第541話「高速の連撃」
T-1とレッジが船尾で爆発していたころ、船首ではシフォンがエイミーの指導を受けていた。
たまたま甲板へ飛び込んできた
一歩下がったところでそれを見守るエイミーが、時折シフォンの動きに修正の指示を飛ばしていた。
「いいわよ。そのまま秒間30連打を目指しましょう」
「はえええっ!? さ、流石に厳しいのでは!?」
「30fpsって考えるから難しいのよ。60fpsだと思えばただの2フレーム技なんだから、簡単になるわ」
「その理論は色々おかしいと思うんですが!」
悲鳴を上げるシフォンだが、エイミーが力強くできると断言するため、半信半疑ながらも拳を打ち込む速度を上げていく。
前後の往復を短くするために、より敵に密着していく。
より速く、正確に、拳を叩き込んでいく。
無駄だった動作を少しずつ削いでいき、呼吸を合わせる。
「いいわよ、その調子!」
「はいっ」
シフォンの成長は、師範役であるエイミーの目から見ても驚くほどの早さだった。
彼女の指摘、手本、助言を素直に取り入れ、乾いた砂に注ぐ水のように吸収していく。
時折きつい言葉も放ってしまうが、それを自身の人格否定と捉えることはなく、ただ素直に受け入れる。
簡単なように見えて、難しいことだ。
それをシフォンは息を吸うように当たり前にやってみせた。
「よし、じゃあ次は二方面から打ち込んでみましょう」
「はえっ?」
「後ろの障壁を消すから、球腹魚を殴ったら後ろに回り込んでまた殴りなさい。そうやって、球腹魚を一点に留めておくの」
「また随分と難しいことを……」
「やってやれないことはないわ。私でもできるもの」
「エイミーも大概スパルタだわ」
ブーブーと文句を言うシフォンに、エイミーは和やかな笑みを崩さない。
しかし、球腹魚の背後を支えていた障壁を問答無用で消去した。
「はえええっ! ま、マジでやる!?」
「さあ、回り込まないとすっ飛んでっちゃうわよ」
今までシフォンがやっていたのは、テニスボールを壁に向かって打つような練習だ。
障壁という支えを失った今、彼女は一人でコートに立たされている。
敵も味方も自分という究極的なシングルの試合である。
「ふおおおっ」
シフォンが球腹魚の柔らかいゴムのような腹に拳を沈める。
球腹魚の腹は衝撃を受け、反発し、鞠のように飛んでいく。
彼女は素早くそれの進行方向へ回り込み、間髪入れず打撃を入れた。
「まだまだブレてるわね。最終的には球腹魚が静止するレベルになってもらうわよ」
「はえええ……」
レティのスパルタ具合は〈白鹿庵〉随一だが、何だかんだと言ってエイミーのそれも似たり寄ったりだ。
と言うよりも、教えた側から成長していくシフォンを見るのが楽しくて、〈白鹿庵〉の師範たちも調子に乗っているところがあった。
「足場とLPは、今は考えなくていいから。あなたが足を置いたところに足場があるわ」
シフォンの動きを見ているエイミーも、ただ突っ立っているだけではない。
素早く機敏に動き回るシフォンの行動に先んじて、空中に小さな障壁を展開しているのだ。
第三者が見れば、ただ空中に浮いているシフォンの足下で光が弾けているだけのような光景だが、彼女の足先に一瞬だけ障壁が展開され、彼女の体重を支えている。
三次元的な空間で、シフォンの動きを予測して、正確に障壁を展開する。
実のところ、これはエイミーにとってもアーツ技術の向上を図った訓練になっていた。
「はえええ……ッ!」
球腹魚は空中でぼむぼむと跳ねている。
壁はないが、シフォンが一人でラリーを繋いでいる。
白く染めた長髪が空に広がり、“白熊嵐舞”装備と共に鮮やかに映える。
まるで妖精が踊っているような幻想的な光景だが、エイミーはまだまだ不満げだった。
「もっと速く回り込まないと駄目ね」
「はええ。でも、これ以上は」
「行ける行ける。大丈夫よ。……ていうか、ちょっと気になってたんだけど」
苦悶の表情を浮かべるシフォンを見て、エイミーは首を傾げる。
そうして、ずっと疑問に思っていた事を口にした。
「どうして回避を縛ってるの?」
「はえ?」
その言葉に、シフォンはきょとんとする。
回避も何も、球腹魚は完全にサンドバッグになっていて、攻撃を与えてこない。
シフォンが避けるべき攻撃など発生していないように思っていた。
「シフォンが球腹魚を殴るでしょ」
「はい」
「殴られた球腹魚が飛ぶでしょ」
「はい」
「飛んできた球腹魚の前に回り込むでしょ」
「はい」
「それなら、球腹魚はシフォンに向かって突進してきてるのよ」
「はい。……はい?」
分かりやすく指を立てて順番に解説するエイミーに、シフォンはコクコクと頷く。
そうして、最後の言葉を納得仕掛けて首を振った。
「それは可笑しいのでは?」
「とりあえず、やってみて」
「わ、分かったけど……」
そこで言われたようにできてしまうのが、シフォンの驚くべき点だった。
彼女が球腹魚を殴り、その直後に回り込む。
こちらへ迫ってくる球腹魚の体側を掠めるようにして、体を倒して受身の姿勢を取る。
「はえっ!?」
そして、受身ができた。
つまりシフォンによって殴り飛ばされた球腹魚は、回り込んだシフォンに向かって突進してきたとシステムが判断したのだ。
その事実を知って、シフォンの瞳の色が変わる。
「どう? できそう?」
「行けるっ」
力強く頷くシフォンに、エイミーが頷く。
彼女が作った障壁に球腹魚が激突し、跳ね返る。
シフォンはそれに向かって拳を叩き込むと同時に回避を始めた。
「回避、攻撃、回避、攻撃」
そこからは、まさしく踊るような動きだった。
ほぼ同時に行われる攻撃と回避によって、彼女は球腹魚を跳ね返しながら、超速でその背後へと回り込むことができるようになった。
ジャストクリティカル回避によって瞬間的に彼女の移動速度は大幅に高まり、一瞬で球腹魚の進行方向へと先回りすることができた。
「おららららららっ!」
「いいわよ、ブレが無くなったわ!」
結果、球腹魚は空中で静止した。
シフォンの残像が周囲にちらつくのが見えるが、その実体を追うことは難しい。
白目を剥き、悲壮な表情を浮かべた球腹魚は、己の高い打撃耐性が仇となり、無限の打撃を全方位から打ち込まれていた。
「拳はもう少し緩く握って。点ではなく面を意識して、基節骨で叩くようなイメージで。当たる0.3秒前には引く指示を出して起きなさい」
超高速で動きながら超高速の連打を繰り出すシフォン。
エイミーは驚異的な常人離れした動体視力でそれを捉え、的確な指示を出し続ける。
シフォンもそれを一字一句聞き漏らさず、瞬時に自身の動きへ適用していく。
その結果、彼女の動きは瞬く間に洗練されていった。
「打撃は良い感じね。それじゃあ、次は打撃以外――キックも交えましょう。目標はパンチとキック合わせて秒間55連打よ」
「はいっ!」
シフォンもコツを掴んだようだった。
エイミーの無茶ぶりに聞こえるような、非現実的な指示に対して声を張る。
そうして実際に、膝蹴りや踵落とし、爪先蹴りなどを交えた、体を使った攻撃を始めた。
それだけでは留まらず、更には肘や額といった全身の硬い部位のほぼ全てを使いこなす。
「いいわ、いいわよ。流石だわ!」
秒間60連打。
60fpsの世界であっても、1フレームに1回の打撃を叩き込む驚異的な高速行動。
彼女はそれを、的確に決めている。
ジャストクリティカル回避を自然にこなすことで、レッジのテントがなくとも彼女のLPは減らなかった。
「とはいえ、流石に球腹魚の方が限界ね」
如何に打撃属性に対して高い耐性があるとはいえ、球腹魚は〈剣魚の碧海〉の原生生物の一種に過ぎない。
シフォンが攻撃力を極力抑えるために素手で戦っていたとしても、最低保障ダメージによって着実にHPは削ってしまう。
当の球腹魚にとっては救済かも知れないが、間を置かず彼は命燃え尽き甲板に落ちた。
「お疲れさま。良かったわよ」
「ひぃ、ふぅ……。ひぃ……」
球腹魚の上にぽとりと落ちたシフォンの元へ駆け寄り、エイミーは彼女を労う。
高い集中状態が解けたシフォンは疲労困憊の様子で、言葉を返すことも難しそうだった。
「おーい、二人とも。ちょっと休憩にしないか。カミルとT-1がウマアジを釣ったんだ」
そこへ意気揚々とレッジが現れる。
彼の背後には、良いサイズの銀魚を掲げたメイドたちが立っていた。
「いいわね。シフォンが立てるようになったらすぐ行くわ」
「どんな訓練をしてたんだ……? まあ、こっちで捌いとくから、落ち着いてから来てくれ」
レッジは一瞬怪訝な顔をしたが、深く考えることを諦めて調理器具の揃った船室へと入っていく。
「はええ。船の上で食べるお刺身なんていうのも、いいですねぇ」
シフォンは球腹魚の白い腹に体を沈めたまま、にへらと笑う。
どう見てもリビングで寛ぎすぎて溶けている休日のような光景だが、ここは海上の揺れる船だ。
「そうね。鮮度抜群だろうし、きっと美味しいわ」
エイミーが手を差し伸べると、シフォンがそれを握る。
立ち上がった彼女はしっかりと自分の足で体を支え、早速レッジの後を追って駆けていった。
「ん~、若いっていいわね」
瞬く間に復活したシフォンを、エイミーは羨ましそうに見る。
そうして、彼女も球腹魚の尻尾を掴み、引きずりながら船室へと向かった。
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Tips
◇バクダンフグ
〈剣魚の碧海〉で釣れる小型の原生生物。丸みを帯びた体型が特徴的。身の危険を感じると体を大きく丸く膨らませ、威嚇する。強いストレスを受けるとそのまま限界まで膨張し、爆発する。その際、表皮が弾けるが体は無事で、爆発の混乱に乗じて逃走を図る。
内臓に毒を持っているため、捌くには高い〈解体〉スキルが必要になる。なお、内臓も
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