第13章【大嵐の向こう】
第540話「海の上で」
今日は、エイミーとシフォン、カミルとT-1の四人と共に海に出ていた。
既に俺が企画したユーザーイベント〈万夜の宴〉が終幕してから数日が経っている。
町も束の間の平穏を取り戻し、だがその水面下では次の大規模なイベントに向けて着々と準備が進められていた。
「そんなわけで、今日は予習だ。特にシフォンは海に出るのも初めてだろう?」
〈ワダツミ〉の船舶管理事務所で借りた小型船に乗り、〈剣魚の碧海〉をゆっくりとした速度で進む。
今日はレティたちが所用でログインしていないため、このメンバーで海の下見へやってきていた。
「綺麗な海だね。ここで戦うのは、ちょっと怖いけど」
シフォンは緑色の目を輝かせ、船縁から身を乗り出して青い海原を眺める。
“
ここ数日、彼女は〈オノコロ高地〉を遍歴していた。
フィールドボスを倒しては奥へ進むための通行権を獲得し、ついでに強力なレアエネミーやネームドエネミーなんかも腕試しがてら倒していったらしい。
そうして、昨日ようやく〈ワダツミ〉の別荘まで辿り着き、一夜明けた今日はいよいよ海に出たと言うわけだ。
「今日は私がいるし、足場は任せてちょうだい。ほんとはラクトが居れば良かったんだけど」
シフォンの隣に立つエイミーが胸を叩く。
ラクトのアーツによる氷が足場としては優秀だが、彼女の防御アーツで生成される障壁も十分に実用的だ。
シフォンの運動能力があれば、むしろこちらの方が小回りが効いていいかもしれない。
「それじゃあ、シフォンのことは頼んだ。俺はテントを建てたら適当に釣り糸垂らしとくから」
「分かったわ。ビシバシ鍛えてあげる」
「はえ、お手柔らかに……」
シフォンの戦闘スタイルは、〈白鹿庵〉のメンバーの中ではエイミーが最も近い。
敵に密着し、至近距離から攻撃を叩き込むというものだ。
そのため、今日は彼女を師範として海上での立ち回りと、このあたりに出てくる原生生物の情報を覚えるのが目的だった。
「よし、じゃあ俺たちもやるか」
『はいはい。とりあえず、写真撮るからこっち向きなさい』
釣り竿を担いで船縁へ向かうと、カメラを構えたカミルが声を掛ける。
彼女もゆっくりと海を見るのは初めてだからか、出港直後からパシャパシャとシャッターを切っていた。
『うむ。ちゃんと美人に撮るのじゃぞ』
そんなカミルが構えたカメラの前に、得意顔のT-1が回り込む。
彼女もメイドロイドとして、最近はずっと俺と共に行動していた。
本体は惑星イザナミの静止軌道上に停泊している開拓司令船アマテラスの中枢演算装置〈タカマガハラ〉のT-1だが、ここにいるのはあくまでメイドロイドのT-1だ。
『アンタね。アタシは風景を撮ってるんだから退きなさいよ』
そのため、立場上先輩に当たるカミルは一切の遠慮がない。
彼女の強い言葉に、T-1がぐぬぬと唇を噛んだ。
『主様! カミルが妾をいじめるのじゃが』
「別にいじめてるわけじゃないと思うが……。まあ、T-1の写真なら俺が撮ってやるよ」
泣きついてくるT-1を、さっと取り出したカメラで捉える。
俺もポートレートよりは風景写真がメインだが、たまにはこういうのもいいだろう。
あとでT-2、T-3たちに渡しておこう。
「よし、じゃあ釣るか」
写真も撮れたところで、俺は水面に向かって竿を振る。
思えば釣りをするのも久しぶりだな。
まあ、万夜の宴中に地下の溶岩湖でデカいウナギ的なサムシングを釣ったことはあるが、あれはノーカンだ。
「カミルたちも釣りしてみるか?」
『無理よ。スキルが無いもの』
『そうじゃなあ。妾もカミルも
俺が二人を誘うと、彼女たちは渋い顔をして首を横に振る。
確かに、彼女たちは調査開拓員でなければ管理者でもない。
あくまでメイドロイドなのだ。
「でもカミルの〈撮影〉スキルの例もあるし、俺が教えればできるようになるんじゃないか?」
とはいえ、カミルには調査開拓員にしか扱えないはずの〈撮影〉スキルを習得できた実績がある。
となれば〈釣り〉スキルも教えられない理由はないはずだ。
『でも、それじゃあアンタが釣りしてる暇ないんじゃないの?』
「いいんだよ。どうせシフォンたちが戦ってる間に少しでも金を稼ごうと思って持ってきただけだから」
ぶっちゃけ、俺がここにいる理由は二つだけだ。
一つは〈操縦〉スキルを使って船を動かすこと。
もう一つは甲板にテントを建てて、シフォンたちの休憩所を作ること。
テントを建ててしまえば、シフォンたちの戦闘中はやることがないため、暇つぶしに竿を持ってきたくらいの話なのだ。
『むぅ。そういうことなら……』
『そうじゃな。海鮮おいなりというのもアリかも知れぬし』
「それはどうだろうな……?」
ともかく事情を伝えれば、二人も話に乗ってくれた。
俺は早速、用意していた初心者用の簡単な竿と釣り餌を二人に渡す。
『ずいぶんと用意が良いわね』
「こんなこともあろうかと、ってな」
ちらりと船首の方を見ると、シフォンが空中で戦っていた。
エイミーが展開する障壁を足場にして、
あれに打撃は非常に効きづらいが、それを逆手にとって動きを覚えるための練習相手として生かさず殺さず使っているらしい。
「ちょっと慣れてきたわね。じゃあ、まずは秒間20連打を10秒間、やってみましょうか」
「はえええ!? や、やってみます!」
……怖いことをするもんだ。
「とりあえず時間は十分ありそうだな。じゃあ、どっちから教えるか……」
『妾じゃ! 大量に釣って、ワダツミに渡せば、ペナルティも少しは軽くなるじゃろ』
「そういえばT-1もまだ負債が残ってたな」
一応本体の方で返済も進めているようだが、それでもまだまだ膨大に残っているらしい。
カミルもそれでいいと頷いたため、俺はT-1に竿を持たせて背後から腕を掴む。
「とはいえ、釣りって何を教えればいいんだ……? とりあえず、竿の振り方からか」
リアルでは釣り名人というわけでもなく、ちょっと囓ったことがある程度だ。
とりあえず、餌の付け方と針の投げ方を軽く教えてみる。
「こうやって、こうやって、こうだ」
動きを軽く見せてみると、T-1は張り切ってそれを繰り返す。
思い切り竿を振りかぶり、振り下ろす。
『なるほど。こうやって、こうやって、こうじゃな!』
「うおわっ!?」
その時、針が俺の着ていた装備に引っかかり、力強く引っ張る。
油断していた俺はそのまま倒れ、船から落ちた。
『主様!?』
『ちょ、大丈夫!?』
顔を青くしたT-1と、慌てた様子のカミルが船縁から体を乗り出す。
「だ、大丈夫だ。ブラストフィン着てて良かったよ」
全身びしょ濡れだが、LPは減っていない。
ブラストフィンシリーズのおかげですいすいと泳いで甲板に戻ることもできた。
『アンタね……。気をつけなさいよ』
『うぅ。すまぬのじゃ』
船に戻ると、カミルがT-1を正座させていた。
「まあまあ。わざとじゃないんだし、そんなに怒らなくていい。ほら、T-1ももう一回やってみろ」
なんとかカミルを宥め、T-1を慰める。
カミルはまだ言い足りないようだったが、とりあえず矛を納めてくれた。
「後ろに人がいないかを確認して、軽く投げれば良い。最初はそんなに遠くに飛ばす必要は無いからな」
『う、うむ……』
緊張の面持ちのT-1が再度竿を振る。
今度はちゃんと針が飛び、少し離れた水面で音を立てた。
『こ、この後はどうするのじゃ?』
「魚が掛かるまでひたすら待つ。俺はカミルに教えてるから、何か掛かったら教えてくれ」
そう言って、T-1の元を離れる。
まあこのあたりは陸地に近い“近海”と呼ばれるエリアだし、そうそう大物も掛からないだろうし、彼女一人でも何とかなるだろう。
「おまたせ、カミル」
『別に待ってないけど。ほら、教えなさいよ』
「はいはい」
両手で竿を握るカミルに、T-1と同じような説明を施す。
餌を付け、竿を振り、糸を飛ばす。
そうして投げた針が水面に触れた瞬間のことだった。
『ふおわあああっ!? あ、主様!!』
「なんだ!?」
T-1の方から悲鳴が上がる。
驚いて駆け付けると、彼女の握る竿が大きく折れ曲がっていた。
『な、なんじゃ、この掛かりは。引きずり込まれるのじゃ!』
「落ち着け。ルーレットは出てないか?」
『な、何も出てないのじゃ!』
まだスキルが習得できていないからだろう。
T-1の針に魚が掛かっただけで、システムのサポートを受けられない。
ならば、俺が手伝わなければ彼女はずっとこのまま翻弄されているだけだ。
「一緒に釣り上げるぞ」
『わ、分かったのじゃ!』
T-1の竿を一緒に握り、力を合わせて引く。
あくまで彼女の釣りなので、俺の方にもルーレットは現れない。
ひとまず、リアルと同じように釣るだけだ。
「これは、擬似的に
そういうことがあるのかどうかも分からないが、T-1が本来は指揮官であることが関連していたりするのだろうか。
ともかく、今は目の前に集中しなければ。
凄い引きで、なかなか竿が上がらない。
「こんなにデカい獲物、俺も初めてだぞ」
『ふおおお。大きな海鮮おいなりが食べられるのじゃな!』
興奮状態にあるのか、T-1が目を輝かせてぐいぐいと竿を引く。
それでも糸はピンと張り、一向に魚影が現れない。
「……」
『引けっ引けっ! 妾のおいなりさんじゃぞ!』
「なあ、T-1」
『なんじゃ主様、今は話をしている暇もないのじゃが!』
「まあ、ちょっと落ち着け。とりあえず、竿を持っててくれ」
『う、うむ? 分かったのじゃ』
首を傾げるT-1を置いて、俺はおもむろに海へ飛び込む。
『ぬわっ、主様!?』
「待っててくれ。ちょっと見てくるだけだ」
そう言って、海中へと潜る。
〈水泳〉スキルは持っていないが、ブラストフィン装備の補正のおかげで多少は泳げるもんだ。
俺はピンと張った糸を辿って潜り続け、透き通った海の底を目指す。
「なるほどなぁ」
俺はそれを見つけて、手を伸ばす。
数秒後、突然緩んだ糸によって、T-1が甲板に転倒した。
「ぷはっ」
『いたた……。な、なんなのじゃ』
「良かったな、T-1。大物だぞ」
『なにっ!? どんな奴だったのじゃ!?』
船に戻り、背中をさすっていたT-1の元へ戻る。
目を輝かせる彼女を見て、俺は真下を指さした。
「惑星イザナミを釣ってた」
要は、海底の岩礁に針が引っかかっていたわけだ。
そりゃあびくともしないはずだ。
それを聞いたT-1は愕然として、よろよろと足下から崩れ落ちた。
『うぅ。妾のおいなりさんが……』
「ま、これに懲りずにもう一回チャレンジしてくれ」
『うぅぅ……』
しょんぼりと落ち込みながらも、T-1は針に餌を付け始める。
そんなに海鮮おいなりが食べたいのか、と少し感心してしまう。
その時、今度はカミルの方から声が上がった。
『れれれ、レッジ! おおもの、大物よ!』
「はいはい。今行くぞ」
どうやらあちらにも大物が掛かったらしい。
また惑星でも釣っただろうかと駆け付けてみると、カミルがあわあわとしながら竿を握っている。
糸の先を見てみれば、海面下で左右に大きく動いていた。
「おっと、これはほんとに大物っぽいな」
『言ってるじゃない!』
悲鳴を上げるカミルの側へ駆け寄り、一緒に竿を握る。
「ルーレットは?」
『で、出てるわ!』
どうやら、カミルの方には魚が食い付いた時に出現するルーレットが出ているらしい。
俺はひとまず安堵して、ルーレットの止め方と位置について教える。
「まだスキルレベルもゼロだろうから、失敗してもいい。落ち着いてタイミング良く竿を引いて」
『う、うん……。えいっ』
ルーレットのヒットボックス目掛けて、カミルが竿を引く。
流石優秀なだけあってタイミングも完璧だ。
かなり難しい、シビアなルーレットにも関わらず、彼女は成功判定を取っていく。
「冷静に、ゆっくりな」
『分かってるわよ!』
彼女が竿を引くたび、魚が近づいてくる。
やがて、その影が海面に浮かんできた。
「もうちょっとだ!」
『えいっ!』
ぐん、と竿が引かれ、魚が現れる。
バシャバシャと白い飛沫が立ち、銀色の鱗が垣間見える。
最後の一押しとカミルが竿を引く。
タイミングは完璧で、魚は一気に釣り上げられ、甲板に落ちてきた。
『つ、釣れたわ! 釣れたわよレッジ!』
「でかした! 初釣果だな」
甲板でビタビタと元気よく跳ねるのは、三十センチほどの細長い魚だ。
銀色の鱗が綺麗で、なかなか美味そうだ。
「これはウマアジだな。その名の通り、刺身でも煮付けでも、なんなら素焼きでも美味い魚だ」
『そ、そうなんだ。これがウマアジなのね……』
〈ワダツミ〉の
彼女もそこで知っているはずだが、生きているのは初めて見たようだ。
上手く狙えば沿岸からも釣れ、群れを作るため投網などを使えば纏めて数も獲れる上、美味い。
決して高級魚とは言えないが、初めての釣果としては上々だろう。
「よし、この調子でどんどん釣ろう。釣りは失敗しても多少は経験値が入るからな」
『分かったわ。お刺身の準備をしときなさい!』
一投目が成功したからか、カミルは調子付いているようだ。
やる気を見せる彼女の肩をぽんと叩き、期待する。
『ぬわあああっ!? あ、主様、今度は絶対魚が掛かったのじゃ!!』
直後、再びT-1が悲鳴を上げる。
俺とカミルは顔を見合わせ、苦笑する。
そうして、俺はすぐにT-1の元へと向かった。
「うわっ、ちょ、これバクダンフグじゃ――」
『ぬわっ!? なんか膨らんでおるんじゃが』
「とりあえず海に投げろっ!」
『え、えっ』
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Tips
◇ウマアジ
〈剣魚の碧海〉で釣れる小型の原生生物。銀色の鱗が特徴的。脂の乗った身は非常に深い味わいで、様々な料理に使用できる。
数も多く、釣りやすい、釣り人のお友達で主婦の味方。
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