第547話「深海の底へ」

 水面から差し込む光が、海の中を青のグラデーションに彩る。

 周囲にはウマアジやバクダンフグといった魚たちが気ままに泳ぎ、俺たちの存在に気付いては一目散に逃げていく。


「綺麗だな」

「そ、そうですか。いつもと装備は特に変わってないですが……」

「ウマアジなんかは昨日散々釣り上げてきたけど、水中で見るとまた全然違うよ」

「あっはい。そうですね」


 “驟雨”の窓に張り付き、海の中を見る。

 普段ほとんど見ることの無い世界は、とても鮮やかな光と色に満ちていた。


「レティ、異常は無いか?」

『今のところは、周囲を泳いでるのも小魚だけですね。潜水装備も問題ありません』


 回線を通じてレティに話しかける。

 窓の外でゆっくりと泳いでいる彼女は、俺の方へ視線を向けて親指を立てた。


『もうちょっと大型の原生生物も居るかと思ったけど、平和そのものねぇ』

『底が見えないのはちょっと怖いけど……』


 レティと共に泳ぐエイミーとシフォンも、海中の様子を見て率直な感想を述べる。

 騎士団の潜水士四人は慣れた様子で、しっかりと“驟雨”を囲んで隊形を崩さず泳いでいる。

 しばらくは、静かな時間が過ぎる。

 テントは順調に沈み、徐々に周囲が暗くなってくる。

 太陽の光が届かない深さへと足を踏み入れていく。


『副団長、船上から報告です』

「どうしました」


 突然、共有回線からクリスティーナの声が発せられた。

 アイが緊張感を高める中、彼女は続ける。


『その、レッジさんのメイドロイド二人が倒れました。昏睡状態、なのでしょうか』

「あー……」


 それを聞いて、俺は思わず額に手を当てる。

 カミルとT-1は俺のメイドロイドだ。

 メイドロイドは本来、フィールドには出られないのだが、俺が〈家事〉スキルの『メイドロイド招集』というテクニックを使って連れている。

 当然、二人は俺から離れることができず、離れてしまった場合は機体の機能が停止してしまうのだ。


「すまない。俺が深く潜りすぎたせいで機能が停止しただけだ。安全なところで寝かせてやってくれないか」


 俺が事情を話すと、クリスティーナは仕方なさそうに頷く。

 これは、あとでカミルたちにも怒られるな……。


「せめて、土産を持って帰ってやるか」


 少し表情を曇らせて言うと、アイが苦笑する。


「レッジさんはNPCに対してもプレイヤーと同じように接していますよね。なかなかできることじゃないと思いますよ」

「そうか? 俺からすれば、カミルもT-1たちも、他のプレイヤーとほとんど変わりがないからなぁ」


 確かに、カミルたちはNPCだ。

 しかし上級NPCという分類にあるだけあって、彼女たちは高性能なAIを搭載しており、通常の人間と遜色なく会話ができる。

 特にカミルは、嫌なことははっきり嫌と言うタイプだから、より人間らしく感じるのだろう。

 自分では、あまりNPCとPCの区別は付けていなかった。


「で、でもまあ、そういうところも良いと思いますよ」

「そうか? ありがとな」


 よく分からないが、褒められたなら喜んでおく。

 この年になるとなかなか褒められると言うこともなくなってくるのだ。


『アイさん、回線は開いてることをお忘れなきよう』

「うわっ!?」


 突然、レティの低い声がして、窓を見ると彼女がこちらを覗き込んでいた。

 驚くから、そういうのは止めて欲しい。


「分かってますよ。情報共有は大事ですからね」

『ふふふ……。そうですね』


 窓越しに視線を合わせ、アイとレティが笑い合う。

 二人とも可愛らしいから絵になるなぁ。


『っと、こんなこと言ってる場合じゃないですね』


 その時、レティが耳を動かして周囲へ視線を向ける。

 エイミーたちも武器を構え、戦闘態勢に移った。


『大型の魚影を確認!』


 回線を通じて、騎士団の潜水士から報告が上がる。


「鮫ですか?」

『いえ、バクシンオオマグロです。ちっ、数は五体。ちょっとした群れだぞ!』

「テントを射線上に置かないように立ち回りつつ、撃破しなさい」

『了解っ!』


 アイの指示で潜水士たちが動き出す。

 彼らは足にフィンを付けており、軽やかに動く。

 地上とは違い、高さも加わった三次元的な空間だが、慣れた様子だ。


「あれがバクシンオオマグロか?」

「そうです。死ぬまで止まらない、厄介な魚ですね」


 海の暗がりから現れたのは、体長3メートルはありそうな、巨大なマグロだ。

 名前の通り、一直線にこちらへ近づいてくる。


「でっかいな……」

『お寿司にしたら何人前でしょうねぇ』


 レティはそんなことを言いつつ、ハンマーを構える。

 五匹のオオマグロは、瞬く間に間合いに侵入してきた。


『行くぜッ!』

『水中で俺に勝てると思うなよ!』


 途端に騎士団員たちがオオマグロへと飛び掛かる。

 正面衝突も辞さない勇敢な行動に、むしろマグロの方が驚いている。

 潜水士たちは銛を突き刺し、剣を振るう。

 手慣れた様子で一人一匹ずつマグロを相手取る。


『レティさん、一匹任せた!』

『任されましたっ!』


 そして、四人の手から逃れた群れの一匹が、レティの元へと突っ込んでくる。

 マグロの頭部はとても硬そうで、頭突きを喰らっただけでも相当なダメージだろう。

 ただでさえ、今のレティは潜水装備を着ていて、普段ほどの防御力もないのだ。


『せーりゃっ!』


 ドン、と乗用車同士が衝突したような鈍い音が響く。

 レティのハンマーは見事にマグロの正面を捉え、最高の威力をたたき出していた。

 自身の速度も相まって、バクシンオオマグロのHPはごっそりと削れる。

 更には気絶の状態異常も発生している様子で、マグロは死んだ魚のような目でふわりと浮いている。


『へっ。弱っちいですね。マグロの叩きにしてやりましょう』


 無防備に腹を見せるマグロに、レティはすかさず次撃を叩き込む。

 そうして、初めての襲撃は難なく退けることができた。


「くぅ、解体したいな……」

「今飛び出したら水圧でぺしゃんこになりますよ」


 目の前でふわふわと浮いているマグロを、レティたちが簡単に回収していく。

 俺が捌けばもっと収獲も増えるだろうが、テントを飛び出していくわけにもいかない。

 すでに結構な深さに来ており、潜水服も〈水泳〉スキルもない俺は水中に出た瞬間に死んでしまう。

 そうでなくとも、そもそも水圧によってテントを開けることはできないのだが。


「レティさん、そろそろ潜水服でも辛いのでは?」

『へへ、全然余裕ですよ。アイさんも息が詰まって大変でしょう。代わってあげましょうか』


 レティとアイは互いに相手の様子を窺っている。

 レティたちも水中に長時間潜るのは初めてだろうし、アイなりに気遣ってくれているのだろう。

 やはり副団長は思いやりも一級だな、などと感心していると、再び潜水士から声が上がる。


『下方に敵影。今度のは結構でかいですよ!』

「警戒態勢。詳細を報告しなさい」

『闇に紛れてて定かじゃないですが、多分一匹だけっすね。とはいえ、めちゃくちゃデカい……』

『たぶん、上の船くらいはありますよ』


 その報告に周囲がざわつく。

 俺たちが乗ってきた調査船は、騎士団所有の中では小さいらしいが、それでも50人以上が搭乗可能な中型船だ。

 それほどの大きさの原生生物は、地上でも珍しい。


「油断しないように。下方だけでなく、全方位を警戒しなさい」

『了解』


 アイの指示を受け、護衛がテントの周囲を守る。

 全員、武器を構えて緊張の面持ちだ。


「こっちからは何もできないのが歯痒いな」

「仕方ないです。こればかりは」


 俺たちはレティたちが戦っているのを、見ていることしかできない。

 一応、攻撃手段はないこともないのだが、それはレティたちも付いて来れないような水深まで温存しておく必要があった。


「水中用ドローンでも作っておけば良かったな」

「使い所がニッチすぎませんか? それ」

「でも、ネヴァなら喜んで作ってくれそうだぞ」


 残念ながら、今のところDAFシステムは地上でしか運用できない。

 そして、現在の俺の懐事情的に、新しく作るのも難しかった。


『来たぞ! 真下だ!』


 共有回線に大きな声がする。

 それと同時に、レティたちが一斉に足下へ注目した。


「何が来た?」

『あれは……イカですね!』


 レティの言葉と同時に、巨大な影が真下から浮上してきた。

 “驟雨”を掠めるように現れたのは、太い足を揺らす巨大なイカだ。


『鑑定できました。ヤシキイカです!』

「聞かない名前ですね……。油断せずに対処しなさい」


 アイも知らない名前。

 つまり、このイカも新種らしい。


『とりあえず、一発叩き込むわよ』


 先陣を切ったのは、最も近い位置にいたエイミーだ。

 彼女が盾拳を掲げ、イカの額に勢いよく突き込む。

 強い衝撃でイカの赤い体表が大きく凹んだ。


「なんつー衝撃だよ……」

「流石のエイミーさんですね。しかし――」


 強い打撃を受けたヤシキイカは、黒煙を吹き出す。

 それが周囲一帯を包み込み、視界は一気に悪くなった。


「これでは、攻撃も回避も難しいですね」

「大丈夫だよ」


 唇を噛むアイの頭に手を置き、優しく撫でる。

 黒煙がもうもうと広がる中、突然水中で爆発が起きた。


『どらっしゃー!』


 大きな声をあげて、レティが星球鎚を振り回す。

 勢いよくイカの体にめり込んだそれが爆発し、その衝撃でイカ墨を晴らす。


「レティさん!? なんて精度で……」

「耳がいいからな。多少視界が悪くとも、問題なく攻撃できるんだ」


 レティの猛攻によって、煙幕は早々に晴れる。

 イカは胴体を膨らませ、真っ赤になっていた。


『レティさんに続け!』

『爆発に巻き込まれるなよ!』

『俺もイカないとな!』


 レティが状況を打破し、騎士団員たちもそれに続く。

 イカの方も太い触腕を振り回し、彼らを寄せ付けない。


『足はわたしに任せて下さい!』


 そこへ飛び込んだのは、潜水服姿のシフォンだ。

 彼女は手にブクブクと泡立つ炎の小刀を持ち、イカの触腕に斬りかかる。

 ジュッと肉の焼けるような音がして、赤い足に深い傷が刻まれる。

 他の触腕が迫り来るが、彼女は軽やかにそれを回避していく。


「初見の相手に、あそこまで立ち回れるなんて……」

「すごいよなあ」


 シフォンが触腕の気を引いている間に、レティたちが胴体を取り囲んで攻撃する。

 イカは急激に膨らみ、ストレスを溜め込んでいるようだ。


「対象に変化が現れてます。油断しないように」

『了解。できるだけ距離を取って、遠距離技で仕留めるぞ』


 アイの指示を受け、団員たちが距離を取る。

 レティたちもできる限り間を空けて、射程の長い技を使っていた。

 その時だった。


「っ! 総員防御!」


 アイが鋭い声を上げる。

 レティたちが咄嗟に身を丸めた瞬間、巨大なイカの胴体が破裂した。


「なんっ!?」

「小型の原生生物が無数に放たれました。気をつけて!」


 驚く俺を余所に、アイは冷静に状況を見る。

 ヤシキイカの表皮が破裂し、その下から体長40センチほどの小さなイカが無数に飛び出した。

 それは一斉にレティたちへと飛び掛かり、体中に触腕を巻き付けていく。


「ヤシキイカって言うだけあって、住人がいるのか」

「厄介ですね。連携を取る余裕がないです」


 無数のイカに対処するため、レティたちは自分のことで精一杯だ。


「すみません、レッジさん。耳を抑えて貰えますか」

「……分かった」


 ついに、アイが判断を下す。

 俺は両手でぎゅっと耳を抑え、極力音が入らないように遮る。

 それを見て、彼女は胸に空気を詰め込んだ。


「――『暴走する蛮声の蹂躙スタンビート』」


 紙の破れるような音。

 その後、あらゆる音が聞こえなくなる。

 俺が、機械人形が拾える可聴音を越えた音が、小さな少女の喉から発せられた。

 それはテントの装甲板を貫き、海中に広がる。

 球状に放たれた音の波は、レティたちに絡みついたイカを全て気絶させていく。


「――かはっ」

「アイ!」


 音が途切れ、聴力が戻る。

 アイがぐったりとしてよろけるのを、慌てて抱きかかえる。

 おそらく、テクニックの反動で行動不能系のデバフに掛かっているのだろう。


「レティ!」

『うぎぎ、耳がジンジンします……。ですが、助かりました!』

『わたしもいけますよ!』


 慌てて窓の外を見る。

 そこではすでに、一方的な蹂躙が行われていた。

 レティが鎚を、エイミーが拳を、シフォンが様々な武器を振るう。

 団員たちも体勢を立て直し、瞬く間に小イカを処理していく。

 アイの支援のおかげで、形勢は一気に逆転していた。


『助かりました、アイさん』

「それは、良かったです」


 レティが感謝の言葉を告げると、アイはゆっくりと目を開いて笑う。

 先の声で一瞬彼女自身もスタンしていたようだが、LPに問題はなさそうだ。


『副団長、ちょっとヤバいぜ』


 その時、再び団員が声を上げる。

 反射的にレティたちが再び戦闘態勢を整えるなか、ほのくらい水底に影が浮かぶ。


「あれは……」

「来ましたね。ここからが本番のようです」


 現れたのは、異形の鮫。

 それも一匹や二匹ではない。

 無数の双頭三尾鮫が、鋭い牙をこちらに向けて泳いできていた。


「アイの声に誘われたか、もしくはイカの匂いに感づいたか……」

「どちらにせよ、相手にしないわけには行きません」


 鮫は続々と数を増している。

 周囲は暗く、テントにあるランタンの灯りだけが頼りだ。

 そんな状況でもレティたちは戦意を高め、鋭い目つきでそれを見ている。


『陸に戻ったら、フカヒレパーティでもしましょうか』

「いいですね。その時は騎士団の料理人を呼びますよ」


 アイとレティがそんな軽口を言い合う。

 直後、俺たちと鮫の群れは真正面から激突した。


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Tips

◇『暴走する蛮声の蹂躙スタンビート

 戦闘歌唱バトルソング。喉を引き絞って甲高い声を発する。周囲の原生生物の聴覚を麻痺させ、音波の衝撃で脳を揺らすことで意識を刈る。広範囲の原生生物を一瞬で無力化できる強力なテクニックだが、使用者は一定時間気絶状態になる。


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