第570話「人魚軍団」

 海溝の底に向かって沈んでいく。

 探照灯の光が、暗い水の中に線を描く。

 その光に誘われてやってきた原生生物たちを、潜水士の四人は軽々と打ち倒していった。


「ここまでは余裕そうですね」

「彼らは騎士団の精鋭ですからね。この程度なら余裕です」


 レティの言葉に、アイが自慢げに胸を張って答える。

 彼女の言うとおり、四人の潜水士は笑みすら浮かべている。


「とはいえ、もうすぐ200メートルよ」


 テント内に取り付けられた水深計を見つめて、エイミーが言う。

 陣形を保ったまま、順調に下へ下へと沈降している俺たちは、すでに深海へと足を踏み入れようとしていた。


「レッジ! 大きいのが来たよ!」


 深海への侵入を果たした直後、それを待っていたかのように巨影が姿を現す。

 探照灯が捉えたそれを見て、ラクトが声を上げる。


「ヤシキイカだ!」


 赤い体表の巨大なイカ。

 大銛烏賊に比べれば小ぶりだが、それでも小型の乗用車ほどの大きさがある。

 それにコイツの厄介なところは、全身に隠している子供を放つことだ。


『潜水部隊はバックアップに。俺がやる』


 悠々と泳いできたイカの前に、蒼銀の機体が立ちはだかる。

 極大剣を掲げた特大機装“銀鷲”は、機体各所に取り付けられた大型のスクリューによって、水中でも高い機動性を確保していた。


――『真裂斬』ッ!


 巨大な人型兵器が放つ、出力に物を言わせたシンプルな逆袈裟。

 周囲の水を巻き込んで放たれた刀身が、ストレートにヤシキイカの頭部を切った。


『おおっ。いっぱい出てきますね』


 ダメージを受けたヤシキイカが、全身に隠していた子供を放つ。

 煙幕のように広がる小さなイカの群れに、アストラが歓声を上げる。

 そうして彼は、剣を水平にしてそれを迎え撃つ。


――『剣乱舞闘』


 水の中とは思えない、踊るような軽やかな動き。

 その大きさや重さを感じさせない滑らかな剣で、彼は次々とイカを打ち倒していく。

 “銀鷲”の活躍の側では、四人の潜水士たちも獅子奮迅の活躍を見せている。

 アストラの極大剣が討ち漏らしたものを、逃さず銛を突き込み倒していった。


『勿体ないですが、タナコイカの方は諦めざるを得ませんね。ヤシキイカの方は船で回収しましょう』


 瞬く間にヤシキイカを屠り、アストラは小型のイカ――タナコイカのドロップアイテムを回収していく。

 本当は俺が捌きたいところだが、ここでは流石に難しい。

 ヤシキイカはそのままドロップアイテムを回収するだけでは勿体ないため、準備していた浮上器具を取り付けて、真上に停泊している船へと送った。


「あのイカが出てきたということは、そろそろだね」


 第一次海底調査の報告書を読みながら、メルがそわそわとし始める。

 ケット・Cも三爪双剣を入念に磨いているし、子子子も“驟雨”のすぐ側を追随しているヒョウエンの様子を確かめている。

 そんな中、レティは胡瓜の味噌漬けをポリポリと囓っていた。


「うーん、やっぱりレッジさんの料理は美味しいですね」

「そうか? 誰が作っても変わらないと思うが……」


 彼女の手には他にも胡瓜の浅漬けや胡瓜の酢の物、胡瓜のサンドウィッチなどの料理が抱えられている。

 それらの胡瓜料理は、全て俺が事前に農園で栽培し調理した、水中行動の為のバフ料理だ。

 河童と言えば胡瓜という安直な発想なのか、胡瓜を使った料理を食べれば水圧に対する耐性や水中での動きやすさなどにバフが掛かる。


「いやぁ、愛が籠もってますよ。愛が」

「レティまでT-3みたいなこと言い出したな……」


 ポリポリと胡瓜を囓り続けるレティ。

 お口に合ったようなら何よりだ。

 とはいえ、別に胡瓜でなくともウニの軍艦やらシラヒゲイソギンチャクのサラダやら、一通りの水中作業向け料理は作ってきているのだが。


「みんなも適当に摘まんどいてくれ。こっから先は長丁場だろうからな」

「ありがとうございます。頂きますね」

「こんなに豪勢にウニが食べられるっていいよねぇ」


 トーカやラクトたちも、ウニとイクラの海鮮丼や海藻サラダに手を伸ばす。

 沈降中のテントは急な角度に傾いているため、わざわざ重力発生装置を床に取り付けた甲斐がある。


「よし、元気いっぱい! いつでも行けますよ!」


 最後の仕上げも終えて、レティが気炎を上げる。


 彼女に続いて他の戦闘員たちも続々と“驟雨”の後方にある小部屋の中へと入っていった。

 ちょうどその時、前方の潜水部隊から報告も挙がる。


『来ましたよ。鮫の群れです』

「よしよし、良いタイミングだ。レティ、任せたぞ」

「了解です!」


 ガラスの向こう側で、レティが勇ましく敬礼する。

 俺は彼女たちにトラブルがないのを確認して、気密室をロックした。


「内扉ロック完了。外扉オープン」


 内側の扉が閉じ、テントの外に繋がる扉が開く。

 潜水装備をしていない、普段と同じ防具を装備したレティたちが、海の中へと飛び出していった。

 スキルも装備もない状態で深海に向かえば、通常なら急激にLPを失うことになるが、今の彼女たちは料理バフによって一時的に耐性を得ている。

 その効果が切れる前に、現地で潜水服を入手するのだ。


『皆さん、好きな服を選んで下さいね!』

『おうにゃ!』


 レティの誘導で、ケット・Cたちがテントの前に出る。

 暗闇の奥から現れたのは、多彩な姿形をした無数の鮫の群れだ。


『やっぱりレティは――これですかね!』


 プレイヤーの集団と鮫の群れが正面から激突する。

 レティは軽々と鎚を振り上げ、狙った一匹の頭を思い切り殴打した。

 白目を剥いて口を開ける、深紅の鮫の中にするりと下半身を入れて、赤い鮫人魚へと変身する。


『むふん。どんなもんです?』

「おう、慣れたもんだな」


 二回目とは思えない鮮やかな手並みで、レティはあっさりと鮫人魚形態になった。

 この状態になれば、何故か露出している上半身も水圧の影響を受けず、自由に水中戦闘を行えるようになる。


『やっほー! どうレッジ? 似合ってる?』


 “驟雨”の前にやってきたのは、小柄な青い鮫だ。

 全身が氷のように透き通った神秘的な水晶鮫クリスタルシャークは、ラクトによく似合っている。


『これはなかなかどうして、案外しっくりきますね』

『なんか、生命に対する冒涜を感じるわねぇ』


 トーカはすらりと細長い太刀のような尻尾の太刀鮫サムライシャーク、ルナは濃緑の迷彩柄をした迷彩鮫カモフラシャークを選んだようだ。

 他の面々も彼女たちに続き、ケット・Cは猫耳鮫キャットシャーク、メルは業炎鮫バーニングシャークと、十人十色の鮫を選択している。


「これだけ鮫の種類が多いのもびっくりねぇ」

「なかなか面白いだろう」


 誰一人として鮫が被っていない様子を、エイミーが呆れた顔で見る。

 彼女やミカゲ、アイは予備戦力として“驟雨”の中に残っているため、楽しげに泳ぐレティたちをそれぞれに異なる思いで眺めていた。


「潜水部隊の四人は人魚になったか?」

『いえ、俺たちはビキニアーマー……潜水服の性能を確かめる必要もあるので、ギリギリまでこのままで行きます』

「分かった。じゃあ、このまま速度を上げて、一気に洞窟に入るぞ」


 レティたちが水中戦の体勢を整えたことにより、事前に想定していた準備は全て整った。

 これより先は、以前に入り口を覗いただけで撤退した洞窟の奥へとただ突き進むのみだ。


「アストラも、準備はいいな?」

『“銀鷲”のエネルギーも十分残っています。損傷もごく軽微なものですね。問題ありません』


 目の前の“銀鷲”が見せつけるように両腕を曲げる。

 別に力こぶができるわけではないのだが、とりあえず進んでしまっていいのだろう。


「それじゃあ総員、突撃!」


 号令と共にドトウとハトウの出力を上げる。

 力強く水を捉えて羽ばたくように尾ひれを動かす機械鮫に負けじと、レティたちも尾ひれを左右に振る。

 暗い海で、光るタイプの鮫や探照灯が闇を払う。

 水のそこからは続々とまだ見ぬ鮫が現れる。


「やーはははっ! レティと深紅鮫クリムゾンシャークの力が合わされば、ただの鮫など雑兵に過ぎぬですよ!」


 牙を剥いて襲いかかる鮫たちを、レティは巨鎚を振り回して散らしていく。

 彼女の破壊力に、鮫の水中機動力が合わされば、確かに向かうところ敵無しだった。


「動くのに慣れが必要ですが……うん、大丈夫そうですね。――『一閃』ッ!」

「久しぶりに思い切り魔法が使えるねぇ。『氷の嵐アイスストーム』ッ!」


 慣れない環境にも関わらず、トーカやラクトもいち早くコツを掴んで暴れ回る。

 メルとケット・Cたちもトップランカーの意地を見せて、軽やかに泳いでいた。


「あう、あわわっ」

「大丈夫? とと、難しいわね」


 しかし、〈神凪〉の四人にはぶっつけ本番の人魚化は難しいようで、それぞれ魚体の動かし方に手間取っている。

 身軽な近接戦闘職の如月やタルトはまだマシな方だが、後方支援職のカグラや睦月は互いに手を握っていないと体勢が安定していない。

 そんな困っている四人の所へ、白髪を水に流してシフォンが近づいてきた。

 全身に白い棘をつけた白棘鮫ソーンシャークを装備している彼女は、〈神凪〉の少女たちに優しく声を掛ける。


「ちょっと難しいよね。鮫は尻尾を左右に振るから、その動きを意識してみて」


 彼女はカグラと睦月の手を取って、丁寧に泳ぎ方を教える。

 その姿はなかなか堂に入っていて頼もしい。


「そうそう。良い感じ」

「あ、わ。できたっ」

「ありがとうございます!」


 手取り足取り分かりやすいシフォンの授業のおかげで、無事にカグラたちもすいすいと泳げるようになる。

 シフォンはそれを見届けると、くるりと反転して前方へと戻っていった。


「うーん、シフォンも頼もしくなってきたな」

「そうねぇ。弟子の成長は涙腺に来るわ」


 それを見ていた俺とエイミーは、そろって目元を指で擦る。

 娘の成長を見ているような気分で、この年になると涙もろくなって仕方がない。


「シフォンは教師に向いてるかもな」

『はええっ!? な、何を……。わたしはただおじ――親戚のおじさんからあんな風に色々教わったなって思いながらやっただけで……』


 思わず声を掛けてみると、シフォンは先ほどの余裕はどこへやら、一転してわたわたと慌てふためく。

 その様子を見て、俺とエイミーは思わず吹き出した。


『こちら潜水部隊。洞窟を発見しました』


 そうこうしているうちに、先行していた潜水部隊から報告が挙がる。

 それを聞いた瞬間、俺たち全員に緊張感が走る。


『ここからが本番ですね』


 レティの言葉に、俺も頷く。

 そうして沈んでいく俺たちの目にも、断崖絶壁にぽっかりと開いた黒い大穴が見えた。


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Tips

◇ウニとイクラの海鮮丼

 新鮮なウニとイクラが豪勢に盛られた海鮮丼。濃厚な甘みのウニと、プチプチと弾けるイクラを存分に楽しむ、究極の贅沢を。

 一定時間、耐水圧+25、水中行動補正+20、LP最大量増加。


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