第563話「嵐の中輝く」

 波荒れる大海を無数の船が切るようにして走る。

 頭上には分厚い雲が重くのし掛かり、暴風が吹きすさぶ。

 白い帆に風を孕み、BBジェットの青い炎が吹き上がる。


「にゃっはー! 進め進めー!」


 先陣を切るのはケット・Cの乗るBBCの船だ。

 黒革の長靴を履いた猫の号令で、巨大な金属の船は出力を上げる。

 無事に“繊弱のハユラ”を討伐した俺たちは、物資の補充とLPの回復を兼ねた小休憩を挟み、白水龍の巣の奥へ意気揚々と進んだ。

 しかし、穏やかで落ち着いた海はすぐに終わり、気がつけば大嵐の中に突入してしまった。

 遠くに暗雲を見つけた時には既に遅く、瞬く間に太陽が覆い隠され、凪の海が大時化に変わった。


「ラクト、大丈夫か?」

「なんとかね! でも転覆しないように制御するのが精一杯かも!」


 大波を乗り越え、“水鏡”が上下に揺れる。

 浮遊感を覚えながら船縁に張り付き、なんとか荒波に飛ばされないようにしながら、ラクトを伺う。

 船の操縦を一手に担う彼女は、先ほどから突然の嵐に対応するのに苦慮していた。


「アストラ、この嵐はどうにかならないのか」

『駄目ですね。色々と試したんですが……』


 一足先にこの海域に入っていたはずのアストラにTELを飛ばすと、彼も悔しそうに言う。

 この大嵐は時間経過で消えるようなものではなく、なんと〈剣魚の碧海〉の外縁をぐるりと取り囲んでいるものらしい。


「うわー! マフ、ちゃんと掴まってなさい!」

「ルナもコンテナの中に入ってていいんだぞ」


 揺れる船から放り出されかけるマフを慌てて抱えるルナを、コンテナに誘導する。

 幸いなことに海が大荒れに荒れているだけで、原生生物の襲撃はない。

 テントの中にいた方が多少は安全だろう。

 俺は絶えず傷付くテントの装甲を修理するため外にいる必要があるが、他のメンバーは雨と海水に濡れることもない。


「全く、大変だな。風の機術で相殺とかできないのか」

『馬鹿な事言わないでよ。流石に無理だから』


 グラグラと揺れる海に辟易として思わず苦言を零すと、共有回線越しにメルから突っ込まれる。

 〈七人の賢者セブンスセージ〉のひとり、“風塵”の三日月団子をはじめ、風属性の機術師は多いが、流石に大自然の脅威には抗えないらしい。


『ちなみに、以前来た時に俺たちはこの嵐に耐えきれなくなって死に戻りました』

「駄目じゃないか……」


 どうやらこの嵐は騎士団でさえ耐えきれないほどのものだったらしい。


「ぐわあっ!?」


 その時、一際大きな波が“水鏡”を覆い隠す。

 落ちてきた海水をもろに浴びて、口の中にしょっぱさが染みこんできた。


「レッジさん! 大丈夫ですか?」

「お、おう。なんとかな……」


 よろけた俺の腕を掴んでくれたのはレティだった。


「来てくれたのか。助かったよ」

「レッジさんの悲鳴が聞こえたので。この嵐は厄介ですね」


 赤い髪を濡らしながらレティは顔を顰める。

 彼女は自慢の力で船縁を掴んでいるが、それでもまた波が来たら二人とも流されてしまうだろう。


「アストラ。この嵐の対策は何かあるのか?」

『とりあえず前へ進んで下さい。ここはまだまだ検証も進んでいないフィールドですから』

「つまり無策でゴリ押せってことか」


 一応、どの船も耐水処理は可能な限り施されている。

 俺たちの乗る“水鏡”も、上のテントを耐水特化型の“驟雨”に変えていた。

 だがそれでも嵐の被害は甚大で、どの船もキャンパーや船大工が雨に打たれながら応急修理を続けている状況だ。


『止まない雨はないにゃ。今は暴風圏から抜け出すことだけ考えて走り抜けるにゃ!』


 ケット・Cの号令はシンプルだが難しい。

 ネヴァ謹製のテントすら修理しなければ保たないのだから、自然の脅威が大きすぎるのだ。

 波を受けて転覆してしまった船も多く、騎士団の大型船などからいくつも救出ポッドが放たれている。


「レッジさん、アレ見て下さい!」


 突然、レティが声を張り上げる。

 彼女が指さす先へ目を凝らすと、荒く立ち上がる波の奥に何かの影が見えた。


「あれは……」

『にゃあ! 新大陸だよ!』


 ケット・Cの言葉に、気分まで沈んでいたプレイヤーたちが活力を取り戻す。

 彼らは我先にと船首に立ち、波間に見え隠れする黒い影を見る。

 僅かにではあるが、確実に陸地が見えた。

 黒い影だが、俺たちには何よりも眩しい希望の灯火だ。


「しかし波がきつすぎる!」

「小舟がどんどん沈んで行ってますよ!」


 大型船舶ならともかく、“水鏡”よりも小さな船は呆気なく崩れていく。

 人員は救急ポッドで回収されても、船が海の藻屑と消えていくのは耐えがたい損失だ。


「ううう。原生生物ならぶっ叩けるんですが……」


 レティはそう言って悔しそうに暗雲を睨む。

 そんな彼女の願いが、叶ってしまった。


「ッ! 敵襲! 敵襲! 何か海面にぎゃああ!?」


 横にいた船から悲鳴が上がる。

 驚いて視線を向けると、“水鏡”と同じくらいの大きさの船を、白い巨槍が貫いていた。

 否、それは真っ直ぐに伸びた巨大な触腕だ。

 無数の吸盤が並ぶ、烏賊の白い触腕だった。


「アストラ!」

『目視で確認しました。人員を送りますが、そちらでも対処をお願いします!』


 アストラの切迫した声。

 騎士団すら知らない、未知の巨大な原生生物の登場だった。


「ひゃっはー! レティの出番ですね!」

「ちょ、レティ!」


 海から飛び出した巨大な触手を見た瞬間、レティが甲板から飛び出す。

 彼女は一息で隣の船へと飛び移り、ハンマーを高く掲げる。


「咬砕流、三の技――『轢キ裂ク腕』ッ!」


 甲板を貫く極太の触手に向けて、星球鎚が打ち付けられる。

 肉の弾ける音がして、白い触手が二つに千切れる。


「触手ですか。では斬りましょう!」

「トーカまで!」


 騒ぎを聞きつけて、コンテナの中に避難していたトーカまで意気揚々と飛び出してくる。

 彼女は大太刀を携えて、軽やかに船へと乗り移った。


『他の船でも同様の触手が多数確認されました。鑑定結果、種族名“大銛烏賊”。新種の原生生物です!』


 アイの報告が共有回線で広がる。

 それを聞いて、他の船もすぐさま臨戦態勢を整える。

 その間にも海の底から無数の白い触手の槍が突き出し、船を無残に貫いていた。


『大破した船が急増中! 救急ポッドの射出が追いつきません!』

『人命救助よりもイカの対処に注力!』


 アストラの迅速な指示で戦闘部門が動き始める。


「うおりゃあああ! 槍ならレッジさんの方が万倍凄いですよ! おととい来やがれです!」

「あははははっ! 面白いくらいよく切れますね!」


 独立強襲部門も獅子奮迅の活躍だ。

 今までの鬱憤を晴らすように、レティたちは船の間を駆け回ってイカの触手を切り捨てている。


「うおおお、こっちにも来てるよ!」

「くそっ。何とかしないとこっちが沈むな!」


 レティたちの動きを見ていると、ラクトの悲鳴があがる。

 大銛烏賊の襲撃が“水鏡”まで及んできていた。

 俺はナイフと槍を携えて、氷造船を守るため迫る触手を斬っていく。

 しかし向こうは一匹で10本、こっちは両手で精一杯だ。

 しかも一本一本の触腕が太いため、非力な俺では時間が掛かる。


『しっかりしなさい!』

「うおっ!?」


 背後から迫る触腕。

 それに気付いた直後、弾丸のように飛び出してきた赤髪の少女が箒でそれを吹き飛ばした。


「カミル! 助かった」

『ぼさっとしてないで。手を動かしなさいよ!』


 窮地を救ってくれたのは“クラシカル・バトル・メイドドレス-天使エンジェル-”に装いを変えたカミルだった。

 ネヴァが作り上げた、青と白のメイド服に天使を彷彿とさせる小さな羽と円環のティアラ。

 彼女はメイドロイドとは思えない鮮やかな身のこなしで、次々と触手を跳ね飛ばしていく。


『アタシじゃトドメはさせないわ。時間は稼いであげるから、しっかり切り落としなさい!』

「了解。助かるよ」


 カミルの支援を受けながら、俺は風牙流の技を使って触手を切り落としていく。

 槍単体で切断は難しいが、〈解体〉スキルも融合させた風牙流ならば多少は楽だ。


「突然出てきたと思ったら、一気に荒らしてきたな!」

『まったく、キリが無いったら! 再生でもしてるんじゃないでしょうね!』


 次々と触手を切っていくが、それ以上に新しい触手が現れる。

 カミルが怒声を上げるのも仕方がない。


「ルナたちは!」

『エイミーは船の障壁の維持、他のみんなは出張ってるわ。じっとしてられる訳がないでしょ』


 どうやらコンテナにいた仲間たちも周囲の船を助けに出ているようだ。

 その隙に“水鏡”が襲われたのだから、間が悪い。


「手が足りないな。どうしたもんか……」

『どうもこうもないでしょ。ひたすら叩くしかないわ!』


 カミルと二人、嵐の中で甲板を駆け回る。

 エイミーの機術のおかげで船本体を貫かれる心配がないのが幸いだ。


『あ、主様! 大丈夫か!?』

「T-1!? 危ないからコンテナに――」


 騒動を聞きつけたのだろう、T-1が焦燥した様子でコンテナから飛び出してくる。

 しかし、彼女はカミルと違って戦闘能力もない。

 焦って振り返ったその時、俺は思わず声を上げた。


「ま、まだ光ってたのか!?」

『仕方ないじゃろ!? 全然バフが消えぬのじゃもん!』


 T-1の全身は鮮やかな虹色に光り輝いている。

 ワダツミが作った虹輝鮫の稲荷寿司のバフ効果だが、まだそれが切れていなかったらしい。


「分かったから、とりあえずコンテナに入ってろ!」

『う、うむ……。ぬあああっ!? あ、主様!』


 大人しくコンテナへ戻ろうとしたT-1が、突如として目を見開く。

 彼女は顔に恐怖を滲ませ、俺の背後を見ていた。


『レッジ!』

「なんっ!?」


 カミルの張り詰めた声。

 振り返ると、“水鏡”に周囲の大銛烏賊の触手が殺到してきていた。


「流石に無理だよ!」

「障壁も厳しいかも!」


 ラクトとエイミーから悲鳴があがる。

 数十本の大きな触腕が影を落とす。

 これらが一斉に襲ってきたら、何もできずに沈んでしまう。

 俺は咄嗟に頭を働かせ、苦肉の策を作り出す。


「全員、コンテナに入れ!」


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Tips

◇大銛烏賊

 〈剣魚の碧海〉外縁部に生息する大型のイカに似た原生生物。伸縮性に富んだ極太の触腕を持ち、それを銛のように勢いよく突き出すことで、獲物を貫く。

 強い光に引き寄せられる習性を持つ。

 白き騎士とかつて称えられた。栄光はすでに遠き過去に沈み、今はただ光を探し求めて彷徨うのみ。


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