第565話「深海の救援」
七色の光を放ちながら、鮫に牽かれてテントは泳ぐ。
背後に迫る無数の巨大イカから逃げながら、ひたすらに深海を目指す。
「レッジ、ほんとに大丈夫なんだよね!?」
不安そうな顔でラクトが俺の服の裾を引っ張る。
高速の移動と水圧による負荷がテントを襲い、各部がミシミシと音を立てている。
“驟雨”が壊れてしまえば、俺たちは何の抵抗もできず海の藻屑と消えてしまう。
その恐怖にラクト以外の面々も緊張を露わにしていた。
「大丈夫。“驟雨”は深海300メートルにだって潜れたんだ」
光り輝くラクトの髪に、光り輝く手を乗せる。
俺、エイミー、シフォン、ルナ、カミル、T-1、ワダツミと、この場にいる全員が例外なく1,677万色に光っている。
おかげで深海を目指して潜っているテントの中だというのに、照明器具も要らないほどの明るさだ。
視界が問題なく確保できているのはありがたいが、最悪全員目が潰れてしまっていたかもしれないレベルだ。
「レティ、上の様子はどうだ?」
機械鮫を操作しつつ、海上にいるレティに状況を確かめる。
TEL回線を通じて返ってきた声は、先ほどよりも幾分か落ち着いた様子だった。
『突然海が光ったかと思ったら、イカがほとんど消えちゃいました。今は残党の処理をしているところですが、ほとんど消化試合ですね。……レッジさん、何かしました?』
最後に彼女は半ば確信を持った声色で追及してくる。
まったく彼女には敵わないな、と苦笑しつつイカを引き連れて逃げている真っ最中であることを伝えると、レティは頓狂な声を出して驚いた。
『何やってるんですか!? 無事なんですよね?』
「もちろん。ちょっと全員光ってるだけだ」
『あの時の光ってそういう……。ていうか、水中でどうやって動いてるんですか?』
「こんなこともあろうかと、ネヴァに新しい機械獣を作って貰ってるんだ。あとで合流したら見せてやるよ」
『はぁ……。レッジさんはほんとに、お金を貯めない人ですねぇ』
レティは呆れて声を上げるが、特に責める様子もない。
やはり現在進行形で機械鮫が活躍しているのが大きいのだろう。
今後は散財した時もこれに倣って効果を示しながら紹介すればいいかもしれない。
「とはいえ、こっちからイカには手が出せない。なんとか撒いて戻るつもりだが……」
『気をつけて下さい。こちらもイカを倒しても嵐はますます強くなってるので、最悪撤退も視野に入れてますから』
「分かった。お互い気をつけよう」
上は上でまだまだ災難が終わらない。
嵐はまるで、俺たちが新大陸へ向かうのを阻むように強まるばかりだという。
「レッジ、レッジ! なんか天井凹んでるんだけど!」
レティたちを案じていると、ラクトの悲鳴で意識を戻される。
慌てて振り返れば“驟雨”の特殊多層装甲製の天井が大きく凹んでいた。
「はええ!? だ、大丈夫なの?」
「大丈夫なはずだ。まだ水深は200メートルちょっとだし……」
「それにしても、イカは元気に泳いできてるけど」
守備の要であるエイミーが、不安そうな顔で背後の窓を覗く。
テントのすぐ後ろからほぼ同じ速度で追いかけてきているのは、視界を埋め尽くすほどのイカの群れだ。
随分と水深を稼いだはずなのに、彼らは一切弱った様子もなくしつこく喰らい付いてくる。
「ダイオウイカとかって深海の生き物みたいだし、やっぱり耐性があるんじゃない?」
マフを抱えたルナが言う。
彼女の言葉には一理あるが、逃げる俺たちからすれば厄介極まりない。
『危ないっ!』
唐突にカミルが声を張り上げる。
彼女の視線の先、テントの前方へ目をやると、知らぬ間に新たな魚影が近づいてきていた。
「バクシンオオマグロ!?」
それは巨大で高速で動き続けるマグロだった。
真っ直ぐに俺たち目掛けて突き進んでくるそれを、慌てて鮫を操作して避ける。
「うわあっ!」
幸い、ギリギリ横を掠めた程度で直接のダメージはなかったが、コンテナ自身は大きく揺れた。
転びそうになるラクトに手を伸ばし、咄嗟に抱きかかえる。
「大丈夫か?」
「う、うん。へーきだよ」
ラクトははっとして姿勢を正し、壁に手をつく。
驚かせてしまって申し訳ないが、ここはひとまず堪えて貰わなければ。
イカから逃げることばかり考えていたが、よくよく周りを見れば他にも多くの原生生物が泳いでいる。
今の速度ではある程度の大きさの魚が当たればそれだけで大ダメージだ。
「レッジ、私たちはどこに向かってるの?」
エイミーが至極真っ当な問いを投げかけてくる。
機械鮫たちにも活動限界があるし、いつまでも逃げ回っている訳にはいかない。
しかも深海に向かうということは、確実に窮地に追いやられていることと同義だ。
「別に緩やかな自殺をしようって訳じゃない。分の悪い賭けだが、多少の可能性はある方法を選んでる」
「それなら良いけど……。私、こんな所で死にたくないわよ」
機体回収も絶望的だもの、とエイミーが言う。
こんなところで死ねば機体を取りに戻ってくるのは絶望的だ。
皆が苦労して鍛えたスキルが減るし、俺だって“驟雨”と機械鮫を失うのは痛い。
「とりあえず、一気に深海に行く。ここは騎士団の調査班が海面から簡易探査をしても底に届かなかったくらい深い場所だ。それなら――」
言葉の途中、ドトウとハトウのサーチライトに滑らかな流線型の魚影が現れる。
一瞬ではあるが、確かにそれを見た。
「よし、よしよし! 言った傍から来てくれたな」
「ど、どうしたの? 何がいたの?」
声を震わせてシフォンが言う。
俺は笑みを隠せないまま振り返り、全員に指示を投げた。
「今すぐ除去アンプルを飲め!」
除去アンプルは、自身に付与されたバフとデバフを消し去る薬剤だ。
それを飲めば、地味に効果時間が1時間以上と長い虹輝鮫の稲荷寿司の“虹輝”効果も消える。
詳しい説明を省いてしまったが、ラクトたちは一斉にアンプルを砕く。
一瞬でテントの中は暗くなり、周囲に放たれていた光も消える。
「いったい何を――」
エイミーが口を開きかけたその時だった。
「きゃあっ!?」
「はええええっ!?」
大きな揺れがテントを襲う。
まるで無数の弾丸が打ち込まれたかのような、絶え間ない振動だ。
「揺れに備えろ。エイミーは防御を最大限に!」
「言うのが三秒遅いわよ!」
床に蹲りながらエイミーが叫ぶ。
俺は機械鮫を何とか動かし、テントを移動させる。
「い、一体何がどうなって……」
揺れも落ち着き、よろよろとラクトたちが立ち上がる。
「やっぱりこっちにもいたな。おかげで助かった」
俺は全身の力が抜けるのを必死に抑えながら、窓の外を見る。
真っ暗な水の中をドトウとハトウの赤い探査灯が照らし上げると、そこでは個性豊かな鮫の大群と大銛烏賊の群れの大乱闘が繰り広げられていた。
「ええ……。なに、あの鮫の群れ。ていうか、鮫なの?」
小窓に額をつけてラクトが言う。
まあ、全身が燃えている鮫や宝石で着飾った鮫を見ても、現実味がないのは分かる。
「ほら、あそこで光ってるのが虹輝鮫だ」
入り乱れる鮫とイカの群れ。
その中には、稲荷寿司の材料にもなった虹輝鮫の姿もある。
獰猛な海の捕食者たちは、突然大挙して現れた巨大な餌を前にして興奮した様子で踊っている。
流石の大銛烏賊たちも、更に多くの鮫に襲われてはひとたまりもない。
触腕を食いちぎられ、ヒレに穴を開けられ、大混乱だ。
「もしかして、これを狙ってたの?」
ようやく落ち着いたのか、ぐったりと疲れた顔でシフォンが尋ねる。
俺は頷き、何とかなってよかったと胸を撫で下ろした。
「鮫がいる保証はなかったけど、かなり深い海だったからな。深海に行けば、イカに対抗できる何かしらがいるんじゃないかと思ったわけだ」
要は原生生物を原生生物にぶつけたのだ。
これが他のプレイヤーに押しつける行為であればトレインといって悪質な妨害として処罰される可能性もあるが、目の前で展開されているのは自然な捕食の光景である。
「これ、問題ないよな?」
それでも少し不安になってワダツミに確認を取る。
彼女はカミルに腕を引かれて起き上がると、軽く頭を振ってから頷いた。
『オフコース。特定の調査開拓員の利益を不当に損なっているわけではありませんからね』
管理者直々に太鼓判を押して貰い、不安も消えた。
俺はドトウとハトウをテントの底に配置し、極力動かないように位置の固定だけに留める。
好奇心旺盛な鮫が数匹近づいてくるが、それも反応を示さなければすぐにイカの方へと戻っていった。
「見てみろ。“鹿角鮫”だってさ」
傍観者に徹していれば、イカと鮫の抗争は興味深い。
まだ見たことのない鮫も多く、俺とカミルはカメラを取り出してシャッターを切り続ける。
「あれ、なんか白月に似ていてててっ!」
思わず言葉を漏らすと、いつの間にか足下にいた白月にふくらはぎを噛まれる。
白月さんに似て神々しい角の鮫ですね、って言おうとしたのに。
「マフも楽しそうだね。鮫なんて見たことないからかな」
ルナが白い毛玉を抱えて笑みを浮かべる。
マフはピンク色の肉球を窓に押し当てて、食い入るように鮫を見ていた。
そうしているうちにイカの群れは撤退を始め、鮫たちも十分に腹を満たしたのか海の底へ戻っていく。
水中に漂う俺たちと、食べ残しを狙ってやって来た小魚たちだけが、暗い海に残される。
「それじゃ、今から浮上するの?」
安堵の籠もった声でラクトが言う。
イカの危機は去ったし、いつまでも危ない海深くにいる必要もない。
「そうだな。“驟雨”もボロボロだし」
少し気になることはあるが、流石に今から調べる余裕はない。
俺は機械鮫たちに目立った故障がないのを確認して、ゆっくりと海面に向かって浮上を始めた。
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Tips
◇
〈剣魚の碧海〉深部に生息する希少な鮫型の原生生物。頭部から二本の枝角が生えており、長い年月を掛けて伸びていく。大きく立派な角は生きた年月と強さの証であり、多くの鮫を従えるほどの権威を示す。
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