第576話「海底神殿」

 アストラの駆る“銀鷲”が動きを止め、極大剣を鞘に収める。

 レティたちもまた、鮫の残党を殲滅し、追加の戦力投入が無いことを確認すると緊張を解いた。

 エプロンとカグラが負傷者を確認し、適切な処置を施していく。

 俺もただのスケルトン姿に戻ると、分離した“驟雨”の中にカミルたちが健在であることを確認し、ほっと胸を撫で下ろす。


「……さて」


 近くに浮いていた鮫男――もとい、“扉守のコシュア=シャルアリア”はHPバーが全損した瞬間、水に溶けるように消えてしまった。

 仕方が無いので手近な鮫に手を伸ばし、それを解体しながら現状について確認する。


「〈白き深淵の神殿〉か。今までとはちょっと趣が違うな」


 二人一組の門番をアストラと共に倒したことで、新たなフィールドが解放された。

 〈白き深淵の神殿〉と称されているのは、十中八九、彼らの守っていたあの門の奥のことだろう。


「レッジさーん、近くの鮫持ってきましたよ」

「おう、助かる。“驟雨”は元に戻してドトウとハトウも繋げてるから、中で休憩しててくれてもいいぞ」

「解体が終わるまで手伝いますよ。それに、奥にも行かないとですしね」


 鮫を引っ張ってきたレティも、白い門の先を見て言う。

 彼女だけでなく、ここにいる全員が例外なく新たなフィールドにうずうずとしているようだ。


「レッジ、持ってきたよー」

「早く片付けて、出発するにゃあ」


 続々と集まる鮫を、俺は急いで片付けていく。


『お疲れさま。もうちょっと揺れを抑えてくれたら、嬉しかったけど』

「おっと。ああ、ありがとうな」


 背後から声を掛けられて振り返ると、木箱を抱えた潜水服姿のカミルが浮いていた。

 ちょうどインベントリが一杯になってきたところだったのだ。

 気の利くメイドさんに感謝を伝えて、木箱の中にアイテムを流し込んでいく。


「怪我はなかったか?」

『平気よ。ちょっとおでこを打ったくらい』

「す、すまん。あとでネヴァに診て貰って――」

『平気って言ってるでしょ。これくらいなんともないわ』


 彼女の前髪の下が僅かに赤くなっているのに気がついて、慌てて様子を伺う。

 当のカミルは迷惑そうに俺の手を振り解いて、そっぽを向いてしまった。


『主様、新しい木箱を持ってきたぞ!』

「おう、T-1もありがとうな」

『お礼はおいなりさんでよいぞ!』


 T-1がテントの中からやってくると、カミルはその隙に満杯になった木箱を抱えて行ってしまった。

 その後も次々と鮫は送りつけられてきて、カミル、T-1、スサノオ、ワダツミの四人がピストン輸送で木箱を入れ替えていく。

 人手を総動員した迅速な作業で、戦いの後始末はすぐに終わってしまった。


「それでは、行きましょうか!」


 作業完了を待ちわびていたレティが威勢よく声を上げる。

 貝殻水着姿の潜水部隊4人が先頭に立ち、俺たちはいよいよ白い門の奥――〈白き深淵の神殿〉へと踏み入った。


「中はかなり暗いっすね」

「ドトウとハトウの探照灯も点けるぞ」


 海底神殿の中は、門番たちと戦った場所とは異なり濃密な暗闇が広がっていた。

 潜水部隊の持つライトと、ドトウとハトウの探照灯、更にメルの炎が周囲を照らし、ようやく視界を確保できる。


「これはまた、随分と……」

「考察班が喜びそうな場所ですね」


 静謐な空間をライトの光が照らし上げる。

 原生生物は、鮫の一匹も見当たらない。

 白い石材で構築された建物は朽ちてこそいるが、そこにかつて豪華絢爛な時代の名残を残していた。

 太い円柱が奥まで連なり、壁には読解できない文字とも模様ともつかない記号の群れが記されている。


「これは年代記でしょうか」

「どうだろうな」


 興味深そうに壁に描かれた絵を見て、アイが首を傾げる。

 薄いピンク色の鮫を装着した姿は、妙にマッチしていて可愛らしいが、当の本人は真剣な表情だ。

 壁画には白い獣と黒い獣が対峙している様子があり、その足下に小さく人のようなものも並んでいる。

 これが、かつてこの星で栄えていたという未詳文明の残滓なのだろうか。


「スサノオ、ワダツミ。どうだ?」

『あう。情報が少なすぎて、何もわかんない……』

『フーム。ワタクシたちではなんとも。おそらく、かなり高度な〈解読〉スキルを有した調査開拓員が必要でしょうね』


 潜水服を着た管理者二人も付いてきているが、今の段階では彼女たちもお手上げらしい。

 生憎、今ここにいるメンバーの中にも〈解読〉スキルを持ったプレイヤーは存在しない。

 俺とネヴァ以外の全員がガチガチの戦闘職で、そんなスキルを入れておく余裕はないのだ。


「うーん、どの扉も固く閉ざされてますね」


 絵の刻まれた左右の壁には、等間隔で扉が並んでいる。

 しかし、そのどれもがしっかりと閉まっているようだ。


「引き戸だったりしてな」

「スライドもできませんでしたよ。ていうか、それは構造的に無理です」


 ちょっと冗談を言ってみると、レティによってにべもなく一蹴される。


「これも、恐らくは鍵師が必要だろうね」


 燃え盛る魚体を動かしながら、メルはそう分析する。

 こちらも専門のスキルである〈解錠〉スキルが必要なものらしい。


「面倒ですねぇ。ぶっ叩いたら壊れませんか?」

「中にあるものまで壊れたらどうする」

「とりあえず、破壊不能オブジェクトだよ」


 唇を尖らせてレティが言うが、ラクトがそれを封殺する。

 まあ、当然と言えば当然だろう。


「レングスたちも連れてくればよかったな」

「どうですかね。お二人は都市専門ですが」


 wiki編集者の二人組を思い出し、思わず唸る。

 彼らのような攻略班からすれば、ここもただの廃墟ではなく宝の山のようなものだろう。

 生憎、俺たちにとっては延々と続く暗い廊下でしかない。


「とはいえ、ここまでに水中洞窟がありますからね。非戦闘職を連れてくるのはかなりのリスクがあると思います」


 アイは難しい顔で現実的な問題を口にする。

 神殿の中は平和そのものだが、そこまでの道中が危険すぎるという。


「俺みたいにテントを使えばいいんじゃないか?」

「みんながみんな、レッジさんみたいにぶっ飛んでいるわけじゃないですからね」

「ええ……」


 ずいぶんな言われようだが、コストがかかるのには変わりない。

 特に、門番との戦いでは俺が直接テントを体に組み込むことでカミルたちを保護したが、それができなければかなり苦しい戦いになるだろう。


「こんなところで死んだら、回収も面倒そうだもんね」


 シフォンが口をへの字にして言うように、ここは水深300メートルの僻地だ。

 機体の回収などほとんど不可能と言ってもいいだろう。


「神殿前で死んでん、ってか」

「は?」


 思わず口に出してしまったギャグに、周囲から荊のような鋭い視線が突き刺さる。


『こちら潜水部隊。奥に大部屋を見つけました!』


 その時、辛い空気を払拭するように、先行していた潜水部隊から興奮した様子の報告が挙がる。

 俺たちはすぐさま廊下を駆け抜け、先へと進む。


「おおっ」


 そこにあったのは、広い円形の空間だった。

 幾本もの太い柱に支えられ、高い天井には様々な獣の絵が彫られている。

 部屋の中央には舞台があり、それを囲むように四つの台座が並んでいる。

 台座の上に鎮座しているのは、白い石で象られた四頭の獣だった。


「白月……?」

『あっちはアーサーみたいですね』

「マフもいるわ」

「しょ、しょこらもいますね」


 台座に座る、四頭の獣。

 それは鹿、鷹、虎、梟の姿をしていた。

 偶然、というわけではないのだろう。

 ここにいる彼らと、台座に座る四体は何かの理由によって符号している。

 その証拠に、白月たちはそれぞれの台座へ真っ直ぐに泳ぎだした。


「……白神獣ってなんなんでしょうね」

「さあなぁ」


 頭の痛そうな顔で言うレティに、俺も曖昧な言葉しか返せない。

 俺たちの見守るなかで、白月たちは石像をじっと見つめていた。


「神子が四頭揃えば何かしら起こるかと思ったが、そういうわけでもないんだな」


 白月たちは何かを確かめるかのように石像を見ているが、それによって中央の舞台に白神獣が現れるような様子もない。

 ここに意味はないのか、もしくはまだ条件を満たしていないのか。

 事情は分からないが、ひとまずこのフィールドでは戦闘は起こらないらしい。

 ――そう思った矢先のことだった。


「奥から何か来ますっ!」


 周囲を警戒していた潜水士の声に、全員が臨戦態勢に移る。

 探照灯の強い光が、舞台の向こうを照らす。


「あれは……」


 俺たちが入ってきた入り口の反対側に、もう一つ入り口があった。

 そこから静かに現れたものを見て、思わず声を漏らす。


「大銛烏賊から逃げてた時に見た奴じゃない?」


 ルナもそれを思い出したようだ。

 ゆっくりと尾を振りながら現れたのは、真っ黒な身体の鮫だ。

 頭部からは白月と同様に、水晶のように透き通った枝角を二本伸ばしている。

 レティたちがいつでも動けるように構える中、その鮫は悠然と泳いで、白月たちのいる舞台へと降り立った。


「あれは、白神獣なんでしょうか」

「その割には身体が黒いよ?」

「では、黒神獣?」


 レティたちが小声で言葉を交わすなか、舞台に立った鮫のほうへとアーサーとマフが近づいた。

 二頭の神子は、鋭利な爪を鮫に向ける。

 そうして、皮を切り裂いた。


「マフ!?」


 ルナが驚いて声を上げ飛びだそうとするが、俺は彼女を押し止める。


「何を――」

「剥がしてるんだ」


 困惑するレティに答える。

 俺たちの視線の先で、アーサーとマフは鮫を覆い包んでいたものを剥がし落としていった。


「苔?」

「黒い苔だな。長い年月の中で、全身に付いたんだろう」


 アーサーとマフによって、鮫の全身を覆っていた黒い苔が落とされる。

 そうして現れたのは、純白の身体をもつ鮫だった。


「やっぱり白神獣だったのか」


 真の姿を現した鮫に向かって、しょこらが翼を広げる。

 鮫の全身がぼんやりと光を帯び、ボロボロだった表皮に張りが満ちていく。

 まるで儀式のようだ。

 舞台に現れた鮫は、瞬く間に活力を取り戻した。

 彼は先ほどとは比較にならないほど機敏な動きで身を翻し、再び入ってきた所から広間の外へ出る。


「追いかけよう」

「え? は、はいっ!」


 ドトウとハトウを繰り、白鮫を追いかける。

 レティたちもそれに付いてきて、再び長い廊下へと飛び込んだ。

 円柱の並ぶ廊下には、俺たちが入った廊下と同様に壁画が刻まれている。

 損傷は激しいが、二つを照らし合わせることで何か分かるのかもしれない。

 ともかく、今は鮫を追いかけなければならない気がした。

 輝く水晶の角を目印に、探照灯で鮫を捉え続ける。


「レッジさん、出口みたいです!」

「そのまま行くぞ!」


 水没した暗い廊下を抜けて、再び海の中に出る。

 〈ワダツミ側〉とは異なり、こちらは水中洞窟を介さずに直接海に続いているらしい。


「にゃあ、こっちにも門番がいるんだね」


 後ろを振り向いてケット・Cが言う。

 海底にぽっかりと開いた神殿の入り口の左右には、白い鮫頭人身の門番が立っている。

 彼らは白い鮫を敬うように、跪いて頭を垂れていた。

「どこまでいくんでしょう?」

「さてな!」


 白鮫は俺たちが付いてこられるギリギリの速度で海を駆け抜ける。

 無数の水棲原生生物たちが織りなす複雑な生態系を垣間見ながら、暗い海の底を泳いでいく。


『レッジさん、あれを!』


 前方を泳ぐ“銀鷲”が真っ直ぐに指を伸ばす。

 それの指し示すものを見つけて、俺は思わず目を見開いた。

 海に差し込むおぼろげな光の先に、大きな影が見える。

 原生生物ではない。

 あれは――。


「新大陸だにゃあ!」


 誰よりもそれを望んでいたケット・Cが歓声を上げる。

 白い鹿角の鮫は、俺たちを新大陸まで案内してくれたらしい。


「うおっとと」


 突然背中を突かれて、驚きながら振り返る。

 そこには、いつの間にか座っていた白月が、どんなもんだと言わんばかりに得意げな顔で胸を張っていた。

 俺は苦笑して、彼の額を撫でてやる。


「ありがとうな。白月のおかげで、ここまで来れたよ」


 新大陸の影は近づくにつれて鮮明になっていく。

 そうして、それがしっかりと確認できるほどになったところで、白鮫は急に身を翻した。


「白鮫、えっと……。“祭祀のコシュア=ユラ”もありがとう」


 間近までやってきた鮫は、かなり大きく感じた。

 滑らかな流線型の身体は白く輝き、傷一つ無い。

 彼に感謝を述べると、白い鮫は角を微かに揺らして応じる。

 そうして、ゆっくりと深い海の底へと戻っていった。


「じゃあ、皆準備はできてるな?」


 白い背中が見えなくなるまで見送り、振り返る。

 そこには、目をギラギラと輝かせた開拓者たちが待っていた。


「上陸だ!」


_/_/_/_/_/

Tips

◇“祭祀のコシュア=ユラ”

 〈白き深淵の神殿〉を守る、老齢の鹿角鮫。悠久の時間が黒き衣を織り、幾千の皺を刻んでも、使命を忘れることなく佇み続けた。その双角は輝く。いつか訪れる新たな光を導くため。その双眸は光る。いつか訪れる新たな時代を見届けるため。


Now Loading...

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る