第524話「道を拓き進む」

「――『氷結の大剣』ッ!」


 シフォンの伸ばした腕の先に、大きな氷が生成される。

 それは物々しい大剣の形をとり、完成した瞬間、重力に従って落下を始める。


「とぅおらっ!」


 シフォンは剣の柄を握り、落下に合わせて振り下ろす。

 十分な速度に達した剣がカイザーの脳天を叩き割り、自身も粉々になって砕けた。


「まだまだっ!」


 砕け散る氷の中から太い腕が飛び出す。

 丸太のような腕は鋭利な黒爪を伸ばし、乱暴に周囲を払う。

 シフォンは既に動き出していた。

 熊の腕が頭上を掠める中、臆することなく回避行動を成功させ、LPを回復させる。

 完璧なポイント調整により、すぐさま次撃の用意が整った。


「『紅蓮の槍』ッ!」


 彼女の手のひらから生成されたのは、真っ赤に燃え盛る炎の槍だ。

 それは勢いよく飛び出し、熊の分厚い毛皮と強靱な筋肉を貫いた。

 更に炎が肉を焼き、深刻な火傷が傷口に広がる。

 カイザーは堪らず悲鳴を上げ、懐に潜り込んだ小さな少女を圧殺せんと倒れ込む。


「うわっと!」


 しかし、それも彼女はするりと逃れる。

 まるで軟体生物のような滑らかな身のこなしですり抜け、ついでにLPを回復させる。

 カイザーからすれば、恐怖以外の何ものでも無いだろう。

 その姿は見え、動きも捉えられている。

 だというのにこちらの攻撃は開戦から現在に至るまでそのことごとくが当たらない。

 まるで霞か幻でも相手にしているようだ。

 それでいて、向こうからは氷や火、石、風、雷と様々な性質の様々な武器が瞬時に繰り出され、体と体力を削っていく。


「『風の太刀』ッ!」


 再び、シフォンが地面を蹴って肉薄する。

 彼女はまるで見えない刀を握っているかのように、熊の腹の前で刃を振り抜く。

 その瞬間、アーツが発動する。

 鋭い風は真空を孕み、鋭利な刃となってカイザーの下腹部を切った。


「シフォン! あともう少しですよ!」


 後方からレティの声援が飛ぶ。

 その声に口元を緩め、シフォンは最後の締めに入った。

 状況が佳境に突入したことにカイザーの方も気付いたか、もしくはもう後がないことに本能が警鐘を鳴らしたか、はたまた、体力が残り二割を切ったことで行動パターンが変わったか。

 熊が空気を揺らす咆哮を上げ、太い両腕を大きく広げる。

 彼我の距離は三メートル。

 厳しい野生の中で鍛えられた脚が腐葉土を蹴り上げ、雄叫びを上げて突進する。

 腕を広げ、胸を開き、まるで再会を喜ぶ抱擁のような――。


「『穿岩拳』」


 鈍い音が森に広がる。

 鉄塊を打ち込んだような衝撃を受け、カイザーの厚い胸板に風穴が開く。

 ゆっくりと崩れ落ちる巨熊を背後に、シフォンは晴れやかな表情でレティの元へと駆け寄った。


「やった! カイザー単独撃破よ!」

「おめでとうございます。しかもノーダメノーヒットの完封ですね」


 数秒前までの狩人のように鋭い目つきを年相応の柔らかなものに変えて、シフォンは飛び跳ねて喜ぶ。

 レティもそんな彼女を労い、用意していた星球鎚を格納した。


「やっぱり、カイザー程度なら余裕でしたね」

「いやぁ。危なくなったらレティが助けてくれるって分かってたから、良い具合に力が抜けたのよ」


 信じてました、と肩に手を置くレティに、シフォンは照れくさそうにはにかむ。

 どちらの言葉にも嘘はない。

 シフォンはレティを信頼することで安心して戦いに臨めたし、レティもシフォンならやってくれると確信していた。

 まだカイザーの推奨戦闘スキルレベルには少し及んでいないが、彼女のポテンシャルはそれ以上のものがある。


「とりあえず、これで湖沼にも行けるようになりましたね」

「うん。いやぁ、昨日はほんと残念だったからね」


 ほっと息をついて言うレティに、シフォンも首肯する。

 もともと、シフォンはプレイ歴数日の初心者であり、実力や知名度はともかく、ゲーム自体の進行度はそれ相応のものしかない。

 レッジたちと“シスターズ”の移動先が第二域よりも奥になったり、管理者たちのミニライブが〈スサノオ〉以外の都市で開催されたりした場合、彼女はそれに着いていくことができなかった。

 昨日はそれで悲しみに打ちひしがれていたため、日を改めた本日、レティに付き合って貰っていた、というわけだった。


「ひとまず、これで第三域は全部解放ですか。そのままそっちのボスにも挑戦します?」


 〈スサノオ〉以外の都市に行くためには、少なくとも第四域までのフィールドを解放する必要がある。

 そのためレティが問い掛けると、シフォンは難しい顔で唸り声を上げた。


「うーん。まだ厳しいかなって思うんだけど。チップも揃ってないし、防具も初期装備のままだし」


 彼女の言葉はまっとうなものだ。

 シフォンはいまだに白い初期配布の服を着ているし、天叢雲剣の代わりに使っている〈攻性アーツ〉のチップも心許ない。

 そして、スキルレベルは第三域のフィールドボスに対して圧倒的に足りていない。


「T-1さんの特殊警備NPCの群れを一人で生き抜いたんですし、余裕だと思うんですが……」


 そこへレティも正論を叩き込む。

 推奨レベルや武器の不足を理由にするのなら、“隠遁のラピス”や“教導のパラフィニア”よりも、大事なリソースを存分に使った特殊警備NPCの方が遙かに高いものを要求される。

 あの危機的な状況で生き残り、あまつさえ飛来する巨大な弾丸を背負い投げるという意味不明な偉業を達成したシフォンなら、フィールドボス程度余裕だろうと、レティは考えていた。


「まあ、確かに生き残るのはできると思うのよ」

「それなら勝ち確じゃないですか」


 現在のシフォンはLPの最大値が初期から変わっていない。

 アーツを多用するスタイルであるため、LP生産速度の方に源石を使用しているからだ。

 故に、現在の彼女はカイザーであろうと一発食らうとほぼ瀕死という状態である。

 だが、裏を返せば“当たらなければ平気”ということでもあり、またシフォンの持ち味は並外れた回避能力だ。

 彼女が生き残れるということは、つまり時間を掛ければ倒せると言うことに他ならない。


「時間が掛かるのがネックなのよ。レティにずっと付き合って貰うのも大変だし」

「それなら、レティも参加しましょうか?」

「そ、それは嫌! やっぱり最初は自力で倒したいから……」


 攻撃力、破壊力に特化したステータスのレティがボス戦に参加すれば、レッジのテントがなくとも鎧袖一触で決着がつく。

 しかし、それでは自分が納得できないと、シフォンは彼女の協力を断っていた。

 早くレッジたちのいる所まで行きたいが、そのために安易な手段を選ぶのは嫌、という複雑な乙女心だ。


「別に、今日は一日付き合うつもりでしたし、時間掛かってもいいですよ」

「そうなの? レティ、早くレッジさんたちの所に合流したいのかと思ってたよ」


 肩を竦めて言うレティに、シフォンはぱちくりと瞬きを繰り返す。

 まだ会って間もないシフォンでも、レティが仲間と楽しげにしているところはよく見ている。

 そのため、わざわざこうして自分の作業に付き合って貰っているのを、少し引け目に感じていたのだ。


「そりゃまああっちにも行きたいですけど。でも、今お店は〈ウェイド〉の地下工事現場にいますからね。ぶっちゃけ暇なんですよ」


 昨夜の〈スサノオ〉と同様に、今日もレッジたちは都市の地下に赴いていた。

 原生生物の襲撃のないあそこでは、レティたち護衛はすることがなかった。


「ラクトやトーカも別行動してますしね。アイさんも攻略活動に忙しくしてるみたいですし」

「アイさん?」


 どうしてそこに〈大鷲の騎士団〉の副団長の名前が、とシフォンは首を傾げる。


「なんでもないです。ともかく、今はレッジさんの回りは管理者と指揮官の方々、あとはネヴァさんくらいしかいませんから」

「はあ。……それなら、もうちょっと付き合って貰っても?」

「ええ、いいですよ」


 よく分からないが、とりあえずレティは今のところ時間があるらしい。

 シフォンは彼女なりにそう納得し、それ以上深く考えるのを止めた。


「ひとまず、〈ウェイド〉までの道を開通させましょうか」

「そうね。えっと……“隠遁のラピス”は水中洞窟の奥か。息もつかなぁ」


 ひとまず〈白鹿庵〉の本拠地でもある〈ウェイド〉を目指すことを目標に据え、二人は歩き出す。

 森の真ん中で倒れるカイザーのドロップアイテムを回収し、奥に広がる濃霧の湖沼へと足を踏み入れた。




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Tips

◇『氷結の大剣』

 二つのアーツチップで構成された水属性の攻性アーツ。大きく重量のある氷の大剣を生成する。大剣は武器として使用することができるが、一定の〈剣術〉スキルが無ければ扱えず、また強い衝撃を受けると砕ける。


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