第571話「鮫の洞の中」
ワダツミ近海、水面下300メートル以上の深く暗い海にぽっかりと開かれた黒い穴。
強力な探照灯の光を向けても先を見通すことのできない、果てしない闇の前に俺たちは立っていた。
『潜水部門も偵察は必要ない。ここから先は鮫の襲撃もより激しくなることが予想される。一丸となってそれを退けつつ、洞窟の奥へと侵入するぞ』
『了解です』
『人魚の皆さんには期待してますからね』
アストラの指示を受けて、四人の潜水士も合流する。
彼らと、アストラの乗る“銀鷲”と、レティたち鮫人魚部隊が主力だ。
入念に不備の無いことを確認し、俺たちはゆっくりと闇の中へ足を踏み入れた。
「見たところ、普通の海底洞窟ですね」
「広さも“銀鷲”が自由に動けるくらいはあるし、まずは順調な滑り出しだな」
“驟雨”の中から洞窟内部の様子を伺いつつ、とりあえず胸を撫で下ろす。
「ふーはははっ! レティに掛かれば鮫も雑魚ですよ! 全部まとめてクラッシュしてやりますよ!」
「三次元的に動けるのは、慣れるととても楽しいですね。――『一閃』! 『迅雷切破』! 『鉄山両断』ッ!」
洞窟の奥からは相変わらず個性豊かな鮫がわらわらと出てくるが、乗りに乗ったレティたちによって危なげなく倒されていく。
それらのドロップアイテムを回収できないのが心残りだが、今は涙を呑んで耐えることにする。
「にゃははっ! たまにはこういう大人数でする狩りも楽しいね」
「良いから、さっさとそこの八尾鮫を倒せ」
総勢19人からなる人魚部隊は、即席ではあるがそれぞれに高い技量でお互いをカバーし合っている。
所属の垣根を越えて、前衛、中衛、後衛という大まかな立ち位置による分担によって、群としての力を高めているようだ。
レティたちが傷を負えばすぐさまカグラやエプロンから支援アーツが飛ばされ、睦月やヒューラによって鮫へ妨害が入る。
Mk3やルナは後方からの援護射撃に徹しており、慣れない水中でも的確に狙撃を成功させていた。
「ちょっとビリッと行くよ! 『
前に飛び出したライムが、その拳に稲妻を乗せて放つ。
勢いよく突っ込んできた全身に太い触手を蠢かせる、もはや鮫の要素が尻尾程度しか見えない原生生物は、それを真正面から受けて吹き飛んだ。
鮮やかな黄色の稲妻が周囲に拡散し、近くにいたほかの鮫たちもその余波を受ける。
「水の中で電撃って大丈夫なのか?」
「メルが鮫を燃やしてる時点で、何も言えないでしょ」
少々奇妙な光景に首を捻るが、そんな俺たちの眼前でメルが容赦なく火炎放射を行っている。
水中である以上、火属性機術はかなり威力が減衰するらしいが、彼女はそれ以上の火力で強引に押している。
素直にミオを見習って水属性機術を使えば良いのに、属性特化型の機術師というのは難儀な者だ。
「ほぎゃーーー!? か、壁から鮫が!」
突然、レティが悲鳴を上げる。
目を向けるとゴツゴツとした洞窟の壁面を突き破った、にょろりと細長い身体が飛び出していた。
申し訳程度に鮫の頭が先端についているが、あれは鮫と言っていいのだろうか。
「にゃあ。“穴子鮫”って言うみたいだにゃあ」
「穴子なのか鮫なのか、どっちかにして下さいよ!?」
意気揚々と飛び出してきた穴子鮫は、激昂したレティによって顔面を強く殴られる。
怯んだところへトーカがやってきてスパスパと輪切りにし、仕上げとばかりにラクトが全身を凍結させていた。
『うーむ。あれも稲荷寿司にしたら美味いのかのう』
「普通に穴子として握りとか押し寿司とかにした方がよくないか?」
この期に及んでなお暢気に舌で唇を舐めるT-1に呆れつつ返す。
全長は5メートルほどもあるし、太さもそれなりだ。
確かに歩留まりは多そうだが、味はどうだろうか。
『皆さん、ここから先は擬態型の鮫も出てきてます。不意打ちに気をつけて!』
前を進む潜水部隊からの忠告に、レティたちも警戒度を上げる。
先ほど岩の壁を貫いて鮫が飛び出してきたように、鮫の方も更に厄介な性質を持った個体が現れていた。
「前方から群れに混じって“
シフォンが炎の短剣を携えて叫ぶ。
“骨鮫”や“冠鮫”などの目を引く鮫の中に紛れ込むように、全身がほとんど透明な如何にも深海魚らしい鮫が数匹見える。
安全なテントの中からならば冷静に捉えられるが、激しく動き回る戦地ではそれも難しいだろう。
「『弾薬装填』“着色弾”!」
「『討つべき者の縛鎖の標』!」
次の瞬間、群れの中を泳ぐ幽霊鮫たちに変化がおこる。
あるものは全身が鮮やかな黄色い蛍光色に塗られ、またあるものは太く頑丈な鎖によって雁字搦めにされてしまう。
それぞれに違いはあれど、透明な身体に分かりやすい目印がついた。
「ナイスです、ルナさん!」
「カグラちゃんも助かりましたっ!」
それらを目標にして、レティたちが飛び出していく。
蛍光色の鮫などは一周回って他の、元々蛍光色をした鮫に紛れてしまうが、見逃すことはなくなった。
瞬く間に倒されていく厄介な透明の鮫たちを見て、俺は思わず感嘆の声を漏らした。
「あれってマーカー戦法か」
「そうね。〈
マーカー戦法というのは、遠距離戦闘職の銃士や支援機術師によって、多数の原生生物の中から特定の個体に目印をつける手法のことだ。
一見すると他の個体と見分けがつかない群れのボスなどを識別する時などに使われており、これによって効率的に目標個体を倒すことができる。
ルナの放った着色弾は鮮やかな色を塗布するだけのものだが、カグラの使用した『討つべき者の縛鎖の標』はダメージ増加効果も伴っている。
「〈白鹿庵〉では珍しいんですか? 私たちもよく使う、一般的な戦法ですが」
俺とエイミーの会話を聞いてたアイが、不思議そうに首を傾げる。
マーカー戦法は効率的に目標だけを撃破するという意味で、とても有用な手法だ。
騎士団でもそれはごく日常的に使われているらしい。
そんなアイの言葉を受けて、エイミーは目を細める。
「うちはほら、火力が基本的に過剰気味だから」
「ああ、なるほど……」
彼女の解答を聞いて、アイも納得したらしい。
2人してテントの窓から外を見る。
「ふははははっ! そこの岩に擬態してる奴も出てきなさい!」
「どれだけ隠れようと無駄ですよ。気配までは消し切れていない未熟者!」
「とりあえず、適当に数打てば当たるよねぇ」
ビリヤードのように鮫を殴って遠くの岩壁に張り付いていた鮫をたたき起こすレティ。
よく分からない第六感的な能力で的確に鮫を切るトーカ。
そして視界が埋まるほど濃密な氷の弾幕で圧倒するラクト。
そもそも彼女たちが暴れ回っている時点で、わざわざ群れの中から一匹を選んで倒すという選択肢はないのだ。
当たりが出るまで倒し続けるという、完膚なきまでにどこまでも脳筋な戦法である。
「皆さん、景気が良いですね……」
傍若無人なレティたちの暴れっぷりを、アイは呆気に取られた様子で見届ける。
「“驟雨”のLP回復効果範囲内ってのもあるし、今までは船の上で行動が制限されてたからな。久しぶりに自由に動けて楽しいんだろ」
レティたちも最近は限られた面積の中で常に足下を意識しながらの戦いが多かった。
ラクトに至っては“水鏡”の航海中はほとんど戦闘に参加できない。
その反動もあってか、鬱憤を晴らすように激しく動き回っているのだろう。
「まあ、味方であれば頼もしい限りです」
「そりゃよかった」
シフォンもまた、炎や石の機術製武器を次々と使い捨てながら鮫を倒している。
彼女の戦法も基本的にLP消費がかなり激しいものではあるため、テントの効果範囲内で最大限の力を発揮できる。
『うおっと! 潜水部隊より後方へ、ちょっとデカいの来ました』
『俺たちも下がります!』
その時、潜水部隊から切迫した声が届く。
すぐに貝殻水着を来た4人の青年がこちらへ戻ってきた。
彼らの様子にレティたちも神経を張り詰める。
「これは……!」
そこへ現れたのは、巨大な洞窟が窮屈に思えるほどの、巨大鮫だった。
大きく口を開けて、まるでプランクトンを捕食するかのように俺たちの方へと向かっている。
「種族名“メガシャーク”。名前の通りでっかいですね!」
「耐久もかなりありそうだ。全員でいくよ!」
大きく立派なメガシャークは、1人で相手できるような代物ではなかった。
レティたちは一斉に、それの撃破へ動き出す。
そこへ、銀色の影が飛び込んできた。
『任せて下さい! こういう奴こそ、俺の出番ですからね!』
現れたのはアストラの繰る“銀鷲”だ。
俺たちよりも遙かに巨大なその機体も、メガシャークの鼻先に立つとミニチュアのように見える。
しかしアストラは狼狽えることなく、むしろ戦意を燃やして極大剣を抜く。
『こんなもの、レッジさんとの戦いに比べれば軽いものですよ!』
そんな台詞を吐いて、アストラは“銀鷲”をメガシャークに肉薄させる。
「いったい、俺を何だと思ってるんだ……」
テントの中で小さくぼやくが、それに反応してくれる者は居ない。
アストラの後にレティたちも続き、巨大鮫との激戦が幕を開けた。
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Tips
◇着色弾
どのような種類の銃器でも装填可能な、シンプルな形状の弾丸。非常に軽量で持ち運びも容易。
弾丸としての威力には期待できないが、内部に粘性のある塗料が封入されており、着弾と同時に拡散する。原生生物に使用することで、特定の対象を他の個体と識別するために使われる。
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