第510話「才能開花」
「シフォンッ」
目の前で盛大に転ぶ少女に、ミカゲは驚いて手を伸ばす。
しかし、真っ直ぐに両腕を前に突き出した彼女は、彼を一瞥して口角を上げた。
「心配ご無用! これも戦略です――ッ!」
そのまま彼女は勢いよく地面へ倒れる。
しかし、直前に体を丸め、転んだ衝撃を前方へ進む勢いへと移した。
「〈受身〉スキル!?」
その滑らかな動きを見て、ミカゲも気がつく。
シフォンの動きは衝撃を殺し安全に難を逃れるための動き――行動系スキルの一つである〈受身〉に含まれる前転だ。
彼女はそれを、敢えて路傍の石に躓くことによって意図的に発動し、システムのアシストも借りて、イワトカゲの方へと転がっていた。
「これなら、〈歩行〉や脚部BBがなくても、一定の速度が出せる」
「そういうことです。でりゃっ!」
コックビークにスパーリングに付き合って貰った彼女の〈受身〉スキルは、他の戦闘系スキルよりも頭一つ抜けて高い。
あらゆるステータスが乏しい中で、彼女の回避行動は現状最速の移動法だった。
その速度は待ち構えるイワトカゲの予想を裏切り、懐に入ることを許してしまう。
無防備な腹に向かって、石の片手鎚が叩き付けられる。
「くっ。めちゃくちゃ硬いじゃないの!」
しかし、ナノマシンパウダーによって形成された石の鎚は、本物の石の外殻を穿てない
脆くも粉々に砕け散り、術式が維持できなくなったため光の欠片となって消えてしまった。
「イワトカゲは、防御力が高い。シフォンの〈攻性アーツ〉のレベルじゃ、通らない」
ミカゲがシフォンの背後から助言する。
硬い外殻に覆われたイワトカゲは打撃属性が弱点ではあるものの、そもそものシフォンが放った攻撃の力が弱すぎた。
シフォンは思い切り氷の短剣も突き付けるが、斬撃属性は更に分が悪く、青い刃は呆気なく砕け散った。
「ッ!」
そして、イワトカゲもただ漫然と立ち尽くしているはずがない。
巨体がゆらりと動き、太い尻尾が鞭のようにしなってシフォンの腰を折らんと迫る。
彼女は機敏にそれを察知し、くるりと横に転がり回避した。
「良かった。サイロほど機敏じゃないわね」
回避は彼女が最も得意とする行動だ。
コックビークとやり合い、そのあと数段飛ばして“白母のサイロ”でスパルタ式の訓練を繰り返した。
戦闘状態のサイロはその巨体に不相応な機敏さでしつこく追いかけてくるため、良い練習になった。
あの地獄を体験した今、シフォンの緑色の瞳にはイワトカゲの動きなど止まっているのと同然だ。
「防御力は馬鹿みたいに高いけど、HPと速さはそこまでじゃない。最低ダメージ保証も入ってる。なら――」
シフォンは再び『
今度は二つ、両手にそれぞれをぶら下げた、双鎚の構えだ。
「ハンマー一本につき、ヒットポイント二つ、もらい受ける!」
最低ダメージ保証と、弱点属性ボーナス。
それらを合わせて二ポイント。
彼女はそこに活路を見出した。
「LP消費が大きすぎる。バランスが合わない」
ミカゲが冷静に指摘する。
『石の小槌』は比較的省コストなアーツではあるが、それでもLP消費は相応のものがある。
小槌一つを消費してヒットポイントを僅かに二つ削るだけでは、瞬く間に限界が来てしまう。
「大丈夫、そこも考えてます!」
イワトカゲのボディプレスが迫る。
それを、シフォンはギリギリまで引きつけた直前で横へ転がることで避けた。
その瞬間、彼女のLPゲージが僅かに回復する。
数値にして二ポイント、それは『石の小槌』で必要なLPの二割に当たる量だ。
「ジャストクリティカル回避――!」
それを見て、〈受身〉スキルレベル80のミカゲは再び驚く。
〈盾〉スキルと同じく“敵の攻撃に対処する”という性格を持つ〈受身〉スキルには、それのジャストガードと同様のシステムがあった。
それが、ジャスト回避。
敵の攻撃が当たる直前、数分の一秒の時間に合わせて回避を行うことにより、LPがプレイヤーの〈戦闘技能〉スキルレベルの十分の一の数だけ回復する、というものだ。
更に、彼女は自身の弱点である顔面を最後まで動かさなかった。
腕を落とし、胸を開き、自身の弱点部位を露わにする。
それによって、イワトカゲのボディプレスはクリティカル攻撃となり、危険度は爆発的に増す。
それをジャスト回避することによって発生する、ジャストクリティカル回避は、成功時LP回復量を更に倍にする。
シフォンの〈戦闘技能〉スキルのレベルは13を数えたところだが、それでも『石の小槌』の2割にあたるLPを回復できる。
「でも、無茶だ……」
一瞬の間でそこまで思考を巡らせてなお、ミカゲは頭を振る。
言うは易いが、行うは想像を絶するほどに難しい。
『石の小槌』一回分のLPを賄うためには、ジャストクリティカル回避を五回成功させなければならない。
その上、今のシフォンがイワトカゲのクリティカル攻撃を受けてしまえば、その時点でLPの全損は免れない。
自分よりも巨大な存在を相手に、自身の弱点を曝け出した状態を保ち、攻撃を受ける直前の僅かな時間を捉えて動く。
常人にできる芸当ではない。
「ほっ!」
しかし、彼女は常人ではなかった。
ブンと風を切って迫るトカゲの太い尻尾を、軽い身のこなしでバク宙しながら避ける。
わざと荒野の土に倒れ込み、押し潰そうと迫る太い脚を鼻先で掠めるようにして避ける。
弄ばれていると感じたのか、猛るトカゲのタックルを、僅かに半身ずらすことで避ける。
もつれるように倒れ込んできたその巨体に巻き込まれる寸前、地面を蹴って避ける。
「『
五回の華麗な回避を決めた直後、すぐさま反撃を繰り出す。
あまりにも小さく頼りない石のハンマーが、イワトカゲの頭部を叩く。
その一撃だけで砕けるハンマーから躊躇いなく手を離し、再びシフォンは回避フェーズに戻る。
「すごい……」
イワトカゲとシフォンの戦闘を見て、ミカゲは思わず感嘆の声を漏らす。
行動系のスキルを揃え、〈白鹿庵〉では最速を誇る彼からすれば、シフォンの戦いは緩慢としたものに映る。
しかし、彼に同じ事ができるかと言えば、否定せざるを得ない。
激しい攻防の中で一度でも決まれば奇跡と言って過言ではないジャストクリティカル回避を意図的に発生させる、しかもそれを連続させることなど、通常はできるはずがない。
「よぅし。だんだん、慣れてきたわ」
しかし、シフォンはそれを成功させている。
その要因となっているのは、彼女の鋭い観察眼と優れた胆力だろう。
見えなければ敵の動きに対応できず、怖じ気づいてしまえば足が竦む。
シフォンがレティたちの動きを瞬く間に取り込んで、格上であるサイロを倒したことは、ミカゲも聞いていた。
しかし、その能力が敵に向けられると、ここまで凶悪なものになるとは予想すらしていなかった。
「さあ、まだまだ続けるよ!」
一回の攻撃につき二ダメージだ。
状況は遅々として進まず、気が遠くなるほどに延長される。
しかし、勝敗が付かず戦闘が継続されていることこそが、シフォンが圧倒していることの証左なのだ。
イワトカゲの攻撃は全て彼女のLPを回復させるだけで、五回の回復の後には間髪入れず鎚で叩かれる。
その戦いぶりは異様で、いつの間にか周囲には遠巻きに眺めるオーディエンスが集まっていた。
「おじちゃんと遊んでた頃はフレームパーフェクトくらい普通だったんだから。これくらい余裕じゃないとね!」
シフォンは深い集中状態に入っているようで、周囲の人垣には気付いていない。
ミカゲと大勢のプレイヤーが見守る中、彼女はイワトカゲを翻弄し続ける。
トカゲの頭上に表示された赤いバーはゆっくりと、しかし着実に削れていく。
気がつけば半分を切り、多くのプレイヤーが地面に座り込んだ頃には三割を下回る。
その間、彼女は数百回に及ぶジャストクリティカル回避を成功させ続け、ただの一度の被弾もしていない。
一度の失敗はすなわち敗北を意味する。
つまり、彼女が生存していることが、彼女の勝利を証明している。
「これで――!」
そして、終わりは訪れる。
シフォンが小さな石のハンマーを振り上げる。
イワトカゲは疲労の濃く滲む、虚ろな眼でそれを見る。
二時間に及ぶ、長時間の戦闘。
もはや、イワトカゲの気力は底を突いていた。
「終わりだっ!」
コン、と軽い音が響く。
鈍色の巨体がゆっくりとよろけ、赤土の荒野に倒れる。
乾いた砂埃がもうもうと立ち込める中、篠突く雨に似た拍手が響く。
「はえっ!? わ、な、何この人だかり!?」
そこで初めて、シフォンは自身を取り囲むオーディエンスの存在に気がついた。
赤面し、慌ててミカゲの方へと逃げる。
「……帰ろう」
「そ、そうですねっ」
ミカゲも人から注目されるのは苦手な
彼はさっとイワトカゲの骸を糸で絡め、シフォンを小脇に抱えて走り出した。
「すごいね、シフォン」
「はえっ!? そ、そうですかね。できることをコツコツと続けてただけなんですけど……」
風のような速さで荒野を駆け抜けながら、ミカゲがシフォンを賞賛する。
含みのない純粋な言葉だが、シフォンはイマイチ理解しきっていないようだった。
「……なんとなく、レッジに似てる」
「はえええっ!? な、なんですか突然、そんなわけないですよ。そんな、わたしのお母さんとレッジさんが姉弟だなんてそんなことは。た、他人の空似ってやつですよ!」
「うん?」
「なんでもないです!」
ミカゲに片腕で抱えられたまま、シフォンはブンブンと両手を振って言葉を掻き消す。
彼女も長時間の極限状態で疲れているのだろう、とミカゲはそれを軽く聞き流すことにした。
「とりあえず、そろそろ店の移動時間。早く合流しよう」
「はえっ!? も、もうそんな時間ですか……」
時刻を見て、シフォンは愕然とする。
彼女の体感では一瞬で二時間が過ぎ去っていた。
二人は華々しい戦果を手土産に、レッジたちの元へ急いで戻った。
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Tips
◇『
二つのアーツチップによって構成される、地属性の初級攻性アーツ。小さな両口ハンマーを石で形成し、武器とする。一定の硬度はあるが、通常のハンマーと比べれば脆く、武器としての性能は低い。
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