第582話「無限触手」

 放たれた一粒の光が、暗闇に浮かぶ白い怪物の元へと向かった。

 静かに、滑らかに、それは濡れた肌へと触れ――。


「総員、対ショック姿勢!」


 アイの声が響くよりも早く、レティたちは本能的に危険を察知して甲板に蹲っていた。


『うわっ!?』

『な、なんじゃあっ!?』

「いいから頭下げろ!」


 俺もカミルたちを抑えて、彼女たちを守るように背中を前に向ける。

 次の瞬間、爆発という言葉も生温い、破壊そのものが始まった。


「はえええっ!?」

「シフォン、私に掴まりなさい!」


 嵐すら塗りつぶすような爆風が船を揺らし、シフォンを吹き飛ばそうとする。

 膝をついたエイミーが彼女の手を咄嗟に掴まなければ、シフォンは呆気なく海へと落ちていただろう。

 〈七人の賢者セブンスセージ〉――FPO最高峰の機術の使い手たちによる輪唱機術。

 その威力は海すら削る。


「イカはどうなった!?」

「凄いですよ。状態異常のオンパレードですが、生きてます。ていうか、再生してます!」


 耳元で風が鳴り響く中、レティはすでに立ち上がっていた。

 彼女たちの目の前には、全身を傷だらけにしながらもそそり立つ烏賊がいる。

 火傷、裂傷、麻痺、腐食、沈黙、失明、混乱、気絶、無数の状態異常を受けながらも、その長いHPバーは徐々に回復を始めている。


「ははは! ワシらの攻撃を受けて尚沈まないとは、なかなかやるじゃないか!」


 急速に傷を癒やしていく特銛烏賊を見て、メルは歓声を上げる。

 彼女たちもあの一撃で烏賊を倒すつもりでいたはずだ。

 一切の手加減なく、一切の容赦なく、全力で叩き込んだ機術でも、その白き巨体の生命力は削りきれない。

 その事実を目の当たりにして、感動すら覚えているのかもしれない。


「呆けている暇はないですよ! 今のうちに畳みかけます!」

「このまま削りきれば、私たちの勝利です!」


 特銛烏賊が傷を急速に癒やしていくなか、レティたちは果敢に甲板を蹴って飛び出していく。


「ヒョウエン、行くよ!」

「にゃあ。ボクらも仕事はしないとね!」

「ふむ。容赦なく弾を撃てるのは久々じゃなあ」


 海竜の背に跨がった子子子が滑り出し、ケット・Cも六枚刃の双剣を手に走り出す。

 “水鏡”のテントの上、コンテナの屋根に陣取ったMk3は巨大な狙撃銃を構え、現実離れした巨大口径の弾丸を装填する。


『俺も出ましょう。レッジさん、見ていて下さいね』

「え? あ、おう。頑張れー」


 “銀鷲”がスラスターを焚き、意気揚々と飛び出した。

 彼に声援を送りつつ、俺は周囲を見渡す。

 特銛烏賊が持ち上げていた虹輝船は、『崩壊』の衝撃で海面に落とされ、距離を取っている。

 彼らと、二隻の僚船は特銛烏賊から離れた場所で、今だ無尽蔵に現れる大銛烏賊の処理に集中するようだ。


「つまり、こっちは俺たちの担当というわけか」

「レッジ、操船の指示を頼んでもいい? 正直何にも見えなくて、最悪転覆しそうだよ」


 『水流操作』で船の体勢維持を行っているラクトから悲鳴が上がる。

 この荒波に、大嵐、そして暗闇、更には大銛烏賊の巨体も少し動くだけで波が起こり、“水鏡”は予測不能な力の奔流に揉まれている。


「分かった。周囲を警戒しつつ情報を出していくから、それで対応してくれ」


 俺はラクトの隣に立ち、DAFシステムを起動する。

 水中では扱えないが、大嵐なら大丈夫だ。

 〈観測者オブザーバー〉を8機ほど周囲に展開し、各地点からの視界を確保する。


「特銛烏賊の気絶解けるよ!」


 敵を監視していたルナの声。

 動きを止めていた巨大イカが震え、無数の触腕を動かし始める。

 まだ視界は戻っていないが、乱暴に腕を振り回す。

 それに掠るだけでも、小さな俺たちは身体を鯖折りにして吹き飛んでしまうだろう。


「はんっ! そんな大ぶりな攻撃、当たりませんよ!」


 脚力を活かし、宙に飛び出したレティは笑いながらそれに立ち向かう。

 迫り来る太い触手を軽やかに蹴り、逆に足場として利用して接近する。

 非常に高度な、人間離れした曲芸のような技だろうに、トーカやケット・Cたちも平然とそれに続いている。


「あいつらはもしかして人間じゃないのか?」

「レッジだって、やろうと思えばできるでしょ」


 ラクトの肩に手を置きながら、八分割された視界で戦況を確認する。

 船に大波が迫っていたら、その方角をラクトに知らせる。

 直接〈観測者〉の視界を彼女に渡せればいいのだが、そう言うわけにも行かず、随分と原始的な方法でサインを送る形になっている。


「なんか、ラクトを使って船を操縦してる気分だな」

「わたしはコントローラーだったの?」


 彼女の華奢な肩がすっぽりと手に収まるのもあって、変な錯覚を覚えてしまう。

 とはいえ、俺の出したアバウトな指示に対して臨機応変に対応してくれるラクトという優秀な頭脳が無ければ、この嵐に耐えることはできない。


「信じてるからな、ラクト」

「んえっ!? わ、分かってるよ。まかせなさい!」


 肩に置いた手に力を込めて言うと、ラクトは驚きの表情を浮かべながらも頼もしく胸を叩く。

 俺だけではない、この船にはカミルも乗っているし、〈花猿の大島〉で手に入れた貴重なアイテムも積み込んでいるのだ。

 こんなところで沈むわけにはいかない。


「なんかラブコメの波動を感じます!」

「何を馬鹿なこと言ってるんですか!」


 レティとトーカは仲良く触手を足場にしながら立体的にイカの周囲を駆け回っていた。

 トーカの刀は太い触手もすっぱりと切り落とすが、レティのハンマーは少々相性が悪いらしい。

 全身から粘液を分泌しているイカにハンマーが当たっても、つるりと衝撃を受け流されてしまう。


「くううう、面倒くさいですね!」

「レティは休んでいていいですよ。ここは私が活躍しておくので」

「そんなわけには行きませんよ!」


 優越感に笑みを深めるトーカに対し、レティは耳を立てて反発する。

 彼女は次々と自己バフを施すと、最大火力の打撃を迫り来る触手に向けて打ちだした。


「『破転荒』ッ!」


 自身を軸に大きくハンマーを回転させ、遠心力を勢いに乗せた鋭い一撃。

 それは迫る触手の中心に激突し、衝撃と共に跳ね飛ばした。


「いよっしゃ! どんなもんです!」

「切れないことには意味が無いでしょう。――『一閃』ッ!」


 大きくよろけた触手を、トーカの刀が一刀の下に両断する。

 滑らかな切り口を見せて触手は荒れた水面へと落ちていく。


「切れてもすぐに再生してるんですから、結局同じことですよ!」


 それを見てレティが吠える。

 トーカが切ったばかりの触手の傷口からは、薄ピンク色の肉が急速に盛り上がり、瞬時に新しい触手が回復していた。


「これは卑怯すぎません!?」

「そんなこと言う前に、じゃんじゃか切って下さい!」


 レティが触手を打ち上げ、それをトーカが切り落とす。

 何だかんだと言い合いながらも、二人は息の合ったコンビネーションで次々と触手を落としていく。


「にゃあ。キリがないねぇ」

「ケットさん!」


 そこへ、双剣を携えたケット・Cもやってくる。

 彼は一人でレティたちを越える速度で触手を切り落としているが、それでも回復の方が上回っているようだ。


『やはり、本体を叩かないことにはどうしようもないでしょうね』


 空中で極大剣を振り回すアストラも、唸るような声で言う。

 しかし、それも言葉ほど簡単なことではない。

 特銛烏賊はイカと言う癖に、触手の数が10では効かないほどに多い。

 切っても切っても際限なく再生し、高速で迫る極太の触手、それが本体の周囲を目の細かい柵のように囲っているのだ。

 それを掻い潜って内側に入ろうとしても、すぐさまあらゆる方向から触手が迫ってきて弾き出される。


「お困りのようだね、諸君!」


 悩みながら触手を落とし続けるレティたちに、“水鏡”の方から自信に満ちた声が上がる。

 見れば、そこには大ぶりな筒を抱えたルナが意気揚々と立っていた。


「ルナさん!? そ、それはまさか――」


 ちらりと船の方を見たレティが目を丸くして驚く。

 ルナが抱えているものに、彼女も覚えがあった。


「そう、『星降らしの大筒スターゲーザー』だよ!」


 それは銃と呼ぶには大きすぎ、太すぎる鉄の塊だ。

 装填できるのは巨大な特殊弾頭のみ、射程も限られる上、連射もできない、ピーキーすぎる火砲だ。

 ルナはその筒に弾丸を装填し、甲板の上に据える。


「みんな、巻き込まれないように注意してね」

「ッ!? いったん退避です!」


 にこやかに笑うルナに、レティたちは弾かれたようにイカから距離を取る。

 直後、火砲が轟音を響かせ、黒煙を吹き出した。


「ラクト、体勢維持に全力!」

「分かってるよ!」

「エイミーも障壁展開頼む!」

「任せなさい!」


 “水鏡”も荒波に揉まれながら衝撃を受ける用意を整える。

 DAFシステムから追加で〈守護者ガーディアン〉を展開し、船の前方に重ねて配置する。

 全ての準備が整った直後、特銛烏賊の直上、黒雲の向こうから星が落ちてきた。


「いっけええ!!!」


 ルナの絶叫。

 射撃手の思いを一身に受け、規格外の弾丸はイカの頭を縦に貫いた。


「ぐあっ!?」


 白い巨体の内部で機術の封じられていた弾丸が破裂する。

 一瞬、その巨影が膨張し、衝撃は空気を伝って俺たちの元へと届く。

 波を道連れにしてやってきた強い力の塊を、俺たちは必死に受け流す。


「特銛烏賊、沈黙しました!」

「HPは削り切れてませんが、今なら潜り込めます!」


 身体を貫かれてなおイカは倒れない。

 しかし、触手は水の中に沈み、レティたちを阻むものは無くなった。

 彼女たちはエイミーの障壁によるアシストを受けながら空中を駆け抜け、巨大なイカの眼前まで迫った。


「覚悟しなさい。この一撃は柔らかな身体も撃ち抜きますよ」


 障壁を蹴り、レティは空中へと飛び出した。

 携えたハンマーを高く掲げ、鋭い眼光をイカに向ける。


「『刀装合体』、“極刀・雪月花”」


 時を同じくして、イカの背後には剣士が立っていた。

 彼女は三振りの太刀を束ね、自身の身長すら越える大太刀を作り出す。

 腰に佩くことすらできないほどの巨大な太刀を携えて、その一瞬に勝機を見出す。


「咬砕流、七の技――」

「彩花流、神髄――」


 海の怪物の前後に立った二人が、同時に声を発する。

 不安定な空中であることを忘れさせるような、完璧な“型”を決める。

 トーカは落下しながら深く前傾姿勢を取る。

 レティに至っては、頭が下、足が上と身体自体が逆転したままハンマーを振り上げている。


「――『揺レ響ク髑髏』ッ!」

「――『紅椿鬼』ッ!」


 前後から同時に放たれた打撃と斬撃。

 板挟みとなった特銛烏賊は、双方の衝撃を受け流すことも叶わず、直撃を受ける。

 打撃は軟体のなかで反響し、肉をすりつぶしていく。

 斬撃は太い首を断ち、意識を落とす。


「レティ、トーカ!」

「おっとと」

「ふぎゃっ」


 大技を至近距離から叩き込んだレティたちは、そのまま海へと落ちていく。

 その直前、エイミーが滑り込ませた障壁によって受け止められ、トーカは軽やかに、レティは頭から着地を決める。


「やりましたよ、レッジさん!」


 晴れやかな表情で拳を突き上げるレティ。

 彼女の隣では、完全に事切れた特銛烏賊がぷかぷかと浮いていた。


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Tips

◇特銛烏賊

 〈剣魚の碧海〉西方の海に棲む、巨大な大銛烏賊。通常の大銛烏賊と比べても遙かに巨大で、触腕の数も多い。非常に生命力が高く、触腕を切断されても短時間で急速に再生させることができる。

 長い時を深い海の底で生きつづけた、過去の残滓。白き誇りすら海底の澱と共に忘れ去り、今はただ光を求めて揺蕩うのみ。


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