第525話「忘れていた記憶」

 本日は弁当移動販売“シスターズ”の営業最終日。

 現在のところ、ホムスビとT-3の売り上げはほぼ五分と言ったところで、微妙な一進一退が繰り返されている。

 〈ウェイド〉の地下工事現場には地下労働者ロールのプレイヤーたちだけでなく、たまたま町に立ち寄った風の人々も多く訪れ、もうすぐ終わる祭りを楽しもうと追い込んでいるようだ。


『のう、主様。あやつらは何故争っておるのじゃ?』


 ずらりと伸びる長い列を必死に捌き続けているホムスビとT-3の姿を見ながら、T-1が言う。

 そんな彼女は今日も今日とて負債完済に向けてお仕事中だ。


「T-1がそれを言うのか、っていう突っ込みは置いとこうか。まあ、冷静に考えれば、理由も無くなってるんだよな」


 もともとT-3がホムスビに弁当販売勝負を吹っ掛けたのは、視察が云々といった話から発生したはずだ。

 その視察が必要だと言い張った大元はいま、俺の隣でせこせこと土を掘っているわけで、T-3たちに勝敗を決める必要性はなくなっている。

 こうもややこしい状況になっているのは、T-1が地上へやってくるのが予想以上に早かったからだろう。


「まあ、二人とも勝敗はあんまり気にしてないんじゃないか?」

『そうかのう? 二人とも、目が血走っているように見えるが……』


 それは単純に忙しさが尋常なものではないからだろう。

 新しい客は次々とやってくるし、整理したとはいえメニューはそれなりに数が多い。

 延々と続く列を少しでも短くしようと努力はしているようだが、人が人を呼びむしろ長くなっている。

 途中からはせっかく組んだシフトも無視して休憩中の管理者たちも手伝い始めたくらいだ。


「ヘルプに入ってやりたいが、俺がいっても仕方ないしな」


 訪れる客のほとんどは管理者に会いに来ているわけで、知らないおっさんが出てきても困るだろう。

 それでクレームが入ったりしたら、むしろ負担になりかねない。


「管理者機体って同時にいくつか動かせないのか? ウェイドが三人とかいたらそれなりに楽になると思うんだが」


 管理者というのはあくまでそれぞれの〈クサナギ〉が操作している機体のことだ。

 彼女たちはそれぞれの機体を共有したり、複数ある機体の操作をスイッチすることで擬似的にテレポートすることもできる。

 それならば一気に三つくらいの機体を動かせないかと思ったのだが、T-1は難しい顔をした。


『それは現実的ではないのじゃ。人工知能一つに対して、稼働機体は一つのみ、ということはイザナミ計画の規則として厳格に定められておる。主様も同時に複数の機体を保有できぬじゃろ』


 どうやら、そう上手くは行かないらしい。

 俺たち調査開拓員もフィールドで死亡すれば、バックアップセンターの予備機体に意識と感覚と操作権が移る。

 その予備機体――通称“霊体”を使って、フィールドに倒れている本体の回収を目指すわけだ。

 その際、どう頑張っても本体と霊体を同時に操作することはできない。

 DAFみたいなものだろうから、やればできないこともないのだろうが、根本的なシステムの段階で不可能になっているのだ。


『妾や管理者らに生まれた仮想人格というのは、かなり危ういものなのじゃ。異常な事態に直面すれば正常な判断ができなくなるし、想定されていない運用がされれば容易に壊れる。じゃから、実は色々と制限があるのじゃよ』

「なるほどなぁ」


 流石は腐っても指揮官といったところか。

 T-1はそのあたりにも深く精通しているらしい。

 ともかく、一人格一機体というルールから逸脱することはできず、分身を作り出すというのは不可能なのだ。

 考えてみれば機体が三つに増えた場合、人工知能の負担も三倍になるわけで、根本的な解決にはならない。


「あれ、それじゃあミカゲとかが使ってる〈忍術〉スキルの分身とかは?」

『〈忍術〉スキルの分身は本体をそのまま複製しておるわけではないからの。ギリギリ許容範囲内なのじゃよ』


 分身は〈忍術〉スキルの中でも特に人気なテクニックだ。

 スキルレベルや熟練度に応じて数の増える分身は、被弾リスクの分散や同時攻撃による瞬間火力の強化、敵対生物の撹乱などができる。

 とはいえ、分身の動きは本体を模倣したものになるし、耐久値は正直に言って紙同然で、継続可能な時間も数十秒と短い。

 本物の機体を並列的に動かすこととは、根本的に違うのだろう。


「つまり、ウェイドたちは今のまま頑張らんといけないわけだ」

『そういうことじゃの』


 残念ながら、客足が途絶える様子はしばらくなさそうだ。

 俺からすれば嬉しい悲鳴だが。

 管理者たちとT-3、T-2には閉店時間まで頑張って貰うほかない。


『妾としては、カミルが向こうに付きっきりになっているからありがたいのじゃがな』

「お前……」


 普段なら厳しい監督兼メイドの先輩として目を光らせ、少しでも手が止まれば背中を叩くカミルも、流石に店の方へヘルプに出ている。

 そのおかげでT-1はのびのびできると、スコップを地面に突き刺して大きく伸びをした。


「そんなこと言ってると、飛んでくるぞ」

『ぬふふ。あれだけ忙しければこちらを見る余裕だってぬにゃっ?!』


 骨の抜けた声で言うT-1が途中で悲鳴を上げた。

 彼女の視線を辿れば、お盆に大量の料理を載せたカミルがじろりと睨み付けている。


「優秀だなあ、うちのメイドさんは」

『一介のメイドロイドがしていて良い能力値ではないぞ。NPC生成プログラムにバグでもおこっておったのか?』


 粛々とスコップを握り、作業に戻りながらT-1がブツブツと呟く。

 残念ながら、うちのメイドさんはあらゆるステータスが最高峰になっている代わりに協調性を捨ててバランスを取っているだけだ。

 基本的に他のNPCより遙かに優秀な管理者に混じって働けている時点でかなりの異常なのだ。

 管理者たちがカミルの協調性の無さをカバーしてくれているおかげで、彼女も実力を発揮できている。

 仮に管理者ではなく他のメイドロイドとの協働となれば、三十分と持たずに職場が崩壊する、とカミル自身が言っていた。


『ああいう異常個体は職業適性検査試験でハネられて、人工知能はデリートされるハズなんじゃがのう……』

「T-1、たまに上位存在的なこと言うよな」

『言っておくが、妾めちゃくちゃ偉いんじゃからな!?』


 不服そうに騒がしく抗議しているが、作業着を着て土を掘りながらだとどうにも理解しがたい。

 この開拓計画のトップであることも知っているのだが。


「そういえばT-1、フィナーレライブのダンスとかは覚えたのか?」


 振付師のアイからは、すでにT-1のぶんの見本映像も受け取っている。

 確認させて貰ったものは、なかなか可愛らしい動きではるが、激しく複雑で、覚えるのが難しそうだった。

 しかし、そんな俺の不安をT-1は一蹴する。


『映像を解析して、モーションデータを抽出して、妾の機体に適用するだけじゃからのう。1ミリ秒も掛からず終わったぞ』

「……なるほど」


 改めてT-1たちの優秀さを実感する。

 今は穴を掘っているだけだが、その裏では本体である〈タカマガハラ〉が無数のデータを処理し続けているのだ。

 それに加え、T-1は今回のペナルティで各〈クサナギ〉の業務補佐も行っている。

 数分のダンス程度、一瞬で覚えられるはずだった。


『それよりも、妾は主様の方が心配じゃぞ』

「俺?」


 T-1から向けられた言葉に、首を傾げる。

 彼女に心配されるようなことをする予定はないのだが、何か忘れていただろうか。

 T-1は俺がアイから受け取り、彼女に渡した振り付け見本の映像を再生する。


「これがどうかしたのか?」

『このあとじゃよ』


 T-1の操作で、ウィンドウに映るアイが高速で動き続ける。

 そうして、画面が暗くなり、黒一色の時間が始まった。


「終わりでは?」

『シークバーを見るのじゃ。まだ続いておる』


 見てみれば、確かにウィンドウ下部のシークバーは余白を残している。

 俺が確認した時は黒い画面になった瞬間に閉じてしまったから、気付かなかった。

 しばらく黒い画面の早送りが続き、首を捻る。

 そして、ダンス終了からたっぷり三十分ぶんの時間が進行したあと、突然画面が切り替わった。


「んえっ!?  アストラ!?」


 思わず奇妙な声が出る。

 ウィンドウに映っていたのは、爽やかな笑みを湛える〈大鷲の騎士団〉が団長アストラだ。

 恐らく本拠地である〈翼の砦〉の一室だ。

 仰々しい椅子に座り、執務机を挟んでカメラを真っ直ぐに見ている。


『ここから先はおまけ、レッジさんへのメッセージです。あの約束をお忘れではないかと危惧してしまったので』

「うん……?」


 画面の中のアストラが、にこやかな顔のまま衝撃的なことを言い放つ。

 それを見て、頭の隅に追いやっていた記憶が甦る。


「百勝先取試合っ!」

『そう。〈アマツマラ〉地下闘技場での楽しいイベント。こちらも万全の準備を整えていますから』


 忙しさに押されて完全に忘れていた。

 アストラたちにドリームチームに参加してもらうため、こちらが差し出した対価だ。

 現在も彼らは俺が“シスターズ”から離れられないため、騎士団の人員を使ってドリームチームの活動を維持してくれている。

 地下闘技場大アリーナでの一騎打ち、どちらかが百本取るまで終われない地獄のようなユーザーイベント。

 どこの誰に需要があるのかと思っていたが、一番の希望者がいま画面の中でニコニコしている。


『のう、主様。正直、妾には分が悪いどころの戦いではないと思うのじゃが……』


 不安そうにT-1が俺を伺う。

 俺だってそう思うし、誰だってそう考える。


『言ってはなんじゃが、過去の戦績もスキル構成もステータスも装備も、全てあちらの方が上じゃぞ』

「分かってるよ。俺は半分生産職の趣味ビルドだからな」


 思わず頭を抱えるが、すでに宴の終了は間近に迫っている。

 いっそ無抵抗で百本取って貰おうかと思ったが、それで許してくれる奴じゃない。


「……まあ、自分なりの最善を尽くすよ」

『そうじゃなあ。データや数値だけでは分からぬ事も多くあると、妾も最近知ったばかりじゃ』


 頑張るのじゃぞ、とT-1が応援してくれる。

 アストラも俺との試合を楽しみにしてくれているからこそ、このビデオレターを送ってくれたのだろう。

 ならば、それに応えるのも礼儀だ。


「…………とりあえず、ネヴァのとこに相談に行くか」


 色々と考えた後、俺は頼れるサポーターの元へと駆け込んだ。


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Tips

◇『分身』

 〈忍術〉スキルレベル30のテクニック。自身の姿を模倣した身代わりを生成する。分身は本体の動きを完全にトレースする。分身自体の耐久値は非常に低く、また展開は数十秒程度しか維持ができない。

 分身の数はスキルレベルと熟練度に依存する。


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