第558話「障壁打破」

 船から飛び出したエイミーは、迫り来る護り鮫たちを踏みつけて海を渡る。

 先に投げられたシフォンも、涙目で悲鳴を上げながらも鮫の突進を


「なんで皆、アレが当然のようにできるの?」

「ルナも慣れればできるようになるさ」


 曲芸のようにしてハユラの巣へと向かう二人を、ルナが呆れた顔で見る。

 彼女もある程度は〈歩行〉スキルを上げているだろうし、コツを掴めばすぐにできるはずだ。


「『氷の戦斧アイスアックス』ッ!」


 シフォンが護り鮫の頭突きを避けながら、すれ違いざまに斧を叩き付ける。

 氷で作られた小ぶりな斧は呆気なく砕けるが、それに触れた鮫は瞬く間に凍り付く。

 そのまま重力に従い海へ落ちていく鮫を見送る事もなく、彼女は更に別の鮫へと攻撃を加えていった。

 エイミーがハユラの巣である巨岩へと辿り着くまで、シフォンは空中で踊るように鮫を避け続け、その攻撃を一手に引き受けていた。


「シフォンも成長したなあ」

「レティたちが張り切って色々叩き込みましたからね。それでも、よくあんな華麗に避け続けられるものです」

「ふふん。シフォンはわたしが育てた」


 目覚ましい弟子の成長に、レティたち厳しい師匠陣も鼻高々と言った様子だ。

 骨格フレームが歪んでいるのに、そのことすら忘れた様子でシフォンの働きぶりに見入っている。


「けど、あれじゃあ援護射撃がし辛いわよ」

「糸も、シフォンまで捕まえそう」


 苦言を呈するのは後方から援護を担当していたルナたちだ。

 シフォンが鮫の相手をしているおかげで、彼女たちは鮫を狙いにくい。

 たまに群れからはぐれた鮫を数匹落とす程度のことしかできないと、不満げだった。


「それよりも、私はエイミーが心配です。いくら鮫をシフォンが引きつけているからといって、一人でハユラを相手にするのは……」


 心配そうに眉を寄せるトーカの言葉に、周囲も頷く。

 目の前にいるのは、最前線のフィールドボスだ。

 レティたちが反応できないほどの攻撃速度で、彼女たちが一撃で撤退を余儀なくされるほどの攻撃力を打ち込んでくる。

 それだけでも脅威だというのに、こちらの攻撃は謎の障壁によって阻まれる。

 騎士団が全船舶を動員したというのも頷けるだけの強さを垣間見ていた。


「まあ、それでも一人で挑むってことは、何かしらあるんだろ」

「それはまあ……。エイミーは考えなしに突っ走るタイプでもないですしね」


 レティたちもエイミーとは長い付き合いだ。

 彼女のこともある程度分かっている。

 だから、今俺たちにできることはただ一つ。


「見守ってやろう。そんでもって、この船を守るぞ」


 エイミーの障壁が無くなった今、“水鏡”は極めて無防備な状態だ。

 小さな護り鮫が一匹でも飛んできたら、それだけでかなりのダメージを受けてしまう。

 エイミーたちの凱旋を迎え入れる場だけは、なんとか死守しなければならない。


「エイミー、頼んだぞ」


 俺はコンテナ型テントの前に陣取り、白龍と対峙するエイミーに祈った。



「さあ、やるわよ」


 エイミーが白岩の上に降り立つ。

 それをハユラは、怒りを滾らせながらも静かに迎え入れた。

 何度来ても同じだと、ハユラは先の闖入者よりも一回り大きな者に警告の視線を向ける。

 しかし、エイミーは拳を握る。

 それを、白龍は開戦の合図と受け取った。


「『ガード』ッ!」


 甲高い音が海原に響き渡る。

 音が水面に染みこんだ後で、俺たちはそれがハユラの尻尾の一撃をエイミーが受け止めた音だと気がついた。


「あ、アレに反応したんですかっ!?」

「しかも、使ったのって〈盾〉スキルのレベル1テクニックじゃないですか」


 それをレティたちは驚きの目で認める。

 彼女たちでさえ反応できなかった神速の一撃を、エイミーは基本的な〈盾〉スキルテクニックで受け止めたのだ。


「さあ、もっと打ち込んできなさい!」


 エイミーが吠える。

 その挑発を真正面から叩き潰そうと、再び白龍の長く細い尾がぶれる。

 とぐろを巻いた龍が放つ無造作な薙ぎ払いを、エイミーは全て腕の盾拳で受け止める。

 金属が奏でる鈍い音と、エイミーの体が僅かに揺れる姿に、その攻撃の鋭さと重さを感じ取る。

 だが、だからこそ、エイミーがそのことごとくを受け止めていることを思い知らされた。


「案外鈍いわね。そろそろ慣れてきたわよ」


 エイミーが不敵な笑みを浮かべる。

 彼女の言葉に虚勢はなく、突然打音が代わった。


――キィィィン!


 白龍の黄金に燃える眼が僅かに揺れる。

 ハユラの放った攻撃に、エイミーが拳を合わせたのだ。

 衝撃を相殺するように突き出された打撃によって、ジャストガードが決まる。

 エイミーが受け止めきれず僅かに削れていたLPも、それによって回復していた。


「そんな……」

「いったいどんな目してるのよ」


 レティたちが愕然とするのも無理はない。

 いったい、何十分の一秒なのか、考えるのも馬鹿らしくなるほどシビアなタイミングだ。

 彼女はそれを完璧に把握していた。


――キィィィン!


 ジャストガード特有の澄んだ音が海原に響き渡る。

 シフォンが懸命に護り鮫と格闘しているなか、エイミーはただ冷静に攻撃を受け止めていた。

 だが、ハユラの攻撃もそれだけではない。

 白龍は大きく口を開けて、エイミーに向かって白いブレスを放つ。


「『リフレクトガード』ッ!」


 それすらも、エイミーは難なく受け止めた。

 受け止め、跳ね返す。

 音速を超え、光速にすら反応する。

 もはやエイミーの盾受けは、技量で片付けられる範疇を逸脱しているようだった。

 自らが放った光線が頭を掠め、さしものハユラも驚愕に目を見開いた。

 直後、ハユラは猛り、天に向かって咆哮する。


「それじゃ、こっちから行くわよ!」


 その隙を逃さず、エイミーが巨岩を蹴って駆け出す。

 一瞬でハユラの懐に潜り込み、鋼の拳を握りしめる。


「『破壊の衝動』『猛獣の牙』『修羅の構え』『朱雀の構え』『神速の太刀筋』、『縛封拳』――」


 口早に捲し立てられた言葉の羅列。

 彼女の体に真っ赤なオーラが幾重にも纏われる。

 固く握りしめた拳に青白い光の靄が絡みつき、全身に力が漲っていた。


「『双拳乱舞』」


 六角形の特殊な障壁が、ハユラの鼻先に現れる。

 与えられたダメージを蓄積するその障壁に向けて、エイミーが渾身の打撃を次々と繰り出す。

 その間、およそ3秒。

 短いが、ハユラの反応が追いつくギリギリの時間。

 叩き込まれた秒間21連打、合計63回の打撃。

 その全てを受け止めて、障壁が真っ赤に染まる。


「『解放』ッ!」


 叫ぶ声。

 障壁が粉々に砕け、内部に溜め込んでいた嵐を解き放つ。

 その衝撃は逃げようとしていたハユラの顔面に余すことなく叩き込まれ、白い蛇龍はその体を大きく仰け反らせた。


「エイミーのパンチが決まった!」

「いける! いけますよ!」


 レティたちが船縁から身を乗り出して歓声を上げる。

 彼女たちが二人がかりでも届かなかった存在に、エイミーが手を掛けた。


「まだよ!」


 しかし、そんな二人にエイミーが脇目も振らずに叫ぶ。

 大きく弧を描いて仰け反ったハユラは、そのまま大きく首を振る。

 エイミーの打撃を全て受け流し、平然と姿勢を正す。

 その鰐のような顔には、一切の傷がついていなかった。


「なっ。あれだけの攻撃を受けても、無傷なんですか!?」

「障壁が厄介すぎるね。あれがあると、どんな攻撃も届かない……」


 取り乱すレティに、ラクトが冷静に分析する。


「あれでも無理か……」

「騎士団はどうやってあの障壁を突破したんでしたっけ」


 トーカの悲壮な問いに、記憶を掘り返す。

 騎士団は初見だったとはいえ、彼の白龍に二十六隻の氷造船全てを投入した。


「物量だ。障壁で受け止められないほどの数の、物理、機術、三術、ありとあらゆる属性の攻撃を、同時に全方向から放った」

「ち、力業過ぎませんか」

「他の討伐達成者も似たようなもんだ。騎士団の報告書に依れば、最低でも秒間3,000発を超える特大級の攻撃を5秒以上与えれば障壁は破壊できるらしいな」


 実際はもう少し条件も緩いだろうが、それが騎士団の優秀な情報解析班の出した結論だ。

 それを聞いて、レティがわなわなと震える。


「それをレティたちだけで!? む、無理ですよ!」

「――どうだろうな」


 頬を膨らせて不満を呈するレティに、俺は首を振る。

 俺の視線の先、エイミーはまだ目の輝きを失っていない。

 戦意を喪失していない。

 その真っ直ぐな目で、活路を見出している。


「動くぞ」


 一人と一頭が同時に動き出す。

 ハユラの速度は更にキレを増し、残像が残るほどに加速している。

 それに対し、エイミーはただ冷静に盾を構える。

 巨大な拳を体の前で構え、あらゆる攻撃に備える。

 ハユラの僅かな挙動から情報を拾い、対処法を定めた。


「『パリィ』」


 エイミーが選んだのは、ガード許容時間が非常に短い、シビアな防御テクニックだった。

 それとハユラの神速の一撃をぴったりと合わせるのは、至難の業を越えて不可能の域に近い。

 だというのに。


――キィィィン!


 甲高く響き渡るジャストガードの涼やかな音。

 尻尾の一撃はいとも簡単に退けられる。

 『パリィ』はシビアな代わりに、ガードが成功すれば利点も大きい。

 ハユラは強制的に大きくノックバックし、無視できない隙を見せてしまう。

 だが、エイミーは動かない。


「エイミーさん!?」


 トーカが思わず声を上げる。

 攻撃を叩き込む絶好のチャンスだったというのに、エイミーは腰を落とし腕を構えたまま動かなかった。

 ノックバックから戻ったハユラが再び攻撃を繰り出す。

 今度はブレスと薙ぎ払いの二段攻撃だ。


「『リフレクトガード』『パリィ』」


 それもエイミーは冷静に対処する。

 ブレスはあらぬ方向へと飛んでいき、尻尾を跳ね返されたことで再びハユラはノックバックする。

 だが、エイミーは動かない。


「エイミーは何をやってるんです?」


 やきもきとした表情でレティが耳をゆらす。

 大きな隙を見せた相手を前にして攻撃に出ないエイミーを怪訝に思っているようだ。


「なんとなく予想はしてるが、確証はないな」

「ええ、なんなんですか?」

「ゆっくり見守ってれば、そのうち分かるだろ」


 不満げなレティを宥めつつ、俺は静かにエイミーを見守る。

 彼女は立て続けに放たれるハユラの攻撃を、次々と跳ね返していく。

 当然、テントの範囲外からは離れているし、無限にLPを回復できているわけがない。

 彼女が当然のようにジャストガードを成功させているため、LPの収支がプラスになっているだけだ。

 エイミーはただひたすらパリィし続ける。

 ハユラの攻撃はさらに激しさを増し、まるで尻尾が増えたように錯覚するほどになった。

 だが、それでも彼女は冷静に、いくつもの防御テクニックを織り交ぜてそれに対応していく。

 そして――。


「はええええええっ!」


 突然、意識の外から悲鳴が聞こえる。

 驚いて顔を向ければ、シフォンが海に落ちていた。


「ミカゲ!」

「分かった」


 ミカゲがすぐさま糸を伸ばし、ずぶ濡れの少女を引き上げる。

 今まで彼女が相手にしていた護り鮫たちが、いつの間にか全て消えていた。


「やっとね……」


 それを見て、エイミーが動き出す。

 彼女は鋭く放たれた尾を跳ね返し、走り出す。

 再び幾重にもバフを纏い、拳に破壊力を溜め込んでいく。


「精一杯殴らせて貰うわよ!」


 エイミーが大きく拳を振りかざす。

 巨大な影を受けたハユラの目に、一瞬怯えが見えた気がした。


「『疾風連閃牙』ッ!」


 放たれた超速の連打。

 拳を握らず、手を鋭く刀の形に尖らせた特異な型。

 切れ味すら宿す無数の攻撃を、エイミーは瞬間的に叩き込む。

 そして――。


「ハユラのHPが削れた!」

「障壁を貫通しましたよ!」


 彼女の拳が、ようやく龍の鱗を貫いた。


「取り巻きを一定数以上倒さないと、本体にダメージが入らないギミックになってたんだな。その取り巻きの数が多すぎて、先駆者は無限湧きと勘違いしたみたいだが」

「は、はええ……」


 甲板にへたり込んだシフォンを労いながら、ハユラの障壁の仕組みについて分析する。

 定番と言えば定番のギミックだが、そのスケールがデカすぎる。

 騎士団の一斉攻撃でようやく削れきれるほどの残機を、シフォンが着実に倒していったのだ。


「し、死ぬかと思った……」

「お疲れさん。シフォンのおかげでエイミーが助かった」

「へへ。それならもう、思い残すことはないわ……」


 まるで死にに行くような穏やかな顔で、シフォンが笑う。

 俺は彼女の背中を支え、龍の方へと再び注目した。


「さあ、本番よ」


 そこからは、エイミーのターンだった。

 彼女が疾駆し、拳を打ち込む。

 それだけで、ハユラはこちらが辛くなるほど痛々しい悲鳴を上げる。

 硬い障壁に守られていたぶん、本体は痛みに敏感なのだろう。


「でも、これで終わりって訳でもない」

「そうなの?」


 ルナがきょとんとして首を傾げる。

 厚い障壁を打ち破った今、ハユラを守るものはなにもない。

 すでに勝敗は決したように見えたのだろう。

 だが、そうではない。


「この海は〈剣魚の碧海〉だ」

「え? ――も、もしかして」

「そういうことだ」


 少々味気ない話になるが、この世界のフィールドにはボスにあやかった名前が付けられる。

 しかし、〈剣魚の碧海〉のボス“繊弱のハユラ”には、いまだ剣と呼ばれる所以が見当たらない。

 つまり、奴はまだ変身を残している。


「『崩拳』ッ!」


 エイミーの拳がストレートに入る。

 喉元を凹ませ、ハユラが崩れ落ちる。

 白龍の白い毛並みは荒れ、全身に痣ができている。

 それでもなお驚異的な生命力で生きている。

 ようやく、HPを半分削ったところだ。


「第二形態ね」


 エイミーが拳を構える。

 その眼前で、ハユラはゆらりと頭を起こす。

 細長い尻尾を持ち上げ、太刀のようにエイミーに向けて構える。

 口から青白い炎が漏れ出し、鼻息も荒い。

 龍が怒っているのは、誰の目にも明らかだった。


「あ、あれは――!」


 レティが声を上げる。

 白い巨岩の舞台で対峙する二人を真っ直ぐに見ている彼女が、一点を指さした。

 白龍が、光を纏う。

 傷付いて尚、それは神々しさを増していた。

 長く滑らかな尾に光を纏わせ、一振りの大太刀のように。

 硬い守りを持つ龍の真の姿は、どこまでも攻撃的な剣士のものだった。


「最強の盾と、最強の剣だ。どっちが勝つかな」


 俺たちと、他無数のプレイヤーたちに見守られながら、エイミーと龍の最終戦が始まった。


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Tips

◇護り鮫

 〈剣魚の碧海〉に生息する小型の鮫に似た原生生物。白い扁平な体を持ち、高い跳躍力で水面に飛び出して襲いかかってくる。

 強い個体と共生関係を結ぶ習性があり、その個体を特殊な力で保護する代わりに、食料などの分け前を貰う。

 かつて騎士として名を馳せた。その記憶も広大な海に解け、今や小さな残滓を残すのみ。理を捨て、本能のまま、強き者に付き従う。


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