第573話「気まぐれな子鹿」

 “驟雨”の後方に設置された気密扉が開き、髪を濡らしたレティたちが戻ってくる。

 流石に少し疲れた様子で、彼女たちは置いてあった椅子に腰を下ろした。


「ふぅ。身体が重く感じます」

「プールで泳いだ後みたいな感覚ですね」


 湿った髪や装備はすぐに乾くが、感覚はそんなに早くは戻らない。

 俺は作っておいた温かいレモンティーを、彼女たちに配る。


「お疲れさん。とりあえずは、順調だな」

「ありがとうございます。鮫の対処も分かってきて、5人くらいいれば捌けるようになったので、楽になりましたね」


 レティはカップを受け取り、窓の外を見る。

 そこでは極大剣を持って盛大に暴れ回る“銀鷲”と、BBCの3人、そして元気よく泳ぐ子子子のペットのヒョウエンの姿があった。

 逆に言えばそれ以外のメンバーは全員、一時的にテントの中に戻って休憩している。

 アストラがメガシャークを倒した後も俺たちは順調に進み続けているわけだが、如何せん洞窟は長く終わりが見えない。

 鮫を下半身に着けているとはいえ、ずっと水中の中にいるのも辛く、交代で休むことになっていた。

 幸いなことにあれ以降さほど強い原生生物は現れておらず、常時5人ほどが出ていれば十分に対処できる。

 その上、鮫自体はいくらでも出てくるため、交代も容易だった。


「そうだ、レッジさん。忘れないうちに渡しておきますね」


 レティはそう言って、俺へトレードを持ちかける。

 渡してきたのは、彼女が手に入れた鮫のドロップアイテムの数々だ。


「レッジさんが解体したほうが効率はいいんでしょうけど、元々の数が多いので結構な量になりましたよ」

「ありがとな。うーん、フカヒレスープなんかも作れそうだな」


 レティたちから受け取ったアイテムは、そのまま保管庫へと流し込んでいく。

 サメ肉など一部の食材系アイテムは手元に残し、休憩中の彼女たちへ食事という形で還元する。


『主様、サメの稲荷寿司はどうじゃ?』

「そうだな。虹輝鮫はもうやったし、何か別のサメで作ってみるか」


 サメの種類が多いだけに、そのドロップアイテムも様々だ。

 どれを使えばどんな料理に仕上がるのか、俺も少し楽しみにしている。


「とはいえ、先にドトウとハトウの栄養補給もしてやらないとな」


 現在も元気にテントを牽引してくれている二頭の機械鮫も、無限に動き続けることはできない。

 彼らの動力源であるバッテリーも、行動可能時間を重視して大型のものを積んでいるが、それもそろそろ残量2割を切ってきた。

 バッテリーが切れずとも、残量が僅かになるとパフォーマンスも悪くなる。

 そうなる前に予備バッテリーに交換する必要があるが、こればかりは俺が外に出てやるほか無い。


「ちょっとだけ動きが止まるぞ。まあ、テント自体は効果も継続するし、3分も掛からないはずだから」

「了解です。それまでに腹ごしらえしておきますよ」


 テーブルに置いてあった寿司桶を手に取りながら、レティはにこりと笑う。

 あれだけ暴れ回った後だし、腹も減っているのだろう。


『ちょっと、護衛は付けなくていいの?』


 俺から離れることのできないカミルとT-1が、丸いガラス球を被りながら言う。

 彼女たちの潜水服は、丸っこいフォルムの可愛らしい、ネヴァ謹製のものだ。

 防御力に特化しており、例え岩が降ってきても無傷だと製作者は言っていた。


「んー、別にいいだろ。アストラもケットたちもいるし」


 テントの側ではアストラたちが暴れ回っている。

 彼らがいれば、俺が武器を出す必要もないだろう。


『それならいいけど……。って、白月も付いてくるの?』


 不承不承といった様子で頷くカミルは、のそりと立ち上がった白月を見て目を見張る。

 今までテントが揺れようが暢気に寝ていた彼が立ち上がったのだ、俺も少し驚いてしまった。


「ついてくるのは構わないが、潜水服はないぞ?」


 テントの外は深海300メートルだ。

 しかし、流石に鹿用の潜水服までは用意していない。

 そんな俺の不安をよそに、彼はカリカリと前脚の蹄で気密扉を引っ掻いた。

 まあ、白月も無謀なことはしないだろうし、できることとできないことの区別が付く程度には賢い。

 白神獣の子供であれば、深海も平気なのかもしれない。


「まあいいか。じゃあ、行くぞ」

『うむ!』


 カミルとT-1が大きな筒型のバッテリーを一つずつ、俺は両手にそれぞれ一つ、合わせて四つを持ち上げる。

 ドトウとハトウはそれぞれ二つずつバッテリーを積むことができるからだが、カミルとT-1が手伝ってくれるおかげで一回の往復で済むのは助かった。


「じゃあ、スサノオ、ワダツミ。ちょっと頼んだ」

『あう! 任せて!』

『オーケー。気をつけて行って下さいね』


 完全手動操作フルマニュアルオペレーションで軽食を作っている管理者たちに後を託して、気密室の中に入る。

 内扉が閉じて、海水が取り込まれ、外扉が開く。

 俺はカミルたちにハンドサインを送り、テントの側面を伝ってドトウとハトウの所まで向かった。


『レッジさん、異常ないですか?』

「平和なもんだよ。アストラが守ってくれてるしな」


 格好付けてハンドサインをしたものの、別に喋ろうと思えば喋れる。

 一応、口を開けば水中滞在可能時間が僅かに減少するのだが、誤差の範囲だ。


『任せて下さい。レッジさんは完璧にお守りしますよ』

「いや、そこまで気を張らなくてもいいんだが……」


 俺のすぐ真横で“銀鷲”が極大剣を振るう。

 それだけで数匹の鮫がまとめて吹っ飛んでいった。

 メガシャークと比べると小さく見えたこの人型兵器も、間近で見れば十分に巨大だ。

 そのぶん、内部の居住性も高く設計されているらしく、アストラは“驟雨”に戻らずとも休憩は取れているようだ。


「さて、もうちょっと頑張ってくれよ」


 鋼鉄の機械鮫の背中を撫でて、ハッチを開く。

 中にあるスロットから消耗したバッテリーを引き抜き、新しいものを代わりに入れる。

 水中でこの換装作業ができるようにするには、かなり難しい問題があったようだが、ネヴァは職人の意地でそれを解決してくれた。


『はい。しっかり持ちなさいよ』

「ありがとう」


 カミルからバッテリーを受け取り、今度はハトウのものと入れ替える。

 バッテリーの交換というか、ハッチの開閉が所有者の俺にしかできないのだが、作業自体は簡単だ。

 T-1の持っていたバッテリーも交換し、二頭の機械鮫も元気を取り戻す。


「……白月は何してるんだ?」


 バッテリー交換も終わり、とっとと帰ろうと振り返ると、白月が水中にぷかぷかと浮いていた。

 生身の状態でいることがまず不思議なのだが、随分と暢気な姿だ。

 とりあえず、浮き輪や潜水服は必要なさそうで一安心ではあるが。


『ほっといたら水に溶けそうな顔してるわね』


 脱力しきった白月を見て、カミルが言う。

 彼は霧に姿を変えることもできるわけで、あながち間違っていない可能性もあるのが面白いところだ。

 とはいえ、いつまでもここにいる訳にもいかない。


「ほら、白月も帰るぞ」


 とろけている白い子鹿に手を伸ばすと、彼は驚くほど機敏にそれを避けた。


「ええ……。何やってるんだ。あっおい!」


 何度か捕まえようと手を伸ばすも、白月はするりとそこから抜け出してしまう。

 いつものぐうたら具合からは信じられないほどの機敏さで、水の中を掛けていく。


「こ、こいつ……」

『ねえ、一回戻った方が――』

「白月を捕まえてからだ!」


 あちらがからかうようにチラチラと振り向けば、こちらも引けなくなる。

 俺は白月を睨んだまま、カミルたちに指示を出す。


「カミル、T-1。ハトウの背に乗れ」

『はあ!? 何を言って――』

『分かったのじゃ!』


 2人をハトウの背に乗せて、俺もドトウの背中に跨がる。

 ドトウとハトウはテントを引っ張ることもできるが、本領はその背にプレイヤーを乗せて海を高速で移動することだ。

 そのために、背中には鞍が付いているし、鐙も用意されている。


『レッジさん!? 何やってるんですか!』


 テントの中からレティが叫ぶが、俺も叫び返す。


「ちょっとだけ予定変更だ。アイツを捕まえてから戻ることにする!」


 その間にも、白月は少し離れた前方からこちらを振り返る。

 深海の黒に、彼の白はよく目立つ。


「ドトウ、一気に行くぞ!」


 機械鮫を軽く叩きながら声を掛けると、彼も気合いを入れるように全身を震わせる。


「白月、待ってろ!」


 声を上げ、ドトウとハトウに合図を送る。

 二頭の鮫は息を合わせ、“驟雨”を引っ張って洞窟の奥へと進み出す。

 白月はそれを確認した後、軽やかに水中を駆けていった。


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Tips

◇大容量バッテリー

 機械類を動かすために必要なエネルギーが充填されたバッテリー。通常のバッテリーの三倍の容量を持つ。

 9,000万回の充放電を行っても、劣化率は0.001%以下。半永久的に使用することができる。

 耐水耐衝撃高耐久衝撃緩衝ケースに収められているが、内部のバッテリーパックは僅かでも衝撃を受けた場合、内部のエネルギーが不安定になり爆発する危険性がある。そのため、絶対にケースから外した状態で扱ってはいけない。非常に危険である。


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