第506話「機術の可能性」

 赤色の雄牛たちが角を交え、六白の牛たちはのんびりと草を食んでいる。

 遠くでは炎を纏った巨牛が悠々と歩いており、小川の近くでは小牛の群れが遊んでいる。


「すっかり見慣れてしまった……」


 シフォンは広大な草原を見渡して、複雑な表情を浮かべてため息をつく。

 彼女のステータス的にはまだまだ時期尚早と言うほかない格上の原生生物が闊歩している土地だが、この数時間でボス以外のほとんど全種類のエネミーを倒してしまった。

 彼女は、自分に何か秘められた才能があったとか、実は太古の戦闘民族の血が流れていたとか、そんな特別な存在であるとは思っていない。

 ただレティ、トーカ、エイミーといった最前線で活躍するトッププレイヤーの庇護と教育の賜物だと、ただそれだけ思っていた。

 そもそも、危なくなれば必ず助けて貰えると分かっているだけでも緊張は減るし、余計な横やりが入らないように露払いも行われている。

 教官たちは感激し、賞賛してくれるが、自分には分不相応だ。


「あの、ラクトさん。やっぱり、わたし、そんなに将来有望な人じゃないですよ」


 だから、シフォンは目の前を歩く小さな少女に、躊躇いがちに声を掛けた。

 ラクト、〈攻性アーツ〉の中でも氷属性のものを専門として扱う機術師。

 彼女の次の指南役だ。


「鎚や剣はまだ何とかなったけど、アーツまで使いこなせないって?」

「は、はい。その、アーツって難しいですよね」


 シフォンもプレイを始めるに当たって、ある程度下調べはしていた。

 アーツは詠唱コードを唱えるという準備に時間が掛かる反面、一度発動させてしまえば近接物理武器では出せないような火力を出し、様々な性質のアーツで臨機応変に対応することができる。

 しかし上手く使いこなすには、目まぐるしく変わりゆく戦況を冷静に見定め、最適なアーツを選択し、僅かな隙間に詠唱コードをねじ込み、発動する必要がある。

 シフォンは、自身にそんな判断力があるとは思えなかった。


「まあ、難しいよ」


 不安げなシフォンが驚くほどあっさりと、ラクトは頷いた。

 もう少し否定されるかと思ったが、彼女は青い瞳をシフォンに向ける。


「アーツチップが増えるたびに使えるアーツも増えるから、選択肢は無限に出るね。わたしが氷属性だけ使ってるのは趣味っていうのもあるけど、敢えて制限することで効率を上げるっていう意味もあるし」

「やっぱりそうなんですね……」


 シフォンの不安は確信に代わり、彼女は力なく俯く。

 自分が弱いだけならどうでもいいが、期待してくれている人に失望されるのは苦手だった。

 だが、肩を落とすシフォンにラクトは軽く声を掛ける。


「でもまあ、判断なんて慣れだよ。アーツを使ってるうちにどんな効果が必要か分かってくるし、汎用性が高いアーツっていうのも多いからね。それに――」


 一度間を置いて、彼女は不敵な笑みを浮かべた。

 シフォンが不思議そうに首を傾げる。


「求められてる攻撃力以上の攻撃力で殴れば大体解決するんだよ。最適解? んなもん機術師にしか分かんないし、〈白鹿庵〉は脳筋ばっかりだから関係ないよ!」

「ええ……」


 高らかに暴力的な事を言うラクトに、シフォンは唖然とする。

 アーツといえばもっと繊細な運用を行う緻密な管理が要求されるスキルかと思っていたが、ラクトの言葉はそんな印象を吹き飛ばしてしまった。


「特に氷属性はいいよぉ。火属性アーツでオーバーキルしたら黒焦げになっちゃって解体師レッジに怒られるけど、氷なら案外平気。なんなら冷凍保存で鮮度も保てる! 形状が自由で、間接的な物理攻撃もできるから、戦略的多様性も抜群! さあ、氷属性アーツをやろうよ!」

「は、はええ……」


 ぐいぐいと詰め寄ってくるラクトの目は妖しく光っている。

 さっきまで穏やかな雰囲気だった彼女が急変し、シフォンは思わず後ずさる。


「こほん。ともかく、一度体験してみるのは大事だよ。レッジも〈支援アーツ〉は一時期使ってたし」

「おじ――レッジさんもですか」

「うん。その時もわたしが手取り足取り丁寧に教えて上げたんだから」

「手取り足取り……」


 自慢げに胸を張るラクトに、シフォンも僅かに考えを変える。

 たしかに、やる前からできない理由を並べるのは、何かが違うかも知れない。


「分かりました。ちょっとだけ、試してみます」

「その言葉を待ってたよ! じゃあ、これ触媒と初期チップね。一応、水属性以外にも一通り揃えておいたから」

「わ、わ。ありがとうございます」


 ラクトがトレードウィンドウに機術師スターターキットを乗せてシフォンに渡す。

 シフォンはナノマシンパウダーと、その横に並べられたチップの数の多さに鼻白むが、頭を振って不安を払う。


「機術師って言っても色々タイプはあるんだよ。わたしは割と正道よりの遠距離からアーツを打ち込む攻性機術師だけど、格闘家並に原生生物に接近してアーツで殴る機術闘士アーツファイターとか、付与系機術エンチャントアーツを武器に付けて戦う機術剣士アーツフェンサーとか」

「ラクトさんが持ってる弓も、機術剣士アーツフェンサーみたいな運用ですか?」

「発動具代わりってところもあるね。杖とか指輪とか使ってる人もいるけど、わたしは普通に物理攻撃もできる弓との併用が合ってたの」

「なるほど」


 草原を行きながら、ラクトはシフォンに機術師の様態について詳しく説明する。

 アーツが多種多様であるが故に、それを扱う機術師の戦闘スタイルも十人十色だ。


「ともあれ、まずは基本を抑えてからだね。『飛ぶフライ・氷の針アイスニードル』のアーツを作って、発動してみようか」

「分かりました。えっと、チップを組み合わせて登録すれば良いんですよね」


 ラクトの指示にしたがって、シフォンは簡単なアーツを作る。

 『飛ぶ氷の針』はラクトも〈攻性アーツ〉を使い始めるにあたって、最初に作ったアーツだ。

 効果としては氷でできた針を生成して前方へ飛ばすだけの簡単なものだ。

 シンプル故に扱いやすく、ラクトも序盤では多用していた。


「これ、『飛ぶ』のチップを入れないとどうなるんですか?」

「飛ばずに手のひらの上で氷の針が生成されるね。『針』を『矢』に変えたら、短弓につがえて飛ばすこともできるけど」

「なるほどぉ」


 ラクトの説明を真剣な顔で聞き、シフォンは頷く。


「アーツの照準は……」

「〈機術技能〉スキルで『対象固定』を習得するまでは手動だね。『追いかけるチェイス』のチップである程度補正を効かせたり、『連動するリンク』のチップで思念操作みたいなことをしたりもできるけど」

「なるほど、なるほど」


 アーツの誘導はどれもスキルレベル30以上からで、シフォンにはまだ早い。

 そんなことをラクトが言うと、彼女は再び頷いた。


「どう? アーツの可能性の高さに気がついたかな。これならハンマーやら剣やらよりよっぽど使いやすいでしょ」

「そうですね……。ちょっと試してみても良いですか?」


 すんなりと首肯するシフォンに、ラクトは気をよくする。

 どうぞご自由に、と彼女は実践へとステージを移す。


「では早速。『氷の針アイスニードル』」

「うん?」


 シフォンが手のひらを開き、詠唱コードを発声する。

 そこに小さな違和感を覚えたラクトが振り向くと、彼女は30センチほどの長さの針を手のひらに乗せていた。


「あれ、アーツコード間違えてるよ?」

「いえ、これでいいんです。わたし、射的とかそういうのは苦手なので」


 戸惑うラクトを置いて、シフォンはすたすたと歩き出す。

 彼女はミルクカウの前に立つと、『威圧』を発動して呼び寄せる。

 そうして、猛然と突進を仕掛けてくる白斑の牛に向けて、氷の針を突き出した。


「せいっ!」

「えええっ!?」


 槍のように突き出された、鋭い切っ先の針。

 それは真っ直ぐに突っ込んできた牛の額に当たり、粉々に砕けた。


「うおっと。やっぱり脆いですね」

「そりゃそうだよ! 普通は運動エネルギーも乗せて攻撃するもんなの。槍みたいにしても意味ないの!」

「なるほど。では――」


 悲鳴を上げるラクトの言葉に頷きつつ、シフォンは体勢を整える。

 ほぼ無傷のミルクカウも身を翻し、蹄で地面を削る。

 牛が咆哮を上げ、駆け出す。

 同時にシフォンが新たなアーツを生成する。


「『火炎ファイア』」


 オブジェクトチップの含まれていない、エレメントチップだけのアーツ。

 不安定で、効果時間は三秒もない、一瞬だけの煌めき。

 それが彼女の手のひらで揺らめく。


「とりゃっ」


 じゅう、と焦げる音がした。

 直後に牛の叫声が草原に響き渡る。

 手のひらに小さな炎を乗せたシフォンは、すれ違いざま、牛の小さな目に押しつけていた。

 目を焼かれたミルクカウは絶叫し、暗闇の中でのたうち回る。


「なるほど、わたしには熱く感じないけど原生生物はしっかり熱を感じるのね」

「れ、冷静だなぁ……」


 乱暴に暴れ回る牛を避けつつ、シフォンは落ち着いて分析する。


「硬さで言えば地属性の方がいいのかな。『石の針ストーンニードル』」


 新たに生み出したのは石製の針。

 それを牛の首に突き込む。

 赤いエフェクトを広げて切っ先が皮を切り、身に食い込んだ。


「なるほどなるほど。じゃあ、ここから『雷撃ショック』」


 バヂン、と空気が爆ぜる。

 一瞬だけ放たれた電流が石の針を砕き、牛の傷口を広げた。

 その後もシフォンはチップ一つか二つ程度で構成された簡単なアーツだけを使い、効果を検証するようにしてゆっくりとミルクカウのHPを削っていく。

 彼女の身のこなしはこれまでのスパルタ戦闘の中で成長しており、まるで闘牛士のようにミルクカウを翻弄していた。

 そうして、彼女はたっぷりと時間を掛け、真綿で首を絞めるようにミルクカウを倒した。


「なるほど、だいたい分かりました」

「そっかぁ」


 納得した様子で戻ってきたシフォンを、ラクトは複雑な顔で迎える。

 彼女が思い描いていた機術師の姿ではないが、少なくとも彼女は彼女なりの方法でアーツを使っていた。


「LP消費がかなり重いですね。このチップ構成でこれだと、普通はもっとキツいんですよね」

「まあ、機術師にとってLP管理は重要なタスクだからねぇ」

「わたしには機術闘士アーツファイター的な戦い方が合ってる気がします」

「そっか。それは良かったよ……」


 ラクトに言わせれば、やることが増えるぶん正道の機術師よりも機術闘士アーツファイターの方が難しい。

 しかし、平然とした顔で言い切られてしまえば、彼女が否定することもできなかった。


「それじゃあ、機術師になってくれるのかな?」


 気を取り直し、期待を込めてラクトは問い掛ける。

 しかし、それに対してシフォンは申し訳なさそうに眉を下げた。


「すみません。まだ、なんだかしっくり来なくて。もう少し考えさせて下さい」


 そんな彼女の返答に、ラクトはショックを受けた様子もなく頷いた。


「分かった。いろんな事ができる世界だからね、色々吟味して思い悩むと良いよ」

「はい。ありがとうございます」


 ラクトは口元を綻ばせる。

 ひとまず、アーツの魅力を知って貰えれば、彼女の使命は終わる。

 あとはシフォンに選んで貰うだけだ。


「じゃ、行こっか」

「はい?」

「アーツで“白母のサイロ”討伐。他の武器でもやったんだから、できないわけないよね」

「はええっ!?」


 そうしてラクトはシフォンの手をがっちりと掴み、ずかずかと草原の奥へと踏み入った。


_/_/_/_/_/

Tips

◇『氷の針』

 二つのアーツチップによって構成される、水属性攻性アーツ。

 鋭い針の形状をした氷を生成する。

 シンプルな構成のアーツで初心者でも簡単に扱える。推進力がないため、飛び出すことはない。


Now Loading...

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る