第566話「勇気ある撤退」
機械鮫に牽かれ、俺たちを乗せたテントは海面付近に浮上する。
すぐさま周囲から太いワイヤーが投げられ、周囲の船に支えられながら浮上すると、ラクトがテントの外に出て機術を発動させた。
なんとか“水鏡”が元の姿を取り戻したところで、俺たちはようやく一息つくことができた。
「レッジさん! 無事でしたか」
マリンドアを開けて新鮮な空気を味わっていると、レティたちが駆け寄ってくる。
“水鏡”を飛び出して他の船の援護に向かっていた彼女たちも、騎士団の氷造船に乗せて貰っていた。
「問題ない。そっちこそ、イカの残党はきっちり処理できたみたいだな」
海面を見渡せば、嵐こそ激しいものの原生生物の姿は見えない。
大型船の甲板には引き上げられた大銛烏賊の身体が横たわり、解体師たちが懸命にナイフを振るっている。
「レッジさんが大部分を引きつけてくれたおかげで、残党処理はあっさり終わりました。いったいどんな魔法を使ったんですか?」
海上に残された彼女としては気になるところだろう。
俺はボロボロになった“驟雨”を修理しながら、イカとサメをぶつけたことを軽く説明した。
「ええ……。この下にもサメが生息してるんですね」
「むしろ近海の海溝よりもよっぽど豊かだったぞ。イカを一瞬で食い荒らして帰っちまった」
その時の様子はしっかりとカメラにも収めている。
あとでブログで公開しておこう。
ともあれ、今はそれどころではない。
イカの脅威は去ったとはいえ、またいつリポップするかも分からず、他の原生生物が襲ってこないとも限らない。
更に言えば、今もなお海は大荒れに荒れているわけで、沈んだ船も多く、そうでなくとも本来の性能を発揮できない船はいくつもある。
こういった点では、機術師によって即時に修復が可能な氷造船は有利だが、普通の金属船やマニアックな木造帆船なども多い。
「この後はどうするんだ?」
「今、ケットさんがアストラさんたちと審議中です。もうすぐ告知されると思いますが――」
レティがそう言った、ちょうどその時。
全体に向けた共有回線を用いて、ケット・Cの言葉が届けられる。
『にゃあ、みんな安全を確保しつつ聞いてね。まずは被害報告からだにゃあ。死亡者32名、重傷者41名、死亡ペット3頭。轟沈船が21隻、半壊船が11隻、航行不能船が3隻にゃ』
彼が告げたのは、予想以上に甚大な被害だった。
最前線攻略に参加するだけあって、ここに集まっているのは皆腕に覚えのある者ばかり。
それでも、たった一度のイカの襲撃と嵐の洗礼によって、ここまで数が減らされた。
その事実に、嵐の轟きさえ遠のいたように錯覚する。
重苦しい打ちひしがれた雰囲気のなか、ケット・Cは行動指針を伝える。
『現時点を以て、〈波越えの白舟〉は続行不可能と判断するにゃあ。管理者ワダツミの指示に従って、極力安全な航路を選択しつつ帰還するよ』
その言葉に人々がざわつく。
明確に宣言された作戦の失敗だ。
中には憤って単身船を動かそうとする者もいたが、他の冷静な者に羽交い締めにして止められる。
ふと隣に浮かぶ氷造船を見上げれば、雨の降りすさぶ中アストラが険しい顔で立っていた。
『航行不能船は動力に余裕のある船が曳航して、負傷者は騎士団のリヴァイアサン1号に移動してちょうだいね。外側を損傷の少ない船や氷造船で囲みつつ、護送船団を形成するにゃ』
ケット・Cの言葉を受けて、アストラが各船に指示を下す。
騎士団の船を中心に外縁が形作られ、ダメージの大きい船がその中に収まっていく。
部位欠損など危機的な状態のプレイヤーは一箇所にまとめられ、支援機術師たちの衛生部隊によって治療を受ける。
「ケット、独立急襲部門はどうすればいい?」
『被害が軽微なら、水先案内を頼めるかにゃあ。ついでに何か原生生物が出てきたら対処をお願いしたいにゃ』
「了解。じゃあ、先頭に立って進むから、後についてきてくれ」
ワダツミがこちらに乗っていることもあるのだろう。
他のメンバーからも異論は出ず、ラクトが“水鏡”を船団の前に出す。
「じゃあ、ワダツミ。よろしく頼む」
『オーケー。できるだけ安全性の高い道を示します』
ワダツミの指示に従い、ラクトが船を動かす。
それから少し距離を開けて、無数のビル群のような巨大な氷造船の群れが付いてくる。
轟々と嵐は吹き荒れて、波は高く低く上下する。
恐ろしいほど静かな、まるで葬列のような暗い空気の中、俺たちは港に向かって帰路に就いた。
「うー。くやしいですね!」
波の中から飛び出してきたバクシンオオマグロを打ち返しながら、レティは鬱憤の溜まった様子で叫ぶ。
彼女の言葉は、他の全てのプレイヤーの心を代弁しているのだろう。
調査開拓作業はトライアンドエラーの連続であるとはいえ、ここまで入念かつ大掛かりに準備をしてきた大規模な作戦が失敗に終わるのは、なかなか無いことだ。
ケット・Cも今は気を張ってリーダーとして振る舞っているが、その胸中は推し量るまでもない。
「また、第二回があるよね?」
不安そうに手を握り、シフォンが言う。
しかし俺はそれに対して即答することができなかった。
代わりに答えてくれたのは、障壁パンチでボールフィッシュを殴り落としたエイミーだった。
「今回は被害も甚大だから、物資の補充だけでもかなり時間が掛かると思うわ。そうでなくても、これを経験した後だと、参加する人数も減ると思うし」
嵐の中で沈んだ船や、海に溺れた調査開拓員は多い。
物資的な消耗も激しく、死に戻った調査開拓員も機体の回収は絶望的で、スキルなどの被害は無視できない。
今回は辛くも生き残ったプレイヤーの中にも、もう一度参加するのは難しいという者は少なくないだろう。
「それじゃあ、攻略は諦めちゃうの?」
「そういうわけじゃないけどね。まずは戻って体勢を立て直して、作戦の見直しもしないと」
エイミーの言うことはもっともだ。
例え物資を素早く補充したとしても、無策で挑めば同じ結末が待っている。
今回の失敗の中で得られた情報を分析し、作戦を見直す時間が必要だった。
「とりあえず、今はいったん休みだな。シフォンはシフォンで、スキルを詰めるとかできることをやっておけばいいさ」
俺はそう言って、彼女の白い髪を軽く撫でる。
シフォンは一瞬驚いた様子だったが、特に逃げることもなく頭を寄せてきた。
「分かった。わたしももっと強くなるよ。イカも全部相手にできるくらい」
「良いわね。私も結局イカとは全然戦えなかったし、再戦の準備をしとこうかしら」
シフォンが気合いを入れ直すのを見て、エイミーも笑う。
「そういうなら! こっちも少し手伝ってくれませんかね!?」
船首の方でレティが叫ぶ。
見れば、前方の波間から無数の原生生物が見え隠れしていた。
「よぅし。行くわよ、シフォン!」
「はいっ!」
それを見て、エイミーが拳を打ち鳴らす。
シフォンも炎の短剣を両手に携え、“水鏡”から飛び出す。
「それじゃ、あたしも余った弾丸の消費しようかな」
ルナもそれに続き、狙撃銃を甲板に置く。
傷付いた船団を狙う狡猾な原生生物を相手に、彼女たちは激しい戦いを開始した。
『アンタは行かないの?』
その様子を見ていると、不意にそんなことを言われる。
振り向けば腕を組んで立つカミルがいた。
「俺は俺で、やることがあるからな」
『やること?』
怪訝な顔で首を傾げるカミルの赤髪を、ぽんぽんと軽く撫でる。
俺だって、作戦が失敗して悔しくないわけがない。
もっと早く潜航していれば、僚船の被害ももっと少なく抑えられたかもしれない。
嵐に惑わされず注意していれば、イカに先制を取れたかも知れない。
後悔はいくらでも湧いて出てくる。
「ケットたちに連絡しないとな」
俺は背後に追従してくる船団の方へ目をやり、フレンドリストから共有回線を開いた。
_/_/_/_/_/
◇ななしの調査隊員
BBCの作戦失敗か
◇ななしの調査隊員
まじか
負けたの?
◇ななしの調査隊員
被害甚大で撤退中。
結構な人数死んだし、場所が場所だから自力回収も無理で、スキル吸われるの確定だ
◇ななしの調査隊員
高練度ペットも三匹くらい死んだらしいな
◇ななしの調査隊員
ペット死んだのか、きっつ
◇ななしの調査隊員
ペットは蘇生できないからなぁ
◇ななしの調査隊員
ソロモン王もメイド部隊が死にかけたらしいけど、すんでの所で自殺して事なきを得たらしい
◇ななしの調査隊員
事なきを得てなくない?
◇ななしの調査隊員
自分が死ぬのか(困惑
◇ななしの調査隊員
とりあえず自分が死ねばメイドロイドは機能停止するし、ロストすることは無くなるからな。
ペット界隈でも自殺薬の常備は基本だぞ。
◇ななしの調査隊員
しかしBBCが指揮を執るのはやっぱ無謀だったか?
◇ななしの調査隊員
ノウハウないだろうしなあ
難しかったんじゃない?
◇ななしの調査隊員
騎士団とかもいたんだろ?
◇ななしの調査隊員
やっぱトップが重要なのよ
◇ななしの調査隊員
これ第二回とかやるのかね
◇ななしの調査隊員
やるにしても立て直しが時間掛かるだろな
いつになるやら
◇ななしの調査隊員
厳しいなぁ
◇ななしの調査隊員
二回目やるとしても、何かしら対応策を出してくれないと参加する気にはなれねえな
◇ななしの調査隊員
何百人規模で行ったのに負けたのかよ
◇ななしの調査隊員
嵐とイカのダブルパンチだぞ
厳しいって
◇ななしの調査隊員
とりあえず動画見てから言ってくれ
死ぬほど厳しいから
◇ななしの調査隊員
あの嵐をなんとかせんとどうにもならんだろ
◇ななしの調査隊員
どうするんだよ
風属性機術でも相殺は無理なんだろ?
◇ななしの調査隊員
そこはほら、祈祷とか
◇ななしの調査隊員
占星術ならなんとかなるかね
◇ななしの調査隊員
占星術ってそんなんではなくない?
◇ななしの調査隊員
やっぱスキル上げないとどうにもならんでしょ
レベ80以上へのキャップ開放はよ
◇ななしの調査隊員
それを探すための攻略だったんだろ
もうオノコロ側には何もないだろうし
◇ななしの調査隊員
ねえねえ聞いて作戦参加者で腕吹っ飛ばされたんだけど、帰りの船で対応してくれた支援機術師の子がすっげえかわいかた
◇ななしの調査隊員
死んどけ
◇ななしの調査隊員
沈め
◇ななしの調査隊員
今頃その子消毒液で手ゴシゴシしてるよ
◇ななしの調査隊員
みんな辛辣で草
◇ななしの調査隊員
ピリピリしてんなあ
◇ななしの調査隊員
騎士団員なんだけど、上層部がずっと船室に閉じ籠もったままだ。何やってんだろ。
◇ななしの調査隊員
反省会じゃない?
◇ななしの調査隊員
結構部下死なせたんだろ?
きついだろ
◇ななしの調査隊員
青い海を見るとほっとするな
◇ななしの調査隊員
当分海に出れねぇよ・・・
◇ななしの調査隊員
俺はもう烏賊焼き食えないかもしれん
◇ななしの調査隊員
どうするんだろうなあ、新大陸攻略
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_/_/_/_/_/
Tips
◇緊急停止アンプル
機械人形の全機能を停止させるキラープログラムの封入されたナノマシンアンプル。摂取後、解毒薬などの対処を為さなければ10秒後に機体の全機能が停止する。
危機回避用に作成された最終手段。このアンプルを使った場合は通常の機体回収では復活ができない。
味はよい。
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