第574話「深き海の門番」

『ちょっとレッジさん!? 何やってるんですか。早く戻らないと、死んじゃいますよ!』


 TELを通じてレティが叫ぶのが聞こえる。

 俺は今、キュウリ料理のバフだけで一時的に水圧に対抗しているが、効果時間は10分程度だ。

 つまり、それまでに白月を捕まえてテントに戻る必要がある。


「大丈夫だ。ちょっと捕まえて戻るから」

『ドトウの速度でも追いつけてないじゃないですか!』

「テント引っ張ってるからなぁ」


 ドトウとハトウが全力を出せば、かなりの速度で水中を進める。

 しかし、今はテントを牽引しているため、二頭立てでもかなりの減速を余儀なくされていた。

 とはいえ、テントを置いていく訳にもいかないし、カミルたちを置いて俺一人で向かうのも難しい。

 今の俺にできるのは、テントを牽引しながら白月を追うことだけだ。


『レッジさん、戻って下さい!』

「大丈夫だって。たぶん、白月も分かってるんだ」


 俺は5メートルほど先を行く白い子鹿を見つめて言う。


『何を……』


 また変なことを言い出したとでも思っているのだろうか。

 レティが呆れたような声を漏らす。

 俺はそれを遮って、考えていたことを彼女に伝えた。


「最初に言ったろ。海にはおそらく、白神獣に関連する何かがあるって」


 俺がルナ、タルト、アストラの三人を含めた今回のメンバーを巻き込んだのも、それが理由だ。

 ハユラを守っていた護り鮫や、嵐の中襲ってきた大銛烏賊、彼らの情報から読み取れる白い気配。

 それに可能性を見出して、白神獣の子供たちを連れてきたのだ。

 そうして、今まさに白月がどこかへ案内するように泳いでいる。


「白月は進んで何かをするような奴じゃない。それでも、するべき事があればちゃんとやるんだ」


 彼が動いたと言うことは、動くべき事情があるということだ。

 それくらいのことは、ここまでの付き合いの中で分かっていた。


「アストラ、ルナ、タルト。神子の様子はどうだ?」


 俺は自分の仮説を確かめるため、他の白神獣の仔らの様子を伺う。


『マフもしょこらも、白月の方向に齧り付いてるよ』

『アーサーも、狭いコックピット内で暴れてますね』

「ほら、言ったろ」


 他の三頭も、白月の向かう方角に何かあることを感じている。

 白月が先んじて行動に移したのは、彼が神子の中でも一際敏感なのかもしれない。

 今までも、彼は基本的に案内役として俺たちを導いてくれていた。


「さあ、教えてくれ白月。この先に何がある」


 洞窟の奥からは無数に鮫が現れる。

 白月は白い霧を周囲に広げ、彼らの目を欺いて駆け抜ける。

 あれは恐らく『幻夢の霧』なのだろうが、水中は水辺判定でよいのだろうか。


「洞窟が入り組んできたな」


 奥へ奥へと進むほど、洞窟は複雑に曲がりくねり、分岐していく。

 しかし、白月はその構造を全て熟知しているかのように、迷いのない動きで分かれ道を選んでいった。

 白神獣がいなくても、地道に攻略しつつ地図を完成させればいいのだろうが、かなり時間もコストも掛かることだろう。

 俺はただ白月を追い、真っ直ぐに進む。

 アストラやケット・Cたちも、それに追随してくる。

 一心不乱に水中洞窟を進み続けること、十分弱。

 もうすぐ水中行動バフが切れると言った時、ようやく白月が立ち止まった。


「これは……」


 洞窟が急に広がる。

 深い深い海の底だというのに、その巨大空間は明るく光に照らされていた。

 壁面にはびっしりと、白く発光する苔のようなものが生している。


『白神獣の、祠……』


 テントの窓越しに見ていたレティも声を漏らす。

 唐突に現れた広大な球形の空間、俺たちが出てきた洞窟の反対側に、太い柱に支えられた白い祠があった。

 否、それは祠と言うには大きすぎる。

 〈鋼蟹の砂浜〉の地下にあったものとよく似た、神殿の門のようだ。


「ここが目的地か?」


 駆け寄ってきた白月の頭を撫でながら尋ねる。

 水晶の枝角をゆらし、彼は頷くように鼻先を擦りつけてきた。


「レッジさん」

「レティ? むぐっ!?」


 名前を呼ばれて振り向けば、いつの間にかテントから出てきていたレティによって、口に棒を突っ込まれる。

 驚いてその棒を咬み砕くと、どうやらキュウリの一本漬けのようだった。


「そろそろバフが切れるでしょう。気をつけて下さい」

「あ、ああ。助かったよ……」


 ポリポリと一本漬けを食べながら頷く。

 水中で食べると、海水と混ざって全然美味しくないな……。


『ねえ、レッジ』


 ハトウから降りて泳いできたカミルが、硬い声色で言う。

 俺は頷き、前方に構える白い門を見た。


「ここを通るには、アレを何とかする必要がありそうだな」


 門があるのなら、それを守る番人もいる。

 大きく開いた口の奥からは、無数の鮫が続々と現れ、まるで指示を待つかのように並び始めていた。

 更に、その背後、太い門柱の足下に立つ者もいる。


「なんですか、あのふざけた外見は」

「多分白神獣だろう。大きさもかなりのものだし、油断しない方がいい」


 純白の体躯は逞しく引き締まっており、口からは鋭利な牙が見えている。

 両腕に白い円盾と白い銛を構え、分厚い白の鎧を着込んでいる。

 今までの白神獣とは一線を画した、明確に人工物と言えるような装備品を身に纏っている。

 更に目を引くのは、その頭だ。

 獰猛な鮫の頭がこちらを見ている。

 全長は目測でおよそ5メートルほど、筋骨隆々の人身に凶悪な鮫頭。

 猛烈に奇怪な姿の巨人が二体、そこに立っていた。


「流石にこれは、休んでる暇は無いわね」

「はええ……。わたし、絶対勝てないですよ」

「なんであろうと、切り伏せるのみです!」

「水中なら氷属性も使いやすいからね。今から楽しみだよ」


 目の前で鮫たちが陣を整える中、こちらからも血気盛んな戦士たちが飛び出してくる。

 〈白鹿庵〉だけではない、〈黒長靴猫BBC〉も〈七人の賢者セブンスセージ〉も〈大鷲の騎士団〉も〈神凪〉もルナも、全員が完全武装で並んでいる。

 スサノオとワダツミだけが“驟雨”の中から、心配そうに見守っている。


「神子が四人もいるんだし、顔パスで通してくれないもんかね」


 〈奇竜の霧森〉から〈鋼蟹の砂浜〉に通じる門を通った時は、白月の鼻パスですんなり開いた。

 今回は〈鋼蟹の砂浜〉から〈アマツマラ深層洞窟・最下層〉に行くような逆走ルートでもないはずだ。

 一縷の望みを掛けて呟いてみるが、レティがそれを一笑に付す。


「先方は通すつもりは更々無いように見えますよ」

「だよなぁ」


 向こうは続々と鮫を並べているし、二体の白い鮫男たちも歯を剥いて威嚇している。

 白月もちゃっかり後方の安全な位置に立っているし、戦いは避けられないだろう。


『レッジさん、門番の一体は俺に任せて下さい』

「分かった。というか、あのサイズは“銀鷲”じゃないと分が悪いだろ」


 意気軒昂に宣言するアストラにノータイムで頷く。

 身長5メートルを超えるムキムキマッチョな鮫男、しかも武装済みの白神獣を、生身で相手するのは難しい。


「もう一体は……。仕方ないから俺がなんとか相手するよ」

『レッジさんとの共闘ですか! 腕が鳴りますね』


 レティたちは鮫の群れに対処して貰うとして、俺だけテントの中でのほほんとしている訳にもいかない。

 鮫男に対処できるのは、俺かアストラのどちらかしかいないのだ。


「カミル、T-1、テントに戻るぞ。ネヴァ、頼んでいいか?」

『もちろん。準備できてるわよ』


 とにかく、この空間に入った瞬間問答無用でバトル開始、というわけではなくてよかった。

 俺はカミルたちを連れてテントの中に戻り、待ち構えていたネヴァに準備を施して貰う。


「『機体換装』“針蜘蛛”」


 再びテントの外に出て、全身を変形させる。

 かつてアストラと戦った時に使用した、機体そのものを変形させた姿だ。

 八本の腕を持った、少々禍々しい外見だ。

 この状態でも元々よりかなり戦力的に増強されているが、まだ通常のヒューマノイドとそこまでサイズは変わらない。


「『野営地設置』機装拡張纏衣式テント“荒雲”水の装」


 更に俺は姿を変える。

 もともとあった“驟雨”をカミルたち五人が収まる程度まで縮小させ、その上に立つ。

 俺自身の機体とテントが直接結合し、一体となる。

 俺自身へのLP供給と、カミルたちの保護を兼ねたテントの変形だ。

 全長およそ3メートルほどの、金属製の蜘蛛人間といったところか。

 4本のナイフと、4本の槍を持ち、水中に揺蕩う。


「アストラ、何分で倒せる?」


 俺の隣に並ぶ“銀鷲”の主に向かって問い掛ける。

 彼は自信に満ちた声で即答した。


『3分で勝ちます』

「分かった。それなら、俺はもっと早く倒そう」


 彼の声に含まれた挑発的な感情を感じ取り、思わず笑みを漏らす。

 俺はインベントリに用意していた注射器を手に取り、その針を首元に突き刺した。


「『戎衣纏装』“荊花蜘蛛”」


 ブルーブラッドラインにシリンジの内容液が注入される。

 八本の腕、八本の脚、膨らんだ下半身、膨張した胸部、金属の面に覆われた頭部、全身を濃緑の蔦が覆い隠す。

 太い蔦が互いに絡まりながら伸び、鋭利な棘を無数に生やす。

 毒液がにじみ、水中に濃い紫色を広げていく。

 LPは減少と回復で激しく上下し、やがて拮抗する値に安定していった。


「レッジさん、また禍々しくなってません?」

「カミルやスサノオたちに手伝って貰って、農園での品種改良もずっと進めてたからな」

『あう! 頑張ったよ!』


 アストラと勝負したときよりも、更に巨大な緑色の蜘蛛の姿になり、全身に力が宿るのを実感する。

 この状態は栄養液が切れるまで、時間にして3分しか保たないが、それだけあれば十分だ。


「ちょうど、向こうも準備が整ったみたいだな」


 眼前では整列した鮫の大群と、その後方に白い鮫頭の巨人が立っている。

 すでに門から新たな鮫が出てくることはなく、優しいことに俺たちの動き出すのを待っていてくれたらしい。


「――行くぞ。3分で片付ける!」

「了解です!」


 俺の声で、レティたちが前へ進む。

 アストラも動き出し、門番たちも銛を掲げる。

 俺は腹部のテントにカミルたちが守られているのを確認して、八つの脚を動かして泳ぎだした。


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Tips

◇荊花蜘蛛

 特殊複合植物戎衣。機装拡張纏衣式テント展開時のみに纏装可能な植物戎衣。荊荒縛葛、蝕毒靫葛、刃葉鎧南瓜、爆裂石榴などを合成し、超濃縮栄養液と共に瓶の中に封入した。

 気温や天候など周囲の環境に左右されず、安定した展開ができるように調整が重ねられており、あらゆる状況下での運用が可能になっている。


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