第548話「突然ウサ人魚」
双頭の鮫が、三本の尾を巧みに動かして迫り来る。
鋭利な牙はランタンの光を受けて白く輝き、双眸が俺たちを真っ直ぐに睨み付けていた。
『『
三本の尾をスクリューのようにして突っ込んでくる鮫の鼻先に、硬い星球が激突する。
痛々しい打撃音と共に、鮫の巨体が吹き飛んだ。
『よしよし。水中でも結構戦えるもんですね』
吹っ飛んだ鮫が後続の鮫とぶつかり、ビリヤードのように混乱が広がっていくのを見て、レティは得意な顔になる。
潜水服のおかげで動きにくく、水中という慣れない環境ではあるが、こちらの攻撃はちゃんと通用している。
それだけで、彼女としては十分だった。
「レティ!」
『分かってますよ。『
レティはハンマーの柄を持ち上げ、鎖で繋がったヘッドを振り回す。
背後から迫っていた鮫の体側を抉るように星球が暴れ、周囲の雑兵を纏めて吹き飛ばした。
『殴れば当たるけど、耐久力が結構あるわね。水の中じゃ、こっちの攻撃力も下がるし』
レティの背後に寄り、エイミーが眉を寄せる。
〈水泳〉スキルを持っていない彼女たちは、水中内では様々な制約を受ける。
そのうちの一つに、攻撃力の減衰があった。
『高火力技を急所に叩き込めば、なんとか二割くらいは削れます。ならそれを五回繰り返せばいいだけでしょう?』
『……それもそうね』
何を簡単なことで悩んでいるんです、とレティは首を傾げる。
彼女の単純明快な回答に、エイミーは呆れつつも頷く。
攻撃力が足りないのであれば、手数でそれを補えば良い。
至極当然の、シンプルな解決法である。
『はえええええっ!?』
『シフォン!?』
その時、仲間の悲鳴が二人に届く。
彼女たちが咄嗟に白髪の少女を探すと、彼女は巨大な鮫に追われているところだった。
『なんですかあれは!』
レティが目を丸くする。
涙目のシフォンを追っているのは、双頭三尾鮫ではなかった。
全身を白い骨で覆った、外骨格を纏う鮫だ。
『うおわっ!? 新種の鮫ですよ!』
『ああもう、この惑星にはまともな鮫はいないの!?』
懸命に泳いで逃げるシフォンを追いかける鮫。
レティとエイミーは一瞬視線を合わせ、意思の疎通を図る。
二人は一斉に、外骨格鮫へと近づいた。
『うちの若い子を!』
『いじめるんじゃありませんっ!』
硬い盾拳と、硬い鎚が同時に炸裂する。
アッパーカットとスタンプを同時に受けた鮫は、分厚い外骨格が粉々に砕ける。
それでも保護者たちの猛攻は止まらず、ものの数秒で鮫は打ち倒された。
『はええ……。こ、怖かったです……』
『シフォンはまだ、高防御力の敵は辛いもんね。私たちと離れないようにして』
『とりあえず、新種の報告だけしておきましょう』
ぷるぷると震えるシフォンをエイミーが慰めている間に、レティはレッジに報告を上げる。
情報の共有は何よりも大切だ。
『レッジさん、新種の鮫が出てきました。外骨格持ちです!』
『こっちでも新種を発見した。下半身がタコになってるキメラ野郎だ』
『こちらほえほえ。体にジェット機構みたいなのを付けた、高速型の鮫がいましたよ』
『おっと、随分と色々いるな。俺んとこには尾びれが刃物になってる奴がきたぞ』
レティの声を皮切りに、周囲に散開している騎士団の潜水士からも報告があがる。
どうやら、一定の水深からは鮫のテリトリーになっているようだ。
レティたちはそう結論づけ、今も尚続々と現れる鮫の情報をテントの二人に伝えつつ、撃破を繰り返していった。
『エイミー、タコ鮫二匹来ます!』
『任せて。シフォン、そっちに刀鮫が来てるから気をつけてね』
『これくらいなら任せて下さい!』
レティたちは互いに連携を取りつつ、鮫を撃破していく。
時には騎士団の潜水士とも助け合い、何よりも降下中のテントを守る。
姿形は多様だが、どの鮫も獰猛だ。
彼女たちも着実に対処してはいるが、深度を増すごとに鮫の数が増えていく。
『レッジさん、これじゃあキリが無いですよ!』
『もう一度スタンさせます。その隙に一気に降りましょう。全員テントに取り付いて、下へ引っ張って下さい!』
『くぅ。りょ、了解です!』
アイの号令で、護衛の七人が“驟雨”に手を付ける。
そのまま真下を向き、暗闇に向かって潜行していく。
『『
一箇所に集まったレティたちに、鮫の大群が襲いかかる。
それを限界まで引きつけて、テントの内部から甲高い声が響き渡る。
その音波は鮫の脳を揺らし、意識を狩り取る。
無数の鮫が一斉に脱力し白目を剥くのを確認して、レティたちは一気に深度を稼ぐ。
『れ、レティ!』
『シフォン? どうしました?』
鮫の群れを抜け、静寂が戻る。
それでもいつ追ってが来るか分からない以上、レティたちもバタ足を止めることはできない。
そんな中、突然シフォンが焦燥した声を上げる。
レティが鎚を握って様子を伺うと、彼女は自分の目元を覆うゴーグルを指さした。
『ヒビが。ゴーグルがヒビ割れてきて……』
『ほんとだ。これはマズいですね』
シフォンのゴーグルに、小さいが亀裂が入っている。
気がつけば、既にかなりの水深だ。
もうすぐ潜水士たちの限界もやってくる。
『レティ、大丈夫か?』
レッジがテントの中から仲間の身を案じる。
大丈夫です、とレティが返そうとした瞬間だった。
『かぱっ!?』
『レティ!?』
突然、レティは胸を潰された。
悲鳴を聞いて、エイミーが彼女の肩を抱く。
『む、胸が……』
『レティ、落ち着いて。胸はいつも通りよ。いや、いつもよりちょっと平らかも』
『そうじゃなくて! 胸部装甲が故障しました!』
レティは自分のステータスウィンドウを開きながら言う。
彼女の胸部のフレームが、水圧によっていよいよ歪んでしまったのだ。
『はええっ! わ、わたしも全身でアラートが鳴ってますよ!』
間を置かず、シフォンの機体にも異常が生じる。
水深300メートルを越えて、彼女たちの活動限界域に入ったのだ。
『ど、どうしてエイミーは無事なんですか』
『タイプ-ゴーレムの機体は頑丈だからね。とはいえ、私もすぐにそうなると思うわ』
そう言った瞬間、エイミーの体にも歪みが生じる。
バコン、と嫌な音がして、彼女の体が軋んでいく。
『レティ、シフォン、エイミー。三人は船に戻ってくれ』
『騎士団の四人はまだしばらくは大丈夫ですから』
『うぎぎぎ……。いえ、まだ、レティは行けます』
テントの中から呼びかけるレッジたちに、レティはテントにしがみつくことで答える。
幸いなことに、“驟雨”の効果範囲内に入っていることで、レティは機体が拉げながらもLPは回復を続けている。
しかし、それも水深が増せばやがて追いつかなくなるだろう。
『レティさん、こっちは俺たちに任せて下さい』
『そうよ、レティ。ここで死んじゃったら元も子もないでしょ』
『ふぬぬう……!』
騎士団員とエイミーからの説得されるが、レティは顔を真っ赤にして横に振る。
なんとしてもテントから離れないという、強い意志を感じさせる。
『はええ。レッジさん、わたしはもう限界かも!』
『仕方ないわね。レッジ、私はシフォンを連れて戻るわ』
全身からバキバキと音を鳴らすシフォンを、エイミーが抱き寄せる。
ここで故障し続けてしまえば、浮上中に襲ってくる原生生物から身を守ることさえままならなくなってしまう。
『分かった。気をつけてくれ。船にはネヴァがいるから、すぐに修理は受けられるはずだ』
『ええ。戻ったら連絡するわ』
シフォンを抱いて、エイミーがテントを離れる。
上層には原生生物、鮫の群れがまだいるだろうが、逃げに徹していれば、エイミーの防御を破ることはできないだろう。
レッジは、二人の身を案じながらも、信頼もして見送った。
『それで、レティ』
『い、嫌です! レティは限界までレッジさんと一緒にいます!』
『そう言ってもな……。もう限界だろ』
『まだ行けます!』
レッジが窓の方へ視線を向けると、テントの装甲にしがみついたレティの赤髪が見える。
団員たちが必死に説得しているが、彼女はそれに聞く耳を持とうとしない。
全身からフレームの破損する音が立て続けに鳴っているが、それでも彼女は鬼の精神力で耐えていた。
『レティ! 早くしないと、戻れなくなるぞ!』
『おぼっ、おぼぼぼっ。それでも、限界まで一緒に行きますっ!』
口から気泡を吹きながら、それでもレティは離れない。
すでにLPの減少と回復のバランスは転じており、レティのLPゲージが徐々に削れている。
それでも、彼女はLP回復アンプルを砕きながらついてきていた。
『っ! 外骨格鮫が来てます!』
その時、ついに襲撃がやってきた。
現れたのは外骨格鮫一体だけだったが、レッジたちは己の不運を呪った。
硬い骨で全身を覆い、防御力が高いあの鮫に有効打を与えられるのは打撃属性、しかし、自由に動ける騎士団の潜水士は槍や剣しか携えていなかった。
『副団長、スタンを!』
『まだクールタイムが終わってません!』
厳めしい鎧を着込んだ鮫が、大顎を開いて迫り来る。
騎士団の手練れとはいえ、水中、不利属性、護衛対象ありでは劣勢に立たざるを得ない。
『クソッ! こっちからも鮫が来やがった』
さらに間の悪いことに、新たな鮫が別の方向から現れる。
四人の戦闘員が、分散しなければならない。
『ぶぼぼぼぼっ』
レティは全身に亀裂が入り、泡を吹き上げている。
それでも執念深くテントにしがみついている。
『外骨格の野郎を誰かやってくれ!』
『こっちはタコで手一杯だ!』
『なんだあの七色に輝いてる鮫は!』
『この期に及んでまだ新種が出てくるのか!』
『おぶぼっぼべぼぶべっ!』
テントを中心に、阿鼻叫喚の戦場が繰り広げられる。
新たな領域に踏み込んだのか、見慣れない鮫が更に現れる。
騎士団の戦闘職でも、新種の鮫を初見で圧倒するのは難しい。
未知の攻撃に怯えながら、それでもなんとか張り付き攻撃を続けるしかない。
『外骨格がテントに来るぞ!』
『全力で阻め!』
『無理だ、間に合わない!』
騎士たちの悲鳴が上がる。
彼らもすでに、自身のキャパシティを大幅に超過している。
その隙を狙って、巨大な外骨格鮫が“驟雨”へ食らいつき――。
『
大きく開いた口の中に、赤い影がすらりと飛び込んだ。
鮫の黒く丸い瞳に、一瞬の困惑。
直後、苦痛と驚愕に全身をくねらせる。
『
ゴン、と鈍い衝撃が鮫の内側から放たれる。
その一撃は鮫の柔らかな体内を蹂躙し、硬い外骨格によって反響した。
一瞬で意識を狩り取られ、すぐさま繰り出されたトドメの一打で命を狩り取られる。
全身を弛緩させ、鮫はゆっくりと腹を上に向けた。
『れ、レティ!?』
焦ったのはレッジである。
さっきまで側にいた仲間が自ら鮫の体内に飲み込まれていったのだ。
しかも彼女は全身がボロボロの状態だ。
テントから離れれば、一瞬でLPも消し飛んでしまう。
『けぽっ。だ、大丈夫です。……レティ、元気です』
『レティ!? 無事なのか!』
レッジがテントの窓に張り付いて叫ぶ。
そんな彼の目の前で、鮫の口からぴょこんと赤いうさ耳が飛び出した。
『ふ、ふふ。天然の潜水服ですよ。これのおかげで故障も止まりました』
『な、なん……。そうはならないだろ……』
鮫の口から顔を出し、レティがニコニコとして言う。
顔のスキンも少し剥がれているが、元気そうだ。
辛くも鮫の襲撃を退けた騎士団員たちも、体の九割が鮫のマーメイドになったレティを見て唖然としている。
『一か八かでしたが、なんとかできて良かったです。ふふふ。レッジさん、これでまだまだ一緒に居られますね』
レティはもぞもぞと体を動かし、鮫のヒレを使ってテントに付いてくる。
『レティさん……。貴方、そこまでして……』
そんな彼女を、アイは唖然として見る。
『んひひ。アイさんだけに楽しい思いはさせませんからね』
怪しげにルビー色の目を光らせる。
そんなレティに、アイは獰猛な野生の気配を感じるのだった。
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Tips
◇『揺レ響ク髑髏』
咬砕流、七の技。体内に浸透する衝撃を放ち、対象を内側から破壊する。攻撃対象に密着する必要はあるが、鉄壁の防御も意味を成さない凶悪さを持つ。
対象に近いほど、また物理的に接触しているほど、威力が上昇する。
優しく貴方を抱きしめる。その心に響く想いを乗せて。強く貴方に訴える。この心に宿す想いを向けて。
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