第595話「奮起する獣」

 森の中をメイドが駆ける。

 青と白のスカートを揺らし、緑の木々の間を駆け抜けていく。

 赤髪を風に広げる彼女の背中を追うのは、成体サイズの茸猪だ。


「カミル、一度突き放せ!」


 茸猪の鋭い牙が、彼女の背中に肉薄する。

 歩幅の差もありカミルがどれだけ足を動かしても、猛進する猪はその間合いを詰めてしまう。


『分かってるわよ!』


 カミルは自棄になったように叫ぶと跳躍する。

 目の前に立ちはだかる木の幹を蹴り、鮮やかな身のこなしで方向を転換すると、手に持っていた箒を茸猪の眉間に突き付けた。


『――『破衝突き』ッ!』


 カァン! と澄んだ音が響く。

 到底、箒の先から放たれたとは信じがたい音だが、それは茸猪の硬い頭蓋の内側にまで浸透する。

 全身から茸を生やした猪は強い衝撃にもんどり打って、仰向けに転がる。


『よしっ』


 猪が倒れたのを確認すると、カミルは再び走り出す。

 やがて起き上がった茸猪も執念深く彼女の追跡を始めた。


「カミル、もう少しだ!」

『分かってるったら!』


 カミルが密林の中を駆ける。

 時に枝を足場に跳躍し、時に蔦を掴んで振り子のように。

 茸猪は後を追う。

 木々をなぎ倒し、土を蹴り上げ。


『着いた!』


 そして、ギリギリの所でカミルが辿り着いた。

 密林の中に開かれた空間。

 彼女がそこに入り、茸猪が引き込まれた瞬間、円の周囲に金網が取り囲んだ。

 手動発動式の囲み罠だ。

 本来なら原生生物を捕らえるためのものだが、今はカミルと茸猪だけの闘技場となる。


「さあ、第二ラウンドだ。勝てるか?」

『誰に聞いてるのよ。アタシは戦闘技能テストで満点を取ってるのよ』


 木の上に立ち、カミルを見守る。

 彼女は興奮し蹄で土を掘る茸猪と真正面に対峙して、怯えの色もなく箒を差し向けた。




「お疲れさん」

『……ん』


 金網で囲まれた円の中心で足を放り出すカミル。

 彼女にスポーツドリンクを渡すと、口を開くのも億劫な顔で受け取った。


「33分04秒。やっぱり成体相手だと時間が掛かりますね」


 いつでも助けに入れるように準備しつつ時間を計っていたレティが、茸猪討伐に掛かった時間をカミルに伝える。

 たしかにかなり時間が掛かっているが、それはもとより予想していたことだ。

 幼体よりも遙かに強い成体と一対一で戦い、そして勝てたことが一番の成果である。


『お疲れさまなのじゃ。見事だったぞ』

『ありがと。T-1は戦わないの?』

『わ、妾は平和主義じゃからな……』


 カミルに問われて狼狽えるT-1に、俺とレティは苦笑を隠せない。

 〈猛獣の森〉で迎え撃った特殊警備NPCの大群は、なかなか戦い甲斐があったと思うが。


「どうだ、成体と戦った感想は」

『強いというか、タフね。『破衝突き』を覚えられたから、間合いは取りやすくなったけど』


 幾度となく茸猪の幼体と戦いつづけ、そして今日ついに成体を討伐せしめたカミルの〈杖術〉スキルはレベル22に到達していた。

 その結果、レベル10テクニックの『強打』とレベル20テクニックの『破衝突き』を使えるようになり、戦略にも深みが出てきた。

 とはいえ、攻撃力の低さは如何ともしがたく、基本的にはノックバック攻撃で間合いを取りつつ着実にHPを削っていく堅実な戦法には変わりない。


「モップと持ち替えができたら、もっとスムーズに戦えるんだろうが……」

『アタシはアンタ達みたいに三種の神器を全部持ってるわけじゃないし、二本も持ってたら邪魔で仕方ないわよ』


 メイドロイドのカミルは、俺たちと違って三種の神器のうちの二つ、八尺瓊勾玉以外を有していない。

 天叢雲剣がないことで戦闘中の自由な武器の切り替えや非戦闘時のコンパクトな格納が行えず、八咫鏡がないことで自分以外の情報にアクセスできず、インベントリも扱うことができない。

 フィールドに出る時は、彼女の荷物は全てネヴァが作ってくれたトランクの中に収めて持ち運んでいる。


「よし、解体できた。いったん〈ミズハノメ〉に戻って、エイミーたちと合流するか」


 カミルが倒した茸猪を肉と皮と骨とその他に分解し、近くに待たせていたしもふりのコンテナに積み込む。

 囲み罠も撤去し、カミルたちと共に〈ミズハノメ〉へと帰還する準備を進める。

 俺とレティがカミルの鍛錬を行っている間、エイミーたちには別働隊として動いてもらっていた。

 トーカ、ミカゲ、ラクト、の3人は他のプレイヤーたちと共に〈花猿の大島〉の調査開拓活動を、エイミーとシフォンは〈ミズハノメ〉内部での情報収集を行っている。


「エイミーたち、良いお店見つけてくれましたかね」

「どうだろうな」

『おいなりさんの美味しい店があると良いがのう』


 ついにカミルが茸猪の成体を討ち取ったことだし、軽く祝勝会でも開きたいところだ。

 完成した〈ミズハノメ〉の商業区画には、今も続々とユニークショップが建ち始めている。

 今はまだ各種観光系バンドのガイドブックも出揃っていないため、エイミーとシフォンには期待せざるをいない。


「カミル?」


 荷物の回収が終わり、町に向けて歩き出そうとした時、カミルがぼんやりと密林の奥を見ていることに気がついた。

 名前を呼ぶと、彼女ははっとして振り返る。


「どうかしたか?」

『いや、なんでもないわ』

「そうか? っとと、今度は白月か」


 首を傾げつつ駆け寄ってくるカミルとは入れ違いに、今度は白月が同じ方向を見る。

 とはいえ、こいつはいつでもぼんやりと虚空を見ていたりするし、あまり意味があるとは思えないのだが――。


「レッジさん、戦闘準備を」

「何か来るのか」


 ピクリと耳を揺らしたレティが巨鎚を構える。

 彼女まで異変を感じ取ったのなら、話が違ってくる。

 俺はカミルとT-1を後ろに下がらせ、槍を構える。

 こうも木々の密集している環境では、DAFも植物戎衣も使いにくいが、レティがいるならなんとかなるだろう。

 ――と、思っていたのだが。


「ええ……」


 木々をなぎ倒し、轟音と共に現れる巨体。

 湾曲した牙の一本が、老樹のように太く年季を感じさせる。

 白濁した瞳に意思が残っているのかは定かではないが、全身を覆い尽くす生々しい茸の傘がぐにょぐにょと揺れ動いている。


「デカすぎるだろ!」


 現れたのは、小型バスほどの大きさをした茸猪だった。

 鼻から荒い息を吐き出し、興奮した様子でこちらに牙を向けている。

 蠢く赤や青の茸の隙間から見える長毛は、長い年月の中で漂白されてしまったようだ。


「『生物鑑定』。名前は“大茸猪”ですね。推定適性評価は黄、名持ちネームドクラスです」


 立ちはだかる木々すら意に介さず、堂々と歩いてくる猪を、レティが冷静に鑑定する。


「ネームドクラスのノーマル原生生物ってアリかよ」

「たまにいますよ。“貪食のレヴァーレン”とか」

「あれはもうほとんどボスエネミーじゃないか!」


 そんなことを言っている間にも、大茸猪はこちらへ着実にやってくる。

 俺たちが取れる選択肢は二つ――逃走か、闘争か。


「行きます!」


 俺が何か言うよりも早く、レティが走り出す。

 彼女は間合いを詰めながら自己バフを次々と纏い、鎚が届く距離に入る頃には最大限の強化を完成させていた。


「咬砕流、七の技――」

「レティ、避けろ!」


 鎚を振り上げ、“型”と“発声”を始めるレティ。

 しかし、俺は大茸猪の動きに違和感を抱き、声を上げる。

 驚くほど機敏な動きで、レティは横方向に飛び退く。

 一瞬の逡巡もなく、いっそ惚れ惚れするほどの判断の速さだ。

 そして、それが彼女の命運を分けた。


「カミル、T-1!」

『ふぎゃあ!?』


 2人を脇に抱え、横に飛び出す。

 次の瞬間、轟音と共に密林が引き裂かれた。


「ぬあっ!?」


 一切の予備動作なく、一寸の助走もなく、一瞬で最高速度に達した大茸猪の、絶大な破壊力を孕んだ突進。

 シンプルな動きだが、だからこそその不自然なほどの力を否応なく理解する。

 まるで古代の賢者の如く、緑の海を真っ二つに分割した。

 更に驚くべき事に、空中に舞い上がった木の葉や塵がバチバチと帯電している。


「これは……。筋組織の動きが強すぎて体外にまで電気が広がっているのか!」

「そんなことあります!?」


 レティが驚愕の声を上げるが、俺だって信じられない。

 いったいあの巨体に、どれほどの力を有しているのか。


「っ! まずい、追いかけるぞ!」

「えっ? そ、そうだ、この先に――」


 カミルとT-1をしもふりの背に乗せ、俺とレティは自力で走る。

 大茸猪が向かった先にあるのは、数日前に完成したばかりの〈ミズハノメ〉だ。

 たとえ町が襲われなくても、その周辺にはプレイヤーが多くいる。


「もしかして、襲撃イベントか?」

「このタイミングで!? それだとマズいですよ」


 推測を口にすると、レティが俄には信じがたいと眉を寄せる。

 襲撃イベント〈猛獣侵攻スタンピード〉は、不定期に発生する原生生物の暴走だ。

 調査開拓団の活動を脅威と認識した原生生物たちがパニックを起こし、都市へと殺到するというもの。

 発生条件には諸説あるが、都市の建設が進んだ時、原生生物が大量に狩られた時、フィールドの調査進捗が急速に進んだ時などが要因と言われている。


「もしかして、俺たちが茸猪を狩りすぎたせいか?」

「それだけで発生するほど〈猛獣侵攻スタンピード〉は安くないはずです。とはいえ、今いちばん賑わっているフィールドですし、いつ始まってもおかしくなかったですね」


 襲撃イベントは発生が不定期な上、そう頻繁にあるものでもない。

 それなりにずっとログインしている俺も、遭遇したのは片手で数えられる程度だ。

 今回〈花猿の大島〉で〈猛獣侵攻スタンピード〉が発生したのは、ここが攻略の最前線として活発な開発が行われていたからだろう。

 特に、着工からかなりの速度で竣工した〈ミズハノメ〉の存在は大きいはずだ。


「もし〈猛獣侵攻スタンピード〉なら、大茸猪は一体だけじゃない可能性も――」


 深刻な表情で思い詰めるレティ。


「恐らくそうだろう。奴は名持ちネームドでもボスでもない、ただの一般原生生物ノーマルエネミーらしいからな」


 幸いと言うべきか、大茸猪が拓いた道のおかげで素早い移動が可能となっている。

 しかし、全身に巨大な茸を生やした大猪の背中は遙か遠くだ。


『レッジさん、大変です!』

「トーカか。もしかして、強力な原生生物が出てきたか」

『話が早くて助かります。一角暴れ馬ホーンブロンコという個体が〈ミズハノメ〉に向かっています』


 どうやら、同じくフィールドに出ていたトーカたちも強力な原生生物に遭遇したらしい。

 となれば――。


「っ!」


 密林の向こうからフィールド全体にサイレンが響き渡る。

 都市に危機的な状況が迫っている場合に発動されるもので、様々な特例措置が解放される。

 調査開拓員に対して緊急の特別任務が発令され、都市の防衛設備が起動する。

 ようやく完成した拠点が破壊されないよう、全戦力を動員した防衛作戦が展開されるのだ。


「レティ、先に行け。俺はカミルとT-1を連れて後から合流する」

「分かりました。死なないで下さいよ」


 短く言葉を交わし、レティはとあるコマンドを入力する。

 30秒後、彼女は崩れるように倒れた。


『レティ!?』

「大丈夫だ。自殺コマンドで一足早く〈ミズハノメ〉に戻っただけだよ」


 驚くT-1に事情を説明する。

 〈猛獣侵攻スタンピード〉に対する防衛作戦が展開されているなら、デスペナルティは免除される。

 ならば緊急用の自殺コマンドを実行して、擬似的な瞬間移動で町に戻った方が早い。


「さあ、俺たちも行くぞ」

『わ、分かったわ……!』


 しもふりの背に跨がっていたカミルは箒を握る。

 彼女がそれを使う事態に陥らなければ良いが。

 そう思いながら、ついに密林を抜ける。

 浜辺に広がっていたのは、海を渡らんとする無数の猛獣たちと、偶然居合わせたプレイヤーたちが激戦を繰り広げている混沌とした戦場だった。


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Tips

◇〈猛獣侵攻スタンピード

 様々な要因によりフィールド内にストレスが蓄積した結果発生する、大規模な原生生物の暴走。多くの場合、都市が標的となり襲撃される。

 都市中枢演算装置〈クサナギ〉が危機的状況と判断した場合には防衛作戦が展開され、各種特例措置が発動され、都市防衛兵器の使用が解禁される。


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