第577話「平穏の一時」

 新大陸の影に近づくほど水深は浅くなり、やがてレティたちは鮫を脱ぎ捨てた。

 ラクトとエイミーによって“水鏡”が作られ、テントを海面上に持ち上げる。


「あれが新大陸か」


 氷の甲板の上に立ち、青々とした木々の繁る陸を眺望する。

 島か大陸かは定かではないが、白い砂浜が緩やかに弧を描きながら左右に広がる、南国のような熱気を帯びた陸地だ。

 背後を見れば、遠くに黒雲が立ち込めているのが見える。

 俺たちはあの嵐を、海の下からくぐるようにして回避したわけだ。


「接岸するよー」


 ラクトの声と共に“水鏡”の船底が砂に触れる。

 勢いのまま蒼氷船は陸に乗り上げ、俺たちは競うようにして甲板から飛び下りた。


「到着です!」

「いやっほう!」


 白い砂を蹴り、どこにそんな元気が残っていたのかと呆れるほど溌剌とした表情で駆け回る。

 それと時を同じくして、高らかにシステムアナウンスが鳴り響いた。


『第二開拓領域〈ホノサワケ群島〉への到達が確認されました』

『第二開拓領域第一域〈花猿の大島〉が解放されました』

『通信監視衛星群ツクヨミによる詳細探査が行われます』

『付近の調査員は回避行動を取って下さい』


 懐かしい無機質なアナウンス音声と共に、青空の彼方でキラリと何かが光る。


「っ! みんな避けろ!」

「うわわっ!?」

「はええええっ!?」


 直後、極太の白光線が砂浜に激突する。

 五本の光柱は円を描きながら広がり、周辺一帯を調査していく。

 ウェイド――シード02-スサノオの投下前にも行われた事前調査だ。

 空に浮かぶ通信監視衛星群ツクヨミから放たれた光が地面を舐めるようにして移動して、地表の情報を隈無く調べ上げていく。

 更に光は洋上にまで手を伸ばし、広範囲に及んだ。

 初めて地表調査を目の当たりにしたシフォンが涙目で光柱から逃げ回っているのも、俺たちにとっては微笑ましい。

 そして、調査が終われば結論が出る。


『第二開拓領域〈ホノサワケ群島〉、ポイント-ブルーオシャンの調査が完了しました』

『海洋資源採集拠点シード02-ワダツミの投下条件が達成されました』

『海洋資源採集拠点シード02-ワダツミを投下します』


 立て続けに流れるアナウンスを聞いて、隣に立っていたワダツミが小さく拳を握るのが見えた。

 彼女にしてみれば、初めての直接の妹がやってくるわけだ。


「さて、シードはどこに投下されるんでしょうか」

「一応テントは畳んで、何時でも逃げられるようにしておこうか」


 天高く成層圏の向こう側に停泊する開拓司令船アマテラスより投下される、各種都市の基盤となるシード。

 それはちょっとした隕石のようなもので、地表に落ちてくるとそれだけでかなりの衝撃が周囲に広がる。

 直撃などしようものなら、こんなところで死に戻りだ。


「カミル、背中に登ってろ」

『はあ!? いいわよ、別に』

「万が一があったらいけないからな。俺と一緒にいればとりあえず避けられるはずだ」


 特に死ぬことの許されないカミルは特別だ。

 俺は彼女を背負い、準備を整える。


「来ましたよ!」


 アイが空を指さして声を上げる。

 雲一つ無い蒼穹から、小さな白い点が落ちてくる。

 それは長い尾を引いて、流星のように飛来する。

 俺たちは意識を張り詰め、いつでも動けるように足に力を込める。

 俺の肩を掴むカミルの手からも緊張が伝わった。

 しかし――。


「あれ?」


 落ちてきた白い種は、青い海の真ん中にぽちゃんと落ちる。

 衝撃が衝撃だけに大きな飛沫が上がってはいるのだが、海水というクッションによってこちらまで衝撃波は伝わってこない。


『わ、ワダツミーーー!?』


 真っ先に声を上げたのはワダツミだった。

 彼女は待望の妹が海に落ちたのを目の当たりにして、顔を真っ青にする。


「ちょ、待てワダツミ!」

『ノー! 離して下さい! か、回収しないと。妹が溺れてしまいます!』


 今にも海に飛び込んでシードを回収しようとするワダツミを羽交い締めにして引き留める。

 スサノオやT-1も彼女の腕や腰を掴んで動きを抑えた。

 その間にもレティたちは呆気に取られた顔で、凪を取り戻した海を見つめる。


「お、落ち着けって。T-1、シードの投下に失敗したのか?」

『そんなわけなかろう! シードの投下は成功じゃ!』


 俺の問いにT-1はブンブンと首を横に振って否定する。

 つまり、海のど真ん中にシードが落ちたのはT-1たち〈タカマガハラ〉の本意であったということだ。


『アナタがワタクシの妹を沈めたのですかー!』

『おおお、落ち着け! 貴重なシードを無駄にするわけがないじゃろ!』


 胸ぐらを掴んで糾弾するワダツミに、T-1はすっかり怯えきった顔で否定する。

 これも仮想人格を得た弊害なのだろうか。

 本来T-1はワダツミの上司にあたり、機械的には反論や反抗が許されない存在なのだが、今のワダツミはお構いなしだ。


「T-1、どういうことか教えてくれないか」

『うむむ……。少し待つのじゃ』


 ワダツミにガクガクと身体を揺らされ顔面蒼白になったT-1は、真剣な表情でデータのやり取りを行う。

 彼女が事情を説明してくれてくれるかどうかは微妙なところだったのだが、すぐにT-1は表情を和らげた。


『〈タカマガハラ〉との確認が取れたぞ。どうやら、このあたりの土地は地盤的に不安定で、海洋資源採集拠点ワダツミの建設には不適切だったようじゃ。じゃから、いっそのこと洋上に浮かぶプラントとして設置するようじゃな』


 いつになく早口で弁明するかのような調子で事情を話すT-1に、ワダツミもようやく納得できたらしい。

 彼女はT-1の胸元から手を離すと、しょぼしょぼと肩を落として謝罪した。


『ソーリー。少し取り乱してしまいました……』

『うむ。〈葦舟〉の海鮮稲荷寿司50人前で手を打とう』


 T-1の要求はともかく、シードは計画通りに落とされたということが分かり、俺たちも一安心だ。


『ほら、さっさと降ろしなさいよ』

「はいはい。分かったから蹴るなって」


 危険が去ったのを確認してカミルを地面に降ろす。

 ていうか、ワダツミを止める時に両手を離したのだからその時に降りられたのでは、などと思っているとじろりと睨まれた。


「第二開拓領域〈ホノサワケ群島〉、〈花猿の大島〉、それにシード02-ワダツミ。レティたち、ほんとに新大陸に来たんですね」


 状況が落ち着き、レティたちも実感が湧いてきたらしい。

 しみじみと現状を口に出して、晴れやかな表情を浮かべる。


「色々とやるべき事もありますが、今は上陸を祝いましょうか」


 “銀鷲”から降りたアストラが、爽やかな笑顔で言う。


「そうだにゃあ。せっかくの一番乗りなんだから、楽しまないとね」

「ワシはお腹が減ったなあ。レッジ、何か作ってよ」

「メルさん!? うちのレッジさんを専属料理人か何かとでも思ってませんか?」


 アストラの提案に、ケット・Cたちも便乗する。

 幸いなことに、この海岸は特に原生生物の姿もなく平和なようだ。

 天気もよく、日差しは痛いくらいに差し込んでいる。

 そして、テントの中には新鮮なサメ肉や食料がいっぱい詰め込まれているのだ。


「よし、上陸祝いのバーベキューでもするか!」


 俺がそう言うとラクトたちからも歓声が上がる。

 彼女たちもここまでの道中で疲れていることだろう。

 ぱーっと騒いで、後のことは後で考えればいい。


「レティも、まずは腹ごしらえをしようじゃないか」

「うむむ。ま、まあ、レッジさんがそこまで言うのなら……」


 レティも頷き、俺は早速準備を始める。

 カミルたちがテントから荷物を運び出し、砂浜に広げていく。


「ちょっと周囲を散策してくるわ。お肉もあった方がいいでしょ?」

「それはまあ、そうだが。気をつけてな」


 武装を整えたエイミーたちは、準備ができるまで海岸の近くを探索するようだった。

 死んだ場合〈ワダツミ〉まで戻ることになるが、彼女たちも細心の注意を払うし心配は少ないだろう。


「あのぉ、わたしはレッジさんのお手伝いをしてきますね……」

「何言ってるのよ。せっかく初見の相手と戦えるんだから、この機会を逃す手は無いわ」

「はえええ」


 俺の方へと近づいてきたシフォンは、エイミーを筆頭に頼れる師匠たちによって連行されていく。

 強く生きろとだけ祈りつつ、俺は静かに彼女たちを見送った。


「じゃあ、俺たちは海に行ってきますよ。貝とかも結構あったんで」


 騎士団の潜水士たちは貝殻水着を着て海へと潜っていく。

 ついでにアストラから、シードの様子を見てくるように指示も出されているようだ。


「カグヤちゃん、それー!」

「きゃあっ! あんまり驚かせないで、ください!」

「ぎゃああ!?」


 タルトたち〈神凪〉は新フィールドに出掛ける気は無いらしく、波打ち際で和気藹々と遊んでいる。

 その中にはルナとマフもちゃっかり混ざっていた。

 というか、彼女たちはなぜか皆パステルカラーの水着姿だ。

 水着の種類についてはあまり詳しくないが、随分と可愛らしい。

 わざわざ用意していたとは、準備がいいというか暢気というか……。


「ふふん。レッジは水着が好きなのかな?」

「うおっ!? め、メル。滅相もないこと言うなよ」


 いつの間にか背後に立っていた赤髪の少女に驚きながら首を振る。

 ちょっと、姪を海に連れて行った時のことを思い出して懐かしんでいただけだ。


「そこまで言うのなら、ワシがナイスバディを披露してやってもいいんだよ」

「はいはい。そりゃ楽しみだなー」


 猫のように笑うメルをあしらいつつ、慌ててやって来たエプロンに身柄を引き渡す。


「すみませんねぇ」

「いえいえ」


 憮然とした顔で引きずられていくメルを見送り、再び料理の準備に戻る。


「うーん、平和だなぁ」


 テントの影では、白月が丸まって寝息を立てている。

 攻略の最前線ではあるが、ここには俺たち以外のプレイヤーはまだいない。

 束の間の穏やかな時間を、各々が好きに楽しんでいる。


「レッジさん! 森の中に猪がいましたよ。丸焼きにしましょう!」

「この近くの原生生物なら、問題なく倒せるわね。攻撃パターンもすぐに覚えられそうだわ」


 程なくして、丸々と太った猪を引きずってレティたちが戻ってくる。

 彼女たちのおかげで、バーベキューの材料には困らなさそうだ。


「作戦会議してるアストラたちも呼んできてくれ。早速始めよう」

「はい!」


 少し離れたところで頭を突き合わせているアストラたちの下へ、レティが掛けていく。

 俺はその背中を見て思わず笑みを零しながら、持ち込まれた猪の解体を始めた。


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Tips

◇〈ホノサワケ群島〉

 第二開拓領域。〈オノコロ島〉西方に存在する、大小様々な無数の島が集まった地域。温かく穏やかな海の中に広がり、独特の生態系が構築されている。

 第一開拓領域〈オノコロ島〉との間には、非常に不安定な海域が広がっており、行き来するためにはなんらかの方法で大嵐を抜ける必要がある。


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第13章【大嵐の向こう】完結です。

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