第564話「イカ釣り」
カミルとT-1を抱きかかえ“驟雨”の中へ駆け込む。
一足早くラクトとエイミーも入っているのを確認してマリンドアを閉じる。
「ぐわっ!?」
『きゃあっ!』
次の瞬間、船全体が大きく揺れる。
小さな窓に大きな吸盤が張り付き、多層装甲がミシミシと軋む。
「エイミー、全力でテントを守ってくれ。ラクト、船の方は消していい」
「分かったわ」
「駄目だよ! それじゃあコンテナごと沈んじゃう!」
エイミーが防御障壁の範囲をコンテナだけに集中させる。
しかし、ラクトは氷の船体を消すことをよしとしなかった。
“水鏡”の浮力は、船型に形成されたラクトの氷に依存している。
土台であるそれが無くなれば、俺たちの逃げ込んだ“驟雨”はそのまま沈んでしまうだろう。
しかし俺は、それを了承した上で再度ラクトに要請する。
「コンテナだけならなんとかなる! とりあえず、今はこのイカ共から逃げるのが優先だ!」
言っている間にも“水鏡”には無数の触手が殺到する。
T-1の全身から放たれる光は、コンテナにある小さな丸窓を通して周囲を照らす。
その光に誘われて、大半のイカがこちらに注目していた。
硬い触手の先端でも貫けないことが分かったのか、長いそれを氷の船体に巻き付け、強引に締め潰そうとしてきている。
テントもその魔の手からは逃れられず、ギチギチと各部から嫌な音が聞こえてきた。
「うぅぅ……。分かったよ! 棺桶になったら一生恨むからね!」
逡巡の後、ラクトは吹っ切れたように言う。
彼女の指示で氷が消え、触手と船の間に空間ができる。
すぐさま触手は締め付けをきつくして捕らえようとしてくるが、それよりも俺の行動が速かった。
「体勢安定翼展開!
コンテナ型にカスタムされていた“驟雨”の両側面から金属製の翼が飛び出す。
それと同時に前方のマリンドアが開き、そこから二頭の鮫があらわれた。
機械の鮫は赤いアイライトを光らせ、鋼鉄の身体をくねらせる。
彼らとテントはワイヤーで繋がれており、その推進力で一気に海底へと進み出す。
「うわあああっ!?」
「はえええっ!?」
迫り来るイカの触腕を掻い潜り、二頭の機械鮫に牽かれてコンテナは海を潜航する。
小窓から見えるのは、水面下に集まった無数の巨大なイカの群れだ。
白い身体を立て、ヒレをゆらゆらと動かしている。巨大な瞳は無機質で、何を考えているのかも分からない。
中型船ほどもある巨体が足下にいたことを知り、今更ながら身体が震える。
ラクトたちは突然の展開に驚いているようで、小窓に張り付いて声を上げていた。
「前にアイたちと深海調査に行ったろ。あの後でネヴァに頼んで、海中で動ける機獣を用意してもらったんだ」
テントを引っ張り、力強く泳ぐ二頭の鮫を見ながら、少し自慢の意味も込めて説明する。
ダークブルーに塗装されたメタリックな外見の彼らは、“ドトウ”と“ハトウ”と名付けた。
水中での機動力に特化した専用の機獣で、今回の調査開拓員企画のために準備したのだ。
ヒントとなったのは、深海で鮫人魚になったレティたちだ。
あのように水棲原生生物の力を借りれば、そうでなくとも水棲生物の姿を模した機獣の力を借りれば、テントでも海中を自由に動き回れるはずだと思ったのだ。
「っと、そうだ。レティたちに連絡しないと」
俺は他の船に乗り移って、今も海上で戦闘中であろうレティたちにTELを送る。
混乱の中で気付かれないかとも思ったが、予想に反してすぐに彼女の焦った声が届く。
『レッジさん!? 無事なんですね。“水鏡”は沈んでしまったみたいですが、今どこに――』
「テントと一緒に海中にいる。こっちはとりあえず大丈夫だから、トーカとミカゲの二人と一緒に、他の船に避難してくれ」
『は? ――まあ、分かりました。いや、分かんないですけど。とりあえず落ち着いたら連絡します』
「おう。こっちはこっちで色々動いてみるよ」
レティたちも忙しいのだろう。
深く言及はされず回線は切断される。
俺はドトウとハトウを操作しながら、アストラたちにも連絡を取る。
「レッジだ。“水鏡”は沈んだが無事だ。レティ、トーカ、ミカゲの三人が船上で戦ってるから、落ち着いたら適当な船に乗せてやってくれ」
『分かりました。レッジさんはどうするんです?』
「独立強襲部門らしく、色々やってみるさ」
それだけで彼らも納得してくれたらしい。
正直、もう少し説明を求められるかと思っていたから拍子抜けだ。
日頃の行いが良いからだろうか。
もしくはただ単に誰もがイカの襲撃に対処するため忙しいからかもしれない。
「それでレッジ、ここからどうするの?」
一段落ついたところで、ラクトが袖を引いてくる。
周囲には今だイカが密集しており、海上では無数の触手とプレイヤーたちが争っている。
俺たちだけ何もしない訳にもいかない。
「ラクト、機術でイカを攻撃できるか?」
“水鏡”を維持する必要がな無くなった今、ラクトは機術を発動する余裕がある。
しかし、俺の要請に彼女は首を横に振った。
「無理だね。密閉されたテントの中から攻撃しようとしたら、穴が空いちゃう」
「だよな……」
機術の原理的に、密閉された空間から外へ影響を与えることはできない。
そしてそれはエイミーやシフォンといった近接戦闘職なら尚更だ。
「水中用の罠は幾つか用意があるが、それだけだとどうしようもないしな……」
「いったん水上に戻る?」
「それでも良いが、イカの数が多すぎて多勢に無勢な気がするな」
それに、今は深部にいるため会話する余裕があるが、上はイカの密度が高い。
今の俺の操作練度で、安全に浮上できる気がしなかった。
『大丈夫なの?』
『あうぅ。わ、妾がおいなりを食べたばかりに……』
『ノー。ワタクシが作ったのですから、ワタクシの責任でしょう』
俺の足下ではカミルたちが悲壮な顔でこちらを伺っている。
心なしか、T-1の発する光もブルーが多めだ。
それを見て、ふと思い至る。
「T-1、虹輝鮫の稲荷寿司はまだあるか?」
『ふえっ? す、少しは残っておるが……』
腹が減ったのか? とT-1が首を傾げる。
俺はそれを否定し、覚悟を決めた。
「それ、食べてくれ」
『はあ!? アンタ、何言ってるのよ!』
俺の言葉に声を荒げたのはカミルである。
T-1や、ラクトたちも驚いてこちらを見ている。
だが俺は臆することなく事情を説明した。
「海面に集まってるイカ共を引きつける。こっちは鮫の二頭立てで機動力は十分にある。とりあえず、ケットたちが体勢を立て直さないことには、最悪作戦自体が失敗するからな」
ネヴァ特製の機獣が二頭もいるのだ。
イカくらいなら余裕で逃げられるはず。
そんな思いを伝えると、コンテナの中の七人は不安そうに互いに目を交わす。
「――分かった。あたしの命、レッジに預けるよ」
最初に口を開いたのは、ルナだった。
彼女はマフをぎゅっと抱え、こちらを真っ直ぐに見て頷く。
「それしかないか。わたしにできることがあったら何でも言って」
「私も障壁の維持は任せてちょうだい」
「はええ。わ、私にできることもないしね……」
それを皮切りに、ラクトたちも了承してくれる。
本当にありがたい。
「じゃ、とりあえず全員で稲荷寿司を食べるぞ」
『なんでそうなるのよ!?』
俺の言葉にカミルがすかさず突っ込みを入れてくる。
とはいえ、これにもちゃんと理由があるのだ。
「イカは光に寄ってくる。けど、T-1一人の光じゃ足りない。もっと光量を上げないと」
テント自体が光れば良いのだが生憎そのような機能はついていない。
となれば、小さな窓から漏れ出す光で誘き寄せる必要があるわけだが、T-1一人だけでは到底足りない。
「時間がない。皆で食べるぞ」
そう言って、俺はT-1が抱えている寿司桶から七色に輝く稲荷寿司を掴んで口に運ぶ。
「うん。案外美味しいな――」
味は上質な稲荷寿司だ。
鮫の身が細かく刻まれて混ぜ込まれているようで、それもなかなか美味しい。
そして何より、飲み込んだ瞬間全身が光り輝く。
「これは……慣れるのに時間が掛かりそうだな」
視界を確保する必要がないのはありがたいが、一体どういう原理でこうなっているのか不安が過る。
とはいえ、自分に不利なデバフはついていないし、むしろ集中力の上昇と疲労の軽減があるようだ。
「ええい、ままよ!」
俺が食べたのを機に、ラクトたちも次々と稲荷寿司を口に運ぶ。
コンテナの中の五人と三人が一気に1,677万色に輝き、まるで昼間のように明るくなった。
隅で暢気に眠っていた白月がうんざりとした顔で顔を上げ、マフは眩しそうにルナの胸元へ顔を押しつけている。
「さあ、これでどうだ」
窓から外へ光が漏れる。
それは光の筋としてはっきりと見えるほどで、イカたちもそれをしっかりと捉えていた。
「くるよ!」
「全速沈降!」
ラクトの焦る声を聞きながら、ドトウとハトウに指示を送る。
鋼鉄の身体をくねらせて、彼らは力強く水を蹴る。
ワイヤーが強く緊張し“驟雨”は勢いよく暗い海の底に向けて動き出した。
「ひいい! 怖い怖い!」
背部の窓から追っ手を見ていたルナが悲鳴を上げる。
窓から放たれた光を追って、水面に密集していた巨大なイカの群れが一斉に移動を開始していた。
無数の目がこちらを向き、巧みに触手を動かして殺到している。
力に物を言わせた泳法で、案外機敏な動きだ。
「信じてるぞ、ネヴァ!」
悪友に無理を言って作って貰った最新鋭の機獣だ。
彼らは強力なサーチライトを下に向けて、一気に水深を稼いでいった。
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Tips
◇
水中での活動に特化した、鮫型の機械獣。強力な推進器兼姿勢安定装置である鰭を備え、最高時速80kmの速度で水中を駆け巡る。背中に騎乗することができるほか、ワイヤーによって重量物を牽引することも可能。
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