第572話「効率的な戦法」

 見上げるほど大きな鮫に、小さな“銀鷲”が立ち向かう。

 極大剣を引き抜いて、その鋭利な切っ先を鮫の鼻先に向ける。


『メガシャーク。名付きネームドですらないお前に、負けるわけにはいかないな』


 鮫の前に堂々と立ち、アストラは啖呵を切る。

 そうして、早速スクリューを動かし前に出た。

 メガシャークもそれに反応し、頭頂を洞窟の天井に擦りながら身体をくねらせる。

 鋭利な牙がずらりと並ぶ暗い口が大きく開き、“銀鷲”ごとアストラを飲み込もうと襲いかかった。


『動きが遅い!』


 剣閃が迸る。

 アストラの振り上げた極大剣が、メガシャークの口をざっくりと切り裂いた。

 全体から見ればほんの僅かな傷だったが、鮫の意表を突くのには十分だ。

 痛みを感じたメガシャークは、大きく仰け反って暴れ回る。


「うわわっ!?」

「ら、落石注意です!」


 その巨体が痛みに悶えるだけで、洞窟の一部が崩落する。

 落ちてくる瓦礫を避けながら、レティたちはメガシャークの後ろから現れる鮫を相手取っていた。


「アストラ、いけそうか?」


 メガシャークは僅かに動くだけでも絶大な威力の攻撃になる。

 近接攻撃職のアストラには荷が重いかと様子を伺うと、俺の予想に反して活き活きとした声が返ってきた。


『大丈夫ですよ。あれはちょっと体力の多いだけの鮫ですから』

「そうか?」

『ええ。一定範囲内を高速移動することもないですし、体力を高速で継続回復することもないですし、2段階、3段階の変身も残してないでしょうし、何よりそこまで賢くなさそうですから』

「アストラはいったい、どんなボスを想定してるんだ……」


 そんな原生生物がそこらにいて堪るか、とツッコミを入れる。

 彼はそれもそうですね、と苦笑して、戦いに意識を戻した。


『ひとまず、傷をつけていきましょう』


 そう言って、彼は極大剣を上段に構える。

 そうして再びメガシャークに肉薄し、その分厚く頑丈な鮫肌に刀身を差し込んだ。

 銀色だった刃が赤黒く邪悪なオーラを纏い、鮫の切り傷から大量の鮮血が吹き出した。


「『血裂刃ブラッドティアー』、“裂傷”を付与するテクニックですね。メガシャークのような体力の多い原生生物に対しては、継続ダメージデバフの重ね掛けが非常に有効です」

「なるほど。“饑渇のヴァーリテイン”なんかにも効果的な戦法ね」

「ほう?」


 解説のアイさんとエイミーさんのおかげで、アストラが何をしようとしているのかよく分かる。

 “裂傷”というものについては、俺だって知っている。

 デバフの一種で、一定時間ダメージを与え続けるというものだ。

 アストラは俺たちの見守るなかで、次々と剣を振るっていく。

 そのたびにメガシャークの身体に傷が増え、夥しい量の血が海水に溶けていった。


「また、“裂傷”はスタミナを奪います。敵の動きを抑制する働きもあるので、積極的に与えていきたいですね」

「す、スタミナ?」


 アイさんの口から飛び出した耳慣れない言葉に首を傾げる。

 そうすると、エイミーが信じられないと目を丸くして俺を見た。


「レッジ、スタミナも知らなかったの!?」

「ええ……。そんなに驚かれるようなことか?」


 俺の方がびっくりして聞き返すと、エイミーとアイは揃って頷く。

 どうやら、スタミナはかなり有名らしい。

 その割には俺は見たことがないが。


「いくつか判明してる、原生生物のマスクデータの一つよ。ほら、フォレストウルフなんかもずっと走ることはできないでしょ?」

「そういえばそうだが……。“裂傷”はそれに影響するのか」


 大抵の原生生物は常に最高速度で動けるわけではない。

 ある程度逃げに徹していると、次第に動きが鈍ってきて、最終的にはへたり込む。

 そのことは知っていたが、スタミナという概念で数値的に実装されていたとは驚きだ。


「スタミナに影響を与えるデバフはいくつかありますよ。“睡眠”なんかは逆にスタミナを回復してしまいますから」

「ほほう。勉強になるなあ」

「多分ここにいる大体の人はもう知ってることだと思うけど……」


 エイミーは窓の外を泳ぐシフォンの方をちらりと見て言う。

 共有回線を通じて話を聞いていたシフォンは、俺の方を見てぐっと親指を立ててきた。

 プレイ歴は俺よりも遙かに浅い彼女でさえも知っていることだったらしい。


「と、言ってるうちにメガシャークがボロボロですね」


 アイが話題をアストラの方へと戻す。

 水中専用のカスタムを施した“銀鷲”は、軽やかに駆け回り、次々とメガシャークに傷をつけていく。

 もはや憐れに思ってしまうほど鮫は劣勢で、対する“銀鷲”にはほとんど傷がない。

 メガシャークの体力は毎秒ごとに目減りしていき、すでに7割程度にまで削れていた。

 その時だった。


「アストラ! 鮫から距離を取れ!」

『ッ!?』


 俺は慌てて叫ぶ。

 その声を聞いて、アストラは何も言わずに後方へと飛び退いた。

 次の瞬間、メガシャークが身体を折り曲げる。

 鼻先がゴリゴリと洞窟の岩肌を削り、全身に擦過傷が付くのも厭わず、鮫は強引に身体の前後を入れ替えた。


『助かりました、レッジさん』


 緊張した声でアストラが言う。

 あのまま彼が鮫に密着していれば、身体と岩肌の間で押し潰されていたことだろう。


「凄いですね。どうして気付いたんですか?」


 アイが俺の方を見て尋ねる。

 どうして、というのは何故メガシャークが今までと違う動きをするのが分かったか、と言う意味だろう。

 俺は少し考えた後、笑って頭を掻いた。


「勘だな」

「ええ……」


 厳密に言えば鮫の表情が険しくなったとか、動きが一瞬鈍くなって力を溜めるような動作に移ったとか、いくつかあるのだが、それら一つ一つは確証に足るものではない。

 そのため、総合的に判断して勘としか言いようがなかった。


『ともかく、ここからが第二ラウンドですね!』


 前後を入れ替えたメガシャークは、尻尾をアストラの方へ向けている。

 図体に見合う巨大な尻尾だが、それでも頭と比べれば周囲に空間的余裕もある。

 鮫はそれを存分に利用して、思い切り我武者羅に尻尾を振り回し始めた。


「うおお、無茶しやがる!」


 大きな尻尾が鞭のようにしなり、勢いよく洞窟の壁に当たる。

 ガラガラと岩が剥落し、土煙と共に落ちてくる。

 水の中でゆっくりと煙幕が広がって、一気に視界が悪くなった。

 そんな状況でも、あの尻尾に当たれば“銀鷲”と言えど無事では済まないだろう。

 だというのに――。


『獲ったッ!』


 アストラは躊躇無く鮫へ突撃する。

 振るわれる黒い尻尾目掛けて剣を素早く引き抜き、切り上げる。

 鋭利な銀色の刃は的確に尾びれを断ち、一刀の下に分離させる。

 傷口から血が噴き出し、洞窟全体が激しく揺れた。


「おおお、おおおお」


 余波は“驟雨”にも及び、テント全体が大きく揺れる。

 俺は咄嗟にカミルたちに手を伸ばし、覆い被さるようにして守る。

 エイミーとアイも冷静にしゃがみ込み、揺れに耐えていた。


「レティ!」

『こっちは大丈夫です。皆さん平然とした様子で鮫狩りを続けてますから!』

「そ、そりゃよかった……」


 レティたちも元気なようでよかった。


『むぐぐ……。ぷはっ! いつまで抱きしめてるのよ、さっさと離しなさい!』

「うおっ。わ、分かったから。怪我はないな」

『当たり前でしょ!』

『あぅ。スゥたちはこれくらいヘーキ、だよ』


 暑苦しそうな顔で離れていくカミルたちも無事らしい。

 ほっと胸を撫で下ろした時、煙幕が晴れる。


『やあ、レッジさん。こんなもんです』


 そこには、洞窟の底に倒れるメガシャークと、その上で腕を掲げる“銀鷲”の姿があった。


「もう倒したのか!?」


 まだ鮫の体力は7割ほどあったはずだ、どれほどの火力を出したのかと驚いていると、アストラは否定する。


『まだ生きてますよ。“麻痺”状態で動けないだけです』


 彼の言葉を聞いてよく見てみると、確かに鮫はまだ死んでいない。

 しかし、全身からバチバチと電撃のようなエフェクトを断続的に放っていた。


「“裂傷”だけでなく、“麻痺”も狙ってたのか」

『流石にこの巨体に真正面から挑むのも面倒ですからね。少々搦め手を使いました』


 『血裂刃ブラッドティアー』を使いつつ、別の手段で“麻痺”の付与も行っていたらしい。

 あの極大剣に麻痺毒でも塗ってあったか、もしくはアンプルでも投げつけていたか。

 あれだけ大きな口が開いていれば、毒の投与も簡単だったかもしれない。


「意外だな。アストラはもっと物理一辺倒な戦いをするタイプだと思ってた」

『ははは。まあ、個人的な好みとしてはそうですね。でも、使えるものは有効的に使いますよ』


 アストラに抱いていた印象を口にすると、彼は爽やかに笑って言う。

 たしかに、そんなに頑固なタイプでは〈大鷲の騎士団〉の団長は務まらないだろう。

 俺は改めて、彼が攻略組のトッププレイヤーであることを思い知った。


「ふははははっ! どんどん新しい鮫が出てきますね! 全て逃さず完膚なきまでに叩き潰してやりますよ!」

「メガシャークが倒れたせいで、隙間が大きくなったんですね。いいでしょう、我が愛刀の錆にしてくれましょう」


 俺が感慨深く思っていると、“銀鷲”の側を素早く駆け抜ける影が二つ。

 巨鎚を掲げたレティと大太刀を構えたトーカが、血気盛んに鮫の群れへと突っ込んでいった。

 メガシャークによって封じられていた洞窟が解放されたことで、その奥に溜まっていた鮫達が一気に襲いかかってくる。

 彼女たちはそれを、次々と叩き潰し切り伏せていく。


「レッジさん! 今、トーカたちとキルスコア勝負してるんですよ!」

「今は私が3匹多いですよ」

「もう追いつきました!」

「その間に5匹追加です」

「ぐぬぬ……。とりあえず、バンバン倒していくので! 見てて下さい!」


 鮫の群れへ我先にと飛び込むレティたち。

 彼女らは瞳孔を大きく開き、笑声を上げて鮫を捌いていく。


「どっちが捕食者か分からないな……」

『ははは。俺も後れを取るわけには行きませんね』


 元気に泳ぐレティたちを見ていると、アストラも剣を構えて動き出す。

 まだ洞窟は先が見えぬほどに長い。

 彼らの戦いはまだまだ続くのだった。


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Tips

◇『血裂刃ブラッドティアー

 〈剣術〉スキルレベル70のテクニック。

 対象の血管を断ち、深い傷を負わせることで継続的なダメージを与える。効果中、武器の切れ味が僅かに上昇する。攻撃対象に“裂傷”の状態異常を付与する。

 肉を断ち、血を流す。じわりじわりと敵を蝕む、流血殺法。卑怯下劣と言うなかれ。これも立派な技の極み。


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