ、俺を含めた解体師たちによって懸命な作業が続けられていた。


「牡丹鍋だよー! 熱々美味しい牡丹鍋があるよー!」

「こっちは39等級ホットアンプルを使った地獄赤辛鍋だ! 汗を掻いて疲れを流そう!」


 解体し終えた獣肉は、そのまま流れるように隣に広げられた野外調理場へと送られる。

 今が稼ぎ時と意気込む料理人達によって調理され、巨大な鍋でグツグツと煮込まれている。


「トーカ、地獄赤辛鍋ですって! 行きましょう」

「私は隣の豆乳鍋がいいです……」

『おいなりさんはないのか!?』


 一仕事終えたレティたち戦闘職組は、緊張の抜けた様子で炊き出しの列に並んでいる。

 倥偬とした激戦の後で、食欲が増しているようだ。


「美味しい美味しい芋煮もあるよ!」

「てめぇ、これが芋煮ってのか! 醤油なんか入れやがって。しかも里芋だと!?」

「アァ? なんだァ、テメェ?」

「芋煮と言やぁ味噌だろうがよ!」

「なに豚肉入れてるんだよ。牛肉持ってこい! ていうか持ってきたからこれ入れろ!!」


 一部では第二の争いも勃発しているようだが、全体的に見れば概ね平和といって差し支えないだろう。


「へい、レッジ。調子どう?」


 和気藹々とした人々を脇目にナイフを動かしていると、突然声を掛けられた。

 頭をあげると、湯気の立つお椀を二つ持ったラクトが目の前に立っていた。


「見ての通りの忙しさだよ。いくら捌いても底が見えない」

「お疲れさまだねぇ。あの大猿はもう捌き終わったの?」


 俺の背後に積み上げられた大茸猪を見て、ラクトがしみじみと労いの声を掛けてくれる。

 所属も問わず多くの解体師が詰め掛けているが、何分元々の量が多すぎて作業も終わりが見えない。


「大猿は一番最初にな。かなり時間が掛かったが、なんとか片付けたよ」


 口から光線を吐き出す冗談じみた能力を有する緋色の大猿は、名前を“紅緋のイェクノム”といった。

 図体が図体だけに、捌くのもかなりの重労働だったが、なんとかついさっき片付け終えた。

 猿肉やら毛皮やら骨やら、随分と大量のアイテムを手に入れることができたから、一応元は取れたはずだ。

 とは言っても、それら全てが俺のものに成るわけでもなく、ミズハノメたち管理者が必死に計算している最中の“〈猛獣侵攻スタンピード〉期間中における貢献度”というものに応じて分配される。


「レッジ、戦闘でも忙しくしてたのにね。はいこれ」


 ラクトは俺の元へと歩み寄り、お椀の一つをこちらに差し出す。

 中に入っているのは、すぐ近くの調理場で作られた特製の牡丹鍋だ。

 茸や野菜がたっぷり入っていて、味噌をベースに味付けが為されている。


「悪いな、わざわざ」

「一番の功労者がまだ働いてるのに、一人だけ食べてる訳にもいかないからね。そこ座って良い?」


 ラクトはそう言って、俺が椅子代わりにしていた木箱の隅に座る。


「狭いだろ。椅子出してやるよ」

「いいよ別に。ほら、冷めないうちに食べて食べて」


 テントは立てているのでアセットで椅子はいつでも出せるのだが、ラクトはそれを断って急かす。

 仕方なく俺は牡丹鍋に向き直り、早速獲れたばかりの猪肉を口に運んだ。


「はふっ。うん、美味いな」

「はむはむ……。美味しいねぇ」


 大茸猪は全身に生えた茸の影響で肉が妙に柔らかく美味い。

 猪肉特有の獣臭さというものも抑えられていて、かなり食べやすいものになっていた。

 一緒に煮込まれた茸もぷりぷりとしていて、良い出汁が出ている。

 スープには近海で獲れた昆布なども使われているのだろうか。


「ラクトもお疲れさんだな」

「わたしは何にもしてないよ。レティたちの後ろで適当にアーツ撃ってただけだもん」

「狙いもタイミングも機術の選択も的確だったよ」

「み、見てたの!?」


 俺が賞賛すると、ラクトは驚いた様子でこちらを見る。

 大猿のイェクノムが出てくるまでは、俺が最後方で網を張っていたのだ。

 ラクトが絶え間なく氷の弾幕を広げてレティたちをアシストしていたのもよく知っている。


「ラクトの事は嫌でも目に入るさ」

「そ、そう? ふーん、そっか」


 ラクトはパクパクと牡丹鍋を食べる。

 うん、これは本当に美味しいな。

 味噌ベースも良いが、醤油ベースもなかなか合いそうだ。


「こうやって屋外で食べる料理は、普段の3割増しで美味しいな」

「そうだねぇ。わたしはレッジがいれば、いつでも美味しいけど」

「まあ、しょっちゅうフィールドでテント建ててるわけだけどな……」


 自分で作った料理も美味いが、人の作った料理というのも格別だ。

 何せ、手間がないからな。


「レッジさーん。色々買ってきたので一緒に食べない? って、もうラクトと何か食べてる!?」

「シフォンも色々持ってきてくれたんだな。せっかくだし、一緒に食べよう」


 そこへシフォンとエイミーがやってくる。

 二人も炊き出しを色々と回って、差し入れを持ってきてくれたようだ。

 せっかくだし軽く休憩を摂ろうと、アセットのテーブルを設置する。


「レティとトーカは?」

「レティは地獄赤辛鍋大食い大会に参加してるよ。トーカはそれの観戦中」


 シフォンに言われて見てみれば、少し離れたところで特大の寸胴鍋と向かい合うレティが見えた。

 人垣に囲まれ、グツグツと真っ赤に煮えたぎる鍋と格闘していた。

 トーカは何かの料理を食べつつ、呆れた顔でそれを眺めている。

 何やら賭けも行われているようで、レティの隣に並ぶ大男たちにも声援が投げられている。


「定期的にああいうのに参加して、レティに全賭けした方がよっぽど効率的に金が稼げるんじゃないか?」

「そのうち出禁になるわよ」


 金欠を解決する妙案を思いついたが、うどんを啜るエイミーに一蹴される。

 まあ、結果の分かる賭けほど面白くないものもないしな……。


「そういえば、ミカゲは?」

「誰も見てないわね。その辺に忍んでるんじゃない?」


 戦闘中は呪術で戦っているところを見ていたが、それが落ち着いてからは見失ってしまった。

 とはいえ、ミカゲなら一人でひっそり楽しんでいることだろうと、この場の全員ともさほど心配はしていない。


『うわ、結局レッジも食べてるじゃない』

「おかえり、カミル。いいもん見つかったか」

『おいなりさんも作って貰えたのじゃ!』


 ラクトたちと談笑しつつ飲み食いしていると、カミルとT-1が帰ってくる。

 二人にはいくらかビットを渡して、休憩がてら何か食べてくるよう言っていた。

 結果として、カミルは両手に醤油味の牡丹鍋を持ち、T-1も小さな寿司桶にぎっしりと詰まった稲荷寿司を抱えている。


『せっかくアンタのぶんも買ってきたのに。要らなかったわね』

「ちょうど醤油味も食べたかった所なんだ。ありがたく頂くよ」

『ふん。せいぜい味わうことね』


 俺の分までちゃんと買ってきてくれたカミルに感謝を伝えつつ、醤油味の牡丹鍋を楽しむ。

 予想通り、こちらも野趣溢れる良い味わいだ。


「T-1の稲荷寿司も、なんか変わってるな」

『うむ。茸猪を模した形に作ってくれたのじゃ』


 T-1がパクパクと楽しげに口に運んでいる稲荷寿司は、牙を模したアーモンドや小さな茸によって飾られている。


『稲荷寿司がなくて泣いてるのを見かねて、料理人が作ってくれたのよ』

「そうだったのか。優しい人もいたもんだ」


 どうやら、彼女たちも愛されているらしい。

 そのことに少し安心して、稲荷寿司で口をいっぱいにするT-1に思わず笑みを浮かべた。


「勝者、〈白鹿庵〉のレティ!」

「ごちそうさまでしたっ!」

「知ってた」

「ですよねー」

「はい」


 どうやら、レティの方も決着がついたらしい。

 筋骨隆々のタイプ-ゴーレムの男性が青い顔をしている隣で、余裕の笑みを浮かべた彼女は両手を天に突き上げている。


「レッジさーん! 優勝しましたよ!」

「はいはい。おめでとう」

「うわ、皆さん美味しそうなもの食べてますね。レティも摘まんで良いですか?」

「まだ食べるんだ……」


 特大寸胴いっぱいの地獄赤辛鍋を完食した直後に走り寄ってきた彼女は、早速テーブルに並んだ料理に手を伸ばし始める。

 その様子をラクトが戦慄しながら見ていた。


「解体の方はまだまだかかりそうですか?」

「そうだなぁ。ま、意地でも終わらせるが」


 俺が休んでいる間にも、すぐそばでは他の解体師たちが交代しつつ止まることなく作業を続けている。

 このぶんなら、何とか消滅する前に片付けられるだろう。


「まあ、それまではレティたちも適当に遊んでてくれ」

「それじゃあ、みんなで〈ミズハノメ〉散策でもしようかしら」


 エイミーの提案に、レティたちも目を輝かせる。

 〈猛獣侵攻スタンピード〉のせいで有耶無耶になっていたが、元々は〈ミズハノメ〉内の店でゆっくりする予定だったのだ。


「任せてください、レッジさん。美味しいお店見つけてきますからね」

「いや、俺はもう結構腹一杯なんだが……」


 気炎をあげるレティに苦笑しつつ、手に持った椀の中身を飲み乾す。

 解体作業の後半戦も頑張ろう。


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Tips

◇地獄赤辛鍋

 新鮮な具材を豪勢に使い、丁寧に抽出した出汁と共に煮込み、超激辛のホットアンプルで全てを塗り替える地獄のような鍋。常人では湯気を見ただけで涙が止まらず、香りを感じた瞬間に咳が止まらなくなる。

 特殊な訓練を受けた者でなければ口に運ぶことすら困難な、極限の赤辛鍋。

 慣習的に、地獄とつく場合はその時点で最高等級のホットアンプルが使われる。


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