第579話「茸猪と狩人たち」
濃い緑に囲まれた、湿度の高い密林の中を掻き分けていく。
幹の細い木々が密集し、蔦が複雑に絡み合い、張りのある草葉の繁茂する〈花猿の大島〉は、レティにとって相性の悪い環境だった。
柄の長い、遠心力を威力に転化する大槌が、ここでは取り回しの悪さとなって苦しめるのだ。
「いるわね。大猪よ」
先頭をあるくエイミーが声を潜めて前を指し示す。
彼女の示す先に、焦げ茶色の剛毛に覆われた全長3メートルほどの大柄な猪がいた。
木々の隙間に身体を押し込み、固い鼻先で地面を掘っている。
口元からは太く鋭利な牙が生え、更には毛の隙間から怪しげな茸が無数に顔を覗かせている。
「近くに他のエネミーはいない。今なら、安全に戦える」
周囲を警戒していたミカゲが木の上から報告する。
小鳥のさえずりや枝葉の擦れる音は絶え間なく聞こえてくるが、邪魔者の気配はないようだ。
大猪は地面を掘ることに夢中で、レティたちに気付いている様子はない。
「叩きましょう。もうちょっと食べたいですからね」
「まだ食べるの?」
鎚を構えて意気込むレティに、ラクトが眉を上げる。
彼女たちが浜辺を離れ密林にやってきたのは、盛大なバーベキューの後の腹ごなしが理由のはずだった。
「あの猪、妙に美味しいんですよね。焼いてお塩を振るだけでも、絶品ですよ」
「そりゃ、わたしも食べたから知ってるけどさぁ」
「アレ、ほんとに食べても大丈夫な猪なのかな……」
氷の短剣を両手に握って、シフォンは不安そうに眉を寄せる。
あの原生生物は“
猪が移動する過程で広範囲に菌糸を撒くことができ、代わりに茸を摂食することで猪も身体を増強しているのだ。
「猪も食べているのですから、毒ではないでしょう。ともかく、斬りましょう!」
腰に差した刀に手を添えるトーカを見て、シフォンは少し距離を開けた。
最近、彼女の辻斬り魔具合が加速しているように思える。
「方針は決まった?」
「はい。さくっと倒して持って帰りましょう」
レティの声と同時に、六人の戦士が動き出す。
まず初めに茸猪を襲ったのは、死角外から放たれた銀の矢だった。
それは太い猪の後ろ足に突き刺さると、傷口からたちまち凍結していく。
「『一閃』ッ!」
悲鳴を上げながらも動けない猪に、素早い銀線が放たれた。
神速の抜刀は剛毛を断ち、その下にある分厚い脂肪へと至る。
しかし素早く剣を収めたトーカは悔しげに唇を噛んでいた。
「くぅ。一刀両断とはなりませんでしたか」
「危ないっ!」
木の幹を蹴って方向転換するトーカの前に、エイミーが立つ。
腕を胸の前で交差した彼女に、勢い付いた突進が激突する。
数秒の間に足の傷に慣れた猪がトーカに向かって走ったのだ。
「やっぱり重たいわね……ッ!」
ただの猪の突進といえばそれまでだが、その身体は3メートルを越える。
その全身には発達した筋肉の鎧があり、野生の瞬発力で放たれる衝撃はまるで破城鎚のようだ。
「重さなら、レティも負けてませんよ!」
鈍い衝撃音と共に、茸猪の目が大きく開かれる。
素早く肉薄したレティが、星球鎚を彼の脇腹に向かって叩き付けたのだ。
満足に力を溜められない狭所での攻撃だというのに、彼女の一撃は確実に猪の厚い皮の奥へと浸透していた。
「離れて!」
ミカゲの声で、レティたちは弾かれたように猪から距離を取る。
次の瞬間、猪の剛毛の間から覗いていた茸たちが一斉に傘を広げ、周囲に濃密な煙幕を飛ばした。
茸と猪の共生関係の一つで、猪に強い衝撃――他者からの攻撃があった場合に茸が胞子を撒き散らすのだ。
その胞子は生物の筋組織、更には機械人形の強化人工筋繊維にすら影響を及ぼす。
具体的に言えば、短時間の麻痺状態と、長時間の攻撃力、移動速度低下のデバフが付与されてしまうのだ。
それを防ぐ方法は、距離を取って胞子が落ち着くのを待つ、もしくは――。
「『
渦巻く風の長槍が、薄桃色の胞子を散らす。
一息に飛び込んでいったシフォンは、そのまま風を使って厄介な胞子を消していった。
しかし、そこにはすでに猪の姿がない。
胞子の煙幕はそのまま、撤退の隙を作る目隠しにもなるのだ。
「ミカゲ!」
「糸は繋いでる。――『呪縁伝炎』」
トーカの要請を受け、黒衣の忍者は印を切る。
最後に彼が小さな鏡を砕くと、青い炎が宙を伝って走り出す。
極細の糸を辿って燃える炎を目印に、牙を剥いた開拓者たちが密林を駆け抜ける。
「いました!」
「ちょこざいな!」
速度で勝るレティがハンマーを振り上げる。
しかし、その脇から深く身体を前に倒したトーカが追い抜いた。
「『迅雷切破』ッ!」
「ぬああっ!? 卑怯ですよ!」
トーカの刀が猪を襲う。
レティが抗議の声を上げるが、彼女は素知らぬ顔だ。
だが、研ぎ澄まされた刀の一撃は、猪の硬質な牙によって遮られる。
「なっ!?」
「はっは! ここは第二開拓領域ですよ。そんじょそこらの刀じゃあ太刀打ちできませんって」
驚くトーカを、レティが囃し立てる。
もはや誰と誰が敵対しているのかも分からなくなってきた。
「ふざけてないで、仕留めるわよ」
「はいさー」
前衛二人がいがみ合っているのを脇目に、エイミーが素早く猪の懐に潜り込む。
鋼鉄の拳が脇腹を突き上げ、更に鞭のようにしなる脚が勢いよく叩き込まれた。
重量のある猪の巨体が浮き、更には横方向へと吹き飛んだ。
「『
木々を薙ぎ倒しながら転がる茸猪に、極太の氷剣が突き刺さる。
それは猪の硬い剛毛も厚い皮膚も貫き、深々と食い込んだ。
一定の時間を置き、氷剣が弾ける。
無数の鋭利な破片を広げ、猪の腹腔を開く。
「しかし、なかなかタフねぇ」
「流石は第二開拓領域ってところ?」
油断なく構えを継続するエイミーの目の前で、茸猪はよろよろと立ち上がる。
彼女たちが手加減しているわけではなく、ただ純粋にこの島の獣が強壮すぎるのだ。
すでに“豪腕のカイザー”や“隠遁のラピス”程度ならば息絶えているだけのダメージを与えているはずだが、それでもなお猪は戦意を保って立っている。
「とはいえ、あまり時間を掛けるのもよくないでしょう」
「そうね。やっぱり可哀想だし――」
「お肉の品質が落ちますもんね!」
シフォンの言葉を遮り、レティはハンマーを構えて駆け出す。
戦意を持ち立っていると言っても、猪はすでに命を半分以上削っている。
レティは星球鎚の柄に備えられたスイッチを押し込んだ。
「ていりゃっ!」
柄の長さ、ヘッドの重さ、腕力、それらを最大限に活用する大ぶりな攻撃。
しかし、木々が競うようにして根付く密林では、そのような大胆な動きはできない。
彼女のハンマーもまた、目標に至る前に手前の木の幹に激突する。
猪はまるで間抜けな襲撃者を笑うかのように鼻を鳴らす。
「こっからですよ! ――『爆砕打』ッ!」
しかし、彼女が持つハンマーは木の幹に当たった箇所を起点に折れ曲がる。
多連節式のハンマーは、そのまま木を回り込んで猪の意表を突いた。
不規則な軌道を描いて迫る星球に、猪どころか彼女の仲間たちでさえ反応ができない。
そのまま星形のハンマーヘッドは獣に衝突し、轟音と共に爆発した。
「いえい! 討伐完了です」
「はぁ……。レティの戦闘時の柔軟性には驚かされますね」
爆発の黒煙が晴れ、白目を剥いて倒れる猪を見下ろしながらトーカは肩を竦める。
本来、大型武器が不得手とする密林に、ものの数分で適応してしまった。
今の彼女ならばここでもいつも以上の火力を発揮することだろう。
「ふふん。トーカにはできない芸当ですからねぇ。木こりにでも転職したらどうですか?」
ぴこぴこと耳を揺らして近づいてきたレティの言葉に、トーカはぴくりとこめかみを痙攣させる。
背後を見ればたしかに、彼女が茸猪を斬りつける際に巻き込んだ細い木々が何本も倒れている。
どうやら、このあたりの木は〈伐採〉スキル以外でも切れるオブジェクトになっているらしい。
「レティだって何本ブチ抜いてるんですか。五十歩百歩でしょう」
レティの走ってきた道には、彼女がハンマーを我武者羅に振るって薙ぎ倒した木々の成れ果てがある。
伐採成績でいえば、レティもトーカも同じようなものだった。
「それだったらエイミーだってそうですよ。彼女は身体が大きいぶん道も大きくなっちゃって――」
「レティ?」
「ひゃいっ!」
調子に乗るレティの背後に、笑みを浮かべたエイミーが立つ。
彼女の声に混じる圧力を感じたレティは本能的に背筋を伸ばした。
「とりあえず、レッジの所に持っていくわよ。さっさとしないと、それこそ品質が落ちちゃうわ」
「そ、そうですね。レティが運びますよ!」
エイミーに肩を叩かれたレティは、弾丸のように猪の下へ駆け寄る。
腕力極振りの彼女は荷物運搬も適任なのだ。
「レティ、手伝うわ」
「ありがとうございます。シフォンさんも、めちゃくちゃ強くなりましたねぇ」
「はえっ? そ、それほどでもぉ……」
駆け寄ってきたシフォンと共に猪の巨体を引きずり、レティは海岸に向けて歩き出す。
新たに見つかった第二開拓領域〈ホノサワケ群島〉、〈花猿の大島〉。
今だ多くの人々が到達できていない未開拓地で、彼女たちは逞しく過ごしていた。
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Tips
◇
〈花猿の大島〉に生息する大型の猪に似た原生生物。分厚い皮下脂肪、硬い剛毛などが天然の鎧となり、生半可な攻撃は通らない。大きく鋭利な牙を二本持ち、固い鼻先と共に土を掘削する際に用いる。非常に強靱な筋組織を持ち、突進の速度と威力は驚異的。
特筆すべき点として、全身に生える“
その肉は赤身が多く、非常に美味い。また骨は重量のある身体を支えるため強靱で、皮も丈夫。
密林に棲む穴掘り猪。その背に小さな仲間を乗せて、今日も森の中を闊歩する。
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